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2020年1月

ガラスの靴66「休暇」

「ガラスの靴」

     66・休暇

 小豆島のホテルにはお客は少なくて、経営者側としては不満だろうが、客の僕らはゆったりできて心地よい。
 ホテルとはいっても家族経営だからか格式ばってもいず、和室の大広間に客が集まって食事をすることになった。

 昼間にプールで会ったキホさんとレティシアの親子は、アンヌがキホさんを嫌ってしまったようで、近寄るな、と言う。レティちゃんと胡弓も仲良くなったので残念そうだが、僕はアンヌが妬いてくれているみたいなのが嬉しくて、キホさんに近寄りたいとは思わなかった。

 あとひと組いるお客は、このホテルの婿養子でアンヌの昔なじみだという、トクさんの妹とその友達なのだそうだ。キホさんとレティちゃん以外は身内に近いような感覚だからか、トクさんも、トクさんの舅だというサダさんも大広間に出てきていた。

 キホさんとレティちゃんだけが離れていたのだが、寂しいわぁ、そっちに行ってもええ? と尋ねられたトクさんとサダさんが、どうぞどうぞと答えてしまったので、食事が終わったらみんなで輪になってデザートタイムになった。

「……アンヌ、怒ってる?」
「怒っちゃいねえよ。うるせえんだ」

 怒ってるように見えるけど、しつこく言うとよけいに怒られそうだから、気にしないことにして胡弓にプリンを食べさせる。キホさんもレティちゃんにプリンを食べさせていて、僕と目が合うとにっこりした。キホさんのそんな視線をはね返すような、アンヌの眼光は鋭い。

 怖いのでアンヌの顔を見ないようにしていると、トクさんの妹の真奈さん、その友達の尚美さんと、トクさん、サダさんの会話が聞こえてきた。トクさんはアンヌと同じくらいの年で、真奈さんと尚美さんは僕に近い年頃だ。サダさんは六十代くらいのおじさんである。

「そりゃあね、男が女に求めるものってのは決まっとるんですわ」
「なになに?」
「まず第一に……」

 料理だそうだ。料理がうまいのが一番、男は胃袋をつかめと言う。
 もてる女の特徴ってのを喋っていた女性たちがいたが、このおじさんは一歩進んで、妻としての理想を語っているのか。料理のできる女ねぇ。ここでアンヌは一発アウト。

「家庭的で子どもが好きで、家を守ってくれる。そんな妻がいたら癒されますわな」
「ふむふむ、そうですよね」

 ここもアンヌはまったくあてはまらない。アンヌは聞いているのかいないのか、プリンをつまみに甘口のワインを飲んでいた。

「愛嬌があって笑顔が可愛い。女のひとはいつもにこにこしているのが一番ですよ」
「こう?」
「そうそう。真奈さんも尚美さんも笑うと可愛いですなぁ」

 ブスは笑顔、美人はお澄まし顔。アイドルの写真にしても昔は満面の笑顔というものがほとんどだったが、今どきは憂い顔だったりつんつんした顔だったりする。ポスターのアンヌは怒り顔をしている場合が多くて、それがまたかっこいい。

「あと、これは重要ですよ。男を立てる」
「立てる……」
「おかしな意味ではないんですよ。男はプライドの高い生き物ですから、上手に立ててやってほしい」

 僕にだってプライドは皆無ではないはずだが、かなり低いほうなのだろう。アンヌに立ててもらいたいなんてこれっぽっちも思わない。アンヌのほうが収入が上、アンヌのほうが旦那さまみたいなもの。いつだってけちょんけちょんに言われて、おまえは黙ってあたしについてこい、と命令されているのが幸せだ。

「もうひとつ、大事なことがあります。煙草を吸わない」
「私は煙草は吸わないから大丈夫」
「そうよねぇ。私も煙草を吸う男性っていやだから、女性はよけいに喫煙はノーよね」

 ふたりの女性は素直におじさんの言葉を聞いていて、おじさんが満悦顔になる。どうもやはり聞いてはいるらしく、アンヌはこのタイミングで煙草を取り出し、外で吸ってくるよ、と言い置いて出ていってしまった。

