ブログパーツリスト

counter

連載小説・ガラスの靴

ガラスの靴61「婚活」

「ガラスの靴」

     61・婚活

 勤労経験のほとんどない僕とはちがって、ミチはアルバイトをたくさんしてきた。
 通称は吉丸美知敏、二十一歳。高卒だとか高校中退だとか、その時によって言うことがちがっているのだが、まともに高校には通っていなかったのは事実なのだろう。

 田舎から出てきて東京の高校に入学し、アニソン同好会に所属していたというのも、どこまでが本当なのか。なににしてもミチは現在ではアンヌのバンドのドラマーと事実婚をして、僕と同じ専業主夫として暮らしている。僕と同じとはいっても、ミチの夫は男、僕の妻は女、というかなり大きな差はあるが。

「笙くん、紹介するよ」
「あ、ああ、こんにちは。お客さん? 僕は出直してこようか」
「いいんだ。入って」

 暇なので息子の胡弓を連れて、ミチと吉丸さんの住まいに遊びにいった。ミチが継母のようになっている、吉丸さんの息子の来闇は二歳。胡弓とは遊び友達だ。
 が、先客がいた。三十代の夫婦らしく、ふたりは弘雄と秀子と名乗った。

「僕は独身のころに、婚活パーティのサクラのバイトをしたことがあるんだよ」
「へぇ、そんなバイトがあるんだ」
「僕ら、そこで知り合って結婚したんだ」

 中肉中背の平凡なルックスだが、髪の毛がかなり薄い弘雄くんと、背丈は弘雄くんとほぼ同じ、ただし体重は彼女のほうが多いであろう秀子さん、ふたりは教師カップルなのだそうだ。
 アルバイト経験が豊富なミチが、婚活パーティサクラという珍しいバイトをしていたときの話を、三人が交互に語ってくれた。

 婚活パーティの会場には、男と女が半数ずつほどいる。中心は女が三十代前半、男は三十代後半といったところで、中にはちらほら、二十代もいる。そんな中にひときわ若くてルックスのいい男がいて、彼は滅茶苦茶にもてていた。

 小柄だがほっそりしたその男が、男性の中では人気ナンバーワン。小柄で可愛らしくて若い女がいて、女性の中では彼女がダントツ人気だった。

「……あなたは彼のそばに行かないんですか」
「……あなたも、彼女のそばに行かないんですか?」

 けっ、あんなの、と同時に言ったのが、弘雄くんと秀子さんだった。
 パーティ会場の隅には料理を盛ったテーブルがあって、婚活はすでに諦めたらしき男女が食欲を満たすほうに専念している。弘雄、秀子はそっちの組だったのだが、どちらからともなく話をした。

「あんな男、若くて顔がいいだけで小さいし。私よりも背が低いじゃありませんか」
「あんな女をちやほやする男たちの気がしれませんよね。あんな金のかかりそうな若い女には、僕は興味がないんですよ」

 そこから話の糸口がほぐれて、弘雄、秀子は親しくなった。同業で年齢も同じ。住まいも近い。弘雄くんが趣味の釣りの話をすると、私もやってみたいな、と秀子さんが応じ、釣りデートをするようになったのだそうだ。

「その、女性人気ナンバーワンの若い男ってのが僕だったんだ。ってことは、僕は弘雄くんと秀子さんを結びつけた愛のキューピットってわけ。ふたりが結婚したころには、僕は別のバイトに替わってたんだよね。笙くんと一緒に行ったこともある飲み屋で働いてたら、そこにこのひとたちが入ってきて……」
「あーっ、あのときのっ!! ってなって、真相を知ったんですよ」
「婚活パーティなんて、そんなもんなんでしょうね」

 噂には聞いていた婚活というもの。僕の周りにはあまり婚活をしているひとがいないのは、既婚者と、そんなことをしなくてももてる男女が多いからか。それでも興味深く聞いていると、ところで、と秀子さんが身を乗り出した。

「私たちもサイドビジネスとして、ネット婚活のサイトを立ち上げようとしてるんです」
「有料のまともなところですよ」
「だいたいの準備はできたんで、笙さんにひとつ……」

 夫婦そろってじっと僕を見る。ミチも言った。

「僕もやるつもりなんだよ」
「……なにを?」
「これ見て」

 準備段階なのでスマホでは見られないという、そのサイトの骨子のようなものをパソコンで見せられた。

「山下美知敏、三十一歳、歯科医。
 175センチ、62キロ、細マッチョです。

 親の代からの医師で、僕は歯科の道を選びました。とはいえ、まだ新米ですので、年収は一千万程度です。両親が営む総合病院で歯科を担当しています。
 両親はまだ若く、収入もよく、資産も持っていますので、引退したあとは海外にある別荘に引っ越して悠々自適の暮らしをしたいと楽しみにしています。ですから、同居の必要はまったくありません。

 理想の女性は内面が可愛いひと。「可愛い」にもさまざまありますよね。背が高くても低くても、太っていても痩せていても、キャリアウーマンでも家事手伝いでもフリーターでも、二十代でも三十代でも、僕と波長が合ってお話していて楽しくて、可愛いな、と思えるひとを探しています」

 これはどこの美知敏だ? ミチの姓は山下ではないのだから別人か? 記事に添えられた、にっこり笑った真っ白な歯の写真は、二十一歳の美知敏に似てはいたが、三十一歳というだけにだいぶ大人らしくてかっこいい男だった。

「……」
「ほとんど嘘だけど、僕は秀子さんたちのサイトの看板みたいなもので、実際に女と会うわけじゃないんだからいいんだよ」
「山下美知敏さんと会ってみたいと連絡があったら、巧みに誘導して別の男性を紹介するんですよ」
「どこのサイトでもやってますよ」
「この記事の山下さんだと言って、ミチさんを会わせたら詐欺でしょうけど、これくらいはね」
「で……?」

 つまり、僕にもミチと同様の仕事をしろと?

「ターゲットのメインは女性ですから、女性会員には看板はいらないんです」
「秀子の写真とスペックを載せて、彼女も結婚が決まりました、って打ち出すのもいいかもな」
「それは一度しか使えないから、冴えない女を逆サクラにしてみるのもいいかもね」

 たった今、思いついたのか、夫婦はそんな話題を繰り広げていて、ミチが言った。

「ここに写真と名前を貸すだけでお金になるんだから、子持ちの主夫にはいいバイトでしょ」
「ほんとにそれだけでいいの?」
「いいんだよ。笙くんもやらない?」
「だけど、僕はアンヌの……」

 実際には結婚していないのだし、吉丸さんは桃源郷の脇役的立場だから世間にはさして顔を知られていない。なのだから、ミチがこのバイトをしても支障はないだろう。けれど、僕は桃源郷の顔、新垣アンヌの正式な夫だ。こんなバイトをして明るみに出たらまずいのではないだろうか。

「顔は修正するから大丈夫だよ。二十三歳だと婚活するには若すぎて信用してもらえないから、三十代前半にするんだ」
「それにしたって、イケメン歯科医三十一歳がなんで婚活しなくちゃいけないの? って疑問は持たれないのかな」
「疑問に思って質問してくる女には、秀子さんたちがうまくやるんだよ」
「そっかぁ」

 激しく心が動く。ミチは秀子さんや弘雄さんと、笙くんだったらどんなスペックにしようか、なんて相談を始めた。婚活市場に出ていく際の僕がどんな三十代男性に変身させられるのかは興味があるが、そうなった僕は僕じゃないのでは? だったらいいのかなぁ。
 迷いもまた激しいものだった。

つづく

 

 

ガラスの靴60「本気」

「ガラスの靴」

     60・本気

「仕事の帰りにほのかと飲みに行く約束したから、おまえも来られたら来てもいいよ」
「行っていいの? やったっ!!」

 出がけのアンヌからお許しをもらったので、胡弓は両親の家でお泊りさせてもらうことにして、ひとりでその店に出かけていった。「インディゴ」という名のしゃれた洋風居酒屋だ。ミュージシャン好みの店らしく、そこここにそれっぽい人の姿がある。

 わりあいに広い店で、アンヌとほのかさんがいるのを発見するには時間がかかった。きょろきょろ見回してようやく見つけたほのかさんを、熱っぽく見つめる男がいるのにも同時に気づいた。
 四十歳くらいか。髪の長い渋いルックスをした、長身で痩せた男だ。彼はじっとじーっとほのかさんを見つめている。妙に気になったので、僕は先に彼に近づいていった。

「あなたってミュージシャン?」
「あ? そうだけど……きみは?」
「どこかで会ったこと、あるかな。僕は新垣笙っていうんだ。僕は専業主夫なんだけど、奥さんがミュージシャンなんだよ」
「専業主夫……笙……聞いたことはあるような……奥さんって?」
「新垣アンヌ」
「……ああ」

 いくぶん離れた席にはほのかさんがいて、その隣にはアンヌもいる。ああ、とうなずいた彼の態度は、アンヌを知っているという意味だろう。伊庭と名乗った彼は小声で言った。

「俺が彼女に見とれてたから、ストーカーだとでも思って警戒して、それできみが寄ってきたのか」
「ストーカーだとまでは思わないけど、どうして見てるのかなとは思ったよ」
「……出ようか」
「出るの?」
「よかったら聞いてほしいんだ」

 同じ店内にほのかさんがいるからなのか、よそに行きたいらしい。好奇心全開になったので、僕は彼についていった。アンヌには何時に来ると約束はしていないから、遅れても怒られないはずだ。

「バンドやってるひと?」
「いや、俺はスタジオミュージシャンだ。ベーシストなんだよ」

 低くて渋くていい声だ。ルックスもいいからもてるだろう。ミュージシャンってやたらもてるんだよね、と憎々しげに言う、ミュージシャンの彼氏や夫を持つ女はよくいる。女のミュージシャンももてるが、変人が多いので男のミュージシャンほどではないかもしれない。

 女のほうが許容範囲が広いのかな。僕はやっぱ女っぽいのかな。別にそれでもいいけど、なんて首をすくめて、伊庭さんに連れられてきた店でカンパリソーダを飲んでいた。

「主夫で奥さんがいるって言うんだから、そっちの趣味じゃないだろ。バイだったりするのか?」
「僕はバイでもゲイでもないよ」
「だよな、安心したよ」

 ちょっとだけ心配していたのか。そんなに簡単に信じていいのぉ? などと言うとややこしくなるので、話ってなに? と見つめ返した。

「あの女、ほのか、知ってるんだろ」
「知ってるよ。ほのかさんの三番目の子の父親は、アンヌのバンドのドラマーだからね」
「ってことは、ほのかの三番目の旦那?」
「んん? あなたこそ、知らないの?」

 年上の男は「くん」付けにするのが正しいはずだが、ここまで年上だと「さん」付けのほうがいい。某ジャニーズ事務所でも、「木村くん」「中居くん」「東山さん」「マッチさん」と呼んでいるようだから、大先輩はさん付けにするべきなのだろう。
 
 それはともかく、意外に伊庭さんはほのかさんの境遇を知らないのか。言ってはいけない……のかな? とも思ったが、こうなったら全部言ってしまうことにした。

「ほのかさんは独身だよ」
「バツイチじゃないのか?」
「結婚はしてないんだ。未婚の母ってやつ。伊庭さんはほのかさんをどこまで知ってるの?」

 シンガーのバックバンドでベースを弾いたり、ギタリストのソロアルバムに協力したり、レコーディングに呼ばれてスタジオミュージシャンを務めたり、伊庭さんの仕事はそういうものらしい。アンヌのバンド「桃源郷」のレコーディングにも参加したことがあるそうだ。

 海外ミュージシャンの日本公演のときにも、伊庭さんは彼のライヴのバックバンドに加わっていた。そのミュージシャン、イギリスのジャズシンガーの通訳として働いていたほのかさんと、伊庭さんが知り合った。

