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ガラスの靴73「自慢」

「ガラスの靴」

     73・自慢

「胡弓、熱があるみたいなんだよ。微熱だし、元気があるから大丈夫だと思うけど、僕は今夜は行けないな」
「そうか。医者には連れていったのか?」
「いったよ。今夜はあったかくして早く眠りなさいって言われた」

 電話で笙が言っていたから、今夜のパーティにはひとりで出席した。息子が熱を出して寝ているなんて言ったら、なのに母親がパーティに? と非難したがる輩もいる。これはあたしの仕事だ。うるさい奴には胡弓の話などはせず、あたしも早めに帰ろうかとは思っていた。

「あら、久しぶり」
「ああ……深雪だっけ」
「アンヌさんよね。今夜は専業主夫のご主人は?」
「用事があってこられないんだよ。あんたのフランス人のご主人は?」
「来るかもしれないし、来ないかもしれない」

 多彩な異業種人種が集まるパーティだから、あたしのような音楽人も、深雪のような創作系アーティストも来ている。彼女はインテリアデザイナーだと言っていたはずだ。専業主夫と笙のことをイヤミったらしく言うので、あたしもフランス人夫ってのをイヤミに強調しておいた。

 どこかの酒場で共通の知り合いに紹介されたときに、知り合いは深雪とほのかとあたしとを、トンデル女だと評した。知り合いはバブルオヤジなので、ださい言い回しが好きなのだ。

 三児の母、家事と育児は他人に託し、優雅に働いて未婚の母をやっている通訳のほのか。優雅だなどと言うと怒る女もいるが、ほのかは、そうね、私は収入もいいし余裕もあるし、優雅よ、としゃらっと笑う。

 インテリアデザイナーでフランス人の夫を持つ深雪、彼女に関してはその程度しか知らないが、バブルオヤジから見ればトンデイルのだろう。

 そしてあたしは、専業主夫と三歳の息子を抱えるロックヴォーカリスト。あたしは決して優雅ではないが、多少はトンデイルかもしれない。息子が熱を出して家で寝ていたら、普通は母親がそばについているものなのかもしれないから。

 こんなときに笙にまかせておけるのは、あいつを専業主夫にした価値があったってもんだな、なんて思いつつ、深雪と飲んだり食ったりしながら談笑していた。

「今夜はほのかさんは来ないのかしら」
「さあね。ほのかはアーティストってんじゃないから、来ないかもしれないな」
「ほのかさんもアンヌさんも細いよねぇ。ほのかさんってあまり食べないみたいだけど、アンヌさんはよく食べるのに……」
「あたしは肉体労働者だからさ」
「ロックやるひとって活動量がすごいのよね」
 
 この女こそが本当に優雅で、それが肉体にもあらわれている。長身で豊満。ほのかもあたしも背は高いほうだが、ふたりともに細いのがうらやましいのか? ほのかは華奢で、あたしは筋肉質のほうだ。肉体には生活があらわれる。

「フランス人の旦那ってのは美食家なわけ?」
「そうね」
「料理は得意?」
「私が? 苦手ではないけど、私の仕事ではないから気が向いたときしかしないな」
「外食ばっか?」
「そうでもないわ。主人も料理はするし、おいしいものが食べたくなったら料理人を雇うの」

 ほぉ、これはちょいとスケールがちがう。ほのかは家政婦だったら雇っているが、料理人の話をしていたことはない。ほのかの家には小さいのが三人いるから、ホームパーティもしないようだ。
 我が家では料理は笙の仕事。笙がさぼりたいときにはデパ地下の惣菜を買ってきたり、母親に作ってもらったりしている。うまいものが食いたいときには外食もするが、料理人を雇う発想はなかった。

「あの……ミユキ・アルファンさんですよね」
「ええ、さようですわよ」

 そういえばさっきから、この女は近くにいた。深雪とあたしの会話に聞き耳を立てていたようで、我慢できなくなって割って入ってきたのだろうか。

「私、こういう者です」
「はい」

 名刺をもらって一瞥だけして、深雪はそれを小さなバッグにしまう。自分は名刺も出さないのは持っていないからか。相手が彼女を知っているのだから必要ないのか。
 細くて背の高い女はあたしには関心なさげなので、黙って彼女が深雪に話しかけるのを見ていた。

「ご主人はプロデューサーでしたっけ」
「ええ、そうですよ」
「ムッシュ・アルファン、お会いしたことはあります。美食家にしたらやせ形ですよね」
「そうね」

 表面は愛想良くしているが、知り合いでもない相手と本気で話したいわけないだろ、の態度がミエミエだ。深雪の態度に苛立ってきたのか、女の表情が変化してきていた。

「ご主人、かっこいいですよね」
「ありがとうございます」
「おもてになるでしょ」
「どうかしら」
「あれだけの男性なんですもの。若くてスタイルのいい女と恋をするのも全然大丈夫なんじゃありません? すこしダイエットしないと危険かも」
「ご忠告感謝しますわ」

 白々しくも深雪は礼を言い、あたしも言った。

「あんたみたいに細い女が好きな男ばかりとは限らないよな。あんた、なんて名前?」
「心愛です」
「ココア。こりゃまた流行りの名前だな。本名?」
「そうですよ」

 おまえは何者だ、という目であたしを見る女は、桃源郷のヴォーカリスト、新垣アンヌを知らないのだろう。あたしも心愛が何者なのかどうでもいいし、自己紹介する気もなかった。

「深雪って悩みはないのか」
「私? そりゃああるわよ」
「どんな悩み?」
「たとえば、子どものこととか」

 ほえ? 深雪にも子どもがいるのか。まったく生活感のない女なので、不思議でもないはずの事実が不思議に思えた。ほのかにしてもあたしにしても生活感はないほうだが、深雪ほどではない。

「子どもがいるっていうより、子どもができないとか?」
「子どもはいるわよ。息子がひとりいるの。六歳で、来年は小学生になるのね。日本で暮らしてるんだから日本の小学校に通わせようと思って、近くの私立の小学校を受験させて合格したのよ」
「それはそれは」

 息子の話をしていると、深雪も母親の顔になった。

「私立とはいえ自由な校風だから、制服はないの。持ち物にも決まりなんかはないのよ。主人も私もそこが気に入ったっていうのもあるんだけど、子どもの世界って意外と保守的なのよね」
「それはあるかな」

 うちの胡弓は父親に似てひとかけらも男らしくない男の子なので、同世代の女の子に、もっと男らしくしろ、などと怒られている。たまにそんなシーンを目撃すると、あたしは暗澹とした気分になるのである。

「みんな同じがいいって言う子、多いのよ。それが悩み」
「そんなのは深雪が嫌いだから?」
「そうね。私は子どものころから、みんな同じはいやだったわ。デザイナーになりたくて感性を磨いたんだから、人と同じには育たなかった。それで日本ではやりにくくて、フランスに逃亡したってのもあるのよね。主人はフランス人だからもちろん、日本人みたいな横並びの感覚は持ってない。息子も親の影響で、他人とはちがったものをほしがる。女の子用の小物のほうが男の子用よりはおしゃれだし、私が手作りした小物なんかも、おしゃれだと女の子っぽくなるのよね」

 それを友達にからかわれたり、女みたいだと言われたりするのだそうだ。それが悩みなのよ、と深雪はため息をついた。

「私としては、みんなとちがってどこがいけないの? って思うのよ。主人も私に同意してるし、息子もやはり、クリエィティヴな両親から生まれただけに、僕は人とはちがったところがいいんだって思ってるの。でも、子どもの世界では生きづらいわけ」
「うちの息子はまだそこまでは考えてないだろうけど、大きくなってくるとあるのかな」
「あるかもしれないわ。だからね。やっぱり息子はインターナショナルスクールに入れるべきか、あるいは、フランスで学校に行かせようかって、それがいちばんの悩みね」

 この夫婦は浮気公認というわけではなく、互いの浮気に嫉妬しつつ、それを夫婦のこやしにするみたいな? そんな感覚があると聞いた。俗なあたしにはわかりづらい言い分だ。
 そんな夫婦でも子どもの悩みはあるわけで、そんなことを言っているとただの人の親に見えて、あたしにはむしろ好感が持てる。だが、心愛は棘のある口調で言った。

「そんなの悩みじゃなくて、自慢ですよね」
「自慢か? まあ、深雪の台詞には自慢も入ってたけどな」
「全部自慢ですよ。失礼」

 失礼、が挨拶だったようで、心愛は長い脚で歩み去った。

「なんか怒ってたか、あいつ? 知り合いでもないんだろ」
「モデルらしいわね、彼女、もらった名刺にはモデル事務所の名前があったわ。そっかぁ、よっぽど私がうらやましいのよ」
「うらやましいから怒ってるのか?」
「彼女も実はデザイナーになりたかったんじゃない? 才能がないからモデルだなんて、つまらない仕事に甘んじてるの。本当はフランスでクリエィティヴな仕事をして、フランス人と恋愛して結婚したかったんじゃないかしら」

日本ではモデルといえば、若い女の憧れの職業だ。けれど、モデルには外見に恵まれていないとなれない。必ずしも美人ではなくてもいいのだが、洋服の似合うプロポーションと今ふうのルックスが必須。なのだから、なりたくてもなれずに諦める女も多々いる。

 よその女に羨まれる仕事をしていながら、深雪がうらやましいのか? なんたる強欲。
 それもあるが、心愛のつんけんした態度から即、私がうらやましいのだと発送する深雪もたいしたもんだ。深雪の悩みを自慢と受け取った心愛と、心愛の苛立ちを羨望ゆえと受け取った深雪。

 どっちもどっちってのか、深雪の思想のほうが精神衛生にはいいと言うのか。あ、そうか、だから心愛は痩せていて、深雪はふくよかなのだ、おそらく。

つづく

 

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