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2020年2月

2020/2 復刻・花物語「こでまり」

「花物語」

 

十二ヶ月の花をテーマにしたショートストーリィです。

 

先に主人公の名前を設定しました。

 

主人公の名前は、各月の和名、古名をアレンジしました。尋常なのは、睦月、五月、葉月ぐらいのもので、無茶読み、DQNふうもあります。

 

2013/1より別ブログでスタートしたものを、2020/2より復刻させていただきます。

 

二月・こでまり

 

 

 単に小出万里江だからだと思っていた。
 コイデ・マリエ。ニックネームはこでまり。

 

 去年の暮れにいきなり、父親の転勤が決まった。普通は四月になってから赴任するものだろうし、突然だったのならば父親だけが先に赴任地に行って、家族はあとから、でもいいだろうに、母が宣言したのだった。

 

「家族はいつだって一緒にいるものよ。美景だってまだ中学生、義務教育なんだから転校はできるの。一緒に行きましょう」

 

 力強く宣言されれば美景だっていやだとは言えなくなって、二月のこんな時期に転校を余儀なくされた。親ってのは、大人ってのは勝手だね、とは言うものの、新しい学校にはすこしはわくわくしていた。

 

「ビケイって読むんだな。変な名前」
 となりの席になった男子生徒はそう言い、女子生徒は言ってくれた。
「可愛い名前だよ」
「素敵だよね」

 

 本人は「美景」という名は「美形」につながるようで、おまえのどこが美形だ? と男の子に笑われそうで好きではないのだが、名前がきっかけになってクラスメイトと会話がはずむのは嬉しかった。
 もっとも、中学二年生、ほぼ全員が十四歳のこのクラスの生徒たちの名前は、平凡なほうが珍しい。男子は飛翔したり夢を見たり、女子はきらきら星空やふわふわお花畑、というような名前が大半だった。

 

 そんな中なのだから、美景の名前も浮きも沈みもせず、ちょっと変わってるかな、程度だ。
 自分の名前なんかどうでもいい。男の子もどうでもいい。美景が気になるのは、クラスメイトの雑談にしばしば出てくる、コデマリという単語だった。

 

「コデマリってなに?」
「ああ、小出万里江、だからコデマリ」

 

 今どき、マリエという名前はむしろやや古風かもしれない。どうしてそのコデマリがクラスメイトの会話によく出てくるのかは、なんとなく聞けないままだった。
 その本人は同じ中学二年生だが、クラスがちがっているのでなかなか会う機会がめぐってこない。ようやく会えたのは、二月も終わり近くのころだった。

 

「これ、私の花」
「ああ、コデマリってそれ?」
「そうだよ。あなたは転校生?」
「美景っていうの、よろしくね」

 

 校庭の花壇に、白い小さな花が毬のような形で咲く丈の低い木があった。小手毬って書くんだよ、と人間のコデマリが教えてくれた。

 

「小さい手がつく毬のような花って感じかな」
「可愛いね」

 

 それだけの会話で心が浮き立って、美景は花を包む万里江の手をうっとり見つめていた。白い花に白く細い手。切り取って絵にしたかった。

 

「コデマリって大好き。花言葉もいいんだよ」
「どんな? ううん、いい。自分で調べるから」
「本、持ってる?」
「本があるの? そしたら、本屋さんに寄って帰るね」

 

 中学二年生が買うにはすこしお高い「花ことば辞典」を立ち読みして、美景はその言葉を記憶にとどめた。 

 

「コデマリの花言葉
 伸びゆく姿、努力、優雅、品位、友情」

 

 彼女にコデマリというあだなをつけた誰かは、この花言葉を知っていたのだろうか。そもそも誰が小出万里江を、コデマリと呼びはじめたのか。男の子なのかな? 万里江と相思相愛の彼? 想像すると美景の心がちくっと痛んだ。

 

 これから伸びゆく、十四歳の少女の姿。品位があって優雅な美少女、小出万里江。彼女はどんな努力をしているのか。彼女と友達になって友情をはぐくみたい。

 

 あのころの美景はまるで、初恋をしているような気持ちの中にいた。恋に恋する十四歳だったのだから、相手が男の子でも女の子でも変わりはしない。夜になって布団に入って電気を消すと、万里江の白い手に包まれた白い花が闇の中に浮かび上がってきた。