「あ、アンヌさんは煙草を……まずったかな、トクさん?」
「ってかね、お義父さん、それは全部、お義父さんの勝手な思い込みでしょう?」

 彼はアンヌを好きなのか、トクさんが言い、キホさんも言った。

「ここは禁煙? ホテルの部屋は禁煙とちがうでしょう? 吸ったらあかんのかしら」
「あの、子どもさんのいるところで吸うんですか?」
「家でも吸うてますえ。レティは強い子やから、煙草のけむりごときはへっちゃらや。な、レティ?」
「うん、レティ、煙草のにおい大好き。ママ、吸うてもええよ」

 ぽっかーん、あっけ、という顔をしているおじさんとお姉さんたち。僕はトクさんと顔を見合わせて笑ってしまってから、トクさんに質問した。

「トクさんって奥さんの料理、そんなに大事だと思う?」
「うちはこんな仕事だから、食事は賄いで作ってもらってますよ」
「いや、うちは特別だから……」

 口をはさもうとしたサダさんを無視して、僕は続けた。

「僕は家庭的で子どもが好きで、家を守ってる専業主夫なんだ。そんな夫がいるんだから、アンヌは癒されてるんだよね」
「アンヌさんらしい婿さんをもらいましたな」
「そうそう。僕は苗字も新垣に変えたんだから、トクさんに似た立場だよね」

 おじさんとお姉さんたちは黙ってしまい、トクさんと僕の会話になっていた。

「不細工な女がぶすっとしてたら見られたもんじゃないけど、美人は笑わないほうがかっこいいよね」
「それも言えてますよね。アンヌさんみたいな美女は笑うとむしろ安っぽいってか……」
「クールビューティって言葉もあるもんね」

 くすくす笑っているキホさんの膝に、レティちゃんと胡弓がもたれかかる。子どもたちはふたりともに満腹して眠くなってきたようだ。

「うちではアンヌが大黒柱だから、僕が妻を立ててますよ」
「うちもそうですね。旅館は女将が中心ですから、僕は脇役ですよ」
「それに、くわえ煙草のアンヌもかっこいいんだな。うちは胡弓の身体にはよくないからって、息子がのそばでは彼女は喫煙しないけど、僕とふたりでだったら吸います。煙草を吸ってるアンヌの横顔には見とれちゃうな」
「喫煙者のアンヌさんが、健康な胡弓くんを産んだんですよね」
「もちろん。煙草なんてのは今でこそ身体に悪いって言われてるけど、薬になるっていわれてた時代もあったんだよ。日本人は風潮ってのに左右されすぎだよ」

 いやあの、その、とサダさんはもがもが言っていて、真奈さんと尚美さんは、ごちそうさま、と言い残して立っていってしまった。

「トクさんってアンヌのモトカレ?」
「いやぁ、好きだったんですけど、告白してふられたんですよ。すみません」
「すみませんは僕の台詞でしょ。僕の妻があなたをふってすみません」
「いやいやいや、笙さんって……いや、正直……」

 言いにくそうに口ごもってから、トクさんは僕の顔をじっと見た。

「アンヌさんから聞いて、笙さんがうらやましいと思ったり、専業主夫なんてアンヌさんの負担になってるだけなんじゃないかと思ったりしたんだけど、今の話を聞いて嬉しくなりました。笙さんはアンヌさんの理想の夫なんですね」
「よくわかってるじゃん。その通り!!」

 はーっ、とわざとらしくため息をついたサダさんは、時代は変わったのぉ、なんて呟きながら厨房のほうへと行ってしまった。レティちゃんと胡弓に両側からもたれられているキホさんは、とろっとしたまなざしで僕を見た。

「私も笙くんみたいな旦那さまがほしいわぁ」
「キホさん、笙さんはアンヌさんのものなんだから、横恋慕はいけませんよ」
「ほしたら、トクさんでもええよ」
「いえ、僕も妻のものです」