「いい女なんだよな。ハートにずきゅーんっ!! っと来た。俺は当時は結婚してて、女房と娘がいたんだ。女房はどうでもいいけど娘が可愛いから、浮気はばれないようにやってた。女房も薄々は感づいてたんだろうけど、そうするさくは言わなかったよ。だからさ、いい女がいたら寝たいと思うんだ。そのへんはきみだってわかるだろ」
「まあね」

 面倒だからそう答えておいたが、僕はアンヌ一筋だから浮気なんかしたくない。しかし、男の生理は同性として理解はできる。特におっさんはこうなのだと知っていた。

「なのにさ、ほのかとは寝たいとは思わなかった。恋をしちまったんだよ。ガキのころの片想い……いや、中学生のときの片想いだって、その女の子とやりたかったよ。生々しかったよ。俺も四十に近くなって枯れちまったのか……いや、そうでもないんだ。ただ、ほのかって女を知りたくて……そばにいたくて……ガラでもなく、片想いの歌なんか書いたりして……」

 どこかで聞いた話のような気もするが、どこにでもころがっているエピソードなのかもしれない。

「ほのかとは仕事のつきあいはあったけど、自分の身の上を詳しくは話さない女なんだよな。子どもがいる、結婚はしてない、程度しか聞かなかった。惚れた女に子どもがいるなんて聞くとちっとはショックなものなんだけど、ほのかに限っては、この女だったらなんだっていい。なにがどうあれほのかなんだから、この女だったらすべてをそっくりそのまま受け入れようって気になったんだ」
「だけど、伊庭さんって結婚してたんでしょ」

 そうなんだよ、と切なげに、伊庭さんはストレートのウィスキーを飲んだ。

「だからさ、フェアじゃないから、離婚したよ。俺はほのかと不倫してるわけじゃないんだけど、頭もハートもほのかでいっぱいになっちまって、女房はもちろん、娘のことだってどうでもよくなっちまった。ほのかほのかほのか、ほのかだけでいい。ほのかはそれほどの女なんだ」
 
 ふーん、そうかなぁ、なんだってそう、ほのかさんに幻想を抱く男がいるんだろ。僕は女っぽいせいか、そこまで彼女が魅力的だとは思わないが。

「だから、慰謝料も養育費もたんまりせしめられて、マンションも取られて、それでも別れて身軽になったんだよ。ほのかのためだったら金なんかいらないんだ」
「で、求愛したの?」
「いいや、それがさ……」

 気持ち悪いほど純情そうに、伊庭さんは笑った。

「言えないんだな。たまにはほのかに会うんだけど、つきあってくれだとか、寝たいだとか、おまえがほしいだとか言えない。世間話くらいしかできない。さっきもインディゴに入ったらほのかがいた。近寄ってもいけずに見とれてるだけだ。ほのかって女神みたいだよな」
「……そぉ?」

 本当のほのかさんがどんな女性なのか知っても? 意地の悪い気持ちもあって、僕は話した。

「ほのかさんには三人の子どもがいるんだよ。上は白人とのハーフ、真ん中は黒人とのハーフ、三番目は日本人。一度も結婚はせずに、三人の子どもをひとりで育ててるんだ」
「……ほぉぉ」

 しばし絶句してから、伊庭さんは呟いた。

「すげぇ。かっこいいってのか……うまい言葉が見つからないけど、そんな女、いるんだな」
「……あなたも年の割に、言うことが幼稚だね」

 その反応は、ほのかさんがそういう母だと知ったときの、ミチや僕にそっくりではないか。

「がっかりはしないの?」
「なんでがっかりなんかするんだよ。さすがは俺の惚れた女だって……ますます惚れたよ。そんな女……そんなのだったらよけいに、俺は……無理だな。俺のものになんかできないな」
「だろうけどね」

 ウイスキーグラスをもてあそびながら、伊庭さんは吐息をついた。

「ノアもそんな女になったら、かっこいいよな」
「ノア?」
「俺の娘だよ」
「……ひょっとしてあなたの元妻って、静枝さんって名前?」
「へ? なんで知ってるんだ?」

 ぽかんと見つめ合う伊庭さんと僕。どこにでもありそうな話だからではなくて、聞いたことがあるのも道理。そうすると静枝さんの元夫ではないのか。

 公園でたまに会う、胡弓の遊び友達、乃蒼ちゃん。乃蒼ちゃんの母である静枝さんは、僕のママ友とも呼べる。僕はパパだが、やっていることは世間一般のママに近いのだから。
 静枝さんはバツイチで、夫が浮気をして離婚したとは聞いていた。夫がよその女に純愛をささげていたらしく、けっ、馬鹿馬鹿しい、みたいに、静枝さんは吐き捨てた。その元夫の名前は聞いていなかったが、ここにいる伊庭さんだったのか。

「そうかぁ、ほんとだったんだ」
「ほんとだったとは?」

 不倫ではなく、本気の恋。それが本当だったとしたら、いっそう許せないと静枝さんは言っていた。その気持ちもわかる気がする。
 奥さんにならばごまかすために、肉体関係はないと嘘をつくかもしれない。けれど、僕にはそんな嘘をついても無意味なのだから、そういう意味で、ほんとだったんだ、と僕は呟いたのだ。

 深いところはわかっていない伊庭さんを連れて、インディゴに戻るべきか。アンヌだったらなんて言うんだろ。伊庭さんの純情に水をぶっかけて踏みにじってぐちゃぐちゃにしたがる、かもしれない。ほのかさんも嘲笑いそうだから、連れていかないほうがいいのか。

 馬鹿らしいとか勝手にしたら? とか笑うのは簡単だけど、ほんのちょっぴりだけ、伊庭さんの気持ちを尊重してあげたい。そう思うのは、女っぽくても僕も男だからなのだろうか。

END

ガラスの靴59・「不満」

「ガラスの靴」

     59・不満


 婚活をして必死になって相手を探す男女もいるが、なんの苦労もなく結婚した男女だっている。僕もそのひとりで、ここにいる科夢もそういう男の子のひとりだ。
 もうひとり、ここにいる巻田誠一くんはどうなのだろう? 婚活はしていないものの、必死で若い女の子にアタックして結婚してもらったのだそうだから、苦労はしたのだと思う。

 かたや、カムはアイドルのオーディションを受けにいき、テレビ局の女性に目をつけられて襲われて、その後に言葉たくみに取り入って彼女との結婚に持ち込んだ。
 昔だったら男女がさかさまだろ、と言われそうな結婚だが、僕だって昔ながらの風習からすれば男女さかさまの専業主夫なのだから、カムとトーコさんが幸せだったらそれでいいのだ。

「で、カムくんはドレスを着たの?」
「トーコちゃんがドレスは許してくれなかったから、フリルのついたシャツにしたんだ。ほんとは全身に花でもつけたかったんだけど、それだったら花嫁が目立たないからって却下されたんだよ」
「やっぱり」

 以前に会ったときには、カムはトーコさんとの結婚式で主役になりたいと言っていた。僕のほうがトーコさんよりも若くて綺麗なのに、花嫁さんばかりずるいと怒っていた。
 おしゃれは好きだけど、そこまでの目立ちたい願望はない僕にはカムは不思議だったのだが、そんな男もいてもいい。

 スマホに入っているカム&トーコの結婚式の写真を見せてもらっていると、のこのことやってきたのが巻田くん。僕はよほどでないと人を嫌いにならない性質だから、アンヌさんを僕にくれ、とほざいた巻田くんも嫌いにはなっていない。アンヌが断ってくれて安心しただけだ。

「よぉ、美少年がおそろいで」
「よぉ、太目のおじさん」

 むこうがイヤミっぽく言うので、僕も意地悪く応じてやった。
 
 音楽事務所の社員である巻田くんも、奥さんがテレビ局の社員であるカムも、奥さんがロックバンドのヴォーカリストである僕も、テレビ局とは無関係ではない。関係者しか入れないテレビ局の中のカフェにいると、パルフェに会えると聞いてカムと一緒にやってきた。

 パルフェとはフランスの女の子たちのアイドルグループで、来日している彼女たちがこのテレビ局に来るとは、アンヌが教えてくれた。
 
「わぁ、パルフェ。僕、けっこうファンなんだ。サインもらえないかな」
「あたしは行かないけど、そだ、トーコの働いてる局だな。カムもパルフェのファンだとか言ってたよ」
「だったら……」
「いいんじゃないか?」

 そこで久しぶりにカムに連絡すると、僕も会いたい、行こうよ、と言ってくれたのだった。巻田くんはパルフェに会いたかったわけでもなく、単に通りがかっただけらしい。
 
「ふーん、パルフェねぇ。あの子たちはうちの水那と変わらない年なんだよな」
「水那って巻田さんの妹?」
「いや、女房だ」
「巻田さんって結婚してるんだ。僕も結婚してるんだよ」
「ああ、そうなのか。笙くんもカムくんも結婚早いね。カムくんの奥さんも年上?」
「うん、十一年上」

 そのカムの奥さんのおかげで、関係者以外立ち入り禁止のカフェに入れたのだと話してから、カムが巻田くんに質問した。

「巻田さんの奥さんは若いんだね。どんなひと?」
「どんなひとって……僕は若い女が好きだったんだよ。きみらなんか自分が若いから、相手は年上でもいいんだろ。僕は若いころから年上になんか興味なかったけど、年上のいい女に憧れる坊やってありがちだよな。昔の僕だったら……」

 コーヒーに角砂糖を三つも入れて、巻田くんはまずそうに飲んだ。

「そんな年上の女と血迷って結婚したら後悔するぞって言っただろうけど、女は若さだけじゃないってつくづく思うよ。アンヌさんくらいがいいよなぁ。彼女は僕よりは若いし、背が高くて美人だし、収入もいいし。笙くんがうらやましいよ」
「だから、巻田さんの奥さんってどんなひとなの?」

 いやそうな顔をして、巻田くんは一気に言った。

「ブスだよ。ブスで寸胴で、アルバイトしかしたことがないから稼げない。家事だってやってはいるけどうまくない。メシもまずいし、掃除も行き届かない。結婚前にはすこし太ってても可愛いと思ったんだよ。若かったらそれだけですごく価値があると思ったんだ。僕の目は雲ってたんだね」
「すると、奥さんって巻田さんより下だと思える?」
「当たり前だろ。アンヌさんには、割れ鍋に綴じ蓋だとか言われたけど、僕のほうがよっぽど上だよ。少なくとも僕は稼げる。働いて収入を得ている」

 ふーん、と考え込んでいるカムに、今度は巻田くんが質問した。

「きみも主夫なのか?」
「主夫でもよかったんだけど、トーコちゃんは子どもを産みたくないらしいんだよね。そうしたら主夫はいらない。バイトくらいしろって言われたんで、ダンススタジオの仕事を紹介してもらったんだ。トーコちゃんの紹介だから、芸能人もレッスンに来るスタジオだよ」

 アイドルのオーディションを受けにいったときは、トーコさんが審査員側だった。トーコちゃんは僕を自分のものにしようと、オーディションを不合格にしたんだとカムは言う。
 しかし、もうカムはトーコさんの夫だ。自分のものになってからだったら、アイドルっぽい仕事をするのもいいのではないかと、トーコさんは考え直した。

「それでね、半分はバイトで、半分はレッスンもつけてもらってるんだ。僕はダンスはわりとうまいんだけど、歌が下手なんだよね。アイドルなんて歌が下手でもいいから、人数の多いグループのひとりぐらいだったらできなくもないかなって。もとアルバイト主夫のアイドルってユニークでしょ」
「ふーん」

