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2020/5 復刻・花物語「スィートピー」

花物語

「五月・スゥイートピー」


 広い庭園に花がいっぱい咲いている。色鮮やかな花々に目を奪われて眩暈がしそうで、その上に広すぎて迷子になりそうで、歩きすぎて疲れてしまって、石段の途中にぺたんとすわり込んだ。

「アリスちゃん、どこから来たの?」
「アリス? あたしはアリスじゃなくて五月っていうんだよ」
「サツキちゃん? お誕生日はもうすぎた? もうすぐかな?」
「うん、明日。どうしてわかるの?」

 そりぁね、ゴガツだもの、と、知らない女性は明日には七歳になる五月にはわかりにくい言葉を発して笑っていた。

「パパかママと来たの?」
「そう、ママと。でも、ママはお友達とお話をしてて、サツキはお姉ちゃんに遊んでもらいなさいって言われたんだけど、お姉ちゃん、意地悪なんだよ。あんたなんかと話しててもつまんないって言って、サツキは置いてけぼりにされたの」

 母の友達の家に連れられてきて、その女性の娘だという、小学校の六年生ぐらいの女の子とふたりきりにされた。その女の子に置いて行かれたのは、目の前で笑っている女性に話した通りである。
 そうしてひとりぼっちにされたサツキは、庭を歩き回るしかなく、けっこう強い陽射しにも疲れてしまったのだった。

「でも、花は綺麗だった。広いお庭だね。おば……お姉さん……は誰?」
「おばさんでもいいのよ」

 疲れちゃった、と言うのはプライドが許さず、七歳なりに気を遣って、年齢もわからない女性をなんと呼べばいいのか迷って、お姉さんと言ってみた。母よりは年下かと思える女性は寛容に笑ってくれたから、おばさんと呼ぶことにした。

「おばさんは誰?」
「この屋敷のひと部屋で暮らしてるんだけど、サツキちゃんにはむずかしいかもしれないからいいのよ。そっかぁ、明日、お誕生日なんだね」
「うんっ」

 ほっそりと背の高い女性は、淡いピンクのワンピースを着ている。やわらかな笑顔を見せて、風の中にたたずんでいる。サツキは尋ねた。

「あたしのこと、どうしてアリスって呼んだの?」
「不思議の国のアリスみたいに見えたから。ごめんなさいね、ちゃんとしたお名前があるのに」
「ううん。いいの。不思議の国のアリス、知ってるよ。ああ、なんだか……」
「なあに?」

 なんだか、思い浮かぶような気がするのだが、そのイメージをつかまえ切れない。サツキが頭の中にあるなにかを追いかけていると、窓が開いた。

「小さなお嬢さん、こんにちは。きみたちは友達同士なのかな」

 開いた窓から顔を出して、女性とサツキを交互に見ながら話しかけているのは、白いシャツを着たほっそりした男性だった。ふたりはどことなく似ていて、兄さんと妹なのだろうかとサツキは思った。

「そうなのよ。たった今、友達になったの。サツキちゃん、そうだよね?」
「うん、サツキはあのお姉さんよりも、おばさんのほうが好き」
「ねぇ、サツキちゃんは明日がお誕生日なんだって。なにかプレゼントしたいな」
「プレゼント?」

 小首をかしげている男性と。いたずらっぽく目をくるくるさせている女性を見比べて、サツキは焦りそうになった。知らないひとにプレゼントなんかもらったら、ママに叱られる、と言う前に、男性が女性に窓からなにかを手渡した。

「ああ、これね。私がヴァイオリンを弾き、あなたはピアノを弾く」
「そうだよ。あなたの得意なあの曲、この季節にもこの風景にもしっくりはまるあの曲を演奏しようか」
「いいわ。サツキちゃん、聴いてちょうだい」

 曲のプレゼント? そんならママは叱らないだろうけど、あたしはあんまり嬉しくもないな。サツキとしては正直な感想だったのだが、ご好意を無にしてはいけないので、女性のヴァイオリンと男性のピアノの合奏を神妙に聴いていた。

 軽やかで繊細なピアノの旋律に、重厚さもあるヴァイオリンの音色がからまって共鳴する。サツキには言葉では言い表せないが、聴いているうちに次第に夢の世界へいざなわれていくような心持ちになっていった。

