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連載小説・ガラスの靴

ガラスの靴57「嫉妬」

57「ガラスの靴」


     57・嫉妬

 宝塚歌劇の男役と女役スターが本格的に衣装を着け、新郎新婦のなれそめをドラマ仕立てにした寸劇をやる。僕は新郎の田村から真相を聞いているので、笑うのを我慢するのが大変だった。

 プロのジャズバンドがラヴソングを演奏する。政治家からの祝電がいーっぱい読み上げられる。経済界の大物だというが、僕は知らないおじいさんがスピーチをする。これまた大物らしいが、過去のひとらしいので僕は知らない演歌歌手や映画俳優もスピーチをする。

 録画による海外の俳優やミュージシャン、政治家や小説家や科学者からもお祝いメッセージが届いているらしく、そんな時間もけっこう長い。退屈もあったのだが、音楽も寸劇もマジックもプロがやっていたから、ショーでも見ているようで楽しくもあった。

「潔、ついに結婚が決まったらしいよ」
「誰と? 多恵ちゃんとじゃなくて?」

 電話をしてきたのは専門学校時代の同級生だった多恵ちゃんだ。多恵ちゃんとは卒業してからはまったく会うこともなかったのだが、彼女がつきあっている田村潔がアンヌの楽屋を訪ねてきてから、たまにお酒を飲んだりもしていた。

「ちがう。佐倉先生」
「医者の?」
「そうだよ」
「……多恵ちゃんは平気なの?」

 田村もまた僕とも多恵ちゃんとも専門学校は同じだ。アート系専門学校でアニメのほうを学んでいた僕は結婚して専業主夫になり、田村はフリーター、多恵ちゃんはアニメプロのアルバイト。二十三歳の専門学校卒人間としては、田村と多恵ちゃんはありふれた仕事についているのかもしれない。

 うちの奥さんも専門学校は同じ、ただし、アンヌはイラストのほうだが、田村も多恵ちゃんもアンヌとも一応は知り合いだ。そのせいで図々しくも田村がアンヌに会いにきた。アンヌは面倒くさがって僕に押しつけた。その流れで多恵ちゃんとも会ったので、多恵、田村、医者の佐倉先生との変な三角関係については知っていた。

 アルバイトとはいえ、多恵ちゃんは大きな仕事をまかされたりもして忙しい。アニメ映画に関わりたいとの野望も持っている。
 フリーターの田村はアニメとは無関係の仕事で、あれをやったりこれをやったりで腰が落ち着かない。多恵ちゃんと田村は、どっちも相手を都合のいい男、都合のいい女扱いでつきあっていた。

 そんな田村を口説いたのが、二十歳年上の女医さん、佐倉先生だった。その後のいきさつは知らないが、田村と佐倉先生が結婚するという。そこまでにはならないかと漠然と思っていたので、僕もびっくりで、多恵ちゃんはショックではないのかと尋ねたのだった。

「うーん、そうね、複雑な気分だけど、潔がいいんだったらいいじゃん」
「僕は多恵ちゃんがいいんだったらいいよ」
「それでね」

 なんというのか、大層な家柄出身の佐倉摂子さんは、両親や親せき筋に相当な人脈がある。対して潔は若くて顔がいいのがとりえのフリーターで、親も庶民だ。
 逆玉と呼ばれる結婚なので、結婚式も佐倉家側が凄まじい来客になる。潔だってちょっとは友達を呼びたかったのか、婚約者に命令されたのかは知らないが、専門学校時代の友達を招きたいと言うのだった。

「笙くん、アンヌさんと一緒に出席できない?」
「田村サイドの唯一の有名人だから?」
「そうなのかもしれない。潔は忙しいから、あたしから頼んでほしいって言われたんだ」
「あのさ……多恵ちゃんはこれから、田村とはどうするの?」
「友達づきあいは続けるよ」
「セフレのほうも?」
「ばーか」

 と言われはしたが、それもアリかもしれない。二十歳も年上の美人でもないおばさんと結婚した二十三歳男子は、セフレくらいは許してもらえるのかもしれないから、僕がとやかく言うのはやめよう。

「ってわけでね、アンヌ、出席してくれる?」
「いやだ」

 ひとことで断られたので、だったら僕も欠席しようかと思ったのだが、ものすごくゴージャスな結婚式だというし、アンヌも行ってもいいと言ってくれたので、出席することにした。

 聞きしにまさる豪華な式だった。僕たちは結婚式を挙げていないのもあり、僕が若いので友達もまだ未婚がほとんどなのもあり、第一、僕には友達も親戚も少ないのもあり、アンヌの関係の結婚式にはアンヌが行きたがらないのもあり、などなどで、僕は結婚式参列回数がほとんどない。

 なのだから、きっと一生に一度だろう。こんな凄まじく豪華な結婚式は。新郎の友人たちが集まったテーブルには若い男が十人、僕と多恵ちゃんを含めて十二人。若いのだけがとりえで他にはなんの特色もない。新郎そっくりの集団になっていた。

 あまり田村は好かれていなかったから、僕と同様、友達も少ない。幼なじみが別の席にいるらしいが、この十二人は、高校、専門学校時代の友人ばかりだ。僕が知っている男がふたり、大哉、春真がいたので、式のあとで多恵ちゃんと四人、同窓会兼二次会をすることにした。

 二次会といえば新郎新婦も加わるものだろうが、結婚式の続きの二次会は有名人だらけで派手に行われるらしい。会費も不要のそっちにはぞろぞろと人々が流れていったが、僕らはもうそんな人々に疲れてしまったので、新郎もヌキの気軽な飲み会だ。

「いやぁ、すごかったな」
「あの奥さんだもんな」
「お疲れ、乾杯しよ」
「田村潔の前途を祝して……」

 居酒屋のテーブルを四人で囲み、ジョッキを合わせる。ダイヤは車のディーラーで営業マンを、ハルマは英会話教室の営業マンをしているそうで、ふたりともにアニメとは無関係の仕事だ。

「多恵ちゃんはいいよな。俺もそんな仕事、したかったよ」
「笙もいいよなぁ。だけど、子どもがいるんだろ? 早く帰らなくていいのか?」
「うん。お母さんに預けてきたから」

 ひとしきり自分たちの仕事の愚痴をこぼしてから、ダイヤが言った。

「多恵ちゃんはどうなの? 映画の話、どうなった?」
「……進行中ではあるんだけど、出資しろって話になってるから……どうなんだろ」
「それって途中で立ち消えになったりしないのか?」
「なくもないかもね。そのくらいのお金だったらなんとかなりそうなんだけど……」
「やめたほうがいいよ」
「うん。ガセのような気がする」

 男ふたりはうなずき合い、交互に言った。

「どんな映画だか知らないけど、実績もなんにもない小娘に関わらせるなんて、あり得なくない?」
「いくら出せって言われてるのかも知らないけど、よくあるじゃん。歌手にしてやるからレッスン料いくら出せとかさ」
「小説の賞を取らせてやるから金を出せとか」
「そういうたぐいの話なんじゃないの?」
「多恵ちゃんってまだたいした仕事はしたことないんだろ」

 悔しいけど……と多恵ちゃんはうなずき、男ふたりはなおも言った。

「俺らもアニメの専門学校にいたんだから、ちょっとはそういう業界を知ってるよ」
「生き馬の目を抜くとか言うんだよな。多恵ちゃんみたいな小娘、だまくらかすのは簡単だろ」
「金だけじゃなくて、多恵ちゃんは女の子だからさ……」
「セクハラされてないか?」
「ダイヤ、失礼だろ」

 いやいや、失礼、とか言って、ダイヤもハルマもげらげら笑う。だいぶ酔ってきたようだ。

「そんでも多恵ちゃんは田村が好きだったんだろ。ふられたからって自棄を起こして、変なおっさんのおもちゃにされるなよ」
「よっぽどでもなかったら、アニメの世界で成功するなんて無理だもんな」
「多恵ちゃんは可愛いから、食い物にしようって牙をむいてる男もいそうだな」
「今までにどんな経験、してきたの?」

 すこしだけひきつった顔になって、多恵ちゃんは応じた。

「酔っぱらいのおかしな質問にはお答えできません」
「いやぁ、しかし、多恵ちゃんって遊んでそうだね」
「俺ともどう?」
「俺もフリーだよ」

 そこでまたげらげら笑う。僕が横目で見ると、多恵ちゃんの目は怒っているようだった。

「うちの同窓生って変わった奴が多かったのな」
「その代表は笙かと思ってたけど、田村は上手を行ったね」
「笙、なんでずっと黙ってるんだよ?」

 きみたちを観察しているほうが面白いから、とは言えなくて、僕はにっこりしてみせた。

「僕は世間知らずの主夫だから、きみたちの会話に入っていけないんだよ」
「そりゃまあ、特殊な女と結婚して主夫になったんだから、笙は特別だよな」
「ロックヴォーカリストなんだろ。新垣アンヌって見たことあるよ」
「正直、ふしだらそうな……いや、失礼」

 女の子を怒らせすぎるのもまずいと思ったのか、矛先が僕に向いた。

「主夫なんていうお気楽そうな立場はうらやましいけど、普通の男にはできないよな」
「ま、俺にもプライドはあるからね」
「俺にだってあるさ。アンヌさんって年上だよな。年上の女と結婚する男ってやっぱ……」
「そうそう。それ、あるよな」

 やっぱ、なんと言いたいのか。多恵ちゃんも黙ってしまって、サラダをつついていた。

「田村はもてるのかと思ってたけど、あんなのと結婚したってことは……」
「意外と同じ年頃の女にはもてなかったのかもな。多恵ちゃんしかいなかったのかな」
「逆玉ねぇ……」
「美人女優だとかいうんだったらまだしも、あのおばさんじゃあな……」
「田村の前途を祝して、なんて言ってたけど、将来真っ暗じゃね?」
「あんな家に取り込まれて、婿に行くわけだろ? いやだね、俺は絶対にいやだ」
「俺だっていやだよ」

 田村や笙の境遇と較べたら、俺たちはまっとうに働いてプライドを満足させているのだから、男としては俺たちのほうが上だ、と彼らは結論付けたようで、ふたりで乾杯していた。

「あれって……」
「ダイヤとハルマ?」
「うん」

 ダイヤとハルマと別れ、多恵ちゃんとふたりだけになった帰り道、多恵ちゃんが言った。

「本音もあるんだろうけど……あーあ、あたし、男に幻想を抱いてたかな」
「幻想?」
「男ってもっとさっぱりしてると思ってた。自分ができないからって、それをやってる相手に嫉妬してねちねちねちねち。ああいうのは女のやることだと思ってたの。まちがってたね」
「うん、そういうところは男も女も同じだよ」
「だよね」

 なにかを吹っ切ったように、多恵ちゃんは僕をまっすぐに見た。

「潔が結婚したってへっちゃらのつもりだったけど、ちょっとだけね……笙くんになぐさめてほしいな、なんて言おうかと思ってたんだけど……」
「え? あの……」
「言わないよ。アンヌさんと胡弓くんによろしく」
「あ、うん」

 おやすみ、と手を振って、多恵ちゃんは地下鉄の駅のほうへと歩いていく。なぐさめてほしいと言われていたら、僕はどうすればよかったんだろう。それを知りたい気持ちもすこしはあったから、すこしだけ残念でなくもなかった。

つづく


 

 

ガラスの靴56「本能」

「ガラスの靴」

     56・本能

 スパニッシュギターの演奏が流れているのだから、スペインふうバルとでもいうのだろうか。今日は息子の胡弓がおばあちゃんに拉致されてしまったので、この店でアンヌとデートの約束をしていた。

「笙くん、ひとり?」
「……昇くん、久しぶり」

 三十代だろうから、僕よりは十くらい年上だ。年上のひとには「さん」付けするものじゃないの? と眉をひそめるむきもあるが、某ジャニーズ事務所では同い年以下は呼び捨てで、先輩だと「くん」付けで呼んでいるじゃないか。

