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2020年7月

2020/7 復刻・花物語「くちなし」

「花物語」

 

七月・くちなし

 

 

 生まれた月にちなんで、親がつけた名前は流火。
 
「七月の古名に、流れる火で「りゅうひ」っていうのがあるんだって。りゅうひ、では求肥みたいだし、女の子の名前らしくないってことで、るびと読ませることにしたらしいんだよね」
「流れる火って花火かな」
「火はアンタレスだそうよ」
「さそり座の?」

 

 変わった名前だね、と誰かに言われるたびに、私はそんな説明をしてきた。うちの両親には教養はないのだから、なにかの本を見ていて、七月には「流火」という名前もあると知り、おっ、かっこいい、となってつけたのだろう。

 

「僕はきみの名前に真っ先に惹かれたんだ。流れる火、暗闇に流れる一筋の火、なんて情熱的な名前なんだろうって感激したんだよ。火のような美女を想像したんだ」
「私はそれほどの美女じゃないでしょ」
「いや、僕にとっては美女だよ」

 

 なんて、情熱的に口説いてくれる男とめぐり会ったのだから、この名前も無駄ではなかった。彼が入社し配属されたのは人事部で、まず第一の目標を、この営業所の全社員の名前を覚えるというところに置いたのだそうだ。

 

 さほどに大人数ではないから可能だったわけで、彼は社員名簿を見て名前を暗記しようとした。その中には当然、私の名前もあったのだった。

 

 彼、貴明よりも二年早く入社した私の名前に惹かれ、営業部にいる私の顔を見たいと願い、仕事にかこつけて私の部署にやってきた。私は営業であるので社内にはいないことも多く、貴明が流火の顔を見られるまでには日数を要した。

 

 貴明の願いがかない、彼にとっては美女、すなわち、好みのタイプだった私に恋をした。名前の次はルックスに惚れたとは、軽薄でなくもないのだが。
 ところが、当時、私には恋人がいた。貴明に告白されて断り、彼とは職場の先輩、後輩関係のままで親しくしていたのだが、私が恋人と別れると、貴明が再度アプローチしてきた。

 

「そんなに私が好き? 私、けっこう男友達は多いよ。妬いたりしない?」
「妬くかもしれないけど、束縛はしないよ。ちなみに、どうしてそんなに男友達が多いの?」
「子どものときには少年野球チームにいて、そのころの仲間と草野球チームをやったりしてるから」
「流火さんって野球が上手なんだ、尊敬しちゃうな」

 

 惚れた女ならばなんだってよく見える。そんな状態だった貴明と交際することになって、二年ほどたってプロポーズされた。

 

「結婚はいやじゃないけど、結婚式に友達をたくさーん呼んでいい?」
「いいけど、男友達も?」
「男は駄目なの?」
「いいけどね……」

 

「貴明も女友達を呼べばいいじゃない」
「僕には流火以外には親しい女性はいないよ」
「つまんない人生を送ってるなぁ」

 

 いじいじしていなくもない様子の貴明の肩を叩いて、とにかく、互いの招待客の人数は合わせようと話し合った。
 最近、もっとも親しくしているのは、私が暮らすマンションのご近所さんたちで結成した、草野球チーム「神山ブロッサム」の面々だ。中学生からおじいさんまでがいるチームの全員を結婚式に招待したかったのだが、そうすると他の友達が呼べなくなるので、チーム監督のゴローさんに相談を持ちかけた。

 

「独身女性だって結婚式には来るだろ」
「私の女友達は呼びますよ」
「だったら、独身男を呼んでやれば?」
「そのほうがいいかな」

 

 こいつとそいつとあいつ、リストを作っていると、ゴローさんがふと言った。

 

「そうそう、ベルンを呼んでやってくれないかな」
「ベルン?」
「あいつ、日本人の結婚式に興味があるんだそうだよ。誰か結婚式しないかなぁ、僕も出席したいなぁ、なんて言ってた」

 

 ベルンとはドイツ人留学生で、日本文化を学ぶために大学に通っている。ご町内のアパートで暮らしていて、野球も日本文化のひとつだと言って「神山ブロッサム」に参加している。日本語はやや怪しいが、気のいい青年なので、私も彼に好感を持っていた。