 うんっ、もうっ、とか言いながら、キホさんがトクさんの顔に煙草のけむりを吐きかける。けほけほむせながらもトクさんは嬉しそうだ。
 後片付けをするためらしく、仲居さんたちが広間に入ってきたのをしおに、僕らも腰を上げた。キホさんがレティちゃんを抱き、抱かせてほしいと言うのでトクさんに胡弓をまかせる。

 外は寒くもなく、綺麗なまん丸お月さまがぽっかり夜空に浮かんでいる。月見煙草をやっていたらしいアンヌが、僕らを認めて手を振る。アンヌの機嫌も直っているようだ。トクさんと僕はわかり合えたのだから、アンヌとキホさんも仲直りして、胡弓とレティちゃんが楽しく遊べるといいな。

つづく


206「リクエストアワー」

しりとり小説

206「リクエストアワー」

 祖父が愛用していたラジオを形見としてもらい、祖父が愛聴していたと教えられた放送を聴いていた。古いヒット曲ばかりかかるので、徳馬にはむしろ新鮮だったのもある。そんな時間にこんな葉書が読まれるとは。

「偶然にしたってすげぇよね。これぞじいちゃんのお導きっていうの?」
「そうなのかもしれないね」

 視聴者からの葉書を読み、リクエストに応える。昭和の時代には一般的だったらしきラジオ放送なのだそうだが、近頃はどうなっているのか、音楽にはさして興味のない徳馬は知らない。が、祖父お気に入りのラジオ番組は長期間に渡ってそんな形で放送されていた。

 黒い小さなラジオは何年使っていたのかも知らないが、元気に動いている。コンセントに挿せば使える形なので、電池もいらない。充電の手間も不要なので、めんどくさがりの徳馬も気軽に使っていた。

「たまには勉強しようかと思って……」
「たまに、なんだ」
「たまに、だろ? おまえはいつも勉強なんかしてるのか?」
「忙しくて勉強なんかしてる暇ないよ」
「だろ」

 彼女というほどでもないが、つきあっていないとも言い切れない相手と校内のカフェでお喋りしている。徳馬はあの日のびっくりを彼女に語った。

 デスクに向かって参考書を広げ、勉強しようとしていても気が乗らない。普段は聞き流しているラジオにむしろ集中してしまっていたら、DJの読み上げる葉書の内容が耳に入ってきた。

「十年近く前になります。結婚を前提に彼と同棲をはじめたのです。小さなハイツの一室で、毎日が遊びみたいに楽しかった。ハイツのお隣は一軒家で、おじいさんがひとりで暮らしていたみたい。挨拶に行ったら言われたんです。

「新婚さんですか」
「ええ、まあ……」

 同棲中だなんてお年寄りに言うと変に受け取られそうで、言葉を濁しておいたんですけど、彼氏があとから正直に言っちゃったんですよね。それからはおじいさんがとっても親切にして下さって、おかずをたくさん作ったからって届けてくれたり、忠告もしてくれたりしました。

「奥さん……じゃないのか、あなたも働いてるんでしょ。それで家事もやってるんでしょ」
「やってますけど、彼もちょっとはしますよ」
「ちょっとって、男に家事なんかやらせたらいけませんな。そんなことをしてると彼はあなたと結婚したがらないんじゃないかな? 結婚しても家事をやらされるんじゃうんざりだって言いそうですよ。もっとも、私も妻と死に別れて家事ができなくて困ったものですが、今は家事サービスの会社にお願いして解決してるんです。男にとっては家庭は安らぎの場なんだから、家事なんかさせてはいけません」

 なんてね。
 そのおかずも実は、お弁当宅配サービスから届いたものだったみたい。おじいさん、寂しかったのかな。私を話し相手にしたかったのね。私も引っ越してきたばかりで仕事も替わって友達がいなかったから、おじいさんとお話しするのは楽しかった。おかずもおいしかったです。

「彼氏はあなたに花を買ってきますか」
「そんなの、もらったことはありません」
「そうですか。じゃあ、私がかわりに……」

 って、庭に咲いたっていう白いバラをもらったりもしました。おじいさん、しゃれたことをするのよね。

 彼氏と喧嘩したときには、そんなときには男を立てるものです、あなたがあやまらなくちゃ、あやまってから甘えたら彼氏はイチコロですよ、なんてアドバイスもしてもらったり。男心についてもいっぱいアドバイスしてもらいました。

