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2020年4月

209「秘密の打ち明け話」

しりとり小説

209「秘密の打ち明け話」

 アシスタントスタッフとは、要するになんでも屋、雑用係だ。正社員はお茶くみや掃除やコピー、文書清書などはやりたがらないので、晴陽たち派遣社員がすることになっている。総務部のアシスタントスタッフは晴陽と、もうひとり、六十代の女性だったのだが、その女性が退職し、派遣会社から別の女性がやってきた。

「よろしくお願いします」
「こちらこそ。晴陽さんっておっしゃるんですよね」
「ええ、そうですが」
「晴陽さんってお兄さん、いません? 陽光さんってお兄さん。旧姓は田島さんじゃありません?」
「そうですけど」
「わぁ、やっぱりあの晴陽さんだ。嬉しい」
「嬉しいって、なにが?」

 明るいのがいちばん、という主義だそうで、両親は息子には陽光、娘には晴陽という名前をつけた。ヨウコウ、ハルヒと読み方はそのままなのでいいといえばいいのだが、彼女はどうしてヨウコウ、ハルヒの兄妹を知っているのか。晴陽には見覚えのない女性だ。

「私は加絵っていうんですよ。覚えてません? 陽光くんは私のことはカエ、カエって呼んでたから、晴陽ちゃんは旧姓は知らないかな」
「兄と知り合いなんですか?」
「そうなんです、あとでね」

 初出勤の挨拶をした加絵は部署へと行ってしまい、あとで、と言われたのだから、昼休みに晴陽から声をかけた。

「お昼はお弁当? どこで食べたらいいんだろ」
「社員の人たちは社員食堂や空いてる会議室で食べてますけど、派遣が入るといやな顔をされるんで、今日は天気がいいから公園で食べましょうか」
「あの公園ね。オッケー」

 ぼってりした身体つきの愛嬌のある女性だ。高い声でよく喋るので、仕事中にも加絵の声は時々聞こえていた。兄の友達か……ならば年上なのかと、晴陽は丁寧に喋り、加絵はタメ口で、今日は暑いよね、そろそろ冷房が入りますかね、などと話をしながら公園まで歩いていった。

 わりあいに大きな自社ビルを持つ製造業の、晴陽たちが働いているのは事務部門。大きな会社の正社員となるとプライドが高く、派遣社員は見下される傾向にある。そんな者ばかりではないが、晴陽としても身近に同じ立場のアシスタントスタッフがいるほうがいい。前任者は年上すぎたので、同年輩の加絵は歓迎したかった。

「高校のときに、私、陽光くんに告白したんだ」
「兄とつきあっていたんですか?」
「ちょっとだけね。陽光くんは一年生で、私は三年生だった。私が先に卒業したから、それで自然消滅。陽光くんはいい大学に行ったんだろうね」
「いいって言うか、普通ですけど」
 
 とすると、三つ年上の兄のふたつ年上。加絵は晴陽よりも五つ年上の三十六歳だ。

「晴陽ちゃんも大卒?」
「ええ、まあ」
「でも、大学出て派遣のアシスタントスタッフだったら、高卒の私と一緒だね。もったいないよね。結婚してるんでしょ?」
「してます」
「だよね。田島じゃなくなってるもんね。初婚? 子どもは?」

 さりげなく無礼なことも言いつつ、質問する加絵に、晴陽は適当に応えていた。

「私も結婚してるの。一年前に出産して、保育園に入れたから働きに出たんだよ。専業主婦なんてつまんないからいいんだけど、子育てと家事と仕事ってしんどいわ。晴陽ちゃんは子どもがいなくて楽でいいよね。残業なんかあったら替わってくれるでしょ?」
「残業はあまりないから……」
「そうなの? 子どももいないのにとことん楽してるんだね」

 夫の転勤でやむなく前職をやめ、妊娠を待ちつつ働いている。家事だって夫以上にしている。正社員には簡単にはなれない時代だから、派遣社員に甘んじている。自己責任と言われれば否定できないし、子持ちの働く主婦よりは楽だろうから、反論する気にはなれなかった。

 ちくちくと失礼な台詞を吐く加絵とは親しくなりたくもなかったのだが、総務部のアシスタントスタッフはふたりきり。歳も近くて立場も同じで、その上に兄のモトカノともなると、晴陽も邪険にはできにくいのだった。