 

「流火さん、結婚式に招待くれられてアリガト。ボク、サプライズの贈り物をあなたに与えます」
「与えます、じゃなくて、プレゼントするからね、でいいんだよ」

 

 とにかく友達がたくさんいるので、私は親戚を省いて主要な友人を招待することにした。結婚式当日、貴明は親類が多いのでゲストの人数の釣合もほどよく、ただし、平均年齢は私側のほうがかなり低いようだった。

 

「ベルンのサプライズプレゼントってなんだろ。ゴローさん、聞いた?」
 野球チームのメンバーの独身男子の中に、唯一まじった中年既婚男子、ゴローさんに尋ねると、彼は首をかしげた。

 

「俺はなんとなくは聞いてるけど、サプライズだって言うんだったら内緒だよ」
「そっか。ドイツ独特のお祝いとかがあるのかな」

 

 披露宴がはじまり、職場の上司の祝辞などもあって、やがて友人たちのパフォーマンスになった。貴明の友人グループがギターを弾いたり、私の女友達が三人でぶりぶりのダンスをしてくれたり、楽しくプログラムが進んでいって、さて、ベルンの番だ。

 

「流火さん、貴明さん、ご結婚おめでとうございます。流火さんの誕生日は七月。七月の花といえばこれですね」

 

 芳香をふりまく白い花のブーケを、ベルンが新婦席の私に捧げてくれた。花か、これのどこがサプライズなんだろう。ベルンは続いて、長い紙を広げてみせた。

 

「ボク、日本文化のお勉強をしています。書道というものも好きです。ボクが書いたくちなしの花言葉です」

 

 「私はとても幸せ」「優雅」「洗練」「清潔」「喜びを運ぶ」、五枚の長半紙に、ちょこっとゆがんだ文字が躍っている。ちょこっとゆがんではいても、私の筆文字よりも流暢だ。客席から拍手が起き、ベルンは優雅に一礼した。

 

「ボク、日本の歌を覚えました。聴いてね」

 

 くちなし? ひょっとして? やばい? 

 

「い~まではゆびわもま~わるほど~
 やせてやつれたおまえのうわさ」

 

 古い歌だが、おじさんやおじいさんとも仲良くしている私は知っている。この歌の続きを。

 別れた女を思い出してうじうじしている男の歌。結婚式では不吉だ。目をやると、ゴローさんがあちゃっという顔をしている。ベルンは音程も発音も怪しいので、気づいていない者もいるようだが、私たちの親世代はぴんと来るのでは?

 

 今さら止めるわけにもいかず、内心で困惑していると、ベルンの音程がどんどんずれていく。歌詞もかなりおかしくなっていく。この分では大丈夫かな? ベルン、気持ちは嬉しいよ、ありがとう。
 こうなればあとは、運を天に任せよう。

 

END

 

 

 

 

ガラスの靴76「掃除」

ガラスの靴

     76・掃除


 婚活は金になるから、我々もその業界でビジネスをはじめよう。
 そんな考えを持つ人間が続々と出てくるのが当然なくらい、婚活流行りである。このカップルも婚活パーティで知り合って結婚したのだそうだから、これはいける、と踏んだのだろう。

 田中弘雄、秀子の三十代カップル。ともに地味でだっさいタイプで、妻のアンヌの職業柄、音楽業界人の知り合いが多い僕の世界には、やや珍しい人種だ。

 ごく普通の会社員であるふたりは、婚活会社を起業しようと画策中。サクラというのか、それだったら僕でなくてもバーチャルな人格を作ればいいんじゃない? とでもいうのか、として僕を雇いたいと言うので、僕としても興味はあった。

 アンヌのバンドメンバー、吉丸さんの事実婚の妻、ただし男、僕のパパ友である美知敏、通称ミチは昔、婚活会社でサクラのバイトをしていたのだそうだ。そのころにミチが田中夫婦と知り合い、彼もまたふたりの仕事に誘われている。

