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ガラスの靴72「物欲」

「ガラスの靴」

     72・物欲

 体験入学というのはほうぼうにあるようで、胡弓を連れて前を通りがかった幼稚園の門前にも「体験入園」の看板が立っていた。
 やってみる? うん、と父と息子のやりとりがあって、胡弓のママであるアンヌも賛成してくれたので、僕は胡弓の手を引いて幼稚園に連れていった。

 三歳から五歳くらいの幼児が集まって、先生の指導のもと、みんなで遊ぶ。まずはそこからということで、泣いたり怯えたりはしない子どもの親は、そばについていなくてもいいと言われた。

 園庭に出ていくと、ママさんたちがあっちにふたり、こっちに三人と群れて話している。両親そろって来ている人や、若い祖母なのか年を取った母なのかわからない年齢の女性もいたが、パパひとりで連れてきている人はいない。ママさんたちの輪に入っていきづらくて、僕は木陰に立っていた。

「笙くんじゃない?」
「うん? あれ?」
「そうだよね。大沢笙くんだ。私のこと、覚えてない?」
 
 どこかで会ったような記憶はあるのだが、明確には思い出せない。アンヌと同じくらいの年ごろに見える、ごく平凡な主婦といった感じの女性だった。

「小学校のときに一緒だった、林子だよ。結婚して苗字が変わったんだけど、リンコ、覚えてないかな」
「んんん……そういやぁいたかな。小学校のときなんて十年以上前だもん。よく覚えてないよ」
「笙くんって転校したんだよね。美少年だったのもあって気になってたから、それでかえって私は覚えてるんだよね」

 とすると同い年? ええ? まさか、と思ったら、同い年ではなかった。林子さんの弟が僕の同級生だったのだそうだ。

「ああ、正志だったら覚えてるよ」
「でしょ? 笙くんはうちにも遊びにきてたもんね。笙くんも結婚したの?」
「そうなんだ。僕も結婚して苗字が変わったんだよ」

 子どものころの僕は隣県に住んでいて、東京に引っ越してきたのは十歳くらいのころだった。林子さんも結婚して東京で暮らすようになったというのだから、広い東京で幼友達の姉さんにめぐり会うとは、奇遇だといえた。林子さんは主婦、僕は主夫。林子さんの娘と僕の息子は同い年だ。

「林子の娘だからこう書くの」
「瞳森? ヒトミモリ?」
「読めないの? 教養ないんだね。ま、考えてみて。笙くんの子どもは?」
「こう書くんだよ」
「胡弓……コキュウだよね。そのくらい読めるよ」

 そりゃあ、胡弓と書いてコキュウと読むのは尋常だからだ。コユミ? なんて読まれることもあるが、素直に読めばコキュウだろう。
 しかし、瞳って字の訓読みなんか知らない。いや、訓読みがヒトミ? そしたらなんだっけ。別の読み方はなんだっけ? 「瞳」を別の読み方なんかするのか?

「専門学校を卒業して、できちゃった結婚して主夫か。そういう人間だったら教養なくてもしようがないかな。降参? 教えてあげようか」
「林子さんは大学卒?」
「当たり前よ。私たちの世代で大学も出てないなんて、親の常識疑っちゃう。本人も向上心がなくて、努力もしなかった奴って印象だよね。正志は医大に行ってるんだよ」
「秀才だね」

 勝ち誇ったような顔をしている林子さんのように、人間の値打は第一に学歴だと考えるひとはよくいる。言いたい奴には言わせておくことにして、「瞳」の音読みを思い出そうとしていた。そう、音読みでは「とう」「どう」だ。瞳子と書いて「とうこ」と読む女性がいた。

「どうしん? とうもり?」
「ほんと、常識ないよね。そんな名前を女の子につける? 次に会うまでの宿題にしておくから、奥さんにも聞いてごらん。笙くん、ケータイのアドレスと電話番号交換しよう」
「あ、ああ、いいよ」

 こうやっていばられて、なんでおまえなんかと、とアンヌだったら怒りそうだが、僕は温厚を旨としているので、林子さんの言う通りにした。

「……メモリじゃないか?」
「メモリ?」
「瞳は目だろ」
「あ、そうかも。さすがアンヌ」
「しかし、メモリってのもおかしな名前だよな」

 体験入園の話をし、林子さんの話題も出し、「瞳森」の字も見せるとアンヌが答えてくれた。林子さんから電話がかかってきたときに宿題の答えを言うと、彼女はなぜか不機嫌になった。

「そんなに簡単に読まれるとつまんないな。世界中にひとつしかない名前をつけたのに」
「こんなの読めて当たり前だって言ったじゃん」
「そうなんだけど……ま、いいわ。笙くんちに遊びにいっていい? メリちゃんは体験入園で胡弓と一緒に遊んでたらしいのね。胡弓パパと友達だって言ったら、遊びにいきたいって。行くからね」
「うん、いいけどね」

 我が子はメリちゃんで、よその子は呼び捨てか。胡弓のほうは誰かと遊んだ? と尋ねても、メリちゃんだのメモリちゃんだのの名前は出さなかったが、そう言うと馬鹿にされそうで、遊びにきたいと言う林子さんにOKの返事をした。

 やっぱり笙くんの子だね、記憶力よくないね、受験のときに苦労しそう、だとか言われたくないので、林子さんとメリちゃんが遊びにきたときにも、その話題は出さずにいた。

 おばあちゃんに預けられているときも多く、おばあちゃんの友達にも可愛がってもらっている胡弓は人見知りはあまりしない。特に我が家でだと王子さまなのだから、メリちゃんにおもちゃをいっぱい貸してあげて、仲良く遊んでいた。