「うちの旦那、子どもにつめたいんだよね」
「そうなんですか」
「子どもができてから、加絵は僕をないがしろにする。もっと僕にかまってって感じ」
「言っちゃ悪いけど旦那さんが子どもみたい」
「でしょう? 言ってやってよ」

 その調子で、加絵は晴陽に夫の悪口を言うのがストレス解消法らしい。合間には、陽光くんと結婚していたらなぁ、と遠い目をしていた。

 兄は大学を卒業して新聞記者になり、一度結婚はしたものの、離婚して今は独り身だ。正直に言うと、え、そんなら私も離婚して陽光くんと再婚しようかな、と言い出しそうな女に思えたので、晴陽は兄が結婚したことだけを加絵に話した。案の定、新聞記者、かっこいい!! と加絵は目を輝かした。

「特派員としてタイに赴任してるんですよ」
「単身赴任?」
「いえ、家族帯同です」
「なあんだ、だったら遊びに行って誘惑するってのは駄目か」
「加絵さん、それはないでしょ」
「冗談だよ」

 タイだと物価も安くて、メイドさんが雇えるんだよね、楽でいいなぁ、と羨ましがっているのは、よほど子持ち兼業主婦の日々に疲れているのか。反論すれば、あんたは楽でいいよねっ、と言われるのが目に見えているので、晴陽はいつだって曖昧に微笑んでいた。

「息子が入院しちゃってさ、旦那はつめたいからますますてんてこまいしてるんだよ。明日は休むから、晴陽ちゃん、お願いね。みんなによろしく言っておいて」
「わかりました。お大事に」

 みんなによろしく、と伝言されたにしても、欠勤の連絡はしているのだろうと晴陽は思い込んでいた。ところが。

「そういうことはあなたからの連絡だけでは困るな。彼女がちゃんと電話してくれなくちゃ」
「え? してないんですか」
「電話はありませんよ」

 そんな日が一週間続き、派遣会社からも頼まれた。

「晴陽さんは彼女と仲いいんでしょ? このままじゃクビになりますよって、伝えてきて下さい」
「ええ? うう、でも、一度は息子さんのお見舞いにも行きたいから……」
「そうですよね。友達ですものね」

 友達のつもりはないが、浮世の義理ならある気がして、晴陽は加絵にメールをした。一歳をすぎたばかりの加絵の息子が入院している、不憫な幼児を元気づけてやりたいのもあった。

「晴陽ちゃん、ありがとう。よく来てくれたね」
「入院って、病気なんですか?」
「ちがう。事故。ってかね、旦那がちゃんと見てなかったから階段から落ちたの。頭は打ってなくてよかったよ」
「そうなんですか」

 頭をよぎったのは、虐待じゃないの? だったのだが、そうは言えない。一歳の子だと身内が泊まりこまなくてはならないきまりだそうで、これでは加絵も出社できないだろう。きちんと会社に連絡するように、それだけは晴陽としても強く頼んでおいた。

「旦那さんは?」
「お見舞いにも来ないよ」
「ひどいなぁ。自分の不注意で階段から落ちたんでしょ」
「私が悪いって旦那は言ってる。どっちでもいいんだけど、旦那がつめたいのはほんとだよね。あれ? そう言ってたら来たみたいよ」
「旦那さん?」

 怪我をしたり骨折したりしている子どもたちが入院している大部屋に、若い男が入ってきた。二十代ではないのだろうか。ひょろっと背の高い彼は晴陽を見て軽く会釈し、加絵には言った。

「一度くらい来いって言うから来たよ。じゃ」
「ちょっと待って下さい、もう帰るんですか」
「帰りますよ。あなたには関係ないでしょ」

 ほっときなよ、と加絵が止めるのにはかまわず、晴陽は加絵の夫を追いかけた。病院内で大きな声を出してはいけないので、彼について外に出た。

「なんなんですか、その態度は。あなたの息子さんでしょっ」
「ちがいますよ」
「は?」
「俺の子じゃない。だまされたんだ」
「え? ええ? すると、加絵さんって再婚?」