 起業は企画段階だから、僕としてもそれほど真剣に考えてはいない。あの話、どうなったのかな、まとまらないのかな、程度に考えていたころ、ミチに誘われて田中家に遊びにいくことになった。

「まだ決まってはいないのよ。私たちも仕事がけっこう忙しくて、次の仕事のことを考えてる時間がないの。だけど、ミチくんと笙くんを見てるとそれだけでも目の保養になるし、ふたりとも主夫でしょ? おいしいものを作ってくれるんじゃないかと期待して呼んだのもあるのよ」
「あ、ああ、作りましょうか」
「作ってもいいけどね」

 食材はあるというので、ミチとふたりでキッチン入って、なにを作ろうかと相談していた。

「僕も暇だったからいいんだけど、僕は弘雄さんや秀子さんを見てても全然楽しくないよ」
「僕も楽しくはないけど、バイトの話もちょっとは聞けるんじゃないのかな」
「どうだろ。あんなの、言ってるだけなんじゃない?」

 実の息子である僕の胡弓、継子であるミチの来闇は、僕の母が僕のマンションに来て預かってくれている。
 昔の主婦は現代のママたちみたいぴりぴりしていなくて、時には友達同士で子どもの預かりっこをしたのだそうだ。さらに昔、僕の祖母世代だと赤ん坊が寝ている間に買い物に出かけたという。ほったらかしにされた赤ん坊が起きて泣き出すと、勝手に近所のおばさんが家に入り込んであやしてくれたそうなのだから、びっくりだ。

 そんな世代の主婦だから、母は気軽にライアンだって預かってくれる。ベテラン主婦に預けると安心だとミチがお世辞を言ってくれ、大好きな幼児たちと触れ合えるのだから、母はご機嫌だった。

 そうやって遊びに出かけてきたのに、よそのうちでまで主夫の仕事かよ。ミチが文句を言いたがるのももっともだが、僕はこうしてよそのうちのキッチンで、ミチと料理を作るのは楽しくなくもない。ミチは僕ほど主夫として熟練していないので、料理のコツを教えてあげていた。

「ただいまぁ、笙くんとミチくんが来てるんだね」
「お帰り。そうよ。今日だったら弘雄くんも早く帰るって言ってたから、来てもらったの」
「なんか作ってくれてるの? お、掃除したんだ」
「気がつくだけいいほうだね」

 声だけが聞こえて顔は見えないせいか、秀子さんの口調がイヤミっぽいのも感じ取れた。

「お客が来るから?」
「そういうわけではなくて、あなたがちっともしないから」
「するって言ってるじゃないか」
「しないじゃないのよ。日曜日には必ずするって約束したくせに、仕事に行っちゃったじゃないの」
「まだそれほど汚れてもいなかっただろ」
「汚れてました」
「たいしたことないから、土曜日までほっといても平気かなって」
「平気じゃないわよ」

 この家には子どもはいないのもあって、こういう夫婦喧嘩はありがちかもしれない。我が家には三歳児がいるので、あまりにも埃っぽかったりすると子どもによくないかと僕は一生懸命掃除している。二、三日さぼることはあるが、その程度だとアンヌは気にしない。

 さほどに几帳面ではない僕と、かなり大雑把なアンヌだから、我が家は多少の家事の手抜きは問題にならない。両方が几帳面だったら、両方できちんとするだろう。

 問題なのは田中さんちのように、そのくらいどうってことない、と思うほうと、どうってことある、と思うほうに分かれる夫婦だ。ふたりの約束によると、掃除は弘雄さんの役割らしいのに、なんだかんだと逃げて彼はさぼってばかりいる。それで秀子さんが怒っているらしい。

「だけど、掃除したんだろ。よしよし、えらいえらい」
「弘雄くんにそうやってえらそうに言われる筋合いはないのよ。生活費は半々出してるんだからね」
「わかってるよ。起業したらもっと楽させてあげるからね」
「それだって口ばっかり」

 やはり起業は口ばかりらしい。隣の部屋の会話が気になるので、ミチと僕は黙って料理を作っていた。

「起業したって私は楽になんかならないでしょ。弘雄くんがそんななんだから、私ばっかり苦労するんじゃないの?」
「そんなことないって。ああ、やっぱ部屋が片付いてると気持ちいいね。掃除、ご苦労さま」
「掃除なんかしてないわよ」
「……え? まさか、掃除まで笙くんとミチくんにさせたの?」
「ちがいます。ハウスクリーニングサービスに頼んだの」
「……そか」

 なぜか弘雄くんはがっかりしたような声を出し、着替えてくるよ、と言って別室に行ったようだった。
 
「笙くん、味つけ、どう?」
「ああ、うん……えーと、ちょっと甘みが足りないかな」
「みりんを足そうか」

 甘みは先につけておかないと、あとだと効きにくいんだよ、なんて主夫の会話をしつつ、根菜煮を作る。子どものころに母が作ってくれたこの料理は嫌いだったけど、身体にはいいんだ。主夫になり父になると、こういうのもおいしく感じるようになってきた。

「……なんだかね」
「ああ、お帰りなさい、弘雄さん」
 
 振り向くと、普段着に着替えた弘雄さんが立っていた。

「どうしたの? お疲れ?」
「あの台詞は女を下げるよね」
「女を下げる?」
「掃除をしたのは掃除の会社だって、秀子さんの台詞だよ」

 がっかりしたようだったのは、お金を使って掃除をしてもらったから? ミチが尋ねた。

「贅沢だって?」
「いや、まあ、秀子さんだって働いてるんだから、贅沢だとは言わないけどね……」
「だったらなんだよ?」
「家事代行ってのは主婦としてはいかがなものかと……秀子さんだって働いてるとはいえ、主婦なのもまちがいないだろ。僕と結婚した以上は秀子さんは主婦なわけで……たかが掃除に人を頼むとは、いやはやなんとも……いいんだけどね」

 横目でちらっと僕を見てから、ミチが言った。

「だったらどうしたいの?」
「僕がするって言ってるんだから、待っててくれればいいのに」
「しなかったんでしょ」
「忙しいんだよ」
「秀子さんだって仕事も忙しいんじゃないの?」
「そりゃそうだけど……」

 もごもご呟いている弘雄さんに、僕も言った。

「女を下げるって、そうすると、夫に家事を分担させるなんてのも、主婦としては女を下げる行為なんだよね」
「正直言えばそうだね。家事なんて仕事の合間にちゃっちゃっとすませて、僕が帰ったらおいしい料理ができている。男のひとに掃除をさせるなんて、主婦の名折れだわ、と爽やかに笑ってみせる。理想を言えばそれだなぁ。おっと、奥さんには内緒だよ」

 隣の部屋には秀子さんはいないのか、しんとした気配だけが伝わってきていた。

「そうじゃなかったら結婚した値打もないな、ってのが男の本音なんだよ、きみたちだって男なんだからわかるだろ。……ん? あ?」

 はっとした顔をしたのは、今ごろ気がついたのか。笙も僕も世間一般のステロタイプな「男」ではない。男同士の内緒話ができる相手ではないと知らなかった?

「僕ら、主夫だから」
「専業だから、奥さんには家事はさせないけどね」
「女性の主婦の気持ちもすごくよくわかるんだよね」
「まして働く主婦だろ、秀子さんは」
「旦那の本音を聞いたら、鼻白むっていうの?」
「それだけですむかな」
「離婚とか?」

 そ、そ、それは……あの、その、あの、とうろたえている弘雄さんの、青ざめた顔を見ていると楽しい。僕ら主夫にも日ごろのストレスはおおいにあるのだから、弘雄さんを苛めて発散させてもらおう。

つづく

212「なんでそうなるの」

しりとり小説

212「なんでこうなるの」

 愚痴を綴ってブログにアップすればストレス解消になる。どうせ私のブログなんて読んでくれる人もいないし、友人知人には話してもいないのだし。そのつもりでブログをはじめた。日記帳に書くと夫に盗み読まれる恐れもあるが、もちろん夫にはブログをやっているなんて話していない。

 小学校時代から作文は得意だったので、文章を書くのは苦にならない。
 個人ブログなのだからアップしたければ毎日でもいいし、書く気にならなかったら放置すればいい。それも私には気楽でよかった。

 カウンターなどつけても無意味だから、アクセス数は知らない。ブログ開始から三ヶ月、コメントはひとつもつかない。それで当たり前だと思っているので、私は気持ちよく愚痴を書き散らしていた。

「息子が小学校に入学して三ヶ月。「ポチャリのブログ」も同じ三ヶ月。ブログは快調なんだけど、ママ友つきあいは不調かもしれない。

 幼稚園のときには私はパートをしていたから、仕事が終わって急いで息子を迎えにいき、買い物にいったり夜ご飯の支度をしたりで忙しくて、ママ友とは挨拶くらいしかしなかったんだよね。
 だから、同じ幼稚園から同じ小学校に入った顔見知りのママさんたちには、あんな人はママ友じゃないもんね、って思われてるのかもしれない。

 だったらそれでもいいんだけど、同じ幼稚園のママさんだけじゃないんだな。こそこそひそひそ、悪口言われてるみたいなんだ。好かれるようなこともしてないけど、嫌われるようなこともしてないつもりなのに。

 子どものころから友達は少なくて、人づきあいは得意なほうじゃなかったよ。だけど、嫌われるほどでもなかったのにな。どうするべきなのかな。こっちから仲良くしてもらうべき? すり寄っていくべき? 

 ママ友ができなかったら息子も友達ができないんだろうか。学校では遊んでる子もいるみたいだけど、放課後に一緒に帰ったりおうちに呼ばれたり、うちに遊びにきてくれたりってほどの友達はいないの。息子はひとり遊びも楽しいみたいだからいいんのかなぁ。悩むわ。

 それにしても、なんで私は陰口をきかれてるの?
 ほんとに嫌われてるの?」

 別段本気で悩んでいるのでもないが、ネタとしてそんな文章を書いてブログにアップした。すると、翌日、はじめてのコメントがついたのである。

「ポチャリさん、はじめまして。
 ママ友さんたちに嫌われたって? それは悩んでしまいますよね。
 私も子どもたちが幼稚園や小学校のころには、ママ友づきあいに悩んだものよ。

 嫌われる原因が自分ではわからないと言うんだったら、もしかして……と思ったの。
 ポチャリってハンドルームってことは、もしかして太ってない?
 太った女を嫌う女は多いみたいよ。
 もしも太ってるんだったら、ダイエットしたら?
 綺麗になったら意外と、ママさんたちにも好かれるかもしれないよ」

 はあ……私はそのコメントを見て苦笑いするしかない。

 本名でブログを書くのは芸能人や有名人だけだろう。一般人はハンドルネームというものを使う。私はなににしようか? パソコンの前で考えながら、そこに置いてあったスポーツドリンクを飲んだ。ああ、これにしよう、というわけで、ポカリをもじってポチャリ。なんの意味もないハンドルネームだ。

 しかし、ポチャリは「ぽっちゃり」を連想させる。まったく知らないこのコメントの人が、そんなふうに考えたとしても変ではない。さて、私は太っていない、と返事を書かなくちゃ。

 そのつもりだったのだが、そこにかかってきた一本の電話で、私は大忙しになってしまった。

「ご主人が会社で怪我をなさいまして……」
「え? あの……」
「いえ、脛を骨折なさっただけですので、骨折なさっただけ、という言い方は語弊がありますが、重症ではありませんので。でも、入院しなくてはならないのはまちがいありませんから、今から言うものを準備して病院までいらして下さいませんか」
「わかりました」

 夫の会社からの電話は、夫が事故に巻き込まれたというものだった。

 スーパーマーケットや弁当屋に卸すお総菜を作っている会社の、夫は現場主任である。食肉担当の夫は、鶏肉をカットする機械の事故で脛を骨折した。組み立て式の機械のボルトがゆるんでいたらしく、大きな部品が倒れてきたのに脚を挟まれたのだそうだ。

 幸いにも単純骨折だけですんだが、しばらくは入院。その準備やら手続きやらで大わらわで、私はブログどころではなくなってしまった。小学校一年生の息子と、ブログには書いていないが、幼稚園に入ったばかりの娘を抱えて、あちこちに連絡したり、夫が会社を休むための書類に記入したり、見舞客の対応に追われたり。

 ブログはスマホでだって操作できるが、精神的にそんな余裕はなかったから放置してしまった。
 というよりも、忘れ果てていたブログを、一週間後に夫が退院してきて、週明けから松葉杖を使ったら出勤もできるということで安心して、ようやく思い出した。

 パパが帰ってきた、と子どもたちも喜び、ささやかに退院祝いをして、夫も早く寝てしまった夜になって、私はパソコンに向かった。

「ええ? なに、これ?」

 おっとびっくり。私のブログのコメント欄には、ものすごくたくさんの書き込みがなされていたのだった。

「そりゃあそんなに太っていたら、嫌われもするよな。太った女って暑苦しいんだよ。そばに寄ってくんなって感じ。
 アタシの娘ちゃんの幼稚園のおかんにもいるわ。
 あの女のそばには寄りたくないぜ」

「太った人にはなにかと事情もあるんやから、それだけでそばに寄るなは言い過ぎとちゃうのん?
 けどなぁ、薬のせいやとか妊娠してるやとかって言い訳するのは見苦しいで。
 意志が強かったらダイエットはできるんや。ポチャリさんもがんばりや」

「あのね、方言で書き込みをするのってやめてもらえません?
 アタシの娘ちゃんとか書くのもやめてよ。
 あんたらは見苦しいんだよ」

「どうでもいいようなことばかり書いている人がたくさんいます。ブログ主はそういう書き込みは削除して下さい。
 私の情報は重要ですから、みなさん、注目!!
 
 痩せたい人はエステブルーラグーンへ。
 楽して美人になれる、近道はエステブルーラグーン!!
 ここは太字でよろしく!!」

「宣伝すんな、馬鹿野郎。
 俺はぽっちゃりさんが大好きさ。
 ポチャリさん、俺にメールちょうだいよ。
 ママ友なんかどうでもいいじゃん。
 俺がおまえを愛してやるぜ、ベイベイ」

「うげっ、キモっ!!
 ブログ主はなにやってんの? 一週間以上も放置かよ。
 あり得ない、出てきてお礼ぐらい言うのが筋じゃないの?
 そういう礼儀知らずだから嫌われるんだよ」

「ポチャリさんは一度も出てきてもいないのに、よくもこれだけ憶測で盛り上がれるものですね。
 暇人が多いなぁ」

 ざっと読んでいったコメントの中で、私の目はここで止まった。ハンドルネームは「アキレェ」。うんうん、アキレェさん、あなたには賛成だよ。

 ブログ大炎上ってこういうの? 話には聞くが、実体験としてははじめてだ。どうしてこうなったのかといえば、私の愚痴に反応したひとりの通りすがりの人物が、ポチャリってハンドルネームってことはぽっちゃりさん? と尋ねたこと。それでこれだけ盛り上がるのか。

 あのぉ、私、太ってないんですけど、みなさん、落ち着いて下さいね、今さらそんな返事を書くのも野暮かと思えてきた。
 炎上したブログ主のリアルがさらされることもあるらしいが、私はなにをしたわけでもない。誤解と揣摩臆測とで他人と他人が議論したりしているだけだ。その他人にしても見知らぬひとばかり。

 なんだか面白いから、もうすこし知らんぷりをして観察していようか。一抹の不安がなくもないのだが、それでいいよね? ほおっておいても大丈夫だよね? そのうちには自然鎮火するよね?

次は「の」です。

 


ガラスの靴75「別居」

ガラスの靴

    75・別居

 飲みにいって知り合ったひとも、もとからの知り合いもうちに連れて帰ってくるのは、酔っ払いアンヌの癖というか趣味というか。それだけ夫の僕を自慢に思っていて見せびらかしたいのだろうから、僕はいつだってお客を歓待してあげていた。

「女は美佐、男は哲夫」
「夫婦? カップル?」

 三十代同士、お似合いのふたりにも見える男女はそろって頭を横に振り、美佐さんのほうが言った。

「飲み屋で会ったのよ。ふたりともアンヌさんのファンだからってだけで、縁もゆかりもない同士よ。ね、哲夫くん?」
「そうですね」
「ただ、共通点はあるの。だからアンヌさんが、お宅に寄っていけって誘ってくれたのよ」
「いやぁ、アンヌさんって豪快な女性ですよね」
「ほんとほんと」

 豪快な妻なのは事実だ。アンヌにとっても自分のファンだというだけで、知り合いではなかった男女を簡単にうちに連れてくる。アンヌは意外に単純で、そういった相手が僕ら家族に危害を加えるとは想像もしていないのだろう。いやいや、僕もアンヌの人を見る目を信じよう。

 共通点とはなんなのか、美佐さんと哲夫さんは互いの職業も知らないという。アンヌはバスルームに消え、僕はふたりのためにおつまみを作ってあげていた。

「正直に言っちゃいなさいよ」
「信用してもらえないからね」
「どうせ私と同じ理由でしょ」
「そう言われるに決まってるから言いたくないんだよ」
「そう言うに決まってるじゃない。それしかないんだもの」
「たから言いたくないんだって」

 押し問答しているのはなんについて? 酔客には好評な餃子の皮の包み揚げやスティックサラダを出し、僕もふたりのむかいにすわった。

「アンヌさんには子どもがいるのよね」
「いるよ。とっくに寝てるし、このマンションは広いから、ちょっとくらい喋ってても大丈夫だけどね」
「アンヌさん、えらいよね。専業主夫だなんてごくつぶし養うなんて、私にはとうていできないわ」
「アンヌはえらいよ」

 ごくつぶし……酔っぱらっているのだろうから、暴言は大目に見てあげよう。哲夫さんも苦笑いしていた。

「笙くんは私たちの共通点をなんだと思う?」
「三十代……なんてのは普通すぎるよね。三十代の人間は石を投げたら当たるくらい世間にはいっぱいいそうだもんね」
「私が三十代に見える?」
「見えるよ。三十五くらいかな?」

 そんなこと言われたのはじめて、いつも二十代かと言われるのに……と美佐さんはぶつくさ言っている。僕は若作り女性の年齢を言い当てるのは得意なのだ。

「私はね……あ、煙草、駄目?」
「子どもがいるから遠慮してね。吸いたいんだったら外に出て下さい」

 そう言うと哲夫くんも残念そうな顔をしたので、共通点は煙草かと思ったのだが、ちがった。

「私んちはお決まりの浮気よ」
「浮気ってよくあるんだよね」
「ほんと、浮気したいんだったら結婚するなって話よね。哲夫くんとこもそうなんでしょ」
「うちはちがうって」

 信じていない顔をして、美佐さんは火をつけていない煙草をもてあそんでいた。

「ばれるはずがないと迂闊にも信じていたけれど、ばれてしまった。ばれたものだから相手の配偶者にいきなりメールした。仕事の関係者だったから、浮気相手のアドレスもその配偶者のアドレスも知ってたのよ。そんな手軽なところで浮気すんなって話よね」
「まったくね」

 ロックミュージシャンなんて人種は特に貞操観念がゆるいようで、アンヌの仲間には浮気男はごまんといる。僕の脳裏にもいくつもの男の顔が浮かんでいた。

「私は音楽関係ではないんだけど、うちの業界もゆるいほうだね。世界が狭くもあるの。あいつとこいつは知り合いで、彼と彼女は夫婦で、別の彼と彼女は不倫中で、なんて話がころがってるから、浮気だってハードルが低いのよ。だけど、いきなり相手の配偶者にメールするってのはルール違反だな」
「あなたが旦那の浮気相手の奥さんに……」
「ちがうよ。逆だよ」
「は?」

 するとつまり、美佐さんが浮気をしたってことか?
 世の中の専業主婦にも不倫をしているひとは大勢いるらしい。不倫願望のある主婦はさらに多く、売春のアルバイトをしている主婦もけっこういるらしい。僕の知り合いにもいなくはない。

