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2020/6 復刻・花物語「紫陽花」

「花物語」

六月・紫陽花


 土壌の酸性度によって色が変わる。学説ではそうらしいが、人はなんであっても擬人化したがる。
 ふたりではじめて旅をした六甲山のホテルの庭には、濃い青紫の紫陽花が群れて咲いていた。

「紫陽花の花言葉を知ってる?」
「花言葉っていうのは聞いたことあるけど、なんだっけ?」

 ホテルの窓から紫陽花の群れを見下ろして、涼夏は創平に話した。

「メジャーな花だったら花言葉っていうのはいくつかあるんだけど、紫陽花には有名なのがあるのよ。移り気。ひとって浮気なものだよね」
「それってなんの話がしたいの?」

 仕事の関係で知り合って、告白というほどのものもなくつきあいはじめ、六月だったら梅雨どきだから人が少ないんじゃない? 一緒に旅行しようよ、と涼夏が言い出して関西へと遊びにきた。昨日は神戸ですごし、一夜が明けて創平が言い出した。

「結婚しようか」
「あっさりしたプロポーズだね」
「昨夜、神戸の夜景でも見ながら言ったほうがよかった?」
「ロマンティックなのは気恥ずかしいから、このほうがいい」

 OK? と問いかける創平に微笑んでおいて、涼夏は窓辺に寄っていったのだった。

「私もけっこう移り気なほうだと思うんだ。もてるしね」
「ああ、僕ももてるよ」
「浮気は自由ってことにしない?」
「ええ? そんなこと、きみが言ってくれるとは思わなかったな」

 本当はまだ結婚までは考えていなかったから、こう言うと創平が引くかと思って言ってみたのだ。予期せぬ反応に涼夏はむしろ戸惑った。

「女友達と話したことならあるのよ。彼女は、彼氏が浮気したって落ち込んでた。だけど、彼は彼女とやり直したいって。そんな彼と結婚したらまた浮気されるかもしれない。そんなんでいいの? って、他の女友達は言ってた。浮気な男は許せない、浮気な女はもっと許せない、みたいな会話をしていたの」

 なんで? と涼夏は思い、しかし、ここでそんな発言をすると変人扱いされるかと、相槌を打っておいた。

「不倫はぜーったいに許せない、とかね、あんな話をしてる女たちって正義の味方面して、私は一途で可愛い女なのよ、なんて自分に酔ってて、気持ち悪いなぁって思ったの」
「たしかに気持ち悪い」
「愛していたら浮気は許さないって言うんだけど、愛してたら浮気くらい平気なんじゃない?」
「僕は後者だな」
「私も後者よ。ってことは、創平くんは妻の浮気も許せるんだね」
「いいよ」

 ただし、ばれないようにね、とは言う必要もないだろう。
 変人的思想の持主だと自覚していたのもあったから、別に結婚なんかしなくても、と涼夏は考えていた。しかし、こうして似た思想を持つ男と出会ってプロポーズされたのだ。創平とは価値観が合うとわかったら、愛情が湧いてきた気がした。

「うん、結婚しよう」
「結婚しよう」

 あれから約半年たって、結婚してふたりで暮らしはじめた。いつかは子どもがほしくなるかもしれないが、今のところは作るつもりもない。互いの両親は孫がほしいのかもしれないが、息子や娘のプライバシーに干渉する気はないようだ。

「創平くん、ただいまぁ」
 職場の飲み会で午前さまで帰宅した金曜日、涼夏が玄関の鍵を開けて中に入り、奥に声をかけると創平が出てきた。

「お帰り、コーヒー、淹れようか」
「うん、お願い」
「今夜は楽しかった?」
「楽しかったよ。いい男もいたしさ」

 今春に入社したばかりの新入社員たちは、ゆとり世代というやつだ。先輩や上司との飲み会などまっぴら、というタイプも多いが、涼夏の部に入ってきた木内は人なつっこく愛想のいい男の子で、先輩たちの飲み会にも喜んで参加していた。

「いい男っていうよりも、ペットみたいに可愛い子って感じかな。涼夏先輩は結婚してるんですよね、残念だなぁ、って本気みたいな顔をして言うの」
「涼夏はなんて答えたの?」
「結婚してたって浮気くらいは大丈夫よ、って言った」
「そんで、ホテルに行った?」
「そこまではまだだけど、行っていいの?」
「いいよ、もちろん」

 むろんプロポーズのときの会話は覚えている。それでもまだ新婚なのだから、こんな話をすると創平がちょっとは妬くのかと思っていた。が、創平はけろりと言った。

「きみと結婚して一年以上になるだろ。きみが浮気をしたそぶりはない。もしもそういうことがあったら言ってくれると思ってたからね」
「言うと思ってた?」
「現に今、言ってるじゃないか」
「……そうだね」

「一年間も僕ひとりにしか抱かれてなかったら、ひからびてくるよ。僕はもてるきみが好きで結婚してほしかったんだから、枯れた女にならないでほしいな。どんどん浮気したまえ。応援するよ」
「あ、そ、そうなのね」

 ふむ、これは本物だ。涼夏としては妙に感心してしまった。
 ふたりともに仕事が多忙な身なので、毎日顔を合わせるわけでもない。週に二、三度はふたりですごせるときがあると、濃密な触れ合いの中で創平が尋ねた。

「あいつ、なんて言ったっけ?」
「木内くん?」
「進展はどう? キスくらいはした?」
「この間、仕事帰りに飲みにいって、帰りにキスはしたよ。だけど、同じ部の子だから、迂闊に食べちゃうわけにもいかないんだよね」
「うちに連れてくるわけにもいかないか」
「……連れてきていいの?」
「それもまずいかな」

 対外的、社内的にまずいのではなかったら、ふたりの住まいに木内を連れてきていいのか。創平の浮気承認主義は本当の本物であるらしい。

「そいつ、草食?」
「でもないんじゃない? 結婚してる女に積極的に近づいてくるんだから」
「きみは僕らの主義を話したの?」
「話すとスリルが減るから、木内くんには言ってない」
「そのほうが楽しいかもな」

 恋はゲーム、不倫だからこそなおさら遊び感覚で。互いの伴侶は互いなのだから、創平は涼夏を信頼しているのだから、こうして面白がっているのだろう。

「ちょっとちょっと、涼夏さん、知ってる?」

 取引先の社員同士、創平と涼夏はそういう意味で仕事でも関わりがあって、共通の知人も大勢いる。そのうちのひとり、創平と同じ会社の佐和子が涼夏の職場にやってきて、こそっと耳打ちした。

「ちょうどお昼どきだし、ランチしない?」
「いいよ。じゃあね、「千島」に先に行って席をキープしておいて」

 会社の入っているビル近くの、気楽な和食の店だ。佐和子はうなずいて出ていき、涼夏は昼休みになってから、その店に赴いた。

「こんなこと、奥さんの耳に入れたくはなかったんだけどね、義憤に駆られちゃったっていうのか。涼夏さんは知らないんだよね」
「創平のこと?」

 和風ランチ「あじさい」というセットを注文し、佐和子が言った。

「うちの会社に出入りしてる、カラーコーディネーター、四十代の女なんだけど、その女がどうも創平さんに色目を使ってるんだよね。太めのアラフォーってか、アラフィフに近いような年の女なのに、自分は若く見えるって勘違いしてるみたい」
「若くは見えないの?」
「若く見えたって三十代後半ってところでしょ」

「ふむふむ。それで?」
「この間、経理の女の子が見たんだって。その女と創平さんが仲良く歩いてたって」
「歩いてただけ?」
「仲良く、だよ」

 「仲良く」のひとことを強調して、佐和子は憤慨の表情になる。怒ってみせてはいるが、面白がっているような目のきらめきも感じ取れた。

「退勤時間はすぎてたから、女の子はあとを尾けていったらしいの。そしたら、ふたりでバーに入っていったんだって。ふたりきりでお酒を飲むって、浮気のはじまりじゃない?」
「まあまあ、ご苦労さまだね」
「え?」
「なんの関係もないカップルを尾けていった、その経理の女の子にご苦労さまって言ってるの」

 ぽけっとした顔になって、箸を止めた佐和子を涼夏は見返した。

「創平はなんにも言ってなかったよ。まだその程度だから言わなかったのかな。私としては言わないでほしい気もしてたんだけど……ううん、いいわ。あなたには理解してもらえないだろうし」
「なに、それ? 知らなかったらいいの? だまされててもいいの?」
「だましてるわけでもなくて……」

 言うほどのことでもないから、創平はその彼女の話題を口にしないのだと思われる。涼夏が遊んでやっている木内くんの話をして、楽しく盛り上がる創平なのだから、自分も恋をしたのなら話すだろう。こんな話を他人から聞かされたのだけが不愉快だった。

「ご忠告、ありがとう」
 ご注進、と言うと皮肉っぽいだろうと、涼夏は言葉を選んで佐和子に礼を言った。
 
「どうしてそんな平気な顔をしてるの?」
「平気な顔、してる? そうねぇ、創平が浮気したら、ちょっとは気持ちがざわめくのかと思ってた。だから、早くそうなったときの自分を知りたいとも思ってたの。勝手なもんだよね」
「勝手?」
「案外、平気よ」
「涼夏さん……はもう、早くも創平さんを愛してないの?」
「愛してるみたい。あのね、こういうのは夫婦ふたりきりの問題だから」
「ほっとけって?」
「早い話がそういうこと」

 どうやら佐和子は気分を害したらしいが、それで離れていってもかまわない。創平が浮気をしていると佐和子が言いふらしたとしても、デザイン関係の職場は自由業者の集まりに近いのだから、特に支障もないだろう。

 理解できない、と呟く佐和子に、それはそれでいいからね、と微笑んでみせて、彼女よりも先に職場に戻った。
 その日から十日ばかり、掛け違って創平とは会えない日が続いた。ひとつのプロジェクトが追い込みの時期で、帰れない、とメールが届いていた。

「……涼夏、久しぶり」
 日曜日の朝、涼夏は創平の声で目を覚ました。

「ああ、おはよう、やっと帰れたの?」
「昨夜、帰ってきてベッドに入ったのに、きみは目も覚まさなかったね。疲れてたんだろ。きみも忙しかった?」
「まあね」
「木内くんとは進展あり? 十日前よりもセクシーになったみたいだね」
 
 言いながら、創平が涼夏のパジャマのボタンをはずす。創平は上半身裸で寝ていたようで、涼夏は彼の乳首にキスをした。
 ひとときがすぎると、けだるい余韻の中で創平が言った。

「僕も久々で恋をしてるんだ。浮気でも本気でも恋は恋。なかなかいい女なんだけど、年上だからな、プレゼントはなにがいいだろ?」
「紫陽花のアクセサリとか、いいんじゃない?」
「あとで買い物につきあってくれる? 女性へのプレゼントはきみの目線で選んだほうがいいよね」
「ランチを外で食べがてら、買い物にいこうか」

 彼自身の口から聞けば、すこしは心が波立つのかと想像していた。
 が、むしろ楽しい心持ちになってくる。創平も涼夏も別の異性に恋をして、そのことによってふたりの想いも強まり、ふたりともに美しさも磨かれる。そんなんで幸せ? と誰かに尋ねられたとしたら、心から言える。

「価値観の合う相手って、一緒にいて本当に心地よいのよ。いいひとと結婚したなぁ、彼も私も」


END

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