 

「私も努力しよう。あのイメージを絵にするんだ」
 決意して、美景は三年生になると美術クラブに入った。運動部は三年生の夏には引退だが、文科系の部活にはそんなきまりもなく、美景はじっくりとコデマリと小手毬の絵に取り組んだ。

 

 そうしているうちには、小出万里江がどんな少女なのかも聞こえてくる。見えてくる。彼女は英語研究会に所属していて、夏休みの英語弁論大会に出席するのだと。万里江はわが校随一に英語がうまくて、一年生のときから三年生にも、帰国子女にも英語の議論で負けなかったのだと。

 

「じゃあ、そのお祝いに……」

 

 弁論大会は夏休みの終わりに行われる。受験勉強は? と母親がうるさいので、絵は息抜きだと口実をつけて、その実、そっちに精力を多く注いで描き上げた。

 

「コデマリ、優勝おめでとう」

 

 それほどに親しくもなっていないから、愛称で呼ぶのは照れくさい。それでも呼んでみたくて、新学期になって出会った彼女に呼びかけて絵を見せた。

 

「え? この手、私?」
「そう。コデマリとはじめて会ったときの絵だよ。コデマリが弁論大会で優勝するって信じてたから、お祝いにしようと思って描いたの」
「優勝しなかったら?」
「残念賞みたいな?」

 

 ふたりで笑ってから、コデマリが言った。

 

「ありがとう。ねぇ、秋の中学生絵画展に出品したら?」
「こんな下手なのに?」
「下手じゃないよ。先生も勧めなかった?」
「完成してからはコデマリにはじめて見せたから……」
「先生もきっとそうしろって言うよ。出品しなよ」

 

 教師にも相談して出展を強く勧められたその絵は、佳作を受賞した。
 佳作とはいえ、注目してくれる人もいて、美景は十五歳にして、新進気鋭の若き画家と呼ばれるようになったのだ。
 高校、大学を経て画家となったのは、思えばコデマリのおかげだった。

 

「まぁ、絵では食べていけるほどでもないけど、主婦のパート収入よりは多いよね。あなたと結婚できたのも、コデマリのおかげ」
「それできみはこの花が好きなのか」

 

 寒い二月の夜に、美景は夫にコデマリの話をした。小さな庭には小手毬の木が数本植わっていて、花が咲くたびにコデマリを思い出す。なのに夫に話すのははじめてだった。

 

「コデマリちゃんってどうしてるの?」
「知らないけど、通訳になりたいって言ってたから、外国ででも暮らしてるのかもね」
「どうして今まで、話さなかった?」
「そうねぇ……なんとなく」

 

 女の子にあんなに憧れたなんて、私ってレズっ気あるの? 大人になるとそんな邪念も忍び込むようになるからよ、と美景は内心で呟く。へぇぇ、そうだったの? 美景の初恋の相手って私? 想像の中で笑うコデマリの顔は、少女のころのままだった。

 

END

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラスの靴67「意外」

「ガラスの靴」

     67・意外

 酒を飲んでいい気分になると、そのあたりにいる人間を家に連れて帰る。笙は決していやな顔をせず、いそいそと客をもてなしている。いい旦那だね、と皮肉まじりに言われるのだが、笙は賑やか好き、パーティ好き、客好きなのだから迷惑には思っていないのだ。

 こっちが連れて帰ることのほうが多いが、たまには誘われてよその家に行くこともある。今夜は酒場でバンド仲間と適当に飲んでいたら、顔見知り程度の女に声をかけられた。

「アンヌさん、うちに来ない?」
「えーと、あんたは誰だっけ?」
「健子よ」
「どこのタケコ?」

 見覚えのある顔だが、友達ではない。タケコはあたしに近づいてきて、耳元で言った。

「私は結婚してて子どももいるっていうのに、アンヌさんのバンドの肉食獣に狙われてるの。助けて」
「そういうことだったら助けてやるよ。あんたのうちに行けばいいんだな」
「ありがとう」

 年のころなら三十代半ばか。見ようによっては色っぽいお姉さんにも、おばさんにも見える。このくらいだったらうちのバンドの男どもも口説きたくなるだろう。誰に狙われてる? とは訊かずに、あたしは健子についていった。