 そんな話は聞いていないが、再婚で連れ子だとしても、だまされたとはおかしいではないか。彼は病院の庭のベンチに腰を下ろし、晴陽も隣に腰かけた。

「再婚にしたって、わかってて結婚したんでしょ」
「再婚じゃないよ。加絵さんも俺も初婚」
「なのにあなたの子じゃないって……」
「DNA鑑定はしたよ。俺の子じゃなかった。だけど、俺は加絵さんが……加絵さんが好きなんだよ。好きだから別れられない。そんなら潔く俺の子だと思えばいいのに、それもできない」

 泣きながら、彼が話した。

「DNA鑑定なんかしなかったらよかったんだ。そしたら……疑いながらも俺の子だって信じられたのに。なんであっても加絵さんの子なんだから、俺も可愛がろうとしたよ。でも、駄目なんだ。この間も別れようとか言ってもめて、目を離した隙に坊主が階段から落ちた。俺にも罪の意識はなくもないんだけど、俺の子じゃないのはまちがいないんだから。俺は加絵さんが好きなだけで、ガキまでは好きじゃないんだよ、嫌いなんだよ。それでも見舞いにきただろ。なぁ、あのガキの親父って誰だ? あんたが晴陽さん? あんたの兄貴があのガキの親か?」

 ガキ、坊主、名前も呼びたくないのか。しかし、そういう事情ならば彼の気持ちもわからなくもない。

「うちの兄は三年ほどタイに行ってます。日本には帰ってきていませんから」
「加絵さんがタイに行ったってことは……」

 絶対にないとは言い切れないが、加絵の言動を考えるとないはずだった。

「ありません」
「だったら、あのガキの親父は誰?」
「知りませんよ」
「……俺は苦しいんだよぉ」

 両手で顔を覆って本気で泣き出してしまった彼を見やって、晴陽も悩んでしまう。子どももだろうが、この男は加絵というひとりの女に丸ごとだまされている。それでも幸せだったらいいけれど、いや、そんな女がそんなにも好きだなんて、それはそれで幸せなのかもしれなかった。

次は「し」です。


ガラスの靴70「求愛」

「ガラスの靴」

     70・求愛


 スマホに電話をしてきたのは、専門学校時代の同級生だった蘭々ちゃんだ。同じく同級生だった多恵ちゃんが、蘭々が笙くんに電話したいって言ってるんだけど、と打診してきたので、かまわないよと答えた。

 アート系専門学校に通いはじめて間もなく、僕はアンヌと恋人同士になった。僕はアニメCG学科の一年生、アンヌは大学を中退しての再入学だったから、学年はひとつ上の七歳年上。アンヌの評判がよくなかったのもあり、それでも僕はアンヌに夢中だったのもありで、僕は同い年の連中には変人扱いされていて友達は少なかった。

 なのだから、蘭々と聞いても、そういう変わった名前の女の子、いたな、程度にしか記憶になかった。専門学校の卒業アルバムを見てみたら、童顔の可愛い子だったので、電話をしてきた蘭々ちゃんが会いたいと言ったのにもうなずいた。

「多恵ちゃんからいろいろ聞いたんだけど、笙くん、子どももいるんだってね」
「いるよ。胡弓、三歳。僕に似て美少年なんだ」
「子ども、今日はどうしたの?」
「お母さんに預けてきた。お母さんは孫命のばあちゃんだから、胡弓を預かるのは老後のいちばんの楽しみなんだよ」
「そう……連れてこなかったのは嬉しかったな」

 同級生なのだから二十三歳かと思っていたが、彼女は中卒で専門学校に入学したのだから、二十歳なのだそうだ。童顔というよりも僕より三つも年下なのだから、学生のときには十代半ばの子どもだったのである。

「蘭々ちゃんはモデルだって?」
「そうなの。このごろってぽっちゃりブームだから、ぽっちゃりさん向けの雑誌もあるのね。その雑誌専門のモデル。読者モデル募集ってのに応募してみたら合格しちゃったんだ」

 電話でも聞いていたが、小柄なのにモデル? と疑問だった。会ったら詳しく聞こうと思っていたら、そういうことだったのか。
 記憶にはほとんどないが、アルバムの蘭々ちゃんはちょっとだけぽちゃっとした小柄で可愛い女の子だった。あれは三年ほど前。ぽっちゃりモデルの仕事のためなのか、彼女はずいぶん太った。これはぽっちゃり? ぼってりじゃないのか?