「老人ホームに入ることになりましてね、ひとり暮らしは少々つらくなってきたんで、息子がいい施設を見つけてきてくれたんです。有料だからわりに豪華なところで、それなりにいい暮らしはできそうですよ。あなたは彼との結婚は?」

 さよならの挨拶にきてくれたおじいさんに、私は正直に言いました。お隣さんになってから二年ほどすぎていたかな。

「私ももうじきここからは出ていきます」
「あ……そうなんですか。あなたが私の忠告を守っていたら、捨てられるようなこともなかったんでしょうに。年寄りの言うことをきかないから」
「そうですね」

 認めておいたけど、ほんとは私に他に好きな男性ができたから、だったんですけどね。
 
 ついこの間、仕事で関わっている有料老人ホームで、ひとりのおじいさんが亡くなったと聞きました。そのおじいさんっていうのがなんと、あのころに親しくしてもらっていた隣家の老人だったんだからびっくり。偶然っていうのもあるものなんですね。

 親切で優しいおじいさんだもの、ホームのお仲間とも楽しくやっておられたんでしょうね。おばあさんたちにもてていたりして? ホームのスタッフの恋愛相談を受けて、私にしたようなアドバイスをしてあげて、ためになっていたんじゃない? 私はあれから三度くらい恋はしたけど、四十すぎても独身です。

 今も彼氏はいるけど、結婚はもういいかな。
 言われそうですね、おじいさんにだったら。私の忠告を聞かないから、あんたはいい年して独身なんですよ、って叱られそう。こんな暮らしも楽しいって言ったら、負け惜しみだって笑われるかな。

 でも、はじめて同棲したあのころも楽しかったから、おじいさんとのお喋りとともに大切な想い出として、心の中にしまっておきます。

 おじいさん、ありがとう。おじいさんのご冥福を心よりお祈りします」

 ラジオネーム・タギョール、と名前を読み上げ、DJが言った。

「いいお話ですね。都会の人間関係は希薄だと言われますけど、若い女性と老人の心温まるエピソード。敬老の日も近い今日にふさわしいお話でした」

 これってうちのじいちゃん? 祖母に先立たれてひとり暮らしをしていた祖父の家には、十年近く前だったら徳馬も時おり遊びにいった。徳馬はあのころは小学生で、隣のハイツのお姉さんにもらったんだ、と祖父がケーキを出してくれたこともある。母にそのお姉さんの話をしていたこともあった。

「あんまりお節介焼くと嫌われるわよ」
「嫌うはずがないだろ。好かれとるよ。だからケーキをくれるんじゃないか。しかし、あのお姉さんは買ってきたものしかくれない。女なんだから手作りの料理でもくれればいいのに。私があげるもののわりにはお返しがしょぼくて、ケチなのか気が利かないのか」

 文句を言っていた祖父の口調も覚えている。

 ハイツのお姉さんは結婚していないらしい、とも聞き、それってどうして? と徳馬が尋ね、子どもは知らなくていいんだよ、と母に言われた記憶もあった。祖父が老人ホームに入所したのは八年ばかり前。先日、ホームで亡くなったのもその通りで、時期的にも合う。

 まちがいなくうちのじいちゃんだろう、と決めて、ラジオ局に問い合わせてみたら、放送で読み上げた葉書の部分の録音を送ってくれた。母に聞かせてやろう、と思っていたSDカードにおさめられたものを、徳馬は彼女にも聞かせてやった。

「葉書のコピーとか送るわけにもいかないだろうけど、こうやって送ってくれたんだよな」
「親切だね。ふーん、へぇぇ」
「なんだよ、なにか言いたい?」
「そのラジオネームの意味、わかる?」
「タギョール? 中近東の言葉みたいだな」
「フランス語だよ」