 連れられていったのは平凡なマンション。タクシーから降りてエレベータに乗ってたどりついた部屋には、男の子がひとりと、その子をまかせてあったらしいばあさんがいた。

「お帰り、ママ」
「お帰り、お客さん? いらっしゃい。そしたら私は帰るよ」
「うん、ありがとね」

 言葉遣いからすると、ばあさんは健子の母親なのかもしれない。あたしには関係ないので、健子が息子をベッドに入れるのを待って、ふたりで飲みはじめた。

「うまいな、このキンピラ」
「でしょ? 主人が昨夜、作ってくれたの」
「主人ってのは今夜は?」
「そのうち帰ってくるんじゃない?」

 常備菜をつまみに、焼酎を飲む。家庭料理は焼酎のお湯割りにはぴったりで、飲んだり食ったりしながら健子の話を聞いていた。

「私なんかは草食動物だから、肉食獣に狙われるんだよね。草食系の男が増えてるっていうけど、私の周りはけだものばっかり」
「音楽業界は肉食が多いよな。健子も音楽系?」
「昔はジャズシンガーになりたくて、ライヴハウスで歌ってたんだ。それだけでは生活していけないから、ライヴハウスの従業員としても働いてたんだけど、いつの間にかそっちが本職になっちゃった。私は才能なかったんだよね」

 歌の才能のあるあたしみたいな人間はプロになり、健子みたいな人間は夢を捨てて世俗に埋没していく。才能だけの世界ではないが、ありふれた話だった。

「歌えることもほとんどなくなったころに、今の主人と出会ったの。彼もミュージシャンで、独身のころにはいい加減な奴だったんだけど、私が妊娠したから結婚してくれたんだよね」
「してくれたって言うな。してやったんだろ」
「アンヌさんもデキ婚でしょ」
「そうだよ。あたしは妊娠したから、笙と結婚してやったんだ。あたしと結婚できて、笙はラッキーだったんだよ」

 デキ婚を非難する奴はどこにでもここにでもいる。好きでもない奴とできちゃったからっていやいや結婚したんだったらよくないかもしれないが、妊娠が結婚のきっかけになったのならば悪いはずがないではないか。健子も胸を張れ。

「息子だから特に、父親っていたほうがいいよね」
「そうなのかもしれないな。うちの笙は女みたいな奴だけど、息子の胡弓が大きくなってきたときには、男としての生理なんかはあたしには教えられないからね」
「そうそう、それがあるよね」

 なんとアンヌらしくない話をしてるんだ、と言われそうだが、あたしだって子持ちの女と会話をするとこうなる場合もある。うちの胡弓はさ、うちの主税はさ、と息子の話をする。健子の息子はチカラというのだそうで、ともに和風の名前なのだった。

 そうしているとのそっと男が入ってきた。勝手に玄関のカギを開けたらしく、よっ、と手を上げる。その男の顔を見たあたしは驚いた。

「フジミ……」
「よぉ、アンヌ。アンヌって健子と友達だったのか」
「同じ業界だものね。フジミとアンヌも知り合いだったんだ」

 え? え、え、え? フジミの妻は健子だったか?
 狭い業界なのだから、あたしはフジミとは知り合いだ。フジミと友達なのはうちのドラマーの吉丸。笙に言わせると類友だとなるフジミと吉丸は、どっちも天下無敵の浮気者なのである。

 この業界には浮気男も浮気女も珍しくはないが、このふたりの浮気ぶりは常人ではない。

 かたや吉丸は、女と結婚して子どもを作り、男と浮気して離婚して息子を引き取った。その後女と浮気して、その女が子どもを産んだ。現在は最初の結婚のときの浮気相手と事実婚状態で、妻は男とはいえ息子の面倒をしっかり見ているが、吉丸は時々つまみ食いをしている。

 一方、フジミは何度結婚し、何度離婚したことか。そうじきに別れるんだったら結婚するな、と言いたいのだが、愛し合ったら結婚したいんだ、前の彼女とは別れるんだ、それがけじめだ、などとぬかす。なにがけじめだ、おまえはどの口でケジメという言葉を……いかん、興奮しそうになった。

 昔はあたしだって男がほっといてくれなかったから盛大に遊んだが、結婚して母となり、一家のあるじとなってからは浮気はしていない。精神的なものや、昔の男との触れ合いは浮気とはいわない。