 別に僕は太った女の子に偏見はない。アンヌは細身で長身だが、アンヌの妹分みたいなカンナちゃんだって嫌いではない。カンナちゃんはがっしりどっしりの体型だから、蘭々ちゃんみたいなぽっちゃりタイプのほうが、好む男もいるのではないだろうか。

「そうなのよ。もてもてで、蘭々、困っちゃうの」
「そうなんだ」
「専門学校を卒業してからは、近所の小さいスーパーマーケットで働いてたのね。スーパーだからお客さんはおばさんが多いじゃない?」
「そうだよね。主婦が客層の中心だろうな」

 可愛いからって、蘭々ちゃんはおばさんたちにクレームばかりつけられたのだそうだ。レジのまちがい、包装が遅い、あれはどこに置いてるの? と訊かれても答えられない。あてずっぽうで答えたりもしたからまちがえてばっかり。

「そんなのたいしたことでもないのに、みんな、カンカンに怒るのよ。なんでそんなに文句ばっかりつけるのかと思ってたら、旦那が蘭々に恋してたみたい。冗談じゃないわよ。なんで蘭々ちゃんがあんなおっさん……大丈夫よ、あんな禿げたおっさんに興味ないから、そんなに妬かなくていいからって言ってやったの」
「クレームつけられてそう言ったの?」
「そうよ。だって、そんなことばかり言われてたんだもの」
「その全部が、旦那が蘭々ちゃんを好きになったからってやきもち?」
「そうみたい。あり得ないわよね」
 
 本当にあり得ないのは、実際に蘭々ちゃんがミスばかりしていたからではないのか。この子も大いなる勘違い女?

「そんなのばっかりで、店長にも怒られたの。店長もおばさんなんだけど、その旦那ってのは蘭々に恋してたみたい。旦那は事務所のほうで働いてたから、会うこともあったのよ」
「そうなんだ」
「うん、だからね」

 あんなみっともないおっさんが蘭々に恋したって、こっちは相手にしてないから無駄よ、だから心配しないで、と蘭々ちゃんは店長に言ってのけ、退職勧告を受けたらしい。可愛い子って世の中のおばさんからは迫害されるのよ、と世を嘆いていた蘭々ちゃんは。

「蘭々、悪くないもん。勝手に恋するおっさんやら、やきもちを妬いて怒るおばさんたちが悪いのよ。だからやめないつもりだったんだけど、そんなときに応募したモデルの仕事に合格したから、やめてあげたわ。店長も今ごろ、後悔してるかもね」

 どうして後悔してるの? と質問するのはやめておこう。蘭々ちゃんの思考回路は常人ではないようだ。 
 たしかに顔は可愛いほうだから、遠くから見てちょこっと好きになる男はいるかもしれない。しかし、そんなにどいつもこいつも恋しないだろう。彼女は蘭々であって、西本ほのかではないのだから。

 読者モデルに合格したことで、蘭々ちゃんの勘違いを助長した節もある。だけど、ま、次の仕事があってよかったね。

「そうなのよ。モデルの仕事は蘭々ちゃんに合ってるし、お給料もちょっとは上がったからいいんだけど、やっぱりスーパーとは関係あるし、カメラマンだの編集者だのなんだのが、次から次へと蘭々ちゃんを好きになってメンドクサイの」
「スーパーと雑誌モデルが関係あるの?」
「あるわよ。その雑誌って全国スーパーマーケット連合ってところが出してるんだもの」

 それってファッション雑誌か? もしかして、広告? 広報? 蘭々ちゃんは髪をかき上げ、ふっと笑った。

「やっぱり蘭々も決まった彼氏を持つべきだと思うのね。蘭々はこんなに可愛いんだから、彼氏も綺麗な顔でなくちゃ駄目なの」
「モデル仲間にいないの?」
「男のひとはいないのよ」

 それでね、と身を乗り出して、蘭々ちゃんは僕の手を握った。

「多恵ちゃんから笙くんの話を聞いて、笙くんを救ってあげることに決めたの」
「救う?」
「だって、笙くんはあのアンヌさんの奴隷みたいにされて、こき使われて蹂躙されて虐待されてるんでしょ」
「って、多恵ちゃんが言ったの?」
「多恵ちゃんは、笙くんはそれなりに幸せらしいよって言ったけど、嘘だもんっ!!」