 海外旅行が大好きだから、大学でも英語を専攻している。フランス語と韓国語も勉強している彼女は、おかしな笑みを浮かべた。

「フランス語のスラングで、「その汚い口をふさげ!」って意味なんだよ。ものすごくうるさい相手に口汚く、黙れ!! うるさい!! ってときに使うの。徳馬が喋りすぎるときに、うっせえんだよ、って言いたくて軽い気持ちでも使うけど、レディが口にしたらいけない言葉なの。こんな葉書を出してそのラジオネームがそれって、はたして彼女の真意は……DJさんが言うみたいな心温まるエピソードなのかなぁ」
「……うわ、性格わるっ!!」
「知らなかった?」

 そんな連想をするということは、彼女の性格が悪いせいだ。性格わるっ!! と言われて、知らなかった? と切り返す奴なのは知っていたが、ここまでだったとは。
 が、彼女の言う通りなのかもしれなくて、母に録音を聞かせてやるつもりが急速に失せていった。

次は「ワー」です。

 


 

 

ガラスの靴65「忙中」

「ガラスの靴」

 

     65・忙中

 

 ホテルのフロントに忘れられているのか、一枚の用紙がのっかったままになっている。ちらっと覗いてみると、島喜保、レティシアとの名前が読めた。シマ・ヨシヤスさんという男性と、外国人の奥さんだろうか。もっと読もうとしたら、ホテルのひとが取り上げて持ち去ってしまった。

 

「パパぁ、行くよ」
「笙、行くよ」

 

 むこうでアンヌと胡弓が呼んでいるから、僕もそっちのほうへ走っていった。

 

 日々、多忙なアンヌが休暇をとって計画してくれた家族旅行だ。小豆島のリゾートホテルのフロントに置き忘れられていたのは、相客がチェックインしたときに書いたものだろう。島のホテルとしてはシーズンオフなので、お客が少なそうなのもあって気になった。

 

 仕事のときにはロッカーらしく、過激な衣装に身を包み、プラチナブロンドに過激なメイクのアンヌは、プライベートな旅行だと黒髪のかつらをかぶり、シャツにジーンズのカジュアルでかっこいいママに変身する。両方のアンヌを熟知しているのは、胡弓と僕だけだ。

 

「ママ?」
「そうだよ。パパとママと胡弓、旅行に行くんだ」

 

 こんなママもあんなママも知っているとはいえ、胡弓は過激なスタイルのママのほうを見慣れているので、今朝は不思議そうだった。

 

 りょこうりょこう、と嬉しそうな胡弓とアンヌをバックシートに乗せて、僕が車を運転して羽田空港到着。そこからは飛行機とフェリーを乗り継いで小豆島にやってきた。東京からだとわりに遠い小豆島を選んだのは、このホテルにはアンヌの知り合いがいるからだ

 

 フロントにあんな用紙を置き忘れるなんて、このホテル、大丈夫か? とはいえ、短時間だったのだろうからアンヌに告げ口はしないでおいてやろう。ホテルを経営しているアンヌの知り合いとは男性で、オーナーの娘と結婚して婿養子に入ったのだそうだから、アンヌのモトカレなのかもしれない。

 

 部屋に案内されて荷物を置き、くつろいでいると、アンヌのモトカレだったのかもしれない男が挨拶にきた。太ったヤンキーって感じで、これだったら僕のほうがずーっとかっこいい。

 

「アンヌさんは昔よりももっと綺麗になったなぁ。仕事のほうでもご活躍でしょ。こんな素敵な奥さんで、笙さんがうらやましいですよ」
「トクだって、こんなホテルの社長だろうが。いい金づるをつかまえたじゃん」
「おかげさまで」

 

 金づるって、アンヌもなんてこと言うんだろ。だけど、トクさんはへらへら笑っている。夕食のときに奥さんに紹介するとトクさんは言っていた。

 

「もう海では泳げないけど、うちには温水プールがあるんですよ」
「そう聞いてたから、水着を持ってきたよ」
「アンヌさんのビキニ……見たいなぁ。人妻になって出産もして、ますます熟れたんだろうなぁ」
「笙、怒れ」

 