 そうして何度も離婚結婚、離婚結婚、とやっている男だし、あたしはフジミとは友達でもないので、現在の彼の妻が健子だったのかどうかははっきり知らない。健子が主人と呼んでいて、息子もいて、フジミがここに帰ってきたのだから、そうなのだろうと納得しておくことにした。

「健子、聞いてよ」
「なあに?」

 眠っている息子を確認して着替えてきたようで、フジミがテーブルにつく。健子は彼に焼酎のお湯割りを作ってやり、あたしは言った。

「おまえ、料理がうまいんだな。意外だったよ」
「うまいってほどでもないけどさ……アンヌって料理なんかしないの?」
「しねえよ。あたしは家事は一切しないんだ。育児はちょっとはやるけど、家事は主夫の仕事だろ」
「稼げる女は強いね。でさ」

 焼酎を飲み、つまみを口に放り込んで、フジミは本題に入った。

「運命の女に出会ったんだ」
「またぁ?」
「またじゃないよ。はじめてだ」
「そっかなぁ。どんな女?」
「シングルマザーなんだよ。三人の子どもがいて、通訳をしてひとりで育ててるんだ。すーっ、しゅーっとした涼しそうな美人で、優しくて凛々しくて綺麗で……うまく言えない」

 それってもしかして、西本ほのか?

 優衣子という、他人の男はなんでもほしがる肉食女がいる。あの手この手で我がものにするとぽいっと捨て、各地で男女の仲をひっかき回して物議をかもしている。フジミも優衣子にひっかかったのではなかったか。
 ただし、優衣子は惚れっぽくて飽きっぽいようだから、捨てられた男がもとの女に戻っていくことも間々あるらしい。

 あの優衣子が一方の頂だとしたら、吉丸の次男、彼女にとっては長男である雅夫を産んだほのかは、もう一方の別種の頂ではなかろうか。

 おのれからアプローチして男を落とすのが趣味の優衣子とはちがって、ほのかはしれーっとしている。男のほうが勝手にほのかに惚れるのだ。笙の知り合いにもほのかに恋をして、かなわぬ恋とわかっていながら妻も娘も捨て、ただほのかを見つめているという阿呆がいる。

 まさかフジミはそんなアホロマンティストではないと思うが、ほのかなのかと確認する気にはならず、夫婦の会話を聞いていた。

「彼女に見つめられると、体温が上がるんだよ。見つめられてるだけでいいんだ。彼女が女神さまみたいに見えて、手を出すなんて考えられなくなっちまう」
「私のことは、会ったその日に口説いたよね」
「健子は抱きたい女、彼女は遠くから仰ぎ見ていたい女だな」
「勝手にしたら?」
「勝手にするよ、ってか、だから俺は彼女にはなにもしないんだ。彼女と同じ空間にいて、彼女と同じ空気を吸って、彼女を見ていられたらそれでいい。彼女は健子とは異次元の女なんだよ。これがほんとのピュアラヴってのかな。運命の女っているんだよな」

 アホらしくなってきたので、あたしは口をはさんだ。

「女房の前で臆面もなく言うよな。健子、ぶん殴れ。あたしが殴ってやろうか」
「いいのよ」
「あんたらも浮気公認の夫婦か」

 精神的な恋は浮気じゃない、とでも言うのかと思った健子は、笑って言った。

「だって、彼とはとうに離婚してるんだもの」
「……主人って言っただろ」
「主人としか呼びようがないんだよね。モトオット? なんて言うのもややこしいから、対外的には主人って言ってるだけ。だったら浮気じゃないもんね」

 素知らぬ顔でフジミは焼酎を飲み、料理を食べる。フジミの料理が美味である意外さとは比較にならないほどに意外な事実だった。

「フジミは自由人だから、ふらふら飛び回ってるよ。だけど、主税のことは可愛いんだよね。主税にとってはいいお父さんなの。私から見たらモトオットっていう前に、主税の父親。それだけはまちがいないでしょ。行くところがないときや、主税に会いたいときや、私が主税のことで相談したいときや、そんなときにはここに来るのよ。そいで、おいしいものを作ってくれたりするし、養育費は払ってくれてるからそれでいいの」
「は、はぁ……」

 世の中、いろんなカップルがいるもんだ。笙とあたしも変わっているほうだが、上には上がいる。気を取り直してあたしは呟いた。

「それはまあいいとして、それにしてもフジミってアホだな」
「ほんとにね」

 同感、と健子は朗らかに笑い、焼酎を飲み干した。主税が父親に似ないように祈って、あたしもグラスを干した。

つづく


 

207「ワーキングプア」

しりとり小説

207「ワーキングプア」

 不運が続いたとしか言いようがない。

 大学を卒業して勤めた会社では、企画部に回された。美弥は事務職希望でクリエィティヴな仕事などできるはずもない。総務か人事か経理にでも異動させてほしいと上司に訴えてみても、一年はがんばれと言い逃れられて心を病みそうになって退職した。

 次に勤めたのは弁護士事務所の事務員。待望の事務職であったのだが、主な仕事はコピー、清書、来客の接待であって、こんなものは事務だとは思えない。親戚の伝手で就職させてもらったので、親戚に泣きついてやめさせてもらった。

 心機一転、ちがった仕事をしようと、次は接客業に就いた。弁護士事務所でもお客の応対はしていたから大丈夫かと思ったのだが、百円ショップに買い物にくる客とは人種がちがっている。美弥にしてみれば無理難題だとしか思えないことばかりが続いて、耐え切れなくなって退職した。

 接客はこりごりだと続いて勤めたのは、出版社のアルバイト。雑用ばかりで腹が立ってきてやめた。
 ベーカリーの製造部門にも就職してみたが、あまりにも肉体的に疲れるのでじきにやめた。
 その調子でざっと十社くらいで働いたのだが、どれもこれも美弥には合わない。そうこうしているうちに美弥も二十九歳になり、親には言われるようになった。

「就活は諦めて婚活をしたら?」
「無職の女を嫁にもらってくれる男なんていないのっ」
「どうして? 結婚したら主婦になるんじゃないの?」

 古い考え方しかできない母がわずらわしいのもあり、実家にいるとがんばって仕事をしなくても生活がなんとかなって甘えてしまうのもありで、美弥は独立を決めた。両親は美弥のひとり暮らしを反対したが、結局は折れてくれてお金も出してくれた。

 ひとりになって就職したのは、実家のあるところよりは都会の建築事務所。ここには身内の息もかかっていない。事務も雑務もありとあらゆる細かい仕事をしなくてはならないのだが、それだけに多忙で、いやだなぁと思っている暇もないのがかえって美弥にはよかった。

「月那って書いてルナって、かっこいい名前ね」
「美弥ちゃんも可愛い名前だよね」

 ひとつだけルナのほうが年下だが、田舎から出てきてひとり暮らしをしているのも同じ。事務所には女性はふたりきりで、ルナとは気が合って、美弥はじきに彼女と親しくなった。

「給料安いよねぇ」
「全国的に見たら田舎だから、最低賃金ってのも安いんだよね。こんなもんなのかもしれない」
「雑用係だしね、しようがないよね」

 生活レベルも似たようなもののはずで、ルナとは愚痴のこぼし合いもできた。

「うちの父はこの間、定年退職したのよね。高卒だから四十年以上の勤続だよ。そんなに長くひとつのところで働けるってすごいとは思うんだけど、馬鹿じゃないかとも思うの」
「馬鹿じゃないじゃない。えらいよ」
「えらいんだろうけど、高卒だからかたいした会社じゃなくて、退職金も思ったほどは出なかったんだって。再就職先を世話してもらえるとか言ってたのも駄目になって、年金だってまだちょっとしかもらえないし、母もパートに出るとか言ってたけど、ふたりとも六十すぎてるんだから仕事もないよね」
「大変だよね。仕送りとかするの?」
「そんな余裕、私にだってないよ」

 持ち家なので家賃とローンがないのは幸いであろう。母としては美弥にうちに戻ってきてもらって、食費を入れてもらったほうが楽になると言いたいらしかったが、メリットもない実家暮らしは美弥がお断りだ。

「ルナちゃんとこも似た感じ?」
「う、うん、まあね。うちの両親も六十すぎてるしね」
「私はひとりっ子だから、弟や妹がいたらもっとお金がかかって、もっともっと大変だったんだろうな。私がちゃんと働いて独立してるのを感謝してほしいよ」
「うちは弟がいるんだけど、あの子も社会人だから、親はなんとかやってるみたいだよ」