 怖い顔をして、蘭々ちゃんは力説した。

「そんなはずないじゃない。男性は仕事をしたいものよ。主夫なんかに満足できる男のひとはいないの。笙くんが幸せだと思ってるなんて、洗脳されてるのよ。アンヌさんってそんなふうなひとだったわ。魔女みたいな?」
「おー、ウィッチーウーマン、かっこいい」

 妻を悪く言うな、と怒るのは僕のキャラではないので、おどけてみせた。

「若くて綺麗な笙くんを主夫なんかにして、仕事もさせずに家に閉じ込めて、自分は遊び歩いてるんでしょ。家事も育児も笙くんに押しつけて、自分はなんにもしないのよね。そんなの、女じゃないわ。しかも年上で、淫乱ビッチだったそうじゃないの」
「いやぁ、僕はそんなアンヌが……」
「だから、それは洗脳されてるの。笙くん、目を覚ましなさい。蘭々ちゃんが笙くんをまっとうな男のひとに立ち直らせてあげる。蘭々のこと、好きよね?」
「嫌いじゃないけどね」

 大嫌いではないのでそう答えると、蘭々ちゃんは満足げにうなずいた。

「当然だわ。蘭々を嫌う男のひとなんかいないんだもの。笙くん、アンヌさんから逃げてきなさい。笙くんには自主性や積極性はないって知ってるの。男らしくもないけど綺麗な顔をしていて、生活力もなくて長所もあんまりないとは知ってるけど、愛の力は強いのよ。蘭々が笙くんを更生してあげる。真人間にしてあげるから、黙って蘭々についてきなさい」

 こういう口説き文句には弱いので、僕が独身だったとしたら、はい、ついていきます、と返事をしたかもしれない。
 しかししかしかし、しかーし、僕には妻も息子もいる。こんな勘違い女の独断に巻き込まれてなるものか。アンヌ、僕はがんばるからね。

「僕には子どもがいるからね」
「子どもって母親が育てるものよ。蘭々はみんな知ってて、笙くんを受け止めてあげるんだからへっちゃらだわ。バツイチ子持ちの笙くんでいいの。結婚してあげる」
「アンヌに叱られるよ」
「蘭々がアンヌさんと闘ってあげるわ」
「無理だよ」
「無理じゃないってぱ。蘭々ちゃんにまかせておきなさい」

 なんでまた、多恵ちゃんも蘭々ちゃんに僕の電話番号を教えたのか。多恵ちゃんの彼氏が別の女と結婚してしまい、やっぱり寂しいから、幸せな僕に嫉妬したとか?
 ああ、でも、なんかちょっと面白いかも。蘭々ちゃんをきっぱり切ってしまうよりも、アンヌに紹介してみるのもいい。彼女がどうやってあのアンヌと闘うのか、見てみたい気持ちになっていた。

つづく

 

2020/4 復刻・花物語「チューリップ」

「花物語」

四月・チューリップ


「ぶんぶんぶん 蜂が飛ぶ
 お池の回りに野薔薇が咲いたよ
 ぶんぶんぶん……」

 のどかな風景に鼻歌がこぼれる。

「咲いた咲いたチューリップの花が
 並んだ並んだ赤白黄色」

 池の回りには歌の通りにチューリップが並び、その近くには幼稚園からの遠足なのか、赤白黄色の帽子をかぶった幼児たちがたわむれている。
 ベンチにすわってコンビニで買ってきたおにぎりを食べていた木の葉は、のどかすぎて眠くなってきて、両手で頬をぱんぱん叩いた。これだから春はいやだ。木の葉は幸いにも花粉症ではないものの、春は本当に眠い。

 さて、職場に戻るとするか。こんなところで居眠りをしたらかえって頭がぼんやりしてしまう。さっさと仕事を片付けて、帰って早寝しよう。なんだか私、寝るのがいちばんの楽しみみたい。侘しい人生だわぁと思いながらも、木の葉は腰を上げた。

「わっ!!」
「きゃあっ!!」
「いやんっ、怖いよっ!!」

 子どもたちの悲鳴が聞こえてきて、木の葉は視線をめぐらせた。池のそばには春の花々が咲いている。チューリップも野薔薇も咲いているその中を、子どもたちが逃げ惑っていた。
 なにから逃げているのかと目を凝らしていると、幼稚園の先生らしき声も聞こえてきた。

「さわったらだめよ。叩いたりしても駄目」
「こっちからさわらなかったらいいんだから、逃げなさい」
「まあくん、ジュンちゃん、こっちにおいでっ!!」
「なんなの? なに、これっ?!」
「蜂よ、蜂っ!!」

 大人だって蜂は怖いのだから、幼児ならばなおさらだろう。子どもたちは泣き声を上げて走り回り、ころんだりもしている。先生が駆け寄って子どもを抱き上げ、蜂を避けて走り出した。

「そっちに行ったよ!!」
「カズミ先生、気をつけてっ!!」
「うわーんっ!! 痛いよぉっ!!」
「ママぁぁーっ!!」

 つい先刻まではのどかだった光景が、阿鼻叫喚の世界になってしまった。女性たちの金切声と幼児の悲鳴や泣き声が交錯している中を、たった一匹の蜂が悠然と飛び回っている。幼稚園集団以外の大人もいるにはいるのだが、蜂には触れたくないらしくて、遠巻きにして眺めているばかりだ。

 やっぱり私も蜂はいやだし、昼休みはじきにおしまいだし、蜂がこっちに飛んでこないうちに逃げようか。木の葉が池のほうを気にしながらも歩き出そうとしていると、子どもたちの中に走り込んでいった男性がいた。

 そうなると気になって、木の葉もそちらを注視した。
 若い男性が帽子らしきものを振り回している。背の高い男性なので、蜂が少々高みを飛んでも手が届く。彼は腕を伸ばして何度も帽子を振り回し、それから叫んだ。

「捕れたっ!! もう大丈夫ですよ」
 
 ああ、よかった、と幼稚園の先生たちは安堵の声を漏らし、あちこちで怯えてすくんだり、立ち尽くしたり、へたり込んだりしている子どもたちを助けにいった。子どもを抱いてたたずんでいた先生のひとりが、彼に寄っていった。

「ありがとうございます。あの、どうやって捕ったんですか」
「この帽子と、僕のこの手で……」
「手、刺されてません?」
「痛くはないから大丈夫でしょ」

「蜂を殺したら仲間が仕返しにくるって言いません?」
「そうなんですか。迷信でしょ」
「その帽子……」
「ああ、これ。いいんですけどね」

 好奇心はあるので、じりじりと近寄っていっていた木の葉は、彼の持っている帽子をしっかり見た。白地にピンクや緑の小花プリントの帽子を、先生が彼の手から受け取って広げてみせた。

「ああ、蜂が死んでる」
「握り潰しましたからね。大丈夫ですよ」
「……汚れちゃいましたね、帽子」
「それも大丈夫です。洗えば綺麗になりますよ」

 他の先生も寄ってきて、同僚から帽子を受け取る。彼女が広げた帽子から蜂の死骸が地面に落ち、彼女は言った。

「男のひとがかぶるには、ずいぶん可愛い帽子」
「ああ、これ、チューリップハットっていうんですよね」
「ほんとだ、あのチューリップと形が似てますね」

 おっと、大変、昼休みが終わってしまう。蜂騒動はおさまったようなので、木の葉は早足になって職場のほうへと歩き出した。

 若い女性が何人もいる幼稚園の先生のひとりと、蜂退治をしたあの若い男性が恋仲になるなんて展開はあるのかしら。私にはもうそんなハプニングは望めもしないけど、若いっていいね。春っていいね。私は今のエピソードをふくらませて、小説を書こうかな。

 これから戻っていく職場とは、季刊ミニコミ誌の編集室だ。広告収入も容易には見込めなくて、赤字になる月もあるけれど、木の葉が書いている季節の花ストーリィを楽しみにしてくれている読者もいるらしい。

 春の号はとうに出ているのだから、本当は夏の花ストーリィを書かなくてはならないのだが、来年の春のための「チューリップ物語」を先に書こう。一年後の春にも私たちのミニコミ誌が存続しているように、との願いを込めて。

END


 

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