 奥さんをいやらしい目で見るモトカレ。僕が怒るべきなのだろうし、アンヌにも怒れと言われたが、遠慮してアンヌにおまかせした。アンヌはこぶしを固め、トクさんは慌てて逃げていった。

 

「あたしは電話しなくちゃなんないから、笙が胡弓を連れて先に行ってろ」
「場所はわかる?」
「ここに書いてあるよ」
「アンヌの着替え、見せてくれないの?」

 

 無視されて、ホテルの案内図を渡された。胡弓を着替えさせ、僕も着替え、着替えやタオルやパーカーを入れたバッグを準備している間に、アンヌはベランダに出ていって電話をしていた。

 

 海で泳ぐのは無理だが、暑くも寒くもないいい季節だ。ホテルの温水プールはガラス張りで、風の通るスペースもある。南国リゾートふうに作ってあって、子供向けの遊具などもある。胡弓が僕の手を放して巨大なゾウさん型のすべり台へと走っていくのを追いかけていくと、先客がいた。

 

「こんにちは」
「ああ、こんにちは」

 

 すこしばかり余分な肉がついてはいるが、グラマーな美人だ。彼女が連れているのは小さい女の子。笙よりはひとつ、ふたつ年上だろうか。大人のほうはアンヌくらいの年ごろか。母と娘らしきふたりは、おそろいのビキニをつけていた。

 

「あそぼ」
「えと……」

 

 ものおじしないらしい女の子に誘われて、胡弓が僕の背中に隠れる。女の子は僕の背中に回ってきて、胡弓の手を引っ張った。

 

「胡弓、恥かしいの? 遊んでくればいいじゃん。パパが見ててあげるから、危ないことはしないようにして遊んでおいで」
「ええ……だって……」
「遊ぼうや。きゅうちゃん? きゅうちゃん、あそぼ」
「レティ、あんまり無理に言うたらあかんよ。きゅうちゃん、いやがってはるんとちゃうの?」

 

 お、関西弁だ。小豆島は西の島なのだから、関西人が遊びにくるほうが多いはず。むこうも僕の言葉を、あ、東京弁や、と思っているのかもしれない。

 

 我が家には来客が多い。アンヌは酔うと飲み屋にいる友達でもない人までを連れて帰ってくるので、胡弓は大人には慣れている。じいちゃんやばあちゃんに預ける機会も頻繁で、僕の母の友達にも可愛がってもらっているらしく、老人にもなつきやすい。

 

 関西弁の大人も周囲にはいるが、関西弁の子どもはいなかったはず。可愛い女の子が関西弁で喋るのが怖いのか、胡弓はなかなか女の子と遊ぼうとせずにもじもじしていた。

 

「じゃあ、パパも一緒に遊ぼうか」
「……だって……」
「もうっ、あかんたれやなっ!! 男やろ。しっかりしぃっ!!」

 

 いきなり怒られて、胡弓が目をまん丸にした。僕もびっくりし、女の子のママさんは言った。

 

「それ、レティのおばあちゃんの口癖なんやわ。レティはようおばあちゃんに預かってもらうんよ。私の姉の子もおばあちゃんに預けられてて、そっちは男の子やから、男やろ、しっかりしぃ、っておばあちゃんに言われてるの」
「レティちゃんっていうの?」

 

 彼女もため口だから、僕もこんな言葉遣いでいいことにした。

 

「そう、レティシア」
「ハーフ?」
「ちがうけど、日本人にレティシアって名前、つけたらあかんの?」
「いいですよ」

 

 ああ、あのチェックイン用紙の名前だ。レティシアとは幼児だったのか。すると……?