 けしからんなぁ、僕を見習えよ、アンヌ一筋の貞淑な主夫である僕はそう思うわけだが、働く主婦であるらしい美佐さんはけろっとしていた。

「それで別居中なのよ」
「美佐さんと哲夫さんの共通点って……」
「そう、別居」
「美佐さん、子どもはいないの?」
「いるんだけど、旦那が言うんだ。あなたのような不潔な女性を、僕の子と触れ合わせたくない、出ていって下さい、娘は僕が育てます、だって。やれるもんならやってみな。そのうち音をあげるに決まってんのよ」

 不敵に笑う美佐さんを見て、彼女の娘さんを不憫に思う。胡弓は僕がパパでよかったね。

「私はあけすけに話したんだから、哲夫くんも言いなよ」
「ちょっと似てはいるんだけどね……」

 ある日、哲夫くんは取引先の女性社長にパソコンを見せられた。あなたの奥さんからこんなメールが来たのよ、苦笑交じりに言われて見てみると。

「あなたは私の夫にセクハラをしていますね。あなたに迫られて私の夫は迷惑しています。私の夫はあなたのような太った中年女性にはなんの関心もありませんから、勘違いしないで下さい。
 早急にセクハラをやめないと訴えますから」

 ははーん、と美佐さんは笑った。

「似てるって、やっぱりそうじゃない。その太ったおばさんと不倫してたんでしょ?」
「してないよ。純粋に仕事の関係だ。その社長とふたりきりではないけれど、イベントのときなんかには一緒に現場で徹夜仕事をしたり、泊まり込んでの仕事をしたりもしていたんだ。社長は僕を買ってくれてるから、仕事のメールをよこしたりもした。たまにはジョークが混じったメールだの、電話だのが、家にいるときに僕のケータイに入ってきた。妻はそれをいやがってはいたんだけど、仕事だからね」
「ウソォ」

 まるっきり信じていない顔で、美佐くんは哲夫さんをつついた。

「妻の勘は鋭いのよ。なにかあったからそんなメールをしたんでしょ?」
「なにもないよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」

 見つめ合う哲夫と美佐。美佐は低い声で言った。

「そしたら、今までに別の女と浮気をしたとか……?」
「してないって。僕は仕事が忙しいんだから、浮気してる暇なんかないんだよ」
「私だって仕事は忙しいけど、家事に育児もやって、浮気だってしたわよぉだ」
「僕は美佐さんほどのバイタリティはないんだよ」

 要はこのふたりの共通点は、配偶者と別居中ってことだった。美佐さんは夫に家を追い出され、哲夫くんは奥さんがうるさいので家を出てきたという。そろってほっと息を吐いてから、哲夫くんが言った。

「僕は独身のときにも親と同居してたんだ。大学も親元から通ってたから、ひとり暮らしの経験はなかったんだよね。なんかこう、こうしてひとりになるとのびのびするな。今夜みたいに飲みにいって遅くなっても、帰ったら妻が怒ってるんだろうなって気を遣わなくてもいいし、帰ったら子どもが泣いていたりして、こっちが寝られないってこともないし」
「そうよねぇ、私もそう思う。ひとり暮らしっていいよね」
「癖になりそうだよね」

 あんたたちは人の親だろ、子どもに会いたくないのか、と怒りたくなっている僕をよそに、美佐さんと哲夫くんは再び見つめ合う。見つめ合って微笑み合って、どちらからともなく立ち上がった。

「じゃあ、そろそろ」
「そうね、そろそろ」

 アンヌがいないのなんか気にも留めていない様子で、ふたりは仲良く寄り添って出ていった。どこかで飲み直そうか、なんて声が聞こえていた。

「アンヌ、あのふたり、もしかしたらそうなるんじゃないの? 哲夫くんはほんとは浮気はしてないのかもしれないけど、瓢箪から駒ってこのこと? アンヌ、なんであんなふたりを一緒に連れてくるんだよ。アンヌ、どこ行ったの?」

 無責任なんだから、と言いつつ、子ども部屋のドアを開けた。

「……まったくもう」

 お客を連れてきておいて僕に応対をまかせ、自分は寝てしまっているのも毎度のアンヌは、今夜も笙のベッドにもぐり込んで、気持ちよさげな寝息を立てていた。

つづく


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