 お金、ないよね、お金、ほしいよね、が美弥の口癖になり、いつもルナも一緒にうなずいていた。

「私たちみたいのって貧困女性? 侘しいよねぇ」
「うん……そうだね」
「ルナちゃんってどんなところに住んでるの? 遊びにいっていい?」
「狭いし、片づけるの下手だから……」
「じゃあ、うちに来ない?」
「そんなのより外でごはんを食べるほうがいいな」

 とはいえ、この会社では続いているのは、ルナという仲間がいるからもある。年ごろも似た近い境遇の女同士。ルナにも彼氏はいないようで、婚活しようか、だけど、婚活の場ってろくな男がいないらしいよ、との愚痴も共通していた。

 あとひとつ、もはや気楽にやめられないのは、ひとり暮らししているからだ。実家にいたら甘えてしまう、というのも父も母も経済的に苦しい生活になっているので不可能になり、生活費を捻出するためには簡単に仕事をやめられない。独立したのは正解だった。

「故郷のほうで用事があるらしくて、ルナちゃんは里帰りなんだ。一週間ばかり休むそうだから、美弥ちゃんはがんばって」
「そうなんですか。私は聞いてないよぉ」

 一週間も休暇を取るのならば美弥にも告げるべきではないのか。不満ではあったが、所長が認めているのだからやむを得ない。用事ってなんだろう? 法事らしいよ、と所長からは聞いていたので、メールをしたり電話をかけたりするのも控えたほうがいいのかと判断していた。

「急なことでね、ルナちゃん、辞めるって言ってきたんだよ」
「え? なにかあったんですか?」
「故郷に帰る理由は法要だって聞いていたんだよね」

 困った顔をして、所長が話してくれた。

「それがちがったらしくて、お見合いをセッティングされていたらしいんだ」
「お見合い?」
「そうなんだよ。美弥ちゃんは仲良くしてたんだから知ってるんだろうけど、ルナちゃんの家ってほら、あれでしょ?」
「あれってなに? ルナちゃんの故郷の話なんてほとんど聞いてませんよ。うちの両親は生活が苦しいって話したら、うちも同じようなもんだとは言ってたけど」
「ルナちゃんの家が苦しい? そんなはずないでしょ」

 所長とルナの父親は大学で同期の友達だったのだそうだ。娘がどうしても都会で働きたいと言う。三十歳になったら帰ってきて結婚して、婿養子をもらって家を継ぐから、とまで言う。必ず約束を守ると誓わせたから、面倒見てやってくれないか? 学生時代の友人、すなわちルナの父親に頼まれて、社長は引き受けた。

「……」
「その約束の三十歳が迫ってきてるって、僕は忘れてたよ。約束通りにルナちゃんはお父さんのところに帰り、縁談が決まったらしい。短い間に決まったんだけど、相手がルナちゃんを気に入ったそうだし、田舎の旧家だったらそんなものなのかもしれないね」
「旧家?」
「そうだよ。ほんとに知らなかったの? ルナちゃんのお父さんは田舎の大地主だよ。彼も大学は僕と同じで都会に出てたんだけど、卒業して故郷に帰って結婚して、父親の跡を継いだんだ。よくは知らないけど、ガソリンスタンドや旅館やなんかんや、不動産をたくさん持ってるはずだよ」
「ルナちゃんの弟ってのは?」
「最年少市会議員誕生、とかって言われてたっけね」
「市会議員……」

 嘘つきっ!! 裏切り者っ!! 美弥はルナに向かって叫びたかった。

 似た境遇の彼氏もいない貧困女性? それは美弥だけではないか。実はルナはゴージャスなマンションに住んでいたようで、だからこそ美弥を招くのを渋ったのだ。

 社会人の弟って、市会議員? 親は地主? そんな貧困女性がいるものか。
 ずるいずるいっ!! とも叫びたくなったが、ルナは美弥の前から消えてしまった。友達のつもりでいたけれど、結婚式に招待などはしてくれないだろう。

 けれど、ルナは美弥に嘘をついてはいない。いつでも言葉を濁していたのは、本当のことが言えなかっただけなのだと今になればわかる。そんなルナがいつまでも近くにいるよりは、いなくなってくれたほうが精神衛生上はよさそうだ。あーあ、私もがんばろっ、と呟いてみても、どうがんばればいいのかすらも美弥にはわからなかった。

次は「あ」です。


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