 ここは不思議の国……あたしはアリス。綺麗な男性と女性が作り出す綺麗な音楽に浸って、うっとり眠くなってきそう。
 小学校に入学してはじめて、「音楽鑑賞」という時間があった。音楽の授業として、先生がクラシックのCDをかけてみんなで静かに聴く。小声で私語をかわしたり、いたずら描きをしたり、たいていの子どもたちには退屈きわまりないひとときだった。

 それほどつまらなくもないけど、眠いな、とサツキは思っていたのだが、たった今のこの心持ちは、音楽鑑賞の授業のときの眠けとはちがっている。気持ちがよすぎてとろーんとなってくるのは、初夏の風とこの花々のおかげだろうか。演奏者の見えないCDとはちがって、ライヴだからだろうか。

 窓の中に見える男性の横顔も、サツキの目の前でヴァイオリンを弾く女性の姿も、サツキのヴォキャブラリーでは表現できないほどに優美で気品があって、このふたりが作り出す音だからこその心地よさもあるのかと、サツキもぼんやりとは感じていた。

 短い時間の曲が終わると、男性が手を止めてサツキを見る。女性もにっこりとお辞儀をし、サツキは言った。

「今の曲ってお花の歌?」
「サツキちゃん、この曲、知ってたの?」
「知らないけど、お花の歌みたいな気がしたの」

「そうだよ。この曲はドイツの作曲家、グスタフ・ランゲが二百年以上も前に作曲した「花の歌」だ。サツキちゃんはこの曲を聴いて、花を連想していたんだね」
「うん、なんだか……あの……おばさんみたいで……」
「ありがとう、嬉しいわ」

「サツキちゃんにパースディプレゼントだなんて言っておいて、僕らが嬉しい言葉をもらったね。ありがとう、サツキちゃん」
「いいえ、どう致しまして」

 気取って言ってみたら、ふたりともに声を立てて笑った。

「疲れたんじゃない?」
「ええ、すこし」
「部屋に入っておいで」
「……ええ」

 これ以上ここにいたらいけないのかな? ふたりが言い合っているのを聞いてそんな気分になって、サツキは言った。

「じゃあね、プレゼント、ありがとう」
 歩き出しながら振り向いて手を振ると、窓のほうへと歩み寄っていっていた女性も手を振り返してくれ、ふたりともにもう一度、ありがとう、と微笑んだ。

 本当に迷子になりそうな庭をさらに歩き、ようやく母が友人とお喋りをしていた部屋に戻った。お姉ちゃんに遊んでもらったの? うん、まあね、との母とのやりとりのあと、サツキも紅茶とケーキをお行儀よくごちそうになって、しばらくすると母が言った。

「では、そろそろおいとまするわ。サツキ、ご挨拶は?」
「はい、ごちそうさまでした。さようなら」
「また遊びにきてね」

 お庭にいた男女は誰? どうしてだか質問する気になれなくて、サツキは母と一緒に大きな屋敷を辞去した。屋敷から駅のほうへと歩いていく道すがら、母が振り返った。

「立派なお屋敷よねぇ。あんまり広すぎて、ママだったらお掃除が大変そうだからいやだけど」
「そうだよね」

 つられて振り返ると、淡いピンクの花が一輪、風に揺れているのが見えた。

「あ、似てる。ママ、あの花はなんていうの?」
「あれ? スゥイートピーよ。誰に似てるの? ママ?」
「ママになんか似てないよ」
「……その言い方って失礼ね」

 怒ってみせる母と手をつないで歩き出しながら、サツキは思っていた。淡いピンクのドレスを着た綺麗なおばさんを見ているとなにかを思い出した。そうか、スゥイートピーだったんだ。
 それからそれから、あのふたりって兄と妹じゃなさそうで……そしたらなんなのかなぁ? ママに訊いても、大人になったらわかるわよ、って言われるだろうから、内緒にしておこう。

 明日には両親からも友達からも誕生日のプレゼントをもらえるはずだけど、一日早くもらったプレゼントのことをママに話すのが惜しい気もする。誰にも話したくないほどに、形のないプレゼントはとてもとても素敵だった。


END


 
  

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