 

「島といいますの。私はシマ・キホ」
「キホさん……」
「喜ぶと保って書いてキホやから、男の名前かとまちがわれるんよ」

 

 もひとつ納得。ヨシヤスではなくキホだった。フロントで見たなんて言うとトクさんが怒られるかもしれないので、内緒にしておいてあげよう。

 

「僕は新垣笙。息子は胡弓」
「息子さんとおふたりで? うちとは似てるようで逆やね」
「いや、奥さんも来てるよ」
「……なーんや。シングルファザーなんかと期待したのに」

 

 いやぁ、たはは、なんて笑うと、キホさんも色っぽく笑う。
 恥ずかしがっていた胡弓はレティちゃんに強引に手を引っ張られて、連れ去られていった。いつも公園でもやっているように、子どもたちを見守りながら大人同士の話をする。

 

「私はシンママなんよ。去年離婚したばっかり」
「ああ、そうなんだ」
「お決まりの旦那の浮気。やっと吹っ切って、吹っ切った記念にレティと遊びにきたの」
「大変だったんだね」
「ありがとう。笙くんって呼んでもええ?」
「どうぞ」

 

 どこまで本当のことを話しているのかは知らないが、どうせここで話すだけの縁だ。キホさんは京都で観光バスのガイドをしていて、休暇はめったに取れない。けれど、勤務時間は規則的なのでいいほうだと笑っていた。

 

「笙くんは仕事は?」
「僕は専業主夫」
「主夫なん? へぇぇ」

 

 びっくりされるのは慣れっこだし、話さないほうが面倒な事態になるので、たいていの相手には正直に言う。言っていないのはアンヌの継母と異母弟にだけだが、彼らも本当に知らないのだろうか。

 

「ということは、奥さんがキャリアウーマン?」
「あとから来るから紹介するよ」
「別に奥さんには会いとうないけど、なにしてるひと?」
「音楽関係なんだけど……」

 

 アンヌのことは正直に言っていいものかどうか、なので言葉を濁す。来たらわかるよ、と言っているのだが、アンヌは来ない。しようがないのでキホさんと僕も子どもたちを連れてプールに入っていった。

 

 夏には僕もひとりでだったり、パパ友のミチとその継子、ライアンとだったり、数少ないママ友とその子とだったりでプールに行った。僕と同じ年頃の若者は彼女や友達と来ていて、自由に泳いでいる。子連れの僕らは子ども用プールで我が子とおつきあい。

 

 ぜーんぜん面白くないな、と思ったこともあるが、今日はキホさんといるせいか、面白くなくはない。胡弓もレティちゃんになじんだようで、四人で楽しくやっていた。

 

「奥さん、来はれへんね」
「仕事の電話が長引いてるんじゃないかな」
「ほんまに奥さん、来てはるん?」
「来てはるよ」

 

 どういう意味? と見返すと、キホさんはますます色っぽく笑った。

 

「私を牽制しようと思て、ほんまはいてない奥さんの話をしたとか? 大丈夫よ。取って食えへんから」
「いや、そんなことは……」
「食いたいけどね。笙くん、可愛い」
「いや、あの……胡弓、休憩しようか」

 

 子ども用プールでレティちゃんと遊んでいる胡弓が、やだー、と返事をする。レティちゃんも、いややー、と応じる。僕はキホさんにお願いした。

 

「いっぺん本気で泳いできたいから、胡弓を見ててくれますか」
「ええよ。私も笙くんの本気の泳ぎ、見てみたいわ」

 

 頬がぽっぽっとするのを冷やすためにも泳ぎたい。温水なので風呂で泳いでいる気分になりつつ、五十メートルクロールした。
 水面から顔を出すと、胡弓とレティちゃんとキホさんが拍手してくれていた。このごろまともに泳いでいなかったけど、僕は水泳は苦手じゃないから、身体が覚えていたらしい。

 

 それからも子どもたちと遊んだり、僕が泳いだり、キホさんも泳げば? と促しても、私はええわ、と言われたり、ジュースを飲んだり、そうして二時間くらいはプールにいたのだが、アンヌはあらわれない。子どもたちが疲れてきたようなので、それぞれに抱っこしてプールから出た。

 

 着替えて外に出ると、キホさんも出てきていた。気持ちのいい夕暮れだから、中庭を突っ切って歩いていく。四人ではあるが、レティちゃんも胡弓も抱っこされてうとうとしているので、ふたりで散歩しているような気分だ。

 

「きゅうちゃん、重くない?」
「寝られると重いけど、なんとかなるよ。キホさんこそ、レティちゃんは胡弓より大きいし、重いでしょ」
「私も慣れてはいるけど、お父さんