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ガラスの靴75「別居」

ガラスの靴

    75・別居

 飲みにいって知り合ったひとも、もとからの知り合いもうちに連れて帰ってくるのは、酔っ払いアンヌの癖というか趣味というか。それだけ夫の僕を自慢に思っていて見せびらかしたいのだろうから、僕はいつだってお客を歓待してあげていた。

「女は美佐、男は哲夫」
「夫婦? カップル?」

 三十代同士、お似合いのふたりにも見える男女はそろって頭を横に振り、美佐さんのほうが言った。

「飲み屋で会ったのよ。ふたりともアンヌさんのファンだからってだけで、縁もゆかりもない同士よ。ね、哲夫くん?」
「そうですね」
「ただ、共通点はあるの。だからアンヌさんが、お宅に寄っていけって誘ってくれたのよ」
「いやぁ、アンヌさんって豪快な女性ですよね」
「ほんとほんと」

 豪快な妻なのは事実だ。アンヌにとっても自分のファンだというだけで、知り合いではなかった男女を簡単にうちに連れてくる。アンヌは意外に単純で、そういった相手が僕ら家族に危害を加えるとは想像もしていないのだろう。いやいや、僕もアンヌの人を見る目を信じよう。

 共通点とはなんなのか、美佐さんと哲夫さんは互いの職業も知らないという。アンヌはバスルームに消え、僕はふたりのためにおつまみを作ってあげていた。

「正直に言っちゃいなさいよ」
「信用してもらえないからね」
「どうせ私と同じ理由でしょ」
「そう言われるに決まってるから言いたくないんだよ」
「そう言うに決まってるじゃない。それしかないんだもの」
「たから言いたくないんだって」

 押し問答しているのはなんについて? 酔客には好評な餃子の皮の包み揚げやスティックサラダを出し、僕もふたりのむかいにすわった。

「アンヌさんには子どもがいるのよね」
「いるよ。とっくに寝てるし、このマンションは広いから、ちょっとくらい喋ってても大丈夫だけどね」
「アンヌさん、えらいよね。専業主夫だなんてごくつぶし養うなんて、私にはとうていできないわ」
「アンヌはえらいよ」

 ごくつぶし……酔っぱらっているのだろうから、暴言は大目に見てあげよう。哲夫さんも苦笑いしていた。

「笙くんは私たちの共通点をなんだと思う?」
「三十代……なんてのは普通すぎるよね。三十代の人間は石を投げたら当たるくらい世間にはいっぱいいそうだもんね」
「私が三十代に見える?」
「見えるよ。三十五くらいかな?」

 そんなこと言われたのはじめて、いつも二十代かと言われるのに……と美佐さんはぶつくさ言っている。僕は若作り女性の年齢を言い当てるのは得意なのだ。

「私はね……あ、煙草、駄目?」
「子どもがいるから遠慮してね。吸いたいんだったら外に出て下さい」

 そう言うと哲夫くんも残念そうな顔をしたので、共通点は煙草かと思ったのだが、ちがった。

「私んちはお決まりの浮気よ」
「浮気ってよくあるんだよね」
「ほんと、浮気したいんだったら結婚するなって話よね。哲夫くんとこもそうなんでしょ」
「うちはちがうって」

 信じていない顔をして、美佐さんは火をつけていない煙草をもてあそんでいた。

「ばれるはずがないと迂闊にも信じていたけれど、ばれてしまった。ばれたものだから相手の配偶者にいきなりメールした。仕事の関係者だったから、浮気相手のアドレスもその配偶者のアドレスも知ってたのよ。そんな手軽なところで浮気すんなって話よね」
「まったくね」

 ロックミュージシャンなんて人種は特に貞操観念がゆるいようで、アンヌの仲間には浮気男はごまんといる。僕の脳裏にもいくつもの男の顔が浮かんでいた。

「私は音楽関係ではないんだけど、うちの業界もゆるいほうだね。世界が狭くもあるの。あいつとこいつは知り合いで、彼と彼女は夫婦で、別の彼と彼女は不倫中で、なんて話がころがってるから、浮気だってハードルが低いのよ。だけど、いきなり相手の配偶者にメールするってのはルール違反だな」
「あなたが旦那の浮気相手の奥さんに……」
「ちがうよ。逆だよ」
「は?」