 昔はロックバンドをやっていて、今はサラリーマン。そんな人間はよくいる。アンヌは昔からロックをやっていて、今はプロのロックヴォーカリスト。昔は似た立場だったのに、時が流れてファンとスターになってしまった、という意味でも、アンヌはしばしばロックキッズの憧れのまとになる。

 そういった意味で親しくなったらしい、アンヌの友達だ。藤堂昇くんはかなりかっこいいルックスをしていて、女性にはもてまくるというのもうなずけた。

「そっか、アンヌさんと待ち合わせなんだ」
「うん、仕事が長引いてるんじゃないかな。昇くんはひとり?」
「僕もデート、ドタキャンされちゃったよ」
「そしたら一緒に飲もうよ」

 メールも来ないから、アンヌは忙しいのだろう。こっちから何度もメールをしたら機嫌を損ねて、僕との約束をすっぽかしてよそに行ってしまいかねない奥さんだから、我慢して昇くんと暇つぶしをしていよう。

「僕はさ……結婚なんかしたくなかったんだよね」
「そう? 結婚っていいものだよ」
「笙くんみたいにお気楽な専業主夫だったらいいけど、普通の男は結婚したら大変なんだよ」

 彼は新垣笙について、アンヌから聞いているらしいが、僕は藤堂昇についてはあまり知らなかった。

「僕は主夫になりたいわけでもない。アンヌさんみたいに器の大きな、包容力のある女はめったにいない。だからさ、結婚なんかしたくないって決めてたんだ」
「気持ちはわからなくもないけどね」

 専業主婦でも風当たりは強くて、昔は当たり前だったのに、いまや非難の対象にもなっているらしい。まして主夫となると、ヒモだのニートだのと言われる。働いて一家の主人となるのも大変だ。男の人生、どうころんでもしんどいのだ。

 だけど、僕が独身だったとしたら?
 二十三歳。社会人として働いていなくてはならない。あの父と母と暮らしてうるさく言われるか、ひとり暮らしで汲々しているか。どっちにしたって僕が高給取りになれるはずもないし。

 自由はあるかもしれないが、あくせく働くのと較べれば、少々不自由な身になっているとはいえ、寛大な妻と可愛い息子を持つ主夫の僕のほうがいい。父はぶつくさ言っているが、母は息子の生活が安定し、孫をしょっちゅう預かって可愛がれるのにも大満足しているのだから、親孝行だってできているのだから。

「だけどね、恋っていきなりやってくるものなんだな」
「恋したの? 初恋じゃないでしょ」
「初恋かもしれないよ。僕は女とは数も覚えてないほどつきあったけど、愛してるなんて思ったことはないんだ。でも、温子ちゃんには……」

 この遊び人が初恋だというのは、案外本当なのかもしれない。ハルコちゃんという女性に生まれてはじめて、昇くんは本気で恋をしたのだそうだ。

「温子ちゃんとはつきあってるの?」
「彼女のほうから告白してくれたから、軽い気持ちでつきあってたんだよ。僕には女の好みってのはなくもないんだけど、そんなのどっちでもいいんだ。来るものは拒まない。女ってどんなタイプでも、どこかは可愛かったり愛しかったりするんだよ」

 そうかなぁ、ひでぇ女もいるよ、と思う僕は経験不足なのだろう。博愛主義の昇くんは、最高で八股くらいやったことがあるそうだ。なんてマメなんだ。

「温子ちゃんは決して美人ではないけど、なんていうのかな、総合的に僕とは相性がいいんだろうな。プロポーズされて、なんとこの僕が、結婚してもいいかなって気持ちになったんだ。こんな気持ちもはじめてだよ」
「へぇぇ」

 年貢の納め時って言葉もあるのだから、いいのではないだろうか。にやっとしてしまった僕に、昇くんは深刻な面持ちを向けた。

「でもなぁ、僕は今まで、本能に従いすぎてたんだよね」
「今は何股やってるの?」
「温子ちゃんとつきあうようになってから、女は整理したんだよ。他に三人ほどはいるんだけど、温子ちゃんにばれないように別れるのは可能だ。だからそれはいいんだよ」

 マメでいて別れ上手。プレイボーイの条件だとは僕も実感していたが、本気の恋をしていると言う男が他に三人もいるなんて、よく身体が保つものだ。

「ただ、養育費が……」
「あれ? 昇くんってバツ持ち?」
「いや、結婚はしてないんだけど……」
「子どもだけいるの?」
「うん」

 それで深刻な顔をしているのか。アンヌはまだ来ないし、本腰を入れて聞いてあげよう。

「ふたり」
「ふたりもいるの?」

 結婚していないのにふたりの子どもを産んだ女性って、あのほのかさんに近い性質をしているのだろうか。呆れ半分の僕に、昇くんは言った。

「真智子ちゃんって女性が産んだ子と、奈江ちゃんって女性が産んだ子なんだよね。誕生日がとても近いから同い年なんだ」
「はぁ?」
「ふたりともに、結婚はしなくていいから認知だけして、養育費は払ってって言ったんだよ。ラッキーな気もしたけど、生まれてみたら相当に大変だった」
「は、はあ……」

 ラッキー? 怪訝な顔になったらしき僕に、昇くんは言った。

「男の本能ってのは無責任に言えば、種まきだよ。いくらでも種をまいて、女が受胎する。複数の女があちこちで自分の子を産む。子孫繁栄を果たして、男は闘って果てるのさ」
「はあ……ふーん」
「そういう意味ではラッキーだろ。僕は結婚なんかしたくないけど、深く考えたら子孫は残したい。女が勝手に僕の子を産んで勝手に育てるんだよ」
「う、うー……」

 そんなの僕にはラッキーだとは思えないが、そう思える男もいるらしいとは知った。

「だけどさ、ふたりなんだよ。ふたりの女がほぼ同時に子どもを産んだ。男の子と女の子だ。真智子ちゃんと奈江ちゃんは一緒に暮らしてて、父親としての義務なんだからたまには子どもを見にこいって要求はされる。時には預かれとも言われる。赤ん坊をふたり預かってみろよ。死にそうだよ」

 うちの母は胡弓を預かるのが幸せそうだが、母は育児の経験者だからか。僕はあまり小うるさいことは言わないし、胡弓はひとりだけだから、それほど大変だとは母は思っていないように見えた。

「必ずふたり同時になんだよね。あれって復讐なんだろか」
「んんと……ちょっと待ってよ。真智子さんと奈江さんが一緒に暮らしてるって?」
「そうだよ。ひとりで子どもを育てるのはつらいけど、ふたりの女がふたりの子どもを育てるのはやってみる価値があるとかいって、僕との結婚じゃなくて、僕の子を妊娠した女性同士の同居生活を選んだんだ」

 それって……想像すると眩暈がした。

「それもいいな、ナイスな考えじゃん、って、僕も賛成してたんだよ。もっとも、反対したって彼女たちは押し通しただろうけどね。で、今の僕はそんな状況なわけ。バツはなし、ただし、子どもがふたり。養育費ふたり分。時々はベビーシッターもやる」
「そりゃ大変そう」
「だろ? 正直に打ち明けたら、温子ちゃんがそんな僕を受け入れてくれると思う?」
「思わない」

 としか、僕には返答しようがない。自業自得とはいえ、昇くんは茨の道を歩いているわけだ。
 
 世の中は広い。ほのかさんのように三人の子持ちで、彼女もバツはなし。三人の子の父親はそれぞれにちがい、一度も結婚もせず認知もしてはもらわず、ひとりで優雅に子育てしている。そんな女性もいる。
 かたや、同じ男の子どもをそれぞれに産み、ふたりの女性が同居して育てている、真智子さんと奈江さん。

 その三人の女性たちは、話が合うのか。反発し合うのか。僕にはどうなのだかわからないけれど、ほのかさんに奈江さんと真知子さんを紹介してあげたくなってきた。

つづく


ガラスの靴55「横入」

「ガラスの靴」

     55・横入


 酔っ払いのアンヌが連れてきた酔っぱらいたちが、我が家を占拠している。飲みにいった夫が友達を引き連れて帰ってくると怒る主婦もいるらしいが、主夫の僕は怒るなんてとんでもない。僕がアンヌに従順だからもあるが、留守番よりも大勢の人に囲まれているほうが楽しいからだ。

 一度寝るとめったなことでは起きない息子、ってのも、アンヌが真夜中にでも友達を連れてくる理由のひとつだろう。マンションは広いから近所迷惑にもならないし、少々騒いでも息子の胡弓は起きないし。

「笙、つまみが足りないよ。おまえの得意料理作って持ってこいよ」
「アンヌさんって笙くんをおまえと呼ぶんだね」
「てめえも女房をおまえって呼んでるだろうがよ」
「いや、僕は男だし……」
「あたしは女だよ、悪いのか」
「よくはないってか……」

 喧嘩をしているわけでもないが、酔っ払いアンヌがからんでいるようにも聞こえる相手は巻田くんだ。僕はアンヌの仰せに従って、得意なポテトグラタンを作る。キッチンで料理しながら、アンヌと巻田くんの会話を聞いていた。

「巻田の女房はいくつだった?」
「二十一」
「若いよなぁ。スケベ男は若い女が好きで、若かったら欠点なんかなんでも目をつぶるんだろ」
「まあ、それはあるね。うちの水那ってアンヌさんから見ても欠点だらけ?」
「若い子は太ってても可愛いけど、水那はBWHのサイズが同じだろ。ボンキュッパッじゃなくて、どす、どす、どすっ」
「そこまでじゃないけどね」

 その調子で、アンヌは巻田くんの奥さん、水那さんを無茶苦茶にこきおろす。いくらなんでもあんまりだよ、と他の誰かが言い、また別の誰かも言った。

「水那ちゃんは高校を出てアルバイトしてたときに、巻田と知り合ったんだよね。専業主婦でしょ」
「そうだよ。僕がプロポーズしたときには、仕事なんかしたくないから、巻田さんと結婚してあげるってほざいたんだ」
「家事はやってるの?」
「やらなくはないけど、文句ばっかり言ってるよ。思ったよりも僕の給料が安いとか、うちのおふくろが来て料理を教えてあげるって言った、よけいなお世話だとか」
「それはたしかによけいなお世話だ」

 笑い声の中、アンヌが言った。

「若いわりには水那って肌も綺麗じゃないんだよな。内臓が悪いんじゃないのか?」
「水那ちゃん、ナッツが好きだって言ってたよ。ナッツはちょっとだったらいいけど、食べ過ぎると塩分と脂肪分過多になるんだよね」
「暇だからナッツ食べ食べ、テレビばっか見てるんだろ」
「アンヌさんって水那ちゃんが嫌い?」
「ってか、巻田が嫌いなんだよ」

 ひでぇ、と巻田くんの声がして、みんながまたまた笑う。

 巻田くんは音楽事務所の社員で、水那ちゃんはその事務所と同じビルに入っている、アパレルメーカーでアルバイトしていた。若い子が大好きな三十男、巻田くんは水那ちゃんを見そめ、熱烈にプロポーズして結婚した。僕は水那ちゃんとは会ったことはないが、僕と似た立場の主婦なのだろう。

 ポテトグラタンができあがって運んでいったときにも、みんなは水那ちゃんの悪口で盛り上がっていた。ひでぇなあ、と言いながらも、巻田くんは情けなさそうに笑っていた。

 その夜から半年ばかりがすぎて、巻田くんが我が家にやってきた。

 小太りで背が低い。水那ちゃんはなんでこんな男と結婚したんだろ。収入だってよくもないらしいのに、水那ちゃんは若いんだから、そう急がなくてもいいのに、とも思うが、水那ちゃんってブサイクらしいから、妥協だろうか。僕は水那ちゃんを見たことがないので、憶測しかできない。

「えーと、アンヌはまだ帰ってないんだけど……」
「帰ってなくていいんだよ。きみに頼みがあるんだ」
「僕に? ま、どうぞ」

 今夜も胡弓はすでにベッドに入っている。招き入れた巻田くんはむずかしい顔をして、キッチンの椅子にどかっとすわった。

「そんなところにすわるって、ああ、そっか。僕のポテトグラタンが食べたいの? 作ってあげようか」
「グラタンなんかいらないよ。笙くん……」
「はい?」
「アンヌさんを僕に譲ってくれっ!!」

 一瞬、なにを言われているのかわからなくて、目をぱちくりさせた。

「僕の妻はあんなのだ。きみも前に聞いてたんだろ」
「あんなのって。若いんでしょ」
「若いだけの女なんだよ。僕はたしかに若い女の子が好きだから、水那の若さだけでも値打があると思って、恋は盲目状態で突っ走った。だけど、結婚してみたらあんな女……」

 どすどすどすっ、の体型で、料理は下手。小遣いくらいはバイトでもして稼げと言っても、やだぁ、それよりもセイちゃんがもっと稼いできてよ、と反抗する。巻田くんの名前は誠一だから「せいちゃん」なのだそうだ。
 家事はやってはいるけど下手。文句と不満ばかり言って、巻田くんの母や姉と喧嘩をする。まだ若いから子どもなんかいらないと言う。バイトもしないくせに浪費家で、ブランドもののバッグを無断で買ったりもする。だんだんと嫌気がさしてきたのだそうだ。

「その点、アンヌさんは若くはないけど綺麗だよな。プロポーションもいいだろ。稼ぎもいいだろ。水那は今は若いけど、いずれは年を取る。十年後、三十代の水那と四十代のアンヌさんを較べたら、アンヌさんのほうが若々しいんじゃないだろうか」
「そうかもね」
「そうだよ」

 だって、アンヌは働く女性だもの。芸能人と言ってもいい、特別な仕事の女性だもの。僕はアンヌが誇らしくて、つい先刻、巻田くんがほざいた台詞を忘れそうになっていた。

「それに、なんたってアンヌさんは稼ぎがいい。それだって長い目で見たら、生涯に水那が稼ぐ金額と、アンヌさんの収入とだったら桁がいくつちがうか。美人でかっこよくて、稼ぎがよくて……それだけそろえば、若くないのも性格がよくないのも許せるよ」
「あんたに許してもらわなくてもいいけどね」

 むっとしたので、反撃に出ることにした。

「性格がよくないってのはたしかに、そうかもしれないよ。アンヌは料理なんかできない。できないってか、する気がないだけで、したらできるのかもしれないけど、家事も育児もできないんだ。だから僕を選んだんだよ。巻田くんって専業主夫はできる?」
「いや、なにも僕が主夫をしなくても……アンヌさんが仕事を減らして……ってか、僕はアンヌさんと結婚したいとか言うんじゃなくて……」

 しどろもどろしている巻田くんに、もうひとこと言ってやった。

「それにそれに、巻田くんってこの間、アンヌにぼろっくそにけなされてたじゃん? あれだけ無茶苦茶言われて惚れたの?」
「あれだけの毒舌を吐くところも、かっこよくて潔いと思ったんだよ。水那なんか語彙が貧困だから、ケチぃだとか、ずるぅい、だとかしか言わないんだよ」
「けなされて惚れたって、変態、マゾ!!」

 語彙が貧困といえば僕もだ。これでもアンヌに教わって言葉を覚えたので、水那さんよりはましなはずだが、的確に巻田くんにぶつける罵詈は思いつかなかった。

「アンヌはあげないよ。アンヌは僕のものなんだからねっ」
「笙くんには水那のほうがつりあうだろ。水那とアンヌさんを取り換えっこしようよ」
「やだ。そしたら僕が働かないといけないじゃないか」
「働けよ。男のくせに主夫やってるなんて、それがまちがってるんだから」

 次第に論旨がずれていって、興奮して罵り合いになって、ふと気づくと背中に冷やかな空気を感じた。

「アンヌさん……」
「アンヌ、帰ってたの? お帰りなさい。聞いてた? なんとか言ってやってよぉ!!」

 いつからそこにいたのか知らないが、アンヌは罵り合いを聞いていたのだろう。巻田くんに指をつきつけた。

「アホか、てめえは。てめえは下等な男なんだから、ヨメも下等な女が似合いなんだよ。夫婦ってのは似た者同士が……あれあれ? あれっ? そうすると……」
「アンヌ、どうしたの?」
「夫婦は合わせ鏡だとかっていうよな。すると……笙とあたしは似た者同士? ……まさか、そんなこと、あるわけないだろ。あるわけないっ!!」
 
 それって……と僕も悩んでいると、アンヌは巻田くんに向かって言った。

「Disappear!!」
「アンヌ……なんて言ったの?」
「おまえは黙ってろ、笙。巻田だったらわかるだろ」
「僕にもわかるように言ってよ」

 うーー、と唸ってから、アンヌは再び言った。

「Go away!!」
「きゃあ、英語だ。かっこいい」
「うるせえんだ、笙は。おまえは黙れ!!」

 しおしおとなった巻田くんが、立ち上がってキッチンから出ていく。つまり、帰れと言ったのだろう。僕はアンヌに抱きついた。

「よかった。アンヌは僕でなきゃ駄目なんだよね」
「巻田みたいな下等な男にはよろめかないけど、上等な男にだったら乗り換えるかもしれないよ」
「そんなぁ……」
「バーカ。いいから、腹減った。メシはないのか?」
「はーい、お茶漬け、作ろうか」

 そんなの嘘だよね。僕はアンヌ一筋なんだから、アンヌだって根本ところでは笙一筋だよね。

「あのな、笙?」
「なあに?」
「おまえはあたしのものだけど、あたしはおまえのものじゃないよ」
「……僕はあなたのもの、それだけでも嬉しいよ」
「アホだな、おまえは。さっさと作れよ、お茶漬け」
「うんっ!!」

 さっき、なにやらアンヌがぶつくさ言っていたような気がするが、そう信じたら心がぱっと晴れて、幸せいっぱいになれた。

つづく


ガラスの靴53「告白」

「ガラスの靴」

     53・告白


 同じマンションの別フロアで夫と息子との三人で暮らしている専業主夫友達、美知敏。通称はミチ。彼は男だから「主夫」なのだが、夫も男で、息子は夫と前妻の間に生まれた子どもだ。僕も同じく「主夫」ではあるが、妻は女性で、息子は妻の産んだ子供。僕のほうがややこしさは少ない。

 吉丸さんちでミチと、息子の来闇、僕と息子の胡弓の四人で遊んでいて、二歳のライアンと三歳の胡弓はお昼寝をしてしまった。ミチと僕は息子たちを見守りながらお喋りをしていたので、喋るのにも倦んできて半分は居眠りをしていた。

「はーい」
「お客さん?」
「お客の予定はないけどね」

 チャイムの音にミチが立っていき、美少年を伴って戻ってきた。

「来るんだったら先に電話でもして、約束してからにしろって言ってるのに、リルはこうして突然来るんだよ」
「暇だったんだったらいいじゃん。笙くん? こんにちは。僕、リル」
「リルっていうの? ハーフ?」

 色白で可愛い顔立ちで、ハーフに見えなくもないが日本人だそうだ。ミチの高校時代の後輩で、本名は理流稀。リルキと読む。ライアンなんてフツーじゃん、って感じの変わった名前だ。

「後輩って、ミチは部活とかやってたの?」
「うちの高校は部活は必須だったから、やってたよ。僕は二年で中退しちゃったから、リルとは一年しかつきあってないけどね」
「なんの部活?」
 
 アニソン研究会だそうだ。ミチはリルのためにコーラを取りにいき、リルが高校時代の話をしてくれた。
 高校の部活で知り合ったミチ先輩は、間もなく高校を退学してしまう。リルはミチが好きだったので、ミチのアルバイト先を突きとめて会いにいった。

「あ、僕はゲイじゃないからね。友達として好きなんだよ」
「うんうん。それで?」
「それで、僕もミチくんがバイトしてた店で働いたりもして、僕も高校は中退しちゃったんだよ。勉強なんか嫌いだから、お水の世界に入るほうがいいつもりだったんだけど、親がうるさくてさ。バイトだったらまだいいけど、バーなんかに就職したら駄目だって」

 高校中退のリルが一般の会社にもぐり込めたのは、父親のコネがあったかららしい。リルのお父さんは建築事務所を経営していて、取引先の会社に息子を押し込んだ。

「最初はパシリだったんだけど、経理の資格を取ったから、今はこれでも経理マンなんだよ」
「へええ、すげぇ。えらいんだね」
 
 二十歳にしてリルはまっとうなサラリーマンなわけだ。僕にはとうていそんな暮らしはできないけれど、ぱっと見とはちがうリルを尊敬してしまった。そこに戻ってきたミチが尋ねた。

「で、今日はなんか用事?」
「僕、告白されたんだ」
「女に?」
「そうだよ。僕はゲイじゃないんだから、恋は女とするんだよ」

「こいつ、オクテなんだよね。初恋なんじゃないの?」
「初恋ではないよ。今の会社に就職してから、ふたりぐらいはつきあったかな」
「僕に言わなかったじゃん」
「遊びだったからね」
「だったら、今度は本気?」
 
 力強くうなずいて、リルは話した。

 その時どきでリルにはマイブームランチがある。最近はドーナツなので、職場近くのドーナツショップへ毎日通い詰めていた。
 毎日毎日行っていると顔なじみの店員さんができる。そのうちのひとりの女性に、待ち伏せされて告白されたのだそうだ。

「私、三人ほど好きな男性がいるの。あなたに断られたら次を当たるから、好きか嫌いかはっきりして」
「ええ? そんないきなり……」
「私は気が短いのよ。はっきり決めて」
「考えさせてもらえない?」
「駄目っ!! 決めて」
「ううう……」

 悩む間も与えてもらえなかったので、リルは勢いでうなずいた。

「言っておくけど結婚前提よ。私は遊びの恋はしない主義なの。もう四十歳もすぎてるんだから、さっさと結婚してさっさと子どもを産みたいのよ。私とつきあったら一年以内に結婚するよ。いいね?」
「はい、結婚します」

 そこまで聞いて、ミチと僕は同時に疑問を口にした。四十すぎてる?

「そうだよ。稟子さんは四十二歳なんだ」
「すっげぇ美人?」
「えーっと、でも、ドーナツショップって……あ、オーナーだとか?」
「ううん。アルバイト。写真があるよ」

 大切そうに見せてくれたリンコさんの写真は……。普通のおばさんだった。

「リンコさん、言ってたよ」

 告白の前に、リンコさんは友達に相談したのだそうだ。二十歳の美少年と三十代の美青年と、四十代のかっこいい中年、お店に来るお客の中でお気に入りが三人いる。どの彼に告白すべき?
 複数の友達は異口同音に答えた。

「二十歳に告白なんかしたら犯罪よ。三十代もあんたには無理。身の程を知りなさい。四十代だったらまだしもだけど、かっこいいんでしょ? 無理だね」

 そう言われて意地になって、三人ともに告白することにした。手始めに当たって砕けるつもりだったリルが大当たりだったので、あとのふたりはやめにして友達に報告した。

「……嘘でしょ。だまされてるのよ」
「リンコ、目を覚ましなさい。その子、あんたをからかってるんだよ」
「そうじゃないんだったらリンコの妄想だよ」
「そうかもしれないね。医者に行こうか?」

 友人たちの言い草に、リンコさんも不安になってきたらしいと、リルはふふっと笑った。

「リル、ほんとにリンコさんの友達が言ってる通りなんじゃないの? おまえ、リンコさんをからかって、告白だの結婚だのにうなずいておいて、どこかでどすっと落とすつもりだろ」
「僕があなたにそんな気になるわけないだろ、とかって? 罪だよ、リル。そんなふうにするくらいだったら、最初からお断りしろよ」

 いいや、本気だよ、とリルは頭を振り、ミチと僕は言いつのった。

「ちょこっと遊びでつきあってみるだけだったら、まだわかるけどさ……」
「しかし、リルだったらこんなどこにでもいそうなおばさんとつきあわなくても、可愛い若い子が遊んでくれるだろ」
「二十歳のニートとかいうんだったらしようがないけど、一応はちゃんと働いてて、収入だっていいほうなんじゃないか。なにを好き好んでこんなおばさんと……」
「第一、告白されるまでは意識もしてなかったんじゃないのか?」

 だからこそ、運命を感じたんだ、とリルは言った。

「このおばさんと結婚するんだよ? できるの?」
「ってか、もう寝たの?」
「まだだよ。リンコさんは純情可憐な乙女なんだから、結婚式をすませて新婚旅行に行って、そのときに初夜ってのが夢なんだって。僕もそのほうがいいな」
「新婚旅行や結婚式の話もしてるの?」

 もちろん、とリルはこともなげにうなずき、ミチが質問した。

「親には許しをもらったの?」
「僕は成人してるんだから、親の承諾なんかなくても結婚できるよ」
「けど……あとあと……」
「ミチくんだって親には適当にごまかしてるくせに」

 それを言われるとぐうの音も出ないってやつなのだろう。ミチはうなだれた。
 このふたりの親は田舎で暮らしている。ミチが言うにはろくな高校もない田舎だから、中学を卒業して上京したのだそうだ。リルも似た境遇なのだから、親とは同居していない。内緒で結婚するってこともできるわけだ。

「リル、血迷ってないか?」
「冷静に考え直したほうがいいよ」
「ミチくんも笙くんも、頭の固いおばさんたちと同じなんだね。失望したよ」
「ったって世間の常識が……」

 言いかけたミチを、僕は肘でつついた。その台詞が似合わない最たる人物はキミだよ、ミチ。

 このふたりと比較したら、僕なんかは平凡で常識的だ。僕は男として女性と結婚し、普通に子持ちになった。主夫程度のなにが変なんだろ。親にとってはミチやリルみたいのよりも、僕のほうが一億倍も親孝行息子なはずだ。

つづく


 

 

ガラスの靴51「信頼」

「ガラスの靴」

 

     51・信頼

 

 どれほど綺麗でもおばさんではあるのだが、上品でセレブなマダムといった感じの美人が、竜弥くんのとなりで頭を下げた。

 

「竜弥の母でございます。西本たつ子と申します。竜弥がお世話になりまして」
「西本さん?」
「ええ」

 

 最初の妻とは男と不倫して離婚し、不倫相手と事実婚をした吉丸さんは、アンヌのバンド「桃源郷」のドラマーだ。男と不倫したのだから当然、事実婚の相手は男である美知敏。通称ミチは吉丸さんのヨメと呼ばれて専業主夫というか主婦というか、でもあり、吉丸さんの前妻が置いていった息子を育てる男母でもある。

 

 それで懲りるような奴ではない吉丸さんは、今度は女と浮気をした。その相手の女が西本ほのかさん。ほのかさんは父親のちがう三人の子どもをひとりで育てている通訳で、三番目の雅夫が吉丸さんの子だってわけだ。

 

 英語の通訳だから英米の有名人ともつきあいがある、収入も相当に多いほのかさん。望み通りに三人の子どもを持ち、人生が充実しているらしきほのかさんの自宅に入り込んできたのが竜弥くんだった。

 

 彼の正体はどうも曖昧で、大学生らしいとしかわからない。姓すらも僕は知らない。ほのかさんの子どもたちは彼の正体を教えてくれるには幼すぎ、ほのかさんも本人も絶対に言ってはくれない。時おり竜弥くんとは話す機会もあるのだが、肝心の部分ははぐらかされる。

 

 ほのかさんちの家政婦さんだったら教えてくれるかと思ったのだが、知りませんよっ!! とつめたくあしらわれた。

 

 その竜弥くんの姓は西本? 母が西本なのならば普通は息子も西本だろう。僕は結婚してアンヌの姓の新垣に変わったので、実の母とは苗字がちがうが、こっちのほうが特殊なはずだ。ほのかさんの姓も西本。すると?

 

「ほのかさんもお世話になっておりますようで、竜弥が笙さんに挨拶をしてくれと申しますのよ」
「えーっと、たつ子さんってほのかさんのなんなんですか」
「ほのかさんの兄の妻です」
「っつうと、竜弥くんはほのかさんの甥?」
「ええ。ほのかさんの子どもたちのベビーシッターをしてくれるなら、下宿代は無料でいいなんて言われましてね。うちの主人はもちろん、竜弥のマンションの家賃くらいだったら払えるんですけど、ほのかさんのお目付け役みたいな感じで、同居させるのはいいかもしれないと申しましたの」
「そうなんだ」

 

 なーんだ。そしたら竜弥くんはほのかさんの甥なんじゃないか。竜弥くんもようやく種明かしをしてくれる気になったようで、ほのかさんのマンションでお母さんを僕に紹介してくれたらしい。今日はほのかさんは子どもたちを連れて出かけていると竜弥くんは言っていた。

 

「笙さんもほのかさんについてはごぞんじなんですよね。主人も気に病んでいますのよ。兄の言うことを聞くような女性ではありませんから、竜弥をそばに置いて、せめてこれ以上はとんでもなく破廉恥な真似をしないようにと……身内の恥をお聞かせしてしまいまして、すみません」
「恥じゃないじゃん」

 

 小声で言った僕に竜弥くんはウィンクしてみせたが、お母さんには聞こえなかったらしい。ため息まじりに続けた。

 

「雅夫くんのお父さんの仕事仲間が、笙さんの奥さまなんですってね。笙さんは専業主夫でいらっしゃるそうで……私もほのかさんみたいな女性と関わってますから、専業主夫くらいじゃ驚きませんわ。それにしてもその、雅夫の父親って方は……」

 

 未婚の母とはいえ、ほのかさんはきちんと三人の子どもを育てている。今のところは子どもたちはまっとうに育っているのだから、ほのかさんは決して身内の恥ではないと思うが、四十代の頭の固いおばさんには通じないだろう。

 

「主人は怒ってましたけど、ほのかさんがもてあそばれて捨てられたってわけでもないらしいから、もうほっとけって態度になってます。だけど、雅夫のお父さんってよくもそれだけ浮気できますよね」
「それだけは同感ですね」

 

 うふふと竜弥くんは笑い、僕は肩をすくめ、たつ子さんはため息ばかりつきながらも喋った。

 

「うちの主人は家事なんかは一切しませんけど、しっかり働いてますし、優しいですし、絶対に浮気はしないんだから亭主関白は受け入れてますのよ」
「絶対に浮気はしないんですか」
「しません、絶対に。私は強く信じてます」
「僕はたつ子さんの旦那さんって知らないけど、どんなところがその根拠なんですか」

 

 あまり突っ込んで質問するといやがられるかとも思ったのだが、たつ子さんはその話をしたかったらしく、勢い込んだ。

 

「まず、主人の職場は男性ばかりです。アカデミックな仕事で、昨今は学者さんにも女性が進出してきてますけど、主人の職場にはいません。掃除婦のおばさんすらいません」
「なるほど」

 

 その調子でたつ子さんは並べ立てる。

 

 収入はいいけれど、給料も臨時収入もすべて夫が妻に託してくれる。妻の知らないお金は持っていないし、金銭的には恬淡としているので、妻の作ったお弁当を持って出勤し、仕事が終わればまっすぐ帰ってくる。帰宅時間は判で押したようにほぼ同じ。職場は自宅からも近いので、七時半には帰ってくる。

 

 たまさか会合などはあるが、夫はお酒は苦手なのでほとんど飲まない。たまにはバーに行ったりもするが、帰宅してから逐一、今夜はどこでなにがどうして誰と話して……などと妻に報告する。

 

 そういう話を妻にするのは好きだが、面倒くさがりなので携帯電話は仕事にしか使わない。その他の事柄も相当に面倒がるのだから、浮気なんかはめんどくさいの最たるものだと本人も言っている。ママ、かわりにメールしておいて、と頼まれて職場の連絡を妻がしたりもするので、携帯を見るのもまったく自由だ。

 

 休日に出かけるのは息子の竜弥くんか、妻のたつ子さんとだけ。ひとりで行くのは近所の散歩だけ。散歩に行くとお土産だと言って、パンやケーキや花や雑誌などを買ってきてくれる。

 

「それともうひとつ、あるよね。ママはパパの好みにぴったり」
「もう若くはないけど、それでも言ってくれるものね。ママは綺麗だよ、愛してるってね」
「ごちそうさま」
「昨日も言ってくれたわ。最近は竜弥くんがいないから、よけいにふたりっきりで熱いのよ」
「ほんと、ごちそうさま」

 

 母と息子がじゃれ合うような会話をかわし、たつ子さんは僕に向かって言った。

 

「両親が愛し合い、あたたかな家庭を作っているといい子が育つってほんとですよね。私は専業主婦ですから、竜弥には手も目も愛情もたっぷり注いで育てました。躾にしてもきびしすぎず甘すぎず、ほどほどに最適にできた自信があるんですよ。おかげさまで竜弥はほんとに、素晴らしい青年に育ちました。私の手中の珠です」

 

 そうかなぁ、竜弥くんってそんなに模範的な青年かなぁ? とは思ったが、竜弥くんも子どもではないのだから、母の知らない顔を持っているのが当然だろう。黙っておいてやろう。

 

「私は人を見る目があるって自信も持ってますから、主人が浮気なんか一度もしたことはない、これからも絶対にしないって信じてますわ」
「ママがしたりして?」
「そうねぇ。私のほうが危ないかもしれないわ。……嘘よ、冗談よ。私はまだもてるけど、私だってパパ一筋だもの。いやあね、竜弥くんったら、変なことを言わないで」
「ごめんなさい。失礼しました」

 

 ふたりして顔を見合わせて、母と息子がくすくす笑う。気持ち悪くなくもない笑いだった。

 

「今日は笙さんにご挨拶だけしたくて、こちらに立ち寄ったんですよ。これからも息子をよろしくお願いします」
「こちらこそ」
「ママ、もう帰るの?」
「ええ、このあと、パパと約束があるの。竜弥くんも連れていってあげたいんだけど、ふたりきりのデートですからね」
「僕にとっては残念だけど、楽しんできてね」
「ええ、ありがとう」

 

 息子の頬に母がキスをし、息子は母を軽くハグする。僕はお母さんとあんなこと、したこともない。したくもないからいいのだが。

 

「さてさて、笙くんはどう思った?」
「どうって、なにを?」

 

 たつ子さんをお見送りして部屋に戻ると、竜弥くんが言った。

 

「うちのママの、夫に対する信頼だよ」
「いいんじゃないの。理想だよね」
「うん、ママは幸せなひとだ」
「……それって……」

 

 シンプルに幸せだと言っているのではなく、おめでたくて幸せだというニュアンスに聴こえた。

 

「親父とママは若いころは美男美女のカップルだったんだよ。ママだって今もまあ、美人だろ。親父は僕の兄さんに見られるくらいにかっこいいんだ。だからさ、けっこう貢がれたりするわけ。そうやってうんと年上の男に貢いででも、あわよくば妻を蹴落として後妻の座におさまりたいって若い女、いるんだよ」
「ええ?」
「親父は七時半には帰宅できるくらいなんだから、仕事は忙しくもない。勤務時間中に職場を抜け出して女とデートすることもできるんだよ。浮気だよ、あくまで浮気。本気にはならないみたいだね」
「はあ……」

 

 それからそれから、竜弥くんは父の行動の抜け穴をいくつも話した。

 

「親父は秘密の携帯を持ってるよ。そっちには若い女のアドレスもずらりと並んでて、メールだって複数の女とやりとりしてる。親父にはママに内緒の副収入もあるから、貢いでくれない女ともデートできるんだよ」
「ふーむ」
「あと、僕は親父の味方だから、竜弥と食事に行ってくる、とかって嘘に口裏を合わせてあげたりもするんだよね。まったく、ママは幸せだよ」
「はぁあ……」
「知らないことはなかったことなんだから、僕はママの幸せに水をぶっかけるようなことはしないよ。笙くんだってしないよね」

 

 ぶるぶる頭を振ると、竜弥くんはにんまりした。

 

「ああいう女に限って、私は人を見る目があるって言いたがるんだ。人を見る目があるのかどうか、私の育て方がよかったから息子がいい子に育ったのかどうか、ただのラッキーだったのか、ただの節穴みたいな目を持ってるだけなのか、どれもこれも紙一重だよね」

 

 ああいう母に育てられると、こういうゆがんだ性格の息子ができるのか。その点、僕の母は平凡でよかったのだろう。僕の母も若いころにはちょっと綺麗だったらしいが、今ではたつ子さんとは比べものにならないくすんだおばさんだ。

 

 父はイケメンでもないおっさんなのだから、僕は母に感謝はしている。母が綺麗だったから僕も美少年に育って、アンヌと結婚できたのだ。アンヌが僕をお婿にもらってくれた一因には、笙が可愛い顔をしているから、というのがまぎれもなくあった。

 

「竜弥くんはほのかさんの甥なんだよね。甥と叔母って結婚できるよね」
「できるはずだね」
「……結婚できるんだから……」
「近親相姦にはならないんだから、肉体関係もあるかもしれないって? さあね、どうだろね」

 

 ゆがんだ性格の美青年の、たった今の微笑も相当にゆがんでいた。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラスの靴50「姉弟」

「ガラスの靴」

 

     50・姉弟

 

 なにもわざわざ持ってこなくてもいいものを、送ればいいものを、お義母さまからのお届けものだと、操子さんが包みをうやうやしく差し出した。

 

「いいんだよ、操子は東京に来るのが嬉しいんだから」
「そうなの?」
「ええ。お義姉さまのお宅にだったら行かせてもらえますから」

 

 東北の山奥、と僕には思える土地の豪農が、アンヌの生家だ。僕は結婚してからアンヌをつついて聞き出した。

 

 母を幼いころに亡くしたアンヌの父は、別の女性と再婚してアンヌの異腹の弟が誕生する。その後には父も亡くなったので、アンヌの生家には継母とその息子とその妻とその子どもたち、双生児の男の子が住んでいる。アンヌが田舎は捨てた、親なんかどうでもいい、弟は大嫌いだと言うのがわかる家族だとは、僕も一度だけ訪問して知った。

 

 だからといって婚家をあまりないがしろにするのもよくないとは思うのだが、アンヌがほっとけと言うのだからしようがない。アンヌは僕の妻で、我が家の主人なのだから、アンヌの意向が新垣家の総意なのである。

 

 二十三歳の僕と近い年頃のアンヌの異母弟、貞光は女性には嫌われそうな奴だ。あの若さで農家の主人を張っているのだから、僕はある意味尊敬しているが、アンヌが大嫌いだと言うのもわかる。

 

 貞光の妻、操子さんは僕よりもかなり年上なので、義兄さんと言いたがるのを止めて笙さんと呼んでもらっている。アンヌにはお義姉さまなんて呼んで、アンヌもいやがっているのだが、本当に姉なんだからしようがないらしい。

 

 義母と義弟はこの家には来たことがないのは、貞光も姉を嫌っているからか。あいつはアンヌのことを、美人だけどふしだらだとか、あんな女だとか言っていた。

 

 そのせいか、操子さんだけがたまに我が家にやってくる。今日は重たいのに果物を持ってきてくれて、田舎の双生児とおそろいだと言うぬいぐるみを息子の胡弓にくれた。ぬいぐるみも大きくて、胡弓が抱っこしているとどっちが抱かれているのやら、であった。

 

「お義姉さまのお宅に伺う用事がありましたから、弟にも会いにいけるんですよ」
「弟さんがいるの?」
「そうなんです。ひとつ年下だから三十代半ばなんですけど、若い女性とようやく結婚しまして、一度は新家庭を見てみたくて」

 

 そんな若いのと結婚したのか? 色ボケだな、と貞光は決めつけたらしい。ま、いやらしい、と義母も言ったらしい。
 操子さんの実の弟は健夫という名だそうで、三十四歳。彼自身も恥ずかしいからと操子さんにはまだ紹介もしてくれず、結婚式も挙げていないらしい。同棲からなし崩しに結婚へとなだれ込んだのだそうだ。

 

「健夫も東京で暮らしてるんで、こんな用事でもなかったら来られないんですよ」
「じゃあさ、今日は泊まって、明日、健夫んちに行ってくればいいじゃん」
「泊めていただけるんですか」
「いいよ」

 

 誰でも彼でも気軽に呼び捨てにするアンヌは、会ったこともない男も健夫と呼んだ。異母弟の妻の弟というのはどんな関係になるんだろう。

 

「姻戚関係っていうんだよ。それはいいとして、操子、健夫に連絡したのか?」
「連絡すると来るなって言いそうだから、突撃します」
「留守だったらどうすんだよ」
「奥さんのうららさんは専業主婦だから、いるはずです。いなかったら諦めます」
「うららさんってどんな字?」

 

 新聞に操子さんが綴った文字を見て、アンヌが笑った。

 

「春の宵はうららかだからか?」
「お義姉さま、よくおわかり。そうみたいですよ」
「これ、うららって読むの?」
「読むわけないけどなんでもありなんだよ」

 

 春宵、これでウララ。これに較べれば胡弓や来闇は読めるんだからまっとうな名前だ。
 翌日、胡弓は僕の母に預けて、僕も操子さんについていくことにした。操子さんは東京に慣れていないので、案内とボディガードも兼ねている。ボディガードだったら強いアンヌのほうが適役だろうが、アンヌは仕事なので僕がつとめると決めた。

 

 地下鉄を乗り継いでたどりついたのは、まあまあ高級そうなマンションだった。道々聞いたところによると、健夫くんは故郷の仙台の大学を卒業して就職し、東京で働いている。ウララさんとも仕事の関係で知り合ったのだそうだ。

 

「二十歳の大学生か。僕の知り合いにはそんな年の差カップルはけっこういるけどね」
「私と貞光も逆年の差夫婦ですし、女のほうが若いのは問題ないと思いますけどね」
「美人なのかな」
「写真を見ただけですけど、可愛いお嬢さんでしたよ」

 

 いくらお願いしても操子さんは敬語をやめてくれない。めんどくさいのでそれでもいいことにして、チャイムを押す操子さんのうしろに立っていた。

 

「はあい」
「あのぉ、突然すみません。健夫の姉の操子です。東京に来たものですから……」
「はぁ? ソーコさん? 聞いてないよ」
「急に来たから……すみません。ご迷惑でしょうか」

 

 盛大な舌打ちの音が聞こえ、仏頂面の女性がドアを開けた。

 

「その子は? ソーコさんの彼氏?」
「いえ、私の主人の姉のご主人です」
「……まあいいや。来ちまったもんはしようがねえ。上がって」

 

 お邪魔します、と僕も言って、中に通された。
 埃っぽいのはきちんと掃除をしていないからだろうが、学生ならば勉強が忙しいのかもしれない。子どもがいないのならば埃では死なないの主義でもいいだろう。

 

「なんか飲みたいんだったら、冷蔵庫から適当に出して」
「あ、僕がお茶、入れようか。勝手にやっていいかな」

 

 笙です、操子です、あ、あたし、ウララ、といった簡単な自己紹介がすむと、僕は台所に入っていった。流しには洗っていない食器が山積みで、レンジも汚れている。僕は主夫なのでついチェックしてしまい、ここでお茶を入れるのはやめにして冷蔵庫を開けた。

 

 冷蔵庫の中は滅茶苦茶で、賞味期限切れの食べ物が奥に埋もれていそうだ。お茶のペットボトルが入っていたので、それを三本、持っていった。

 

「あの、お土産を……」
「なに?」

 

 ありがとうとも言わずに操子さんから包みを受け取ったウララさんは、開けていい? とも訊かずに開けて言った。

 

「やだ、あたし、これ嫌い。でさ、ソーコさんってなんの用なの?」
「なんの用というか……ウララさんには会ったこともないし、弟の新家庭を一目見たくて……ご迷惑でした?」
「迷惑だよ」
 
 けろっと言われて絶句した操子さんは、ことさらに丁寧な口調になった。

 

「わかりました。もう十分ですわ。ただ、ひとつだけ。ウララさんは健夫を愛してらっしゃいますか」
「まあね」
「……だったらいいわ。ごめんなさい、笙さん、帰りましょうか」
「あ、あっ、はい」

 

 気を呑まれてほとんど口もきけなかった僕は、素直に操子さんに従った。
 帰りの電車では操子さんも無口になり、僕も黙って考えていた。すげぇなぁ、ウララさんって僕と三つくらいしかちがわないのに、宇宙人みたい。僕なんかは常識的な人間だよね。年齢のせいじゃないのかな。そしたらなんのせい?

 

 我が家に帰ってきてからも、操子さんは無口だった。疲れ果ててしまったのか。それでも、夕食は私が作ります、と言ってくれたのでおまかせして、僕は胡弓を実家に引き取りにいった。

 

 母にあのウララさんの話をすれば興味津々になりそうだが、面倒なので言わずに胡弓を連れて帰って家で遊ぶ。胡弓は操子さんにじきになつき、おばちゃん、おいしいものを作ってくれるって、と言うと嬉しそうだった。

 

「はい……ええ、行ったわよ」
「……なんで勝手にっ!!」
「ええ、ええ……二度と行きませんから」

 

 台所にいる操子さんがガラケーで話している相手は、健夫くんだろうか。怒鳴っている声だけは聞こえた。

 

「あんたがいいんだったらいいじゃない、いろいろ質問する気もなくなっちゃったわよ」
「……よけいなお世話だっ。姉ちゃんがよけいなことをして、ウララちゃんが怒って離婚するって言い出したら……責任取ってくれんのかよっ!!」

 

 喧嘩口調の弟としばらく話してから電話を切り、操子さんは深いため息をついた。

 

「お義姉さま、お世話になりました。明日、帰ります」
「ああ、そう。どうだったんだ?」
「笙さんから聞いて下さい」

 

 その夜はアンヌは遅くなってから帰ってきて、疲れた顔をしていたのでとにもかくにも寝てもらった。
 翌日は僕もまだ寝ている時間に操子さんは帰ってしまい、アンヌが起きてきてからウララさんと健夫くんについて話した。

 

「で、姉貴としては怒り心頭だったのかな」
「そうみたいだね。いやになっちゃって話す気も失せてたんじゃない?」
「気持ちはわかるけどさ……だけどさ……」
「ん?」
「発想の転換、してみなよ」

 

 にやにやしながらアンヌは言った。

 

「家事もまともにしない学生のヨメなんかって怒ってるんだろうけど、むこうの親だって、十四も年上の冴えない男と結婚させるために大学にやったんじゃないって言うぜ」
「健夫くんって冴えないのかな」
「あの操子の弟だもんな」
「……ひどっ」

 

 とは言うものの、姉に似ていれば健夫くんはイケメンではないだろう。

 

「健夫ってそのウララに惚れてんだろ」
「そうみたい。操子さんに電話をかけてきて、捨てられたらどうしてくれるんだっ!! とかって怒鳴ってたもんね」
「だったらいいじゃん、蓼食う虫も好き好き、似た者夫婦だろ」

 

 蓼は笙、虫はあたし、あたしらもそんなもんさ、とアンヌは笑う。それはアンヌが僕を好きってことだよね。うん、僕もアンヌが好き。今日はアンヌは夜まで仕事がないそうだから、もう一度胡弓を母に預けにいこうか。アンヌとデートして、ベッドにも行きたくなってきた。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラスの靴49「魅力」

「ガラスの靴」

 

 

     49・魅力

 

 忘れかけていたひとたちに会った。

 

「おまえはいつまで根に持ってるんだよ。あのときのあたしは機嫌が悪かったんだ。おまえみたいなお気楽な専業主夫にはわかりっこない苦労が、働く女にはあるんだよ。いつまでもすねてんじゃねえんだ。いい加減にしろ」

 

 アンヌに叱られたので反省して、忘れようと決めたことが起きた日に会ったひとたちだ。

 

「おまえだって男なんだから、浮気願望はあるだろ」
 その日にも吉丸さんに訊かれ、父も別の日にこう言った。

 

「アンヌさんは奥さんらしいこともせずにおまえに息子もまかせっぱなしだ。そんなだと浮気をしたくなるだろ」

 

 いや、僕はアンヌひとすじの貞夫の鑑なのだから、浮気願望なんてない。お金になるんだったらよその女に抱かれてもいいけど、怖いしなぁ、と思っている程度だ。
 貞夫の鑑から見れば、吉丸さんなんかは信じがたい。吉丸さん以上に信じられないのが、あの日に会ったフジミだった。

 

 レコーディングが長引いて帰宅できない妻のために、お弁当を届けてあげよう。胡弓にはママの仕事場を見せてあげたい。そのつもりでアンヌのスタジオを訪ね、氷みたいにつめたくあしらわれたあの日、公園で会ったフジミ。

 

 そのひとがいる。
 小柄で髪が長くて、一見は若くて可愛いアイドルミュージシャンふう。本当は二十三歳の僕よりも十歳以上年上なのだから中年だが、可愛いタイプで性格のだらしない男、しかもミュージシャンとなるともてるらしく、女が彼を放っておかないのだそうだ。

 

 何度結婚して何度離婚し、何度再婚したのか、友人の吉丸さんにもつかみ切れない。あの吉丸さんをして、そういう男は結婚しなけりゃいいのに、と言わしめるのだが、フジミはなぜか結婚したがる。現在は何度目かの再婚をして、何度目かの妻だった女性と不倫をしているらしい。

 

 僕が浮気をしないのは貞淑だからもあるが、それ以上にメンドクサイからだってのに、フジミさんってなんたるバイタリティのかたまりなんだろ。

 

 妻帯者は夫人同伴のこと、という但し書きがあったので、あたしはおまえを連れていくんだ、とアンヌが言った、アンヌの仕事の集まりだ。想定しているのは男で、夫のいる女を数に入れていないのが気に入らないと言っていたが、こんな場合、喜んで妻についてくる夫は少ないのではないかと。

 

 もちろん僕は喜んでついてきた。
 パーティというのでもないが、ごちそうも出ている。テレビや雑誌で見たことのある人も歩いている。フジミさんもミュージシャンで妻帯者だから、史子さんという名前だったはずの奥さんと同伴して出席していた。

 

「フミちゃんってば、上手にだましたよね」
「私がだまされたのよ」
「ったって、よくも結婚してもらえたよね」
「私が結婚してやったんだってば」

 

 意地の悪い口調で史子さんにからんでいる女は、色っぽい感じのグラマーだ。史子さんは彼女をユイちゃんと呼んでいるから、友達なのか。にしてはユイさんは史子さんに悪意を持っているような気もした。
 例によってアンヌは仕事仲間に囲まれていて、僕はひとりぼっち。僕はあちこちでこうしてひとりで、他人の会話を盗み聞きしている。シュフは見た、ってドラマにでもできそうな。

 

「フジミさん、気の毒に。だまされて結婚させられてさ」
「大きな声で言わないでよ。誰がどうだましたっての?」
「だってぇ……」
 
 くねくねっと身体をよじって、ユイさんはむふふと笑う。史子さんがユイさんに喧嘩腰で迫っていると、突然、ユイさんの態度が豹変した。

 

「あら、はじめまして。フジミさんですよね。私、史子の親友の優衣子です」
「こんにちは、はじめまして」

 

 豹変した理由はこれか。史子さんは苦々しい顔になって、それでもフジミさんに優衣子さんを紹介している。フジミさんもにこにこして、三人で談笑をはじめた。

 

「フミちゃんみたいな素敵な女性と結婚できて、フジミさんはハッピィでしょ」
「ああ、まあね」
「私には友達はいっぱいいるけど、フミちゃんほどの女性は他にはいないのよ。フミちゃんほどの女がつまらない男と結婚するなんて言ったら妨害してやろうかと思ってたくらい」
「それはそれは……」

 

 よくもまあぬけぬけと、と僕も思うのだから、史子さんはなおさらだろう。史子さんは無口になり、フジミさんはやにさがっている。史子さんは僕に気がついてそばに寄って来た。

 

「アンヌさんの旦那、笙くんだったよね」
「そうでーす。僕のこと、覚えてた?」
「ムーンライトスタジオの近くで会ったよね。今の、聞いてた? むこうに行こうか」
「聞いてたけど……離れていいの?」
「いいのよ」

 

 今の、とはフジミさんがあらわれる前とあとの優衣子さんの台詞だろう。離れていいの? と僕が訊いたのは、あの男と色っぽい女をふたりっきりにしていいのか、という意味だったのだが、史子さんがいいと言うのでちょっと離れた場所に歩いていった。

 

「あの女、ユイって男から見てセクシー?」
「僕の趣味でもないけど、セクシーではあるね」
「笙くんって変な趣味なんだってね。吉丸さんが言ってたわ」

 

 悪かったね、ほっといて。

 

「ユイって女にはわからない魅力を持ってるんだろうね」
「フェロモンとかってやつ?」
「それなのかもしれない。昔はイラッと来たもんよ。ユイは誰かの彼氏を紹介されると、自分のものにしなくちゃいられないの。あたしはこんなに魅力的なんだから、どんな男もあたしにはイチコロで参るんだってところを見せずにいられないらしいのよ」

 

 噂になら聞くが、本当にそんな女がいるんだ。僕は会ったことはないけけど、男にはわからないだけなのだろうか。

 

「そしてまた、迫られた男もまず百パーセントの確率で落ちるんだよね。ユイってそれほど魅力があるんだと思ってた。ユイは今でもそう信じ込んでるんだろうな」
「ちがうの?」

 

 ふたりして同じほうへ視線を向ける。そこには男にしなだれかかる女と、そうされてにやけている男がいた。

 

「それはあるんだと思うよ。だけど、そんな女やそんな男ばっかりじゃないはずよね。私の知り合いって、そんな男と、そんな男としかくっつけない女としかいないの? 考えたら憂鬱になっちゃう」
「うーん、そうなのかなぁ」
「でもね、それだけじゃないって気づいたの」

 

 顔を僕に近寄せてきて、史子さんは言った。

 

「ユイは人のものを欲しがるガキなのよ」
「ああ、他人のおもちゃをほしがる子どもね。うちの胡弓の友達にもたまにいるよ」
「そうそう。それに近いんだよ。でね、フジミも同類なの」
「そしたら……」

 

 やっぱあの男と女をふたりきりにしておくと危険じゃないか、そう言いたい僕の気持ちを読んだかのように、史子さんはかぶりを振った。

 

「いいのよ、もういいんだ。フジミには愛想が尽きた。ユイがほしいんだったら持ってけって感じ。どうせ自分のものになったら、すぐに飽きるんだから」
「ふーむ」

 

 そう言われてみると、僕も気がついた。
 何人もの女性に恋をして、だか、恋をしていると錯覚してだか、そのたびに結婚しては離婚してまた結婚する。そういう男は次の彼女を手に入れるためには、前の彼女と別れなくてはならない。フジミさんはあからさまな二股はやらないらしい。

 

 別れるためには彼女に愛想尽かしをさせて、捨てられるように持っていく。恋多き男女とは、別れるのがうまい奴。そんな話も聞いたことがあった。
 あの男、あれで案外……案外、なんなのかはいっぱいあって言い切れないが、ひとつだけ。ああいうのを恋愛上手と呼ぶのだろうか。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラスの靴48「正義」

「ガラスの靴」

 

     48・正義

 

 変な奴がデフォルトというのか、そんな人種ばっかりの音楽業界は僕の住む場所ではない。こうして胡弓を連れてスーパーマーケットへ買い物に出かけ、その前に近所の公園に寄って息子を遊ばせる、こちらが僕の日常生活だ。

 

 妻はミュージシャン、僕は専業主夫。わりあいに高級なマンション街には専業主婦はたくさんいるが、主夫となるとほんのちょっぴりだ。二十三歳の子連れ美少年が公園にいると浮く。今日は知り合いの姿も見えないから、僕はおとなししく胡弓を見守ることに専念していた。

 

「……うちの主人、どこへも連れていってくれないのよね」
「白木さんのご主人はお忙しいから」
「ほんと、うちって母子家庭みたい。黒田さんちはどうなの?」

 

 子どもはどこかで遊んでいるのだろう。僕の隣には主婦らしき女性がふたりすわっていて、お喋りをしている。僕は暇なので、黒田さんと白木さんの会話を聞いていた。

 

「うちの主人も忙しいよ。だからどこかに連れていってもらおうなんて思わないの。大人なんだからひとりでどこにだって行けるじゃない」
「ひとりで? 女がひとり旅なんかできるわけないでしょ」
「そんなことないよ。私は独身のときにはよくしたよ」
「……勇気があるんだね」

 

 そういえば僕もひとり旅なんかしたことはないなぁ。アンヌは家族サービスだといって、遊園地に連れていってくれたりはするから、優しい奥さんだよね、とわが身を顧みる。勇気があるんだね、と言ったのが白木さんで、彼女は黒田さんを咎めるように見た。

 

「勇気なんかなくても、日本語の通じるところだったらひとりで行けるじゃない」
「近く?」
「近くもあるけど、独身のときにはひとりで北海道だの九州だのにも行ったな」
「泊まり?」
「そりゃあそうよ。遠出をしたら泊まるよ」
「ひとりで?」
「うん、ひとり旅だって言ったでしょ」

 

 信じられない、と呟く白木さんを、黒田さんは愉快そうに見返した。

 

「ひとり旅も長いことしてないな。白木さんと話していたらしたくなっちゃった」
「危険だよ、ひとり旅なんて」
「国内だったら大丈夫だってば。英語の通じるところだったら海外でも意外に平気よ」
「海外ひとり旅なんかしたの?」
「二回だけね。香港とロンドンに行ったの」

 

 再び、白木さんはシンジラレナイと呟き、黒田さんは言った。

 

「日本は治安もいいし、まるっきり平気よ」
「女ひとりで旅館に泊まるなんて言ったら、自殺するんじゃないかって疑われない?」
「やだ、いつの時代の話よ」
「……黒田さん、英語できるの?」
「人並みにはね」

 

 人並みってどのくらいかなぁ。英語なんて中学生以下の僕は人レベル以下か。もっとも、僕は勉強も音楽も体育も美術もみんなみんな劣等生だから、英語だけじゃないけどね。

 

「そうだ、秋になったら、旦那に一週間ほど休みがあるのよ。旦那の田舎に帰省しようかって言ってたんだけど、旦那には子ども連れで行ってもらって、私は三日ほどひとり旅しようかな。白木さんと話しててその気になってきちゃった」
「そんなの、駄目に決まってるでしょ」
「どうして?」
「旦那さんが許すはずないじゃない。非常識よ」

 

 せせら笑うような口調の白木さんに、黒田さんは言い返した。

 

「子どもももう赤ちゃんじゃないんだから、そろそろひとり旅をしてもいいよ、きみの最高の趣味なんだもんな、俺は三日くらいだったら子守りできるよ、って、彼は言ってたわ。一週間ってのは気の毒だけど、三日間だったらむこうの実家に行ってれば楽なんだし、現実的に考えられそう」
「あのね、黒田さん」

 

 視線では胡弓を追いかけ、僕は聴覚を女性たちの会話に向けていた。

 

「そんなのよけいに無理でしょ。旦那の親が許すはずないじゃない」
「大丈夫。話せるひとなんだから。その話も前に旦那の母としたのよ。子どもはもう私が預かれるようになったんだから、あなたはひとりで遊びにいっていいわよって言ってくれたの」
「美容院とか買い物くらいでしょ」
「私がひとり旅を好きなのは、旦那の母もよく知ってるわ。彼女も今でも、義父をほったらかしにしてひとり旅をするらしいんだもの」
「……主婦失格ね」

 

 ちらっと見ると、白木さんの眦はきりきり吊り上がっていき、黒田さんは面白そうな顔をしていた。

 

「相談してみようっと。旦那も義母もきっと賛成してくれるわ。どこに行こうかな」
「……私はひとり旅なんかしたくもない。怖いわ」
「したくない人はしなくてもいいんじゃない?」
「そんなの、旦那さんやお姑さんが許すはずがない。無理にやったりしたら離婚されるよ」
「そうなの?」
「そうよそうよ。主婦が子どもをほったらかしてひとり旅……絶対に、ぜーったいに許されないわっ!!」

 

 なんでそんなにムキになる? 僕としては不思議な気持ちで、白木さんを見つめてしまった。

 

「……ひとり旅なんて、子どもを預けてひとり旅なんて、なにかあったらどうするのよ。一生後悔するんだよ」
「そんなことを言ってたら、幼稚園にもやれないんじゃない?」
「それとこれとは別よ。私は絶対にしたくない。ひとり旅なんてしたくない。旦那はどこへも連れていってくれないけど……」

 

 ぶつぶつぶつぶつ、白木さんの声が聞き取りづらくなってきた。

 

「したくないよ。したいわけないし……主婦がひとり旅なんて、自分で勝手に都合よく、旦那や姑が許してくれるなんて決めてるけど、許してもらえるわけもないんだ。そんなこと、主婦がそんなこと……いいなぁ。うらやましいなぁ……え? ちがうったら!! 私は誰かにしろって言われてもしないわよ。するわけないじゃない。黒田さん、そんなこと、言わないほうがいいよ。やめておきなさい」
「白木さん、どうしてそう必死になってるの?」

 

 僕が訊きたかったことを黒田さんが質問してくれ、白木さんはぶつぶつ口調のままで言った。

 

「許してもらえるはずないからよ。あなたが非常識な主婦だって言われて、離婚されたりしたらかわいそうだからよ」
「大丈夫だってば。そんなことで旦那も義母も怒らないから」
「……旦那さんやお義母さんが許したとしても……」

 

 目に焔をたぎらせて、白木さんは黒田さんを睨み据えた。

 

「私が許さない」
「は?」

 

 思わず、僕も黒田さんと一緒に、は? と声を出していた。

 

「パパぁ、おなかすいた」
「あ、そうだね。買い物にいこうか」

 

 うまい具合に胡弓が寄ってきたので、息子の手を引いてその場から逃げ出す。白木さん、怖かった。なんなんだろ、あれは。僕には白木さんの剣幕が理解できなかったので、その夜は珍しく早く帰ってきて家族で食卓を囲んだアンヌに話した。

 

「なんで白木さんはあんなに怒ってたんだろ?」
「結局、自分もひとりで自由にしたいんじゃないのかな。ひとり旅は怖いからしたくないにしても、私は夫や義母に押さえつけられて自由なんかほとんどない。あんただけ恵まれてるなんて許せない。その心理が、主婦失格って台詞になるんじゃないのか」
「ふーん」
「あたしの推測だけどさ」

 

 夫や姑が許したとしても私が許さない、その心理って……アンヌが言った。

 

「正義の味方ってとこかな」
「あ、なるほど」

 

 はた迷惑な正義の味方もいたもんであるが、黒田さんはむしろ面白がっていたようだから、まあ、いいかもしれない。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

ガラスの靴47「思込」

「ガラスの靴」

 

     47・思込

 

 もてる女とはどんなのか。睦子さんと静枝さんが僕の前で持論を繰り広げている。昼下がりのカフェ。

 

 近所のマンションの住人である静枝さんは、僕とはママ友といっていい。僕はパパだが、普段の生活はママなのだから。自称三十歳、実年齢は四十歳くらい。バツイチだが、裕福らしくて優雅に暮らしている。僕の息子の胡弓の遊び相手が、静枝さんの娘の乃蒼ちゃんだ。
 
 えっらそうに命令ばかりするノアちゃんに、嬉々として従う胡弓の図。ある種の男とある種の女の関係としては理想的なのかもしれないと思う僕だった。

 

 妻のアンヌの友達、寿美香さんは超歳の差婚の妻のほう。彼女の夫は四十二歳年上で、金のための結婚だとスミカさんはきっぱり言う。
 そのスミカさんが我が家に連れてきたのが睦子さん。彼女は五十歳前くらいか。料理教室のアシスタントとしてパートで働いている。

 

 我が家に遊びにきていた睦子さんと静枝さんが顔を合わせ、なぜか気が合って親しくなったらしい。歳もそんなには離れていないし、基本、ふたりともに主婦だから話題もたくさんあるのだろう。
 たまには外でランチしようか、と言い合って、三人で外出した。ランチセットを頼んでお喋りしているうちに、話がそこへ流れていったのだった。

 

「笑顔かな」
「にこにこしてるって大切よね」
「料理も重要でしょ。睦子さんってそのおかげで旦那さまに見初められたんじゃないの?」
「あら、私は旦那の理想にぴったりのルックスしてるって、ひとめ惚れされたのよ」
「美貌も大事かも」
「ぱっと見だとルックスは大事だろうけど、長くつきあっていくには中身よ」
「だけど、もてるかどうかだったら……」

 

 笑顔、気配り、愛嬌、女らしさ、男を立てる、聞き上手、家庭的、清純、慎み深い、綺麗好き、etc。睦子さんと静枝さんはもてる女について並べ立てる。その合間には自賛も混ざっていて、僕はほえええぇ、と感心して聞いていた。

 

「けどさ、アンヌは正反対だけどもてるよ」
「アンヌさんってもててたの? もててたっていうより遊び相手にされてただけじゃない?」

 

 音楽には特に興味がないらしい睦子さんは冷淡に応じ、アンヌのバンドのファンだと前々から言っている静枝さんは遠慮がちに言った。

 

「もてても結婚は望まれない女っているからね」
「アンヌは僕と結婚したじゃん」
「うーん、そうだけど……」

 

 はじめて会った際のアンヌの印象は、怖そうなかっこいい女。背が高くて細くて居丈高な雰囲気を持っていて、笑顔なんかかけらもなかった。

 

 態度はがさつなほうで、女らしさはかけらもない。男を立てるだの気配りだのは大嫌いで、アホな男はたびたびアンヌにやっつけられていて、僕は胸のすく思いをしたものだ。僕は弱虫だから専門学校の同級生にだって苛められて、アンヌが救い出してくれた。

 

 興味のない話題だと平気でさえぎって、つまんねえよ、もっと面白い話をしろよ、と誰にでも言うのだから、アンヌは聞き上手でもない。家庭的の「か」の字もない体質だから、夫を主夫にすることを選んだ。僕がいないとまともにごはんも食べないし、お皿一枚洗わないひとだ。

 

 掃除なんか絶対にしない。汚れていたって病気にもならねえよ、最悪状態になったらハウスクリーニングを頼めばいいんだろ、とお金にものを言わせたがる。だから、綺麗好きでは断じてない。

 

 清純、慎み深い……ノーコメント。
 けど、僕はそんなアンヌが好き。アンヌは過去にも現在にも男にもてまくっている。未来も、あと三十年、いや、五十年だってもてるはずだと僕は思う。

 

「アンヌさん、美人だから。美人だったら、つきあうだけだったらそれでいいって男性はけっこういるんじゃない?」
「一般受けする美人でもないけど、遊び相手としてだったらちょうどいいかもね」

 

 冷静に分析してみせる睦子さんは、我が家にある音楽用品を見せてもあげなかったからアンヌが嫌いなのか。アンヌが興味を示さない台所用品だったら気前よくあげたのに。

 

「笙くんがアンヌさんタイプを好きだから、点が甘くなるんだよね」
「笙くんって変わった趣味……」

 

 変わった趣味なのかもしれないが、僕みたいな趣味の男は大勢いる。

 

「あの女はにやにやしやがって、気持ち悪いんだよ」
「日本人はなんでも笑ってごまかすって、ジョーも言ってたぜ」
「メシなんかどうだっていいんだ。家に帰ったら女がいて、テーブルいっぱいに料理を広げて、お帰りなさい、なんて言われたらぞっとするぜ。回れ右して出ていって、ラーメンでも食ってくるよ」
「二十歳で男と寝た経験ないんだってさ」
「……よっぽどひどいんだな」

 

 男同士でそんな会話をしていたミュージシャンたちもいて、そういった人種にアンヌはもてるわけだから、一般的ではないのだろう。

 

 この会話の主は……そうそう、吉丸さんだった。吉丸さんつながりで思い出した女性が今、どこでなにをしているのかを聞いていたので、提案してみた。

 

 なにがあるんだか知らないけど行ってもいいわよ、とふたりともにうなずいたので、場所を移す。移動したのはここからやや離れた繁華街にあるファッションビル。ビルの一階の表通りに面したスペースにある仮設スタジオだ。

 

「こんなの、聞きにきたわけ? なんなの、これ?」
「わっ、キャンディじゃないの」
「やっぱ静枝さんは知ってたね」

 

 世代的には睦子さんだって知っているのだろうが、睦子さんは音楽には興味がないから知識もないのだろう。僕は名前だけは知っていた、ロブ・キャンディ。アメリカでも日本でも二十年ほど前にものすごい人気があったのだそうだ。

 

「アイドルみたいなものだったけど、実力もあるんだよ。久しぶりの来日でライヴもやるから、あたしは桃源郷の誰かと一緒に聴きにいく。笙はラジオで聴けばいいよ。スタジオライヴをやるんだそうで、ほのかが通訳で公開放送するってさ」

 

 アンヌが教えてくれて、どうしようかな、と迷っていたのだが、西本ほのかさんを睦子さんと静枝さんにも見せてあげたくて連れてくることにした。

 

 通訳の仕事があるのだから、会うのは無理かもしれない。紹介している時間もないだろうし、時間があったとしてもほのかさんと睦子さんと静枝さんじゃ女としてのレベルがちがいすぎて、だなどと、静枝さんのほうに近い僕が言うのは傲慢なのか、卑屈なのか。

 

 いずれにしても口にはせず、キャンディについての説明は静枝さんにまかせて、僕は公開放送のスタジオにいるほのかさんを見ていた。

 

 すらっとした長身をセンスのいいスーツで包み、あかぬけた髪型をしてすかっとした化粧をしている。四十歳前後だろうから静枝さんとは近い年頃だが、ちがいすぎる。彼女の生き方を否定するひとはたくさんいるだろうが。僕は応援したい。

 

 性格ワルッ!! というところもあるし、僕が応援したいと言ったって、笙くんが私になんの応援をするわけ? とさらっと訊かれそうで、寂しいときにはベッドのお相手を……とも言えないから、僕なんかがおつきあいするのはつらい相手であるのだが、ま、ほのかさんも一応は主婦だってことで共通点はあるのだから。

 

 なんだかだ心で言い訳しつつも、僕はほのかさんを見つめている。
 司会は男女ペアのDJ。睦子さんはそっちには詳しいようで、テレビのバラエティに出ているタレントだと教えてくれた。男のほうは五十代くらいで、キャンディをなつかしいと言い、女のほうは若くて、かっこいいですねぇ、を連発していた。

 

 事実、キャンディも五十歳に近いだろうが、引き締まった身体に甘い容貌を保っていてかっこいい。ほのかさん、次は彼を狙ってる? ヒスパニックと日本のハーフ美少年がほしいとか?

 

 やがて、スタジオライヴがはじまる。キャンディという芸名をつけた由来になったという、彼のキャンディヴォイスはおじさんになっても健在で、静枝さんはうっとり聴き惚れ、睦子さんはつまらなそうに僕に身を寄せてきた。

 

「あの通訳のひとが笙くんの知り合い?」
「そうだよ。彼女ももてるんだ」
「美人っていうか、今ふうね。意地が悪そう」
「そういうところはあるかな。睦子さん、洞察力あるね」
「そりゃそうよ。私は人を見る目はあるの」

 

 お世辞を言ってあげてから、あとでね、と囁き返す。ガラス張りのスタジオなのでほのかさんからも観客が見えるだろうが、僕がいるとは気づいていないだろう。観客には中年女性が多く、キャンディの歌を聴いて嬉しそうだった。

 

「さて」

 

 スタジオライヴが終わると、僕ら三人はその場から離れてカフェに入った。あとでね、と言ったのだから、ほのかさんについて語ろう。

 

「あのひと、未婚の母なんだよ。白人とのハーフがひとり、黒人とのハーフがひとり、日本人の子がひとり、三人の我が子を結婚もせず、認知もしてもらわずに母だけの手で育ててる。家政婦さんやベビーシッターさんはいるけどね」

 

 ついでに、正体不明の若い男性の同居人もいるが、彼が何者なのか判明していないのではしょっておいた。

 

「彼女はもてるんだよね。そんなだから、もっと子どもが増えるかもしれないよ」
「……それって……」
「どういう知り合い?」

 

 そろって眉をひそめて、静枝さんと睦子さんが問い返す。めんどくさいので、アンヌの友達、とだけ言った。

 

「そんな母親に育てられた子どもって、幸せになれるんだろか」
 静枝さんが言い、睦子さんも言った。

 

「差別されるよね。イジメにだって遭いそう。私だってうちの子がそんな母親を持つ子どもを友達だって連れてきたら、あんまり仲良くしないほうがいいって言うわよ。息子がいたとして、そんな子と結婚したいって言い出したら猛反対するわ」
「息子の嫁にはしたくないわね」
「笙くんはどうなの?」
「僕は歓迎するよ」

 

 案の定の反応にがっかりしてしまったが、こんなものだろう。
 ほのかさんちの華子ちゃんか佳子ちゃんが胡弓の彼女になり、結婚する。華子ちゃんだって佳子ちゃんだって自立した女に育つに決まっているのだから、そしたら胡弓は専業主夫になれるじゃないか。最高じゃないか。

 

「そんなの、遊ばれたっていうんじゃないの?」
「すっごく都合のいい女だよね」
「子どもを勝手に産んだんだから、認知もなにもあったもんじゃないけど……」
「睦子さんちの娘さんが結婚したいって連れてきた男性に、そんな事情の隠し子がいたらどうする?」
「えーっ!! 駄目っ!! 絶対反対!!」
「私もだなぁ」

 

 娘のいる母であるふたりの女性は、その話題で盛り上がっている。
 結婚したくてもできなかったかわいそうな女、ほのかさんはそういうスタンスだととらえられてしまったようだが、彼女がここに来ていつもの台詞を口にしたとしたら?

 

「私は独身主義なのよ。子どもはほしいけど夫はいらないの。私は自力で子どもの三人くらい育てていけるんだから、身近に大人の男なんてのはいないほうがいいのよ。都合のいい女じゃなくて、男を都合よく利用しなくちゃね」

 

 口だけではなく実践もしているほのかさんに、睦子さんや静枝さんはなんと言い返すのか。強がりを言うしかない哀れな女だとでも?

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラスの靴46「虚言」

「ガラスの靴」

  46・虚言

 作業が煮詰まって膠着状態のレコーディングスタジオに、子連れで弁当を届けにきた馬鹿。馬鹿すぎて相手にする気にもならず、そっけなくしてやったものだから、笙は根に持っている。表面上はもと通りにふるまっているが、根に持っている証拠に、またスタジオにやってきやがった。

 ちらっと笙の姿が見えたのを無視して、あたしは喫煙所に入っていく。ミュージシャンには喫煙者が多いのでスタジオには喫煙所があるが、最近は全館禁煙の建物も増えていて、暮らしにくいったらありゃしない。

「……正直に言ってないんだね」
「うん、そうなんだよな」
「うーん、それってさ……」

 喫煙所には先客がいた。顔は見たことのあるような男と知らない女。むこうはあたしがミュージシャンだとは知っている様子で軽く会釈し、話に戻る。あたしも煙草を上げて、よっ、って感じで挨拶しておいた。

「あんたが金持ちだって知られると、金目当ての女しか寄ってこないから?」
「俺が金持ちっていうよりも、親父が金持ちなんだけどな」
「あんたは思い切り恩恵を受けてるでしょうが」
「まあな」

 浮かない顔をした男は、灰皿に吸殻をもみ消してから新しい煙草に火をつける。女ももくもくやっていて、ふたりともにけっこう長くここにいるようだ。

「あんたは言われたくないだろうけど、あのお父さんの息子だからこそ、ライターとして売り出してもらったんだよね。そりゃあ、いくらお父さんが売れっ子の文筆業者だからったって、息子がどうしようもなく才能がなかったら駄目だよ。でも、ムジョーには多少の才能はあった。ムジョーくらいの文章を書ける者なんていくらでもいるけど、最悪のライターってわけではなかったんだよね。ここに数人、同じ程度のライターがいる。そんなら、あのお父さんの子のムジョーを抜擢しよう、あんたってその程度だよね」

 なめらかにまくし立てる女に向かって、ムジョーと呼ばれた男はぼそっと、知ってるよ、と応じた。
 ムジョー? ああ、わかった。作家でもあり社会学者でもある木戸佐の息子だ。木戸佐の息子だとは知られたくないそうで、彼はムジョーとか名乗っている。

 知られたくないと言ってもその事実はあたしでも知っている、ムジョーは音楽系のライターである。女は編集者か、出版関係なのだろう。音楽業界人とは別種の臭みを持っていた。

 レコーディングスタジオなのだから、音楽系のライターや編集者だって出入りする。取材にでもきたのか、このふたりは仕事を終えたか途中だかで一服しているのだろう。ぼそぼそと喋っているのが漏れ聞こえたところでは、女の苗字はヒゲタというらしかった。

「それでな、彼女は言うんだよ。俺は本名しか言ってないから、彼女は俺を木戸さんと呼ぶ。彼女は言うんだ。木戸さんは小説家になりたいんだよね。私は本なんて読まないからわからないけど、きっと木戸さんには才能はあるはずよ。きっと小説家になれるよ。今は不遇なのは仕方ない。小説を書くひとって修業時代があって当たり前なんでしょ。私が支えてあげる、私が稼いでくるから、木戸さんは心置きなく書いて。私は木戸さんを愛してるんだから、養ってあげたっていいわ。もしも小説家になれなかったら、主夫になってくれたっていいのよ、だってさ」

 主夫、という単語にあたしは反応する。ふむ、殊勝な心掛けの女ではないか。
 見たところ、ムジョーは三十代の半ばくらいか。ヒゲタは四十くらいに見える。他には喫煙所には人がいないので、やや離れた場所にいてもふたりの会話はよく聞こえていた。

「俺は田舎から出てきて、六畳一間にトイレとちっちゃな台所のついたアパート暮らしで、風呂もないから銭湯に行ってて、車も持ってない。アルバイトはしてるけど、書きたいから最小限の収入しかないんだ、って最初に言ったのを、彼女、すっかり信じてるんだよな」
「なるほどね」
「結婚してほしいとは言わないけど、木戸さんを支えてあげるためには、一緒に暮らしたほうがいいと思うの、なんて、目をキラキラさせて迫ってくるんだよ」

「彼女、いくつだっけ?」
「二十七」
「そろそろ結婚に焦る年だね」
「ヒゲタもそのくらいから焦っておけば、四十過ぎて独身なんてのは避けられたのにな」
「あたしのことはほっとけ」

 すると、ヒゲタも独身なわけだ。ヒゲタはなんとなく冷笑的な口調で言った。

「同棲なんかしちゃったら、ムジョーの正体がばれるよね」
「っていうよりも、俺は彼女と同棲じゃなくて、結婚したほうがいいかなぁって思うんだ」
「見事にだまされちゃって……」
「は?」
「いいのよ、いいの」

 だまされちゃって……は小声だったので、ムジョーには聞こえなかったのか。あたしにはきっちり聞こえた。

「だからヒゲタに相談してるんだろ。遊びだったら悩みもしないよ。同棲したいなんてのも適当にはぐらかしたらいいだけだ。けど、彼女はひたむきに、貧しくて恵まれない俺を支えてくれたいと言っている。可愛い女なんだぜ。俺に惚れてるんだよ」
「ふーーーーん」

 視線を感じる。笙がどこかで立ち聞きしているのだろう。

「そんなら結婚しよう、って言ってやりたいよ。彼女も喜んでくれると思う。小説家になりたくて、一生懸命書いてはいても芽が出なくて、糧はコンビニのバイトで得ていると信じている男に、彼女は本気で恋してくれてるんだ。プロポーズしたら大喜びでうなずいてくれるよな」
「そうだよね。やったーっ!! 大成功!! ってなもんだよ」

 ヒゲタの台詞には棘と毒を感じるのだが、自分の世界に浸っているのか。ムジョーは感づいていないようだ。

「だけど、そうすると俺はすべてを告白しなくちゃならない。嘘つきになっちまう。なあ、ヒゲタ、どう思う? だまされてた、ためされてた、とかって、彼女は怒るかな。俺はそれが心配なんだよ。ためしたとかだましたとかじゃなくて、最初は軽い気持ちだったから、って言っても言い訳にしかならないんだろうか。今では本気になったから、ごめん、許して、結婚してくれ、って言っていいものだろうか」
「言えば?」
「ずいぶん簡単に言うんだな」

 いつしかムジョーは煙草を吸う手を止め、ヒゲタがひとりで吸っている。あたしの耳もムジョーの言葉に集中してしまっていた。

「だって……ねぇ、ムジョーって純情ってか、可愛いんだ。そんな男だったんだ」
「……どういう意味だ?」
「知らないわけないじゃん。まあ、あんたのお父さんは知らない者は知らないだろうけど、その彼女とは一年ほどつきあってるんでしょ」
「つきあってるけど、外でしか会ったことはないよ」
「それでも、言葉のはしばしだとか、持ってるものとか着てるものとか……調べる気になったらなんとでもなるしさ」
「だから、どういう意味だ?」

 ヒゲタの言いたいことはあたしにはわかったが、ムジョーは首をかしげている。ヒゲタはふふんと鼻で笑ってから言った。

「あんたが実は大金持ちの息子で、それなりには仕事もできるライターだって、彼女は知ってるよ。知ってるに決まってるの。あんたがもしも書くほうの仕事ができなくなったとしても、いざとなったらお父さんの秘書でもやればいいって立場なのもわかってる。お父さんの著作権だのなんだのも、いずれはあんたのものになる。将来だって安泰だってね」
「そんなことは……」
「けなげで可愛い女を演じてる女に見事にだまされて、可愛いね。おめでたいとも言うんだよね」
「……そう、なんだろうか」

 眉をしかめて考え込んでいるムジョーに、ヒゲタはさらに言った。

「彼女はあんたと結婚したくて必死なんじゃないの。女のほうから同棲だなんて言い出すのも、あんたのそんな性格を見越してるんだね。まずは同棲ってことになったって、妊娠でもしてしまえばこっちのもんだ。外堀を埋めてくっていうのかな。じっくりゆっくりあの木戸佐の息子を落とそうと手ぐすね引いてる女に、実は俺はこれこれこうで……ごめん、だますつもりはなかったんだ、結婚しよう!! って言うの? まあまあまあ、お疲れさん」

 ううっと唸ったムジョーは、片手で煙草のパッケージを握りつぶした。ヒゲタは薄笑いを浮かべてムジョーを見下ろしている。あたしとしては我慢できなくなってきて、声を出した。

「笙、いるんだろ。出てこいよ」
「……あ、知ってた?」

 唸りっぱなしのムジョーはあたしたちに意識を向けるゆとりもないようだが、ヒゲタはちらちらこっちを見ている。姿を見せた笙にあたしは話しかけた。

「女は女をお見通しってのはあるけどさ」
「うん?」
「女はみんな、おまえと同じことを考えてるわけじゃねえんだよ」
「あ、えと……」

 てめえはそんな女だからって、女だったらみんな同じことを考えてると決めつけるな、との想いをこめて、あたしは視線だけをめぐらせた。会ったこともない、知人の彼女だってだけの女をそんなふうに言うなんて頭にくる、ってのは、あたしもおめでたいのかもしれないが。

 困った顔をしている笙のむこうに、ヒゲタの顔も見える。あたしの言い方ではヒゲタのことなのかどうか、明白ではないだろう。けれど、彼女には通じたらしく、そっぽを向いて煙草の煙を吐いた。
 
つづく

 

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