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210「しずやしず」

しりとり小説

210「しずやしず」

 新婚家庭に遊びにきたがる、夫の同僚たち。小田巻久人と優歩は結婚式はしていないので、同僚たちにお披露目もしていない。優歩は在宅仕事なので同僚というものはなく、友人たちには夫を紹介している。なのだから、夫の同僚たちを一度くらい招くのはしようがないかと受け入れた。

 やってきたのは合計十名。夫の久人はメーカーの研究室勤務で、そういった職場についてはよくわかっていない優歩は、こんなにたくさん同僚がいるんだといささか驚いた。

「奥さん、お手伝いします」
「いいんですよ。お客さんにそんなことはしてもらわなくていいから、みなさんはすわってて下さい」
「志津ちゃん、ほんとにいいよ。僕がやるから」

 女性は三名いて、あとのふたりは中年、既婚だそうだが、ひとりだけが若い。既婚女性たちはむしろ、見知らぬ人に等しいような人間に台所に入ってほしくない、との優歩の気持ちを察したようだが、もっとも若い志津は手伝いたがった。

「いいんですよ。洗い物なんかあとでしますから」
「でも……あのね、奥さん、聞いてほしいことがあって……」
「はい?」

 ほぼ見知らぬ相手なのに、相談ごと? 訝しみつつも、優歩は志津の横に立ってふたりで皿洗いをすることにした。

「奥さんはデザイナーなんですってね。私はデザイナーっていえば洋服かと思ってたけど、ちがうんですか」
「意匠デザインっていうのかな」
「衣装?」
「あ、そっちの衣装じゃなくて、商品パッケージだとか、簡単に言ったらそういうものよ」
 
 二十一歳だと聞いている志津は優歩よりもひと回り年下なので、このくらいの口のききようでいいかと判断した。

「いいなぁ。才能あるんですね」
「……で、相談ってなんですか?」
「相談というか、聞いてほしくて」

 高校を卒業してアルバイトとして、志津は久人の職場に入った。アルバイトだから入社とは言わないのかもしれないが、若い志津にはみんなが親切にしてくれて居心地がよく、志津も楽しく働いていた。

「それがね、だんだん苦しくなってきたんです」
「苦しく?」
「好きなひとができて……」

 恋愛相談か。そんなのをなんで私に? 見返した優歩の目をじっと見つめて、志津は続けた。

「私は高卒の資格もなんにもないアルバイト。コピーやお使いをするだけの、高校生バイトと変わらない仕事です。母がずっと小田巻さんの会社で働いていて、定年退職したんで、そのコネで入れてもらったんですね」
「ああ、そうなんですね」
「私は勉強が最悪にできなかったから、大学なんか行きたくもなかったから、母も諦めたんです。無職ってわけにはいかないから、アルバイトでもいいから働きなさいって、母が決めてきたんです」

 そうなのね、としか優歩にも相槌の打ちようはなかった。

「年だってまだやっと二十歳をすぎたところで、私の好きなひととは十もちがうの。三十一歳の男性から見れば二十一なんて小娘でしょう?」
「そうでもないんじゃないかな。男性は若い女性が好きでしょ?」
「その男性は若い女性よりも、ちょっと年上の女性が好きなんです」
「は、はあ、そうなのね」

 ざあざあと水道を流しっばなしにしてはいるものの、志津は食器を洗っているというよりもただ喋っていた。

「だけど、苦しくて苦しくて、告白しましたよ。好きになってもらえるはずもないけど、好きだって言いたかった。「しずやしず、しずのおだまき繰り返し、むかしを今になすよしもがな」って、静御前の詠んだ歌があるんですってね。静御前は卑しい白拍子。義経の妻になれるような身分ではなかった。なんだか似てるなぁって。私は高卒のただのアルバイト。好きなひとは大学院まで出たエリート研究員です。現代の身分ちがいですよね」

 そうね、とも言えなくて、優歩は返事のしようもなくなる。なにかがひっかかる気がするのだが、なんだろう?

「それでも告白しましたよ。志津、えらい、勇気があったねって、自分で自分を褒めてやりました。静御前って私と似た名前で、好きなんですよね。静御前もこの歌を、うんとうんと身分が上の人の前で口ずさんだんですよ。でも、もちろん告白にうなずいてもらえるわけもなくて、ありがとう、嬉しいけど、僕は結婚するんだよって言われました」
「……そうなの」

 息が詰まったようになっていた優歩は、ようやくそれだけを言った。

「ご結婚、おめでとうございます。どんな方が奥さんなんですか? 結婚式に招待してもらえたら嬉しいな、って頼んでみたら、僕らは結婚式なんてものに価値を見出せないからやらないんだって。なんかかっこいい。奥さんもウェディングドレスに憧れたりもしないんですね。私は着てみたいな。あのひとと結婚するなんて夢を見て、真っ白なドレスにも憧れてました」

 水音にまぎれて、皆が集まっている部屋までは会話は届かないだろう。久人も優歩も収入はいいほうなので、賃貸とはいえマンションは広い。キッチンと客間までは距離もあった。

「だったらね、いつか新居に遊びに行っていいですか、っておねだりしたんです。それまで断ったらかわいそうだと思ってくれたのかな。みんなで遊びにいくってときに混ぜてもらったんです。想像通りの奥さんだったな。背が高くて綺麗で大人で。かっこいいひと。こんな大人でかっこいい女性なんだから、結婚なんかしなくてもひとりで生きていけるくせに。神さまって不公平だな。なんでも持ってる女性と、私みたいになんにもない女と……ひとつくらい、私に譲ってくれてもいいと思いません?」

 でも、あなたは若いから……鈍い頭痛を感じながらも、優歩は呟いた。

「若い女には興味なくて、彼は年上のかっこいい女性の好きな男性なんですよ。だから小田巻さんは奥さんと結婚したんですもの」
「……え?」
 
 理学部と芸術学部だったが、久人は優歩とは同じ大学のふたつ後輩だ。学園祭で展示されていた優歩のイラストを見て、久人が近づいてきた。ともに大学院に進んでからも、社会人になってからも十年以上もつきあって、結婚はしなくてもいいつもりでいたのだが、久人が言い出した。

 やっぱり結婚しようよ、お互いにただひとりのひと、として一生、つきあっていこうよ、と。

 いいけどね……私には結婚願望なんかないけど、久人がそんなに言うならしてあげるよ。
 そう返事をしたときの、久人の嬉しそうな顔。結婚式なんかしなくていいよね、と優歩が言い、親たちが式は挙げてほしいと懇願したのも、久人が退けた。僕は優歩ちゃんのしたいようにしたいんだ、と。

 子どもはいらない、優歩ちゃんがほしがっていない。
 気が変わるかもしれない? 優歩ちゃんが変わらない限り、僕も変わらないよ。
 
 久人はそう言うので、姑には疎まれているふしもある。そんなものは優歩にはなにほどでもない。私が幸せならば久人も幸せ。ふたりはそんな夫婦なのだから。

 頭の中に小さな虫が入り込んだような気分だ。
 奥さーん、ビール、もっとあったっけ? 久人の声が聞こえてきたのを潮時にしたかのように、志津は洗いかけの食器をそのままにキッチンから出ていった。

「今日はお疲れさま。片づけは僕がするから、優歩ちゃんは先に休んでくれていいよ」
「片づけは一緒にしましょ」
「そう? そのほうが僕は助かるけどね」

 それきり志津は優歩には近づいてこず、年上の仲間たちに溶け込んで楽しそうにふるまっていた。優歩は頭の中を整理しようとつとめつつ、皆が帰るのを待っていた。

「告白されたんだってね」
「へ?」
「で、久人は断った。それはいいんだけど、そんな相手の女の子をうちに招く?」
「なんのこと?」
「とぼけんなよ」

 ぐっと久人を睨んで、優歩はまくしたてた。

「久人はもてるほうなんだから、独身のときに会社の若い女の子に告白されるってことはあったかもしれない。ひとりやふたりじゃなかったのかもしれない。私とずっとつきあってたんだから、二股なんかししないと信じてるけど、女に恋されるのは止められないもんね。ちゃんと断ったんだったら私もしようがないと思うよ。だけど、そういう女をうちに連れてくるってどういう了見? 申し開きがあるんだったら聞こうじゃないの」
「優歩ちゃん……意味わかんないよ。なんのこと? 誰のこと?」
「とぼけんな。ひとりしかいないだろっ!!」

 激するつもりはなかったのだが、言っているうちに腹が立ってきた。本気で怒ると優歩ちゃんって言葉遣いが悪くなるよね、そんなところも魅力的だ、と久人が言っていたのを無意識で意識していたのかもしれない。

「……ひとり? 若い女の子? 志津ちゃん?」
「そうだよっ」
「志津ちゃんがどうかしたの?」
 
 とぼけんなっ!! と叫ぼうとして思いとどまった。理系男子の常として、久人は鈍感である。鈍感とはいっても直接告白されたのならば、知らないわけはない。するとつまり?

「告白されてないと?」
「就職したばっかりのころには誰かに告白されたな。だけど、僕には優歩ちゃんがいるからって断ったよ。そのあとも二、三度あったんだけど、あれってからかわれたんじゃないかと思わなくもない。どっちにしたってみんな断ったよ。志津ちゃんになんか告白されてないよ」

 心の中で小さく、優歩は叫んだ。しまった!! 言わないほうがよかったのに。
 あの日から一年ほど後に、久人が言った。
 
「優歩ちゃんは結婚なんかしたくなかったんだよね」
「願望はなかったよ」
「だったら、独身に戻ればいいよ。僕は優歩ちゃんに悪いことをしたみたいだ。結婚なんかしたくないあなたを僕の妻にしてまった。優歩ちゃんはそういう女性だよね。だけど、世の中には結婚したくてたまらない女性もいるんだ」
「誰のことを言ってるの?」
「こんなにも一途に愛されるってはじめてだよ。僕は優歩ちゃんを愛するほうがいいと……いや、そんなに深く考えてもいなくて、優歩ちゃんには悪いことをした。ごめんね、解放してあげるから」

 世にもありふれた台詞だ。
 あなたはひとりで生きていける女だけど、彼女には僕がついていてあげないといけないんだ。

 通常、妻だのモトカノだのにその台詞を言ってのける男は、罪悪感を持って口にするはず。だが、久人は本当に、優歩のために、と思っている。優歩のためにも志津のためにも、僕はベストの選択をするんだと信じている。そして、久人は優歩に告げた。僕らは別れようね、と。

「久人は本当に、志津ちゃんがあなたに恋してるって知らなかったの?」
「知らなかったよ。優歩ちゃんが教えてくれてよかった。志津ちゃんは僕の子どもがほしいって言う。そんなふうに言われるのもいいものだね」
「……そう」

 しまった、との心の叫びは正解だったのだろう。言わなければよかった。聞かなかったことにして口をぬぐっていれば、志津だってそれ以上は久人に言い寄らなかったであろうに。

 志津の捨て身の作戦にうまうまとひっかかった私が馬鹿。
 だけど、こんな浮世離れした男とは一生をともにするなんてできっこないだろうだから、これでよかったのかもしれない。優歩は思う。何年か後に後悔するのはどっちかしらね、志津ちゃん?

次は「ず」です。


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