 不満そうな巻田くんをちろっと見て、カムが言った。

「だけど、なんだかね……巻田さんがうらやましいよ」
「僕のなにがうらやましいんだ?」
「だって、僕はいつだって……」

 アイスティをひと口飲み、カムはもの憂い口調で続けた。

「トーコちゃんって三十代だけど、ほんとのほんとに二十五くらいにしか見えないんだよ。おしゃれで美人ですらーっとしてて、カムくんの奥さんってモデル? ほんのすこし年上なだけでしょ、ってみんなに言われるんだ。仕事もできて、子どもはいらないって言ったら、上司に安心されたって。トーコに休まれたらうちの職場は回っていかないんだから、産休なんか取られると困るってさ」
「自慢かよ」

 ひたすらに巻田くんは不満そうで、僕としても、なんでそれで巻田くんがうらやましいんだろ、と頭をかしげていた。

「僕ってアイドルになれるって言われるほどなんだから、イケメンっていうか……僕も年よりももっと若く見えるほうで、十代に見られたりもするんだから、美少年だよね」
「……」

 小声でぼそっと巻田くんが言ったのは、頭が悪いからだ、と聞こえたが、ひがみであろう。

「そんな僕は今までは、いつだってどこでだってみんなにもてはやされたんだよ。なのに、トーコちゃんと結婚したら、僕はトーコちゃんの添え物みたいだ。結婚式だって、トーコちゃんのペットみたいってか引き立て役ってか。つまんなかったよ」
「ふーん、そういう考え方もあるんだな」
「やっぱ僕、アイドルになりたいな」

 それで、なんで僕がうらやましい? と、巻田くんも僕と同じ疑問を口にしたが、カムは答えない。答えると失礼だからか。
 若いだけがとりえで、不細工で収入もなくて特になにもできない奥さんだったら、夫が優位に立てるからって? そんな考え方をする男もいるだろうが、僕にはそんな思想はない。

 うちの奥さんも年上だけど、巻田くんの言う通り、美人で稼ぎもいい我が家の大黒柱なのだから、息子の胡弓も僕も、アンヌのおかげでぬくぬく暮らせている。僕は妻を愛し、尊敬し、感謝している。
 うんうん、僕にはアンヌが一番だよ、と思っていると、カフェの入り口あたりがざわめいた。パルフェの女の子たちが入ってきたらしく、金髪が見えていた。

「トーコちゃんには内緒だけど、しばらくは我慢して将来は……」
「パルフェの女の子みたいな若い子と浮気して離婚するって?」
「それだったら同じじゃないか。いや、そうでもないのかな。アイドルなんて一過性なんだから、あの子たちも年を取ったらぶくぶく太ったおばさんになるのか。若さってはかないよな」

 おのれにも言い聞かせているような巻田くんの声は、もはやカムには聴こえていない。中腰になってパルフェの女の子たちに見とれている。僕もカムと同じ姿勢になり、意識がパルフェに集中してしまったから、巻田くんの繰り言なんか聞いてはいなかった。

つづく

 
 

ガラスの靴58「衣装」

「ガラスの靴」

     58・衣装


 総合ウェディングプロデュース集団、「イシュタル」が出しているパンフレットを、近くの席で取り出した女がいた。

 通りすがりの喫茶店。ビジネス街の店は昼どきは混んでいるが、ここはメインストリートからははずれているからか、空いている。それでもオフィスビルはぽつぽつあるから、そのあたりで働いているサラリーマンなのだろう。あたしの近くの席にはどこかの会社の制服を着た女たちが三人、すわっていた。

「婚活、うまく行ったの?」
「結婚、決まったの?」

 ふたりの女が身を乗り出し、パンフレットをテーブルに載せた女がかぶりを振った。

「ちがうのよ。私に釣り合う上等な男なんていないの。こうなりゃじっくり腰を据えて、いい男を探すつもり。ここまで待ったんだから妥協なんかしたくないもんね」
「じゃあ、このパンフレットは?」
「ここ、見て」

 開いたページは、「おひとり様ウェディングプラン」。あたしたちのバンド「桃源郷」はイシュタルのCMソングを担当しているので、そのプランについても知っている。ひとりでウェディングってどうやるんだよ? だったのだが。

「へぇぇ、ウェディングドレスをきちんと着て写真を撮るんだね」
「わぁ、素敵!! 私もこんなの、着てみたいっ!!」
「でしょ?」

 満足げにうなずく女は、田丸さんと呼ばれている。あとのふたりはミナちゃんとアキちゃん。田丸がいちばん年上なのだろう。四十代に見えた。

「結婚はいくつになってもできるよね。子どもは無理って年齢に近づいてはいってるけど、私ほど若く見えて美人で魅力的な女だったら、いくつになっても男が放っておかないはず。だけど、ウェディングドレスってやっぱり若いほうが似合うじゃない? 私も今のうちに着ておかないと、似合わなくなるような気がするの」
「そしたら、田丸さん、本番のときにはなにを着るの?」
「本番は和装にする。大人の花嫁らしく決めるのよ」

 それ、いいよねぇ、田丸さんだったらこのドレスがいいんじゃない? こっちのほうがいいよ、と盛り上がっているミナとアキの口調には、そこかはとない揶揄が感じられる。田丸はこのプランにはまっているらしく、いいでしょいいでしょ、などと嬉しそうだった。

「あ、もうこんな時間だ。私はお先に」
「お疲れさまでーす」
「成功を祈ってます」
「どっちのよ?」
「両方」

 仕事で出かけるのか、田丸が先に席を立ち、残されたミナとアキは予想通りの会話をはじめた。

「あの境地にだけは到達したくないね」
「田丸さんって何歳だっけ?」
「三十五歳だって言ってるよ。会社でサバを読んでもばれるのに、三十五だけど二十五歳に見えるでしょ、って自分で言ってるの」
「見えないよ。ほんとは?」
「四十一かな」
「……だよねぇ、やっぱ」

 うんうんとうなずき合い、ミナとアキは声を低めた。

「ほんと、三十五までには決めたいね」
「ミナも婚活やってんの?」
「合コンだとかパーティとかには行ってるのよ。田丸さんみたいにはなりたくないから、今年中には決めて、来年には結婚式に持ち込みたくて……だけどねぇ……」
「私も、田丸さんみたいになったらおしまいだから、早く決めたいんだけどね……」
「だよねぇ」
「あんなこと言ってたけど、田丸さんじゃもう……」
「ウェディングドレスを着ると痛いんじゃない?」

 ねぇぇ、と言い合って、ふたりはくすくす笑った。

 何度も何度も結婚しては離婚し、またもや結婚する奴もいれば、こうして一度も結婚できない女もいる。このふたりは三十代前半か。田丸さんみたいになりたくない、だけど、いい男がいない、と嘆きっぱなしだった。

 ランチどきに聞いた若くはないOLたちの会話が耳に残っていたし、田丸という名の女も記憶に残ったから、彼女と会ったときには即座にわかった。痩せて背が高くて、デキル女ふうのスーツをまとった女が、「イシュタル」の本社にあらわれたのだ。

「田丸さんじゃん?」
「は? えーと、どちらさまでしたっけ」
「あたし、アンヌ」
「えっとえーっと……」

 あの日はあたしはひとりだけで、シャツにジーンズの平凡な服装でカレーを食べていた。田丸たち三人組は店内で目立っていたが、あたしはひっそりしていたので彼女の目にも留まらなかったのだろう。

「あんな話を聞かれてたんですか」
「それで、実行しにきたの?」
「詳しく聞きたくて……アンヌさんはどういうお仕事を?」
「ロックバンドをやってるから、音楽担当」
「ああ、そうなんですね」

 言葉は丁寧だが、田丸の目つきには侮蔑を感じる。まっとうなOLから見れば、あたしなんかはヤクザのようなものだろう。慣れているのでどうってこともないが。

「ここで会ったのもなにかの縁だね。飲みにいかない?」
「あの……」
「おごるからさ。あたしはずっと音楽業界で生きてるから、田丸さんみたいなカタギの友達は少ないんだよ。OLの話なんかも聞きたいな」
「OLって古いですよ」
「キャリアウーマン?」
「それも古いかな。ワーキングウーマンかビジネスウーマンでいいかもしれない」
 
 ワーキングだかビジネスだかの女に興味があったのも事実だが、ちょっと意地悪をしてやりたかったのも事実だ。ためらいながらもついてきた田丸とタクシーに乗った。

「別に急がないから、ウェディングの話は後日でもいいんですけどね」
「そうだよね。あとでも同じだよ」

 日が経つにつれてどんどん外見が劣化するお年頃ではあるが、一ヶ月単位くらいでは変化もないだろう。「おひとりさま」は省いて、タクシーの中ではウェディングプランの話をしていた。

「あらぁ、アンヌ、ここにおいでよ」
「お、ハンナ、来てたのか」

 タイ人の血が入っているのもあって、アンヌという名前をつけられたあたし。ハンナのほうは北欧の血が入っているらしく、かなりゴージャスな長身の美女だ。ハンナが呼んでくれたので、あたしは田丸を促して彼女のいたテーブルについた。

「ハンナ、ひとり?」
「ひとりだよ。今日はひとりで来たんだけど、ひとりだったらやっぱつまんないなって思ってたとこ」
「田丸さん、ちょうどいいよ。ハンナは経験者だからさ」
「経験者って、あのプランの?」
「そうそう」

 なんだ、こいつは? という目でお互いを見ているように思える、ハンナと田丸。田丸は一般人だし、ハンナは有名ではないので当然だろう。敢えて紹介はしなかった。

「別の会社なんだけど、ハンナ、ウェディングドレスを着たんだよね」
「ああ、何度か着たよ」
「ハンナは日本人離れしたプロポーションだから、ウェディングドレスは似合うだろな」
「あたしは細いから水着姿だともひとつサマにならないんだけど、ドレスを着ると優雅で品があるって言われるね」
「品があるねぇ」
「中身は品がないよ、悪かったね」

 わかってるじゃんと、とあたしが笑い、ハンナは鼻に皺を寄せて舌を出す。田丸は緊張しているのか、酒ではなくてミネラルウォーターを飲みつつ、困惑顔でいた。

「アンヌはウエディングドレスって着た?」
「あたしは結婚式、してないから」
「そうだっけ。仕事で着たりしないの?」
「あたしの衣装はそういう感じじゃないよ」
「そうだね」

 二十代のハンナ、三十のあたし。田丸はいちばん年上だとの自覚はあるのだろうが、若く見えるんだから、と思っているのだろうか。アンヌって独身じゃなかったの? との視線は感じた。

「ハンナはどうだったんだ?」
「ウェディングドレス? 我ながら綺麗だなぁ、って感じだったよ。コスプレみたいなもんかな」

 自信過剰だとは、ハンナが綺麗なのは本当なので言いにくい。

「ま、仕事だからね。あたしは何べんもウェディングドレスを着て飽きちゃったよ」
「本物の結婚式、したい?」
「アホらしいからしたくない」

 仕事? と呟いた田丸の眉が、ぎゅっと寄せられていく。こんなに美人のモデルだかタレントだかは、仕事でウェディングドレスを着飽きたと言っている。なのに私は……とでも考えているのか。
 意地悪がすぎたかな。ちょっとかわいそうかな。だから、これくらいにしておいてやるよ。

つづく


ガラスの靴57「嫉妬」

57「ガラスの靴」


     57・嫉妬

 宝塚歌劇の男役と女役スターが本格的に衣装を着け、新郎新婦のなれそめをドラマ仕立てにした寸劇をやる。僕は新郎の田村から真相を聞いているので、笑うのを我慢するのが大変だった。

 プロのジャズバンドがラヴソングを演奏する。政治家からの祝電がいーっぱい読み上げられる。経済界の大物だというが、僕は知らないおじいさんがスピーチをする。これまた大物らしいが、過去のひとらしいので僕は知らない演歌歌手や映画俳優もスピーチをする。