 するとつまり、美佐さんが浮気をしたってことか?
 世の中の専業主婦にも不倫をしているひとは大勢いるらしい。不倫願望のある主婦はさらに多く、売春のアルバイトをしている主婦もけっこういるらしい。僕の知り合いにもいなくはない。

 けしからんなぁ、僕を見習えよ、アンヌ一筋の貞淑な主夫である僕はそう思うわけだが、働く主婦であるらしい美佐さんはけろっとしていた。

「それで別居中なのよ」
「美佐さんと哲夫さんの共通点って……」
「そう、別居」
「美佐さん、子どもはいないの?」
「いるんだけど、旦那が言うんだ。あなたのような不潔な女性を、僕の子と触れ合わせたくない、出ていって下さい、娘は僕が育てます、だって。やれるもんならやってみな。そのうち音をあげるに決まってんのよ」

 不敵に笑う美佐さんを見て、彼女の娘さんを不憫に思う。胡弓は僕がパパでよかったね。

「私はあけすけに話したんだから、哲夫くんも言いなよ」
「ちょっと似てはいるんだけどね……」

 ある日、哲夫くんは取引先の女性社長にパソコンを見せられた。あなたの奥さんからこんなメールが来たのよ、苦笑交じりに言われて見てみると。

「あなたは私の夫にセクハラをしていますね。あなたに迫られて私の夫は迷惑しています。私の夫はあなたのような太った中年女性にはなんの関心もありませんから、勘違いしないで下さい。
 早急にセクハラをやめないと訴えますから」

 ははーん、と美佐さんは笑った。

「似てるって、やっぱりそうじゃない。その太ったおばさんと不倫してたんでしょ?」
「してないよ。純粋に仕事の関係だ。その社長とふたりきりではないけれど、イベントのときなんかには一緒に現場で徹夜仕事をしたり、泊まり込んでの仕事をしたりもしていたんだ。社長は僕を買ってくれてるから、仕事のメールをよこしたりもした。たまにはジョークが混じったメールだの、電話だのが、家にいるときに僕のケータイに入ってきた。妻はそれをいやがってはいたんだけど、仕事だからね」
「ウソォ」

 まるっきり信じていない顔で、美佐くんは哲夫さんをつついた。

「妻の勘は鋭いのよ。なにかあったからそんなメールをしたんでしょ?」
「なにもないよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」

 見つめ合う哲夫と美佐。美佐は低い声で言った。

「そしたら、今までに別の女と浮気をしたとか……?」
「してないって。僕は仕事が忙しいんだから、浮気してる暇なんかないんだよ」
「私だって仕事は忙しいけど、家事に育児もやって、浮気だってしたわよぉだ」
「僕は美佐さんほどのバイタリティはないんだよ」

 要はこのふたりの共通点は、配偶者と別居中ってことだった。美佐さんは夫に家を追い出され、哲夫くんは奥さんがうるさいので家を出てきたという。そろってほっと息を吐いてから、哲夫くんが言った。

「僕は独身のときにも親と同居してたんだ。大学も親元から通ってたから、ひとり暮らしの経験はなかったんだよね。なんかこう、こうしてひとりになるとのびのびするな。今夜みたいに飲みにいって遅くなっても、帰ったら妻が怒ってるんだろうなって気を遣わなくてもいいし、帰ったら子どもが泣いていたりして、こっちが寝られないってこともないし」
「そうよねぇ、私もそう思う。ひとり暮らしっていいよね」
「癖になりそうだよね」

 あんたたちは人の親だろ、子どもに会いたくないのか、と怒りたくなっている僕をよそに、美佐さんと哲夫くんは再び見つめ合う。見つめ合って微笑み合って、どちらからともなく立ち上がった。

「じゃあ、そろそろ」
「そうね、そろそろ」

 アンヌがいないのなんか気にも留めていない様子で、ふたりは仲良く寄り添って出ていった。どこかで飲み直そうか、なんて声が聞こえていた。

「アンヌ、あのふたり、もしかしたらそうなるんじゃないの? 哲夫くんはほんとは浮気はしてないのかもしれないけど、瓢箪から駒ってこのこと? アンヌ、なんであんなふたりを一緒に連れてくるんだよ。アンヌ、どこ行ったの?」

 無責任なんだから、と言いつつ、子ども部屋のドアを開けた。

「……まったくもう」

 お客を連れてきておいて僕に応対をまかせ、自分は寝てしまっているのも毎度のアンヌは、今夜も笙のベッドにもぐり込んで、気持ちよさげな寝息を立てていた。

つづく


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