「メリちゃんにはおもちゃはあんまり与えてないのよ。胡弓はたくさん買ってもらいすぎだね。そんなだと我慢できない子になりそう。ほどほどにしたほうがよくない?」
「うちはお客さんも多いから、おもちゃはたくさんもらうんだよ。メリちゃんはおもちゃ、ほしがらない?」
「メリちゃんって物欲のない子なんだよね。食事はきっちり食べるけど、お菓子は嫌いなの。身体によくないものって食べさせたくないし、頭が悪くなりそうなおもちゃは与えたくない。親がそう思ってても、子どもはなんにもわからずに駄々をこねたりするじゃない」

 あれ、ほしいな、と言うとわりにすぐに買ってもらえ、堅いことは言わない僕ら夫婦だから、おやつだって好きなものを食べさせている。ほしくなくてもお客さんがおもちゃをくれたりもする。そのせいで胡弓は、あれほしい、買って買って、なんて駄々っ子になったことはないのだった。

「だけど、躾がいいせいもあるし、メリちゃんは聞き分けがよくて頭がよくて、あれほしいこれほしいなんて言わない子だってせいもあって、親の気持ちをよくわかってるのよ。こんな物欲のない子って、かえって心配なんだよね」
「ふーん」

 自慢しているのだろうから、そんなことないよ、という反応はしないでおいた。
 子どもたちは胡弓のおもちゃで仲良く遊ぶ。胡弓はなんでも気前よく貸してあげるし、メリちゃんも無茶は言わないので、お行儀よくおとなしく遊んでいる。僕は林子さんの愛娘自慢や、林子さんがバリキャリだった会社で知り合って結婚した旦那の自慢話やらを、辛抱強く聞いていた。

「あ、電話だ。ちょっと待ってね。もしもし……」

 スマホで通話をはじめた林子さんのそばから離れ、子どもたちにおやつを出してあげることにした。お菓子はやめておいたほうがいいのだろうから、果物にしよう。僕がいろんなフルーツを盛ったお皿を持って胡弓の部屋に戻ると、林子さんが言った。

「主人が届けてほしいものがあるって言うのよ。二時間くらいですむから、メリちゃんを預かってもらえないかな」
「うん、まあ、いいけどね」
「胡弓、メリちゃんと遊んで、メリちゃんを見習っていい子になるんだよ」
「メリちゃんには言わないの?」
「メリちゃんは言わなくてもわかってるから大丈夫。メリちゃん、パパんとこに行ってくるね」
「はい、行ってらっしゃい」
「胡弓も言いなさいよ」

 林子さんに命じられた胡弓が、バイバイと手を振る。メリちゃんはたしかに、三歳にすれば大人びた女の子だ。三人して林子さんを見送ると、メリちゃんが言った。

「……お菓子、ないの?」
「お菓子は食べたらいけないんじゃないの?」
「いいんだよ。ママ、いいって言ったよ」
「そうかなぁ」

 口も達者なメリちゃんだが、思ったことを的確に言葉にするのはむずかしいだろう。プリンくらいだったらいいかな? いやいや、今どきはアレルギーの子もいるんだから、独断でものを食べさせてはいけない。

「僕はママからいいって言われてないから、ママが帰ってきたら訊こうね」
「ママは駄目って言うもん。お菓子、食べたいな」
「ああ、そうなんだ。でもさ、おなかが痛くなったりしたら困るでしょ」

 あらら? 泣いてる? べそかき顔でメリちゃんが訴えた。

「ママに言ったらいやだよ」
「メリちゃんがお菓子がほしいって言ったって? 言わないよ」
「うん」

 この幼さでメリちゃんは、ママの前ではいい子にしようと必死になっているんじゃないだろうか。なんだか痛々しく思えてきた。

「これ、メリちゃんの」
「……胡弓のだよ」
「ちがうもん。これは女の子のおもちゃだから、メリちゃんのだよ」
「……んんと……うん、あげる」

 ま、いいや、とばかりに鷹揚に、胡弓はメリちゃんにおもちゃを取られるままになっている。胡弓がそんな調子だから、これもメリちゃんの、あれもメリちゃんの、と彼女はおもちゃをひとり占めする。あげくはポケットに入れているので、僕は言った。

「そんなの持って帰ったら、ママにばれちゃうよ」
「……おじちゃん、意地悪」
「胡弓、あげる?」
「うん、いいよぉ」

 父親としてはむしろ、胡弓のこの鷹揚さのほうが心配だ。メリちゃんはポケットから出した小さなマスコットを握り締めて、胡弓を睨み据える。それからそのマスコットを、力いっぱい胡弓に投げつけた。

「ほしいよ」
「……あげてもいいんだけど、ママになんて言うの?」
「ううん、いらないもん。いらないもんっ!!」

 悔しくてたまらないように叫んで、またまたメリちゃんは泣き出した。ほんとはほしいんだよね。どこが物欲がないんだか……けど、小さな子はこれが普通だろ。泣いているメリちゃんをきょとんと見てから、胡弓は彼女の背中をよしよしと撫でてやっていた。
 
 どうも林子さんの躾は歪んでるな、とは思うのだが、僕には意見なんかできっこない。胡弓までが変な影響を受けて歪まないように、あの幼稚園に入園させるのはやめておいたほうがいいか。林子さんとは距離を置いて、自衛するべきだろう。

つづく


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