 録画による海外の俳優やミュージシャン、政治家や小説家や科学者からもお祝いメッセージが届いているらしく、そんな時間もけっこう長い。退屈もあったのだが、音楽も寸劇もマジックもプロがやっていたから、ショーでも見ているようで楽しくもあった。

「潔、ついに結婚が決まったらしいよ」
「誰と? 多恵ちゃんとじゃなくて?」

 電話をしてきたのは専門学校時代の同級生だった多恵ちゃんだ。多恵ちゃんとは卒業してからはまったく会うこともなかったのだが、彼女がつきあっている田村潔がアンヌの楽屋を訪ねてきてから、たまにお酒を飲んだりもしていた。

「ちがう。佐倉先生」
「医者の?」
「そうだよ」
「……多恵ちゃんは平気なの?」

 田村もまた僕とも多恵ちゃんとも専門学校は同じだ。アート系専門学校でアニメのほうを学んでいた僕は結婚して専業主夫になり、田村はフリーター、多恵ちゃんはアニメプロのアルバイト。二十三歳の専門学校卒人間としては、田村と多恵ちゃんはありふれた仕事についているのかもしれない。

 うちの奥さんも専門学校は同じ、ただし、アンヌはイラストのほうだが、田村も多恵ちゃんもアンヌとも一応は知り合いだ。そのせいで図々しくも田村がアンヌに会いにきた。アンヌは面倒くさがって僕に押しつけた。その流れで多恵ちゃんとも会ったので、多恵、田村、医者の佐倉先生との変な三角関係については知っていた。

 アルバイトとはいえ、多恵ちゃんは大きな仕事をまかされたりもして忙しい。アニメ映画に関わりたいとの野望も持っている。
 フリーターの田村はアニメとは無関係の仕事で、あれをやったりこれをやったりで腰が落ち着かない。多恵ちゃんと田村は、どっちも相手を都合のいい男、都合のいい女扱いでつきあっていた。

 そんな田村を口説いたのが、二十歳年上の女医さん、佐倉先生だった。その後のいきさつは知らないが、田村と佐倉先生が結婚するという。そこまでにはならないかと漠然と思っていたので、僕もびっくりで、多恵ちゃんはショックではないのかと尋ねたのだった。

「うーん、そうね、複雑な気分だけど、潔がいいんだったらいいじゃん」
「僕は多恵ちゃんがいいんだったらいいよ」
「それでね」

 なんというのか、大層な家柄出身の佐倉摂子さんは、両親や親せき筋に相当な人脈がある。対して潔は若くて顔がいいのがとりえのフリーターで、親も庶民だ。
 逆玉と呼ばれる結婚なので、結婚式も佐倉家側が凄まじい来客になる。潔だってちょっとは友達を呼びたかったのか、婚約者に命令されたのかは知らないが、専門学校時代の友達を招きたいと言うのだった。

「笙くん、アンヌさんと一緒に出席できない?」
「田村サイドの唯一の有名人だから?」
「そうなのかもしれない。潔は忙しいから、あたしから頼んでほしいって言われたんだ」
「あのさ……多恵ちゃんはこれから、田村とはどうするの?」
「友達づきあいは続けるよ」
「セフレのほうも?」
「ばーか」

 と言われはしたが、それもアリかもしれない。二十歳も年上の美人でもないおばさんと結婚した二十三歳男子は、セフレくらいは許してもらえるのかもしれないから、僕がとやかく言うのはやめよう。

「ってわけでね、アンヌ、出席してくれる?」
「いやだ」

 ひとことで断られたので、だったら僕も欠席しようかと思ったのだが、ものすごくゴージャスな結婚式だというし、アンヌも行ってもいいと言ってくれたので、出席することにした。

 聞きしにまさる豪華な式だった。僕たちは結婚式を挙げていないのもあり、僕が若いので友達もまだ未婚がほとんどなのもあり、第一、僕には友達も親戚も少ないのもあり、アンヌの関係の結婚式にはアンヌが行きたがらないのもあり、などなどで、僕は結婚式参列回数がほとんどない。

 なのだから、きっと一生に一度だろう。こんな凄まじく豪華な結婚式は。新郎の友人たちが集まったテーブルには若い男が十人、僕と多恵ちゃんを含めて十二人。若いのだけがとりえで他にはなんの特色もない。新郎そっくりの集団になっていた。

 あまり田村は好かれていなかったから、僕と同様、友達も少ない。幼なじみが別の席にいるらしいが、この十二人は、高校、専門学校時代の友人ばかりだ。僕が知っている男がふたり、大哉、春真がいたので、式のあとで多恵ちゃんと四人、同窓会兼二次会をすることにした。

 二次会といえば新郎新婦も加わるものだろうが、結婚式の続きの二次会は有名人だらけで派手に行われるらしい。会費も不要のそっちにはぞろぞろと人々が流れていったが、僕らはもうそんな人々に疲れてしまったので、新郎もヌキの気軽な飲み会だ。

「いやぁ、すごかったな」
「あの奥さんだもんな」
「お疲れ、乾杯しよ」
「田村潔の前途を祝して……」

 居酒屋のテーブルを四人で囲み、ジョッキを合わせる。ダイヤは車のディーラーで営業マンを、ハルマは英会話教室の営業マンをしているそうで、ふたりともにアニメとは無関係の仕事だ。

「多恵ちゃんはいいよな。俺もそんな仕事、したかったよ」
「笙もいいよなぁ。だけど、子どもがいるんだろ? 早く帰らなくていいのか?」
「うん。お母さんに預けてきたから」

 ひとしきり自分たちの仕事の愚痴をこぼしてから、ダイヤが言った。

「多恵ちゃんはどうなの? 映画の話、どうなった?」
「……進行中ではあるんだけど、出資しろって話になってるから……どうなんだろ」
「それって途中で立ち消えになったりしないのか?」
「なくもないかもね。そのくらいのお金だったらなんとかなりそうなんだけど……」
「やめたほうがいいよ」
「うん。ガセのような気がする」

 男ふたりはうなずき合い、交互に言った。

「どんな映画だか知らないけど、実績もなんにもない小娘に関わらせるなんて、あり得なくない?」
「いくら出せって言われてるのかも知らないけど、よくあるじゃん。歌手にしてやるからレッスン料いくら出せとかさ」
「小説の賞を取らせてやるから金を出せとか」
「そういうたぐいの話なんじゃないの?」
「多恵ちゃんってまだたいした仕事はしたことないんだろ」

 悔しいけど……と多恵ちゃんはうなずき、男ふたりはなおも言った。

「俺らもアニメの専門学校にいたんだから、ちょっとはそういう業界を知ってるよ」
「生き馬の目を抜くとか言うんだよな。多恵ちゃんみたいな小娘、だまくらかすのは簡単だろ」
「金だけじゃなくて、多恵ちゃんは女の子だからさ……」
「セクハラされてないか?」
「ダイヤ、失礼だろ」

 いやいや、失礼、とか言って、ダイヤもハルマもげらげら笑う。だいぶ酔ってきたようだ。

「そんでも多恵ちゃんは田村が好きだったんだろ。ふられたからって自棄を起こして、変なおっさんのおもちゃにされるなよ」
「よっぽどでもなかったら、アニメの世界で成功するなんて無理だもんな」
「多恵ちゃんは可愛いから、食い物にしようって牙をむいてる男もいそうだな」
「今までにどんな経験、してきたの?」

 すこしだけひきつった顔になって、多恵ちゃんは応じた。

「酔っぱらいのおかしな質問にはお答えできません」
「いやぁ、しかし、多恵ちゃんって遊んでそうだね」
「俺ともどう?」
「俺もフリーだよ」

 そこでまたげらげら笑う。僕が横目で見ると、多恵ちゃんの目は怒っているようだった。

「うちの同窓生って変わった奴が多かったのな」
「その代表は笙かと思ってたけど、田村は上手を行ったね」
「笙、なんでずっと黙ってるんだよ?」

 きみたちを観察しているほうが面白いから、とは言えなくて、僕はにっこりしてみせた。

「僕は世間知らずの主夫だから、きみたちの会話に入っていけないんだよ」
「そりゃまあ、特殊な女と結婚して主夫になったんだから、笙は特別だよな」
「ロックヴォーカリストなんだろ。新垣アンヌって見たことあるよ」
「正直、ふしだらそうな……いや、失礼」

 女の子を怒らせすぎるのもまずいと思ったのか、矛先が僕に向いた。

「主夫なんていうお気楽そうな立場はうらやましいけど、普通の男にはできないよな」
「ま、俺にもプライドはあるからね」
「俺にだってあるさ。アンヌさんって年上だよな。年上の女と結婚する男ってやっぱ……」
「そうそう。それ、あるよな」

 やっぱ、なんと言いたいのか。多恵ちゃんも黙ってしまって、サラダをつついていた。

「田村はもてるのかと思ってたけど、あんなのと結婚したってことは……」
「意外と同じ年頃の女にはもてなかったのかもな。多恵ちゃんしかいなかったのかな」
「逆玉ねぇ……」
「美人女優だとかいうんだったらまだしも、あのおばさんじゃあな……」
「田村の前途を祝して、なんて言ってたけど、将来真っ暗じゃね?」
「あんな家に取り込まれて、婿に行くわけだろ? いやだね、俺は絶対にいやだ」
「俺だっていやだよ」

 田村や笙の境遇と較べたら、俺たちはまっとうに働いてプライドを満足させているのだから、男としては俺たちのほうが上だ、と彼らは結論付けたようで、ふたりで乾杯していた。

「あれって……」
「ダイヤとハルマ?」
「うん」

 ダイヤとハルマと別れ、多恵ちゃんとふたりだけになった帰り道、多恵ちゃんが言った。

「本音もあるんだろうけど……あーあ、あたし、男に幻想を抱いてたかな」
「幻想?」
「男ってもっとさっぱりしてると思ってた。自分ができないからって、それをやってる相手に嫉妬してねちねちねちねち。ああいうのは女のやることだと思ってたの。まちがってたね」
「うん、そういうところは男も女も同じだよ」
「だよね」

 なにかを吹っ切ったように、多恵ちゃんは僕をまっすぐに見た。

「潔が結婚したってへっちゃらのつもりだったけど、ちょっとだけね……笙くんになぐさめてほしいな、なんて言おうかと思ってたんだけど……」
「え? あの……」
「言わないよ。アンヌさんと胡弓くんによろしく」
「あ、うん」

 おやすみ、と手を振って、多恵ちゃんは地下鉄の駅のほうへと歩いていく。なぐさめてほしいと言われていたら、僕はどうすればよかったんだろう。それを知りたい気持ちもすこしはあったから、すこしだけ残念でなくもなかった。

つづく


 

 

ガラスの靴56「本能」

「ガラスの靴」

     56・本能

 スパニッシュギターの演奏が流れているのだから、スペインふうバルとでもいうのだろうか。今日は息子の胡弓がおばあちゃんに拉致されてしまったので、この店でアンヌとデートの約束をしていた。

「笙くん、ひとり?」
「……昇くん、久しぶり」

 三十代だろうから、僕よりは十くらい年上だ。年上のひとには「さん」付けするものじゃないの? と眉をひそめるむきもあるが、某ジャニーズ事務所では同い年以下は呼び捨てで、先輩だと「くん」付けで呼んでいるじゃないか。

 昔はロックバンドをやっていて、今はサラリーマン。そんな人間はよくいる。アンヌは昔からロックをやっていて、今はプロのロックヴォーカリスト。昔は似た立場だったのに、時が流れてファンとスターになってしまった、という意味でも、アンヌはしばしばロックキッズの憧れのまとになる。

 そういった意味で親しくなったらしい、アンヌの友達だ。藤堂昇くんはかなりかっこいいルックスをしていて、女性にはもてまくるというのもうなずけた。

「そっか、アンヌさんと待ち合わせなんだ」
「うん、仕事が長引いてるんじゃないかな。昇くんはひとり?」
「僕もデート、ドタキャンされちゃったよ」
「そしたら一緒に飲もうよ」

 メールも来ないから、アンヌは忙しいのだろう。こっちから何度もメールをしたら機嫌を損ねて、僕との約束をすっぽかしてよそに行ってしまいかねない奥さんだから、我慢して昇くんと暇つぶしをしていよう。

「僕はさ……結婚なんかしたくなかったんだよね」
「そう? 結婚っていいものだよ」
「笙くんみたいにお気楽な専業主夫だったらいいけど、普通の男は結婚したら大変なんだよ」

 彼は新垣笙について、アンヌから聞いているらしいが、僕は藤堂昇についてはあまり知らなかった。

「僕は主夫になりたいわけでもない。アンヌさんみたいに器の大きな、包容力のある女はめったにいない。だからさ、結婚なんかしたくないって決めてたんだ」
「気持ちはわからなくもないけどね」

 専業主婦でも風当たりは強くて、昔は当たり前だったのに、いまや非難の対象にもなっているらしい。まして主夫となると、ヒモだのニートだのと言われる。働いて一家の主人となるのも大変だ。男の人生、どうころんでもしんどいのだ。

 だけど、僕が独身だったとしたら?
 二十三歳。社会人として働いていなくてはならない。あの父と母と暮らしてうるさく言われるか、ひとり暮らしで汲々しているか。どっちにしたって僕が高給取りになれるはずもないし。

 自由はあるかもしれないが、あくせく働くのと較べれば、少々不自由な身になっているとはいえ、寛大な妻と可愛い息子を持つ主夫の僕のほうがいい。父はぶつくさ言っているが、母は息子の生活が安定し、孫をしょっちゅう預かって可愛がれるのにも大満足しているのだから、親孝行だってできているのだから。

「だけどね、恋っていきなりやってくるものなんだな」
「恋したの? 初恋じゃないでしょ」
「初恋かもしれないよ。僕は女とは数も覚えてないほどつきあったけど、愛してるなんて思ったことはないんだ。でも、温子ちゃんには……」

 この遊び人が初恋だというのは、案外本当なのかもしれない。ハルコちゃんという女性に生まれてはじめて、昇くんは本気で恋をしたのだそうだ。

「温子ちゃんとはつきあってるの?」
「彼女のほうから告白してくれたから、軽い気持ちでつきあってたんだよ。僕には女の好みってのはなくもないんだけど、そんなのどっちでもいいんだ。来るものは拒まない。女ってどんなタイプでも、どこかは可愛かったり愛しかったりするんだよ」

 そうかなぁ、ひでぇ女もいるよ、と思う僕は経験不足なのだろう。博愛主義の昇くんは、最高で八股くらいやったことがあるそうだ。なんてマメなんだ。

「温子ちゃんは決して美人ではないけど、なんていうのかな、総合的に僕とは相性がいいんだろうな。プロポーズされて、なんとこの僕が、結婚してもいいかなって気持ちになったんだ。こんな気持ちもはじめてだよ」
「へぇぇ」

 年貢の納め時って言葉もあるのだから、いいのではないだろうか。にやっとしてしまった僕に、昇くんは深刻な面持ちを向けた。

「でもなぁ、僕は今まで、本能に従いすぎてたんだよね」
「今は何股やってるの?」
「温子ちゃんとつきあうようになってから、女は整理したんだよ。他に三人ほどはいるんだけど、温子ちゃんにばれないように別れるのは可能だ。だからそれはいいんだよ」

 マメでいて別れ上手。プレイボーイの条件だとは僕も実感していたが、本気の恋をしていると言う男が他に三人もいるなんて、よく身体が保つものだ。

「ただ、養育費が……」
「あれ? 昇くんってバツ持ち?」
「いや、結婚はしてないんだけど……」
「子どもだけいるの?」
「うん」

 それで深刻な顔をしているのか。アンヌはまだ来ないし、本腰を入れて聞いてあげよう。

「ふたり」
「ふたりもいるの?」

 結婚していないのにふたりの子どもを産んだ女性って、あのほのかさんに近い性質をしているのだろうか。呆れ半分の僕に、昇くんは言った。

「真智子ちゃんって女性が産んだ子と、奈江ちゃんって女性が産んだ子なんだよね。誕生日がとても近いから同い年なんだ」
「はぁ?」
「ふたりともに、結婚はしなくていいから認知だけして、養育費は払ってって言ったんだよ。ラッキーな気もしたけど、生まれてみたら相当に大変だった」
「は、はあ……」

 ラッキー? 怪訝な顔になったらしき僕に、昇くんは言った。

「男の本能ってのは無責任に言えば、種まきだよ。いくらでも種をまいて、女が受胎する。複数の女があちこちで自分の子を産む。子孫繁栄を果たして、男は闘って果てるのさ」
「はあ……ふーん」
「そういう意味ではラッキーだろ。僕は結婚なんかしたくないけど、深く考えたら子孫は残したい。女が勝手に僕の子を産んで勝手に育てるんだよ」
「う、うー……」

 そんなの僕にはラッキーだとは思えないが、そう思える男もいるらしいとは知った。

「だけどさ、ふたりなんだよ。ふたりの女がほぼ同時に子どもを産んだ。男の子と女の子だ。真智子ちゃんと奈江ちゃんは一緒に暮らしてて、父親としての義務なんだからたまには子どもを見にこいって要求はされる。時には預かれとも言われる。赤ん坊をふたり預かってみろよ。死にそうだよ」

 うちの母は胡弓を預かるのが幸せそうだが、母は育児の経験者だからか。僕はあまり小うるさいことは言わないし、胡弓はひとりだけだから、それほど大変だとは母は思っていないように見えた。

「必ずふたり同時になんだよね。あれって復讐なんだろか」
「んんと……ちょっと待ってよ。真智子さんと奈江さんが一緒に暮らしてるって?」
「そうだよ。ひとりで子どもを育てるのはつらいけど、ふたりの女がふたりの子どもを育てるのはやってみる価値があるとかいって、僕との結婚じゃなくて、僕の子を妊娠した女性同士の同居生活を選んだんだ」

 それって……想像すると眩暈がした。

「それもいいな、ナイスな考えじゃん、って、僕も賛成してたんだよ。もっとも、反対したって彼女たちは押し通しただろうけどね。で、今の僕はそんな状況なわけ。バツはなし、ただし、子どもがふたり。養育費ふたり分。時々はベビーシッターもやる」
「そりゃ大変そう」
「だろ? 正直に打ち明けたら、温子ちゃんがそんな僕を受け入れてくれると思う?」
「思わない」

 としか、僕には返答しようがない。自業自得とはいえ、昇くんは茨の道を歩いているわけだ。
 
 世の中は広い。ほのかさんのように三人の子持ちで、彼女もバツはなし。三人の子の父親はそれぞれにちがい、一度も結婚もせず認知もしてはもらわず、ひとりで優雅に子育てしている。そんな女性もいる。
 かたや、同じ男の子どもをそれぞれに産み、ふたりの女性が同居して育てている、真智子さんと奈江さん。

 その三人の女性たちは、話が合うのか。反発し合うのか。僕にはどうなのだかわからないけれど、ほのかさんに奈江さんと真知子さんを紹介してあげたくなってきた。

つづく


ガラスの靴55「横入」

「ガラスの靴」

     55・横入


 酔っ払いのアンヌが連れてきた酔っぱらいたちが、我が家を占拠している。飲みにいった夫が友達を引き連れて帰ってくると怒る主婦もいるらしいが、主夫の僕は怒るなんてとんでもない。僕がアンヌに従順だからもあるが、留守番よりも大勢の人に囲まれているほうが楽しいからだ。

 一度寝るとめったなことでは起きない息子、ってのも、アンヌが真夜中にでも友達を連れてくる理由のひとつだろう。マンションは広いから近所迷惑にもならないし、少々騒いでも息子の胡弓は起きないし。

「笙、つまみが足りないよ。おまえの得意料理作って持ってこいよ」
「アンヌさんって笙くんをおまえと呼ぶんだね」
「てめえも女房をおまえって呼んでるだろうがよ」
「いや、僕は男だし……」
「あたしは女だよ、悪いのか」
「よくはないってか……」

 喧嘩をしているわけでもないが、酔っ払いアンヌがからんでいるようにも聞こえる相手は巻田くんだ。僕はアンヌの仰せに従って、得意なポテトグラタンを作る。キッチンで料理しながら、アンヌと巻田くんの会話を聞いていた。

「巻田の女房はいくつだった?」
「二十一」
「若いよなぁ。スケベ男は若い女が好きで、若かったら欠点なんかなんでも目をつぶるんだろ」
「まあ、それはあるね。うちの水那ってアンヌさんから見ても欠点だらけ?」
「若い子は太ってても可愛いけど、水那はBWHのサイズが同じだろ。ボンキュッパッじゃなくて、どす、どす、どすっ」
「そこまでじゃないけどね」

 その調子で、アンヌは巻田くんの奥さん、水那さんを無茶苦茶にこきおろす。いくらなんでもあんまりだよ、と他の誰かが言い、また別の誰かも言った。

「水那ちゃんは高校を出てアルバイトしてたときに、巻田と知り合ったんだよね。専業主婦でしょ」
「そうだよ。僕がプロポーズしたときには、仕事なんかしたくないから、巻田さんと結婚してあげるってほざいたんだ」
「家事はやってるの?」
「やらなくはないけど、文句ばっかり言ってるよ。思ったよりも僕の給料が安いとか、うちのおふくろが来て料理を教えてあげるって言った、よけいなお世話だとか」
「それはたしかによけいなお世話だ」

 笑い声の中、アンヌが言った。

「若いわりには水那って肌も綺麗じゃないんだよな。内臓が悪いんじゃないのか?」
「水那ちゃん、ナッツが好きだって言ってたよ。ナッツはちょっとだったらいいけど、食べ過ぎると塩分と脂肪分過多になるんだよね」
「暇だからナッツ食べ食べ、テレビばっか見てるんだろ」
「アンヌさんって水那ちゃんが嫌い?」
「ってか、巻田が嫌いなんだよ」

 ひでぇ、と巻田くんの声がして、みんながまたまた笑う。

 巻田くんは音楽事務所の社員で、水那ちゃんはその事務所と同じビルに入っている、アパレルメーカーでアルバイトしていた。若い子が大好きな三十男、巻田くんは水那ちゃんを見そめ、熱烈にプロポーズして結婚した。僕は水那ちゃんとは会ったことはないが、僕と似た立場の主婦なのだろう。

 ポテトグラタンができあがって運んでいったときにも、みんなは水那ちゃんの悪口で盛り上がっていた。ひでぇなあ、と言いながらも、巻田くんは情けなさそうに笑っていた。

 その夜から半年ばかりがすぎて、巻田くんが我が家にやってきた。

 小太りで背が低い。水那ちゃんはなんでこんな男と結婚したんだろ。収入だってよくもないらしいのに、水那ちゃんは若いんだから、そう急がなくてもいいのに、とも思うが、水那ちゃんってブサイクらしいから、妥協だろうか。僕は水那ちゃんを見たことがないので、憶測しかできない。

「えーと、アンヌはまだ帰ってないんだけど……」
「帰ってなくていいんだよ。きみに頼みがあるんだ」
「僕に? ま、どうぞ」

 今夜も胡弓はすでにベッドに入っている。招き入れた巻田くんはむずかしい顔をして、キッチンの椅子にどかっとすわった。

「そんなところにすわるって、ああ、そっか。僕のポテトグラタンが食べたいの? 作ってあげようか」
「グラタンなんかいらないよ。笙くん……」
「はい?」
「アンヌさんを僕に譲ってくれっ!!」

 一瞬、なにを言われているのかわからなくて、目をぱちくりさせた。

「僕の妻はあんなのだ。きみも前に聞いてたんだろ」
「あんなのって。若いんでしょ」
「若いだけの女なんだよ。僕はたしかに若い女の子が好きだから、水那の若さだけでも値打があると思って、恋は盲目状態で突っ走った。だけど、結婚してみたらあんな女……」

 どすどすどすっ、の体型で、料理は下手。小遣いくらいはバイトでもして稼げと言っても、やだぁ、それよりもセイちゃんがもっと稼いできてよ、と反抗する。巻田くんの名前は誠一だから「せいちゃん」なのだそうだ。
 家事はやってはいるけど下手。文句と不満ばかり言って、巻田くんの母や姉と喧嘩をする。まだ若いから子どもなんかいらないと言う。バイトもしないくせに浪費家で、ブランドもののバッグを無断で買ったりもする。だんだんと嫌気がさしてきたのだそうだ。

「その点、アンヌさんは若くはないけど綺麗だよな。プロポーションもいいだろ。稼ぎもいいだろ。水那は今は若いけど、いずれは年を取る。十年後、三十代の水那と四十代のアンヌさんを較べたら、アンヌさんのほうが若々しいんじゃないだろうか」
「そうかもね」
「そうだよ」

 だって、アンヌは働く女性だもの。芸能人と言ってもいい、特別な仕事の女性だもの。僕はアンヌが誇らしくて、つい先刻、巻田くんがほざいた台詞を忘れそうになっていた。

「それに、なんたってアンヌさんは稼ぎがいい。それだって長い目で見たら、生涯に水那が稼ぐ金額と、アンヌさんの収入とだったら桁がいくつちがうか。美人でかっこよくて、稼ぎがよくて……それだけそろえば、若くないのも性格がよくないのも許せるよ」
「あんたに許してもらわなくてもいいけどね」

 むっとしたので、反撃に出ることにした。

「性格がよくないってのはたしかに、そうかもしれないよ。アンヌは料理なんかできない。できないってか、する気がないだけで、したらできるのかもしれないけど、家事も育児もできないんだ。だから僕を選んだんだよ。巻田くんって専業主夫はできる?」
「いや、なにも僕が主夫をしなくても……アンヌさんが仕事を減らして……ってか、僕はアンヌさんと結婚したいとか言うんじゃなくて……」

 しどろもどろしている巻田くんに、もうひとこと言ってやった。

「それにそれに、巻田くんってこの間、アンヌにぼろっくそにけなされてたじゃん? あれだけ無茶苦茶言われて惚れたの?」
「あれだけの毒舌を吐くところも、かっこよくて潔いと思ったんだよ。水那なんか語彙が貧困だから、ケチぃだとか、ずるぅい、だとかしか言わないんだよ」
「けなされて惚れたって、変態、マゾ!!」

 語彙が貧困といえば僕もだ。これでもアンヌに教わって言葉を覚えたので、水那さんよりはましなはずだが、的確に巻田くんにぶつける罵詈は思いつかなかった。

「アンヌはあげないよ。アンヌは僕のものなんだからねっ」
「笙くんには水那のほうがつりあうだろ。水那とアンヌさんを取り換えっこしようよ」
「やだ。そしたら僕が働かないといけないじゃないか」
「働けよ。男のくせに主夫やってるなんて、それがまちがってるんだから」

 次第に論旨がずれていって、興奮して罵り合いになって、ふと気づくと背中に冷やかな空気を感じた。

「アンヌさん……」
「アンヌ、帰ってたの? お帰りなさい。聞いてた? なんとか言ってやってよぉ!!」

 いつからそこにいたのか知らないが、アンヌは罵り合いを聞いていたのだろう。巻田くんに指をつきつけた。

「アホか、てめえは。てめえは下等な男なんだから、ヨメも下等な女が似合いなんだよ。夫婦ってのは似た者同士が……あれあれ? あれっ? そうすると……」
「アンヌ、どうしたの?」
「夫婦は合わせ鏡だとかっていうよな。すると……笙とあたしは似た者同士? ……まさか、そんなこと、あるわけないだろ。あるわけないっ!!」
 
 それって……と僕も悩んでいると、アンヌは巻田くんに向かって言った。

「Disappear!!」
「アンヌ……なんて言ったの?」
「おまえは黙ってろ、笙。巻田だったらわかるだろ」
「僕にもわかるように言ってよ」

 うーー、と唸ってから、アンヌは再び言った。

「Go away!!」
「きゃあ、英語だ。かっこいい」
「うるせえんだ、笙は。おまえは黙れ!!」

 しおしおとなった巻田くんが、立ち上がってキッチンから出ていく。つまり、帰れと言ったのだろう。僕はアンヌに抱きついた。

「よかった。アンヌは僕でなきゃ駄目なんだよね」
「巻田みたいな下等な男にはよろめかないけど、上等な男にだったら乗り換えるかもしれないよ」
「そんなぁ……」
「バーカ。いいから、腹減った。メシはないのか?」
「はーい、お茶漬け、作ろうか」

 そんなの嘘だよね。僕はアンヌ一筋なんだから、アンヌだって根本ところでは笙一筋だよね。

「あのな、笙?」
「なあに?」
「おまえはあたしのものだけど、あたしはおまえのものじゃないよ」
「……僕はあなたのもの、それだけでも嬉しいよ」
「アホだな、おまえは。さっさと作れよ、お茶漬け」
「うんっ!!」

 さっき、なにやらアンヌがぶつくさ言っていたような気がするが、そう信じたら心がぱっと晴れて、幸せいっぱいになれた。

つづく


ガラスの靴53「告白」

「ガラスの靴」

     53・告白


 同じマンションの別フロアで夫と息子との三人で暮らしている専業主夫友達、美知敏。通称はミチ。彼は男だから「主夫」なのだが、夫も男で、息子は夫と前妻の間に生まれた子どもだ。僕も同じく「主夫」ではあるが、妻は女性で、息子は妻の産んだ子供。僕のほうがややこしさは少ない。

 吉丸さんちでミチと、息子の来闇、僕と息子の胡弓の四人で遊んでいて、二歳のライアンと三歳の胡弓はお昼寝をしてしまった。ミチと僕は息子たちを見守りながらお喋りをしていたので、喋るのにも倦んできて半分は居眠りをしていた。

「はーい」
「お客さん?」
「お客の予定はないけどね」

 チャイムの音にミチが立っていき、美少年を伴って戻ってきた。

「来るんだったら先に電話でもして、約束してからにしろって言ってるのに、リルはこうして突然来るんだよ」
「暇だったんだったらいいじゃん。笙くん? こんにちは。僕、リル」
「リルっていうの? ハーフ?」

 色白で可愛い顔立ちで、ハーフに見えなくもないが日本人だそうだ。ミチの高校時代の後輩で、本名は理流稀。リルキと読む。ライアンなんてフツーじゃん、って感じの変わった名前だ。

「後輩って、ミチは部活とかやってたの?」
「うちの高校は部活は必須だったから、やってたよ。僕は二年で中退しちゃったから、リルとは一年しかつきあってないけどね」
「なんの部活?」
 
 アニソン研究会だそうだ。ミチはリルのためにコーラを取りにいき、リルが高校時代の話をしてくれた。
 高校の部活で知り合ったミチ先輩は、間もなく高校を退学してしまう。リルはミチが好きだったので、ミチのアルバイト先を突きとめて会いにいった。

「あ、僕はゲイじゃないからね。友達として好きなんだよ」
「うんうん。それで?」
「それで、僕もミチくんがバイトしてた店で働いたりもして、僕も高校は中退しちゃったんだよ。勉強なんか嫌いだから、お水の世界に入るほうがいいつもりだったんだけど、親がうるさくてさ。バイトだったらまだいいけど、バーなんかに就職したら駄目だって」

 高校中退のリルが一般の会社にもぐり込めたのは、父親のコネがあったかららしい。リルのお父さんは建築事務所を経営していて、取引先の会社に息子を押し込んだ。

「最初はパシリだったんだけど、経理の資格を取ったから、今はこれでも経理マンなんだよ」
「へええ、すげぇ。えらいんだね」
 
 二十歳にしてリルはまっとうなサラリーマンなわけだ。僕にはとうていそんな暮らしはできないけれど、ぱっと見とはちがうリルを尊敬してしまった。そこに戻ってきたミチが尋ねた。

「で、今日はなんか用事?」
「僕、告白されたんだ」
「女に?」
「そうだよ。僕はゲイじゃないんだから、恋は女とするんだよ」

「こいつ、オクテなんだよね。初恋なんじゃないの?」
「初恋ではないよ。今の会社に就職してから、ふたりぐらいはつきあったかな」
「僕に言わなかったじゃん」
「遊びだったからね」
「だったら、今度は本気?」
 
 力強くうなずいて、リルは話した。

 その時どきでリルにはマイブームランチがある。最近はドーナツなので、職場近くのドーナツショップへ毎日通い詰めていた。
 毎日毎日行っていると顔なじみの店員さんができる。そのうちのひとりの女性に、待ち伏せされて告白されたのだそうだ。

「私、三人ほど好きな男性がいるの。あなたに断られたら次を当たるから、好きか嫌いかはっきりして」
「ええ? そんないきなり……」
「私は気が短いのよ。はっきり決めて」
「考えさせてもらえない?」
「駄目っ!! 決めて」
「ううう……」

 悩む間も与えてもらえなかったので、リルは勢いでうなずいた。

「言っておくけど結婚前提よ。私は遊びの恋はしない主義なの。もう四十歳もすぎてるんだから、さっさと結婚してさっさと子どもを産みたいのよ。私とつきあったら一年以内に結婚するよ。いいね?」
「はい、結婚します」

 そこまで聞いて、ミチと僕は同時に疑問を口にした。四十すぎてる?

「そうだよ。稟子さんは四十二歳なんだ」
「すっげぇ美人?」
「えーっと、でも、ドーナツショップって……あ、オーナーだとか?」
「ううん。アルバイト。写真があるよ」

 大切そうに見せてくれたリンコさんの写真は……。普通のおばさんだった。

「リンコさん、言ってたよ」

 告白の前に、リンコさんは友達に相談したのだそうだ。二十歳の美少年と三十代の美青年と、四十代のかっこいい中年、お店に来るお客の中でお気に入りが三人いる。どの彼に告白すべき?
 複数の友達は異口同音に答えた。

「二十歳に告白なんかしたら犯罪よ。三十代もあんたには無理。身の程を知りなさい。四十代だったらまだしもだけど、かっこいいんでしょ? 無理だね」

 そう言われて意地になって、三人ともに告白することにした。手始めに当たって砕けるつもりだったリルが大当たりだったので、あとのふたりはやめにして友達に報告した。

「……嘘でしょ。だまされてるのよ」
「リンコ、目を覚ましなさい。その子、あんたをからかってるんだよ」
「そうじゃないんだったらリンコの妄想だよ」
「そうかもしれないね。医者に行こうか?」

 友人たちの言い草に、リンコさんも不安になってきたらしいと、リルはふふっと笑った。

「リル、ほんとにリンコさんの友達が言ってる通りなんじゃないの? おまえ、リンコさんをからかって、告白だの結婚だのにうなずいておいて、どこかでどすっと落とすつもりだろ」
「僕があなたにそんな気になるわけないだろ、とかって? 罪だよ、リル。そんなふうにするくらいだったら、最初からお断りしろよ」

 いいや、本気だよ、とリルは頭を振り、ミチと僕は言いつのった。

「ちょこっと遊びでつきあってみるだけだったら、まだわかるけどさ……」
「しかし、リルだったらこんなどこにでもいそうなおばさんとつきあわなくても、可愛い若い子が遊んでくれるだろ」
「二十歳のニートとかいうんだったらしようがないけど、一応はちゃんと働いてて、収入だっていいほうなんじゃないか。なにを好き好んでこんなおばさんと……」
「第一、告白されるまでは意識もしてなかったんじゃないのか?」

 だからこそ、運命を感じたんだ、とリルは言った。

「このおばさんと結婚するんだよ? できるの?」
「ってか、もう寝たの?」
「まだだよ。リンコさんは純情可憐な乙女なんだから、結婚式をすませて新婚旅行に行って、そのときに初夜ってのが夢なんだって。僕もそのほうがいいな」
「新婚旅行や結婚式の話もしてるの?」

 もちろん、とリルはこともなげにうなずき、ミチが質問した。

「親には許しをもらったの?」
「僕は成人してるんだから、親の承諾なんかなくても結婚できるよ」
「けど……あとあと……」
「ミチくんだって親には適当にごまかしてるくせに」

 それを言われるとぐうの音も出ないってやつなのだろう。ミチはうなだれた。
 このふたりの親は田舎で暮らしている。ミチが言うにはろくな高校もない田舎だから、中学を卒業して上京したのだそうだ。リルも似た境遇なのだから、親とは同居していない。内緒で結婚するってこともできるわけだ。

「リル、血迷ってないか?」
「冷静に考え直したほうがいいよ」
「ミチくんも笙くんも、頭の固いおばさんたちと同じなんだね。失望したよ」
「ったって世間の常識が……」

 言いかけたミチを、僕は肘でつついた。その台詞が似合わない最たる人物はキミだよ、ミチ。

 このふたりと比較したら、僕なんかは平凡で常識的だ。僕は男として女性と結婚し、普通に子持ちになった。主夫程度のなにが変なんだろ。親にとってはミチやリルみたいのよりも、僕のほうが一億倍も親孝行息子なはずだ。

つづく


 

 

ガラスの靴51「信頼」

「ガラスの靴」

 

     51・信頼

 

 どれほど綺麗でもおばさんではあるのだが、上品でセレブなマダムといった感じの美人が、竜弥くんのとなりで頭を下げた。

 

「竜弥の母でございます。西本たつ子と申します。竜弥がお世話になりまして」
「西本さん?」
「ええ」

 

 最初の妻とは男と不倫して離婚し、不倫相手と事実婚をした吉丸さんは、アンヌのバンド「桃源郷」のドラマーだ。男と不倫したのだから当然、事実婚の相手は男である美知敏。通称ミチは吉丸さんのヨメと呼ばれて専業主夫というか主婦というか、でもあり、吉丸さんの前妻が置いていった息子を育てる男母でもある。

 

 それで懲りるような奴ではない吉丸さんは、今度は女と浮気をした。その相手の女が西本ほのかさん。ほのかさんは父親のちがう三人の子どもをひとりで育てている通訳で、三番目の雅夫が吉丸さんの子だってわけだ。

 

 英語の通訳だから英米の有名人ともつきあいがある、収入も相当に多いほのかさん。望み通りに三人の子どもを持ち、人生が充実しているらしきほのかさんの自宅に入り込んできたのが竜弥くんだった。

 

 彼の正体はどうも曖昧で、大学生らしいとしかわからない。姓すらも僕は知らない。ほのかさんの子どもたちは彼の正体を教えてくれるには幼すぎ、ほのかさんも本人も絶対に言ってはくれない。時おり竜弥くんとは話す機会もあるのだが、肝心の部分ははぐらかされる。

 

 ほのかさんちの家政婦さんだったら教えてくれるかと思ったのだが、知りませんよっ!! とつめたくあしらわれた。

 

 その竜弥くんの姓は西本? 母が西本なのならば普通は息子も西本だろう。僕は結婚してアンヌの姓の新垣に変わったので、実の母とは苗字がちがうが、こっちのほうが特殊なはずだ。ほのかさんの姓も西本。すると?

 

「ほのかさんもお世話になっておりますようで、竜弥が笙さんに挨拶をしてくれと申しますのよ」
「えーっと、たつ子さんってほのかさんのなんなんですか」
「ほのかさんの兄の妻です」
「っつうと、竜弥くんはほのかさんの甥?」
「ええ。ほのかさんの子どもたちのベビーシッターをしてくれるなら、下宿代は無料でいいなんて言われましてね。うちの主人はもちろん、竜弥のマンションの家賃くらいだったら払えるんですけど、ほのかさんのお目付け役みたいな感じで、同居させるのはいいかもしれないと申しましたの」
「そうなんだ」

 

 なーんだ。そしたら竜弥くんはほのかさんの甥なんじゃないか。竜弥くんもようやく種明かしをしてくれる気になったようで、ほのかさんのマンションでお母さんを僕に紹介してくれたらしい。今日はほのかさんは子どもたちを連れて出かけていると竜弥くんは言っていた。

 

「笙さんもほのかさんについてはごぞんじなんですよね。主人も気に病んでいますのよ。兄の言うことを聞くような女性ではありませんから、竜弥をそばに置いて、せめてこれ以上はとんでもなく破廉恥な真似をしないようにと……身内の恥をお聞かせしてしまいまして、すみません」
「恥じゃないじゃん」

 

 小声で言った僕に竜弥くんはウィンクしてみせたが、お母さんには聞こえなかったらしい。ため息まじりに続けた。

 

「雅夫くんのお父さんの仕事仲間が、笙さんの奥さまなんですってね。笙さんは専業主夫でいらっしゃるそうで……私もほのかさんみたいな女性と関わってますから、専業主夫くらいじゃ驚きませんわ。それにしてもその、雅夫の父親って方は……」

 

 未婚の母とはいえ、ほのかさんはきちんと三人の子どもを育てている。今のところは子どもたちはまっとうに育っているのだから、ほのかさんは決して身内の恥ではないと思うが、四十代の頭の固いおばさんには通じないだろう。

 

「主人は怒ってましたけど、ほのかさんがもてあそばれて捨てられたってわけでもないらしいから、もうほっとけって態度になってます。だけど、雅夫のお父さんってよくもそれだけ浮気できますよね」
「それだけは同感ですね」

 

 うふふと竜弥くんは笑い、僕は肩をすくめ、たつ子さんはため息ばかりつきながらも喋った。

 

「うちの主人は家事なんかは一切しませんけど、しっかり働いてますし、優しいですし、絶対に浮気はしないんだから亭主関白は受け入れてますのよ」
「絶対に浮気はしないんですか」
「しません、絶対に。私は強く信じてます」
「僕はたつ子さんの旦那さんって知らないけど、どんなところがその根拠なんですか」

 

 あまり突っ込んで質問するといやがられるかとも思ったのだが、たつ子さんはその話をしたかったらしく、勢い込んだ。

 

「まず、主人の職場は男性ばかりです。アカデミックな仕事で、昨今は学者さんにも女性が進出してきてますけど、主人の職場にはいません。掃除婦のおばさんすらいません」
「なるほど」

 

 その調子でたつ子さんは並べ立てる。

 

 収入はいいけれど、給料も臨時収入もすべて夫が妻に託してくれる。妻の知らないお金は持っていないし、金銭的には恬淡としているので、妻の作ったお弁当を持って出勤し、仕事が終わればまっすぐ帰ってくる。帰宅時間は判で押したようにほぼ同じ。職場は自宅からも近いので、七時半には帰ってくる。

 

 たまさか会合などはあるが、夫はお酒は苦手なのでほとんど飲まない。たまにはバーに行ったりもするが、帰宅してから逐一、今夜はどこでなにがどうして誰と話して……などと妻に報告する。

 

 そういう話を妻にするのは好きだが、面倒くさがりなので携帯電話は仕事にしか使わない。その他の事柄も相当に面倒がるのだから、浮気なんかはめんどくさいの最たるものだと本人も言っている。ママ、かわりにメールしておいて、と頼まれて職場の連絡を妻がしたりもするので、携帯を見るのもまったく自由だ。

 

 休日に出かけるのは息子の竜弥くんか、妻のたつ子さんとだけ。ひとりで行くのは近所の散歩だけ。散歩に行くとお土産だと言って、パンやケーキや花や雑誌などを買ってきてくれる。

 

「それともうひとつ、あるよね。ママはパパの好みにぴったり」
「もう若くはないけど、それでも言ってくれるものね。ママは綺麗だよ、愛してるってね」
「ごちそうさま」
「昨日も言ってくれたわ。最近は竜弥くんがいないから、よけいにふたりっきりで熱いのよ」
「ほんと、ごちそうさま」

 

 母と息子がじゃれ合うような会話をかわし、たつ子さんは僕に向かって言った。

 

「両親が愛し合い、あたたかな家庭を作っているといい子が育つってほんとですよね。私は専業主婦ですから、竜弥には手も目も愛情もたっぷり注いで育てました。躾にしてもきびしすぎず甘すぎず、ほどほどに最適にできた自信があるんですよ。おかげさまで竜弥はほんとに、素晴らしい青年に育ちました。私の手中の珠です」

 

 そうかなぁ、竜弥くんってそんなに模範的な青年かなぁ? とは思ったが、竜弥くんも子どもではないのだから、母の知らない顔を持っているのが当然だろう。黙っておいてやろう。

 

「私は人を見る目があるって自信も持ってますから、主人が浮気なんか一度もしたことはない、これからも絶対にしないって信じてますわ」
「ママがしたりして?」
「そうねぇ。私のほうが危ないかもしれないわ。……嘘よ、冗談よ。私はまだもてるけど、私だってパパ一筋だもの。いやあね、竜弥くんったら、変なことを言わないで」
「ごめんなさい。失礼しました」

 

 ふたりして顔を見合わせて、母と息子がくすくす笑う。気持ち悪くなくもない笑いだった。

 

「今日は笙さんにご挨拶だけしたくて、こちらに立ち寄ったんですよ。これからも息子をよろしくお願いします」
「こちらこそ」
「ママ、もう帰るの?」
「ええ、このあと、パパと約束があるの。竜弥くんも連れていってあげたいんだけど、ふたりきりのデートですからね」
「僕にとっては残念だけど、楽しんできてね」
「ええ、ありがとう」

 

 息子の頬に母がキスをし、息子は母を軽くハグする。僕はお母さんとあんなこと、したこともない。したくもないからいいのだが。

 

「さてさて、笙くんはどう思った?」
「どうって、なにを?」

 

 たつ子さんをお見送りして部屋に戻ると、竜弥くんが言った。

 

「うちのママの、夫に対する信頼だよ」
「いいんじゃないの。理想だよね」
「うん、ママは幸せなひとだ」
「……それって……」

 

 シンプルに幸せだと言っているのではなく、おめでたくて幸せだというニュアンスに聴こえた。

 

「親父とママは若いころは美男美女のカップルだったんだよ。ママだって今もまあ、美人だろ。親父は僕の兄さんに見られるくらいにかっこいいんだ。だからさ、けっこう貢がれたりするわけ。そうやってうんと年上の男に貢いででも、あわよくば妻を蹴落として後妻の座におさまりたいって若い女、いるんだよ」
「ええ?」
「親父は七時半には帰宅できるくらいなんだから、仕事は忙しくもない。勤務時間中に職場を抜け出して女とデートすることもできるんだよ。浮気だよ、あくまで浮気。本気にはならないみたいだね」
「はあ……」

 

 それからそれから、竜弥くんは父の行動の抜け穴をいくつも話した。

 

「親父は秘密の携帯を持ってるよ。そっちには若い女のアドレスもずらりと並んでて、メールだって複数の女とやりとりしてる。親父にはママに内緒の副収入もあるから、貢いでくれない女ともデートできるんだよ」
「ふーむ」
「あと、僕は親父の味方だから、竜弥と食事に行ってくる、とかって嘘に口裏を合わせてあげたりもするんだよね。まったく、ママは幸せだよ」
「はぁあ……」
「知らないことはなかったことなんだから、僕はママの幸せに水をぶっかけるようなことはしないよ。笙くんだってしないよね」

 

 ぶるぶる頭を振ると、竜弥くんはにんまりした。

 

「ああいう女に限って、私は人を見る目があるって言いたがるんだ。人を見る目があるのかどうか、私の育て方がよかったから息子がいい子に育ったのかどうか、ただのラッキーだったのか、ただの節穴みたいな目を持ってるだけなのか、どれもこれも紙一重だよね」

 

 ああいう母に育てられると、こういうゆがんだ性格の息子ができるのか。その点、僕の母は平凡でよかったのだろう。僕の母も若いころにはちょっと綺麗だったらしいが、今ではたつ子さんとは比べものにならないくすんだおばさんだ。

 

 父はイケメンでもないおっさんなのだから、僕は母に感謝はしている。母が綺麗だったから僕も美少年に育って、アンヌと結婚できたのだ。アンヌが僕をお婿にもらってくれた一因には、笙が可愛い顔をしているから、というのがまぎれもなくあった。

 

「竜弥くんはほのかさんの甥なんだよね。甥と叔母って結婚できるよね」
「できるはずだね」
「……結婚できるんだから……」
「近親相姦にはならないんだから、肉体関係もあるかもしれないって? さあね、どうだろね」

 

 ゆがんだ性格の美青年の、たった今の微笑も相当にゆがんでいた。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラスの靴50「姉弟」

「ガラスの靴」

 

     50・姉弟

 

 なにもわざわざ持ってこなくてもいいものを、送ればいいものを、お義母さまからのお届けものだと、操子さんが包みをうやうやしく差し出した。

 

「いいんだよ、操子は東京に来るのが嬉しいんだから」
「そうなの?」
「ええ。お義姉さまのお宅にだったら行かせてもらえますから」

 

 東北の山奥、と僕には思える土地の豪農が、アンヌの生家だ。僕は結婚してからアンヌをつついて聞き出した。

 

 母を幼いころに亡くしたアンヌの父は、別の女性と再婚してアンヌの異腹の弟が誕生する。その後には父も亡くなったので、アンヌの生家には継母とその息子とその妻とその子どもたち、双生児の男の子が住んでいる。アンヌが田舎は捨てた、親なんかどうでもいい、弟は大嫌いだと言うのがわかる家族だとは、僕も一度だけ訪問して知った。

 

 だからといって婚家をあまりないがしろにするのもよくないとは思うのだが、アンヌがほっとけと言うのだからしようがない。アンヌは僕の妻で、我が家の主人なのだから、アンヌの意向が新垣家の総意なのである。

 

 二十三歳の僕と近い年頃のアンヌの異母弟、貞光は女性には嫌われそうな奴だ。あの若さで農家の主人を張っているのだから、僕はある意味尊敬しているが、アンヌが大嫌いだと言うのもわかる。

 

 貞光の妻、操子さんは僕よりもかなり年上なので、義兄さんと言いたがるのを止めて笙さんと呼んでもらっている。アンヌにはお義姉さまなんて呼んで、アンヌもいやがっているのだが、本当に姉なんだからしようがないらしい。

 

 義母と義弟はこの家には来たことがないのは、貞光も姉を嫌っているからか。あいつはアンヌのことを、美人だけどふしだらだとか、あんな女だとか言っていた。

 

 そのせいか、操子さんだけがたまに我が家にやってくる。今日は重たいのに果物を持ってきてくれて、田舎の双生児とおそろいだと言うぬいぐるみを息子の胡弓にくれた。ぬいぐるみも大きくて、胡弓が抱っこしているとどっちが抱かれているのやら、であった。

 

「お義姉さまのお宅に伺う用事がありましたから、弟にも会いにいけるんですよ」
「弟さんがいるの?」
「そうなんです。ひとつ年下だから三十代半ばなんですけど、若い女性とようやく結婚しまして、一度は新家庭を見てみたくて」

 

 そんな若いのと結婚したのか? 色ボケだな、と貞光は決めつけたらしい。ま、いやらしい、と義母も言ったらしい。
 操子さんの実の弟は健夫という名だそうで、三十四歳。彼自身も恥ずかしいからと操子さんにはまだ紹介もしてくれず、結婚式も挙げていないらしい。同棲からなし崩しに結婚へとなだれ込んだのだそうだ。

 

「健夫も東京で暮らしてるんで、こんな用事でもなかったら来られないんですよ」
「じゃあさ、今日は泊まって、明日、健夫んちに行ってくればいいじゃん」
「泊めていただけるんですか」
「いいよ」

 

 誰でも彼でも気軽に呼び捨てにするアンヌは、会ったこともない男も健夫と呼んだ。異母弟の妻の弟というのはどんな関係になるんだろう。

 

「姻戚関係っていうんだよ。それはいいとして、操子、健夫に連絡したのか?」
「連絡すると来るなって言いそうだから、突撃します」
「留守だったらどうすんだよ」
「奥さんのうららさんは専業主婦だから、いるはずです。いなかったら諦めます」
「うららさんってどんな字?」

 

 新聞に操子さんが綴った文字を見て、アンヌが笑った。

 

「春の宵はうららかだからか?」
「お義姉さま、よくおわかり。そうみたいですよ」
「これ、うららって読むの?」
「読むわけないけどなんでもありなんだよ」

 

 春宵、これでウララ。これに較べれば胡弓や来闇は読めるんだからまっとうな名前だ。
 翌日、胡弓は僕の母に預けて、僕も操子さんについていくことにした。操子さんは東京に慣れていないので、案内とボディガードも兼ねている。ボディガードだったら強いアンヌのほうが適役だろうが、アンヌは仕事なので僕がつとめると決めた。

 

 地下鉄を乗り継いでたどりついたのは、まあまあ高級そうなマンションだった。道々聞いたところによると、健夫くんは故郷の仙台の大学を卒業して就職し、東京で働いている。ウララさんとも仕事の関係で知り合ったのだそうだ。

 

「二十歳の大学生か。僕の知り合いにはそんな年の差カップルはけっこういるけどね」
「私と貞光も逆年の差夫婦ですし、女のほうが若いのは問題ないと思いますけどね」
「美人なのかな」
「写真を見ただけですけど、可愛いお嬢さんでしたよ」

 

 いくらお願いしても操子さんは敬語をやめてくれない。めんどくさいのでそれでもいいことにして、チャイムを押す操子さんのうしろに立っていた。

 

「はあい」
「あのぉ、突然すみません。健夫の姉の操子です。東京に来たものですから……」
「はぁ? ソーコさん? 聞いてないよ」
「急に来たから……すみません。ご迷惑でしょうか」

 

 盛大な舌打ちの音が聞こえ、仏頂面の女性がドアを開けた。

 

「その子は? ソーコさんの彼氏?」
「いえ、私の主人の姉のご主人です」
「……まあいいや。来ちまったもんはしようがねえ。上がって」

 

 お邪魔します、と僕も言って、中に通された。
 埃っぽいのはきちんと掃除をしていないからだろうが、学生ならば勉強が忙しいのかもしれない。子どもがいないのならば埃では死なないの主義でもいいだろう。

 

「なんか飲みたいんだったら、冷蔵庫から適当に出して」
「あ、僕がお茶、入れようか。勝手にやっていいかな」

 

 笙です、操子です、あ、あたし、ウララ、といった簡単な自己紹介がすむと、僕は台所に入っていった。流しには洗っていない食器が山積みで、レンジも汚れている。僕は主夫なのでついチェックしてしまい、ここでお茶を入れるのはやめにして冷蔵庫を開けた。

 

 冷蔵庫の中は滅茶苦茶で、賞味期限切れの食べ物が奥に埋もれていそうだ。お茶のペットボトルが入っていたので、それを三本、持っていった。

 

「あの、お土産を……」
「なに?」

 

 ありがとうとも言わずに操子さんから包みを受け取ったウララさんは、開けていい? とも訊かずに開けて言った。

 

「やだ、あたし、これ嫌い。でさ、ソーコさんってなんの用なの?」
「なんの用というか……ウララさんには会ったこともないし、弟の新家庭を一目見たくて……ご迷惑でした?」
「迷惑だよ」
 
 けろっと言われて絶句した操子さんは、ことさらに丁寧な口調になった。

 

「わかりました。もう十分ですわ。ただ、ひとつだけ。ウララさんは健夫を愛してらっしゃいますか」
「まあね」
「……だったらいいわ。ごめんなさい、笙さん、帰りましょうか」
「あ、あっ、はい」

 

 気を呑まれてほとんど口もきけなかった僕は、素直に操子さんに従った。
 帰りの電車では操子さんも無口になり、僕も黙って考えていた。すげぇなぁ、ウララさんって僕と三つくらいしかちがわないのに、宇宙人みたい。僕なんかは常識的な人間だよね。年齢のせいじゃないのかな。そしたらなんのせい?

 

 我が家に帰ってきてからも、操子さんは無口だった。疲れ果ててしまったのか。それでも、夕食は私が作ります、と言ってくれたのでおまかせして、僕は胡弓を実家に引き取りにいった。

 

 母にあのウララさんの話をすれば興味津々になりそうだが、面倒なので言わずに胡弓を連れて帰って家で遊ぶ。胡弓は操子さんにじきになつき、おばちゃん、おいしいものを作ってくれるって、と言うと嬉しそうだった。

 

「はい……ええ、行ったわよ」
「……なんで勝手にっ!!」
「ええ、ええ……二度と行きませんから」

 

 台所にいる操子さんがガラケーで話している相手は、健夫くんだろうか。怒鳴っている声だけは聞こえた。

 

「あんたがいいんだったらいいじゃない、いろいろ質問する気もなくなっちゃったわよ」
「……よけいなお世話だっ。姉ちゃんがよけいなことをして、ウララちゃんが怒って離婚するって言い出したら……責任取ってくれんのかよっ!!」

 

 喧嘩口調の弟としばらく話してから電話を切り、操子さんは深いため息をついた。

 

「お義姉さま、お世話になりました。明日、帰ります」
「ああ、そう。どうだったんだ?」
「笙さんから聞いて下さい」

 

 その夜はアンヌは遅くなってから帰ってきて、疲れた顔をしていたのでとにもかくにも寝てもらった。
 翌日は僕もまだ寝ている時間に操子さんは帰ってしまい、アンヌが起きてきてからウララさんと健夫くんについて話した。

 

「で、姉貴としては怒り心頭だったのかな」
「そうみたいだね。いやになっちゃって話す気も失せてたんじゃない?」
「気持ちはわかるけどさ……だけどさ……」
「ん?」
「発想の転換、してみなよ」

 

 にやにやしながらアンヌは言った。

 

「家事もまともにしない学生のヨメなんかって怒ってるんだろうけど、むこうの親だって、十四も年上の冴えない男と結婚させるために大学にやったんじゃないって言うぜ」
「健夫くんって冴えないのかな」
「あの操子の弟だもんな」
「……ひどっ」

 

 とは言うものの、姉に似ていれば健夫くんはイケメンではないだろう。

 

「健夫ってそのウララに惚れてんだろ」
「そうみたい。操子さんに電話をかけてきて、捨てられたらどうしてくれるんだっ!! とかって怒鳴ってたもんね」
「だったらいいじゃん、蓼食う虫も好き好き、似た者夫婦だろ」

 

 蓼は笙、虫はあたし、あたしらもそんなもんさ、とアンヌは笑う。それはアンヌが僕を好きってことだよね。うん、僕もアンヌが好き。今日はアンヌは夜まで仕事がないそうだから、もう一度胡弓を母に預けにいこうか。アンヌとデートして、ベッドにも行きたくなってきた。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

より以前の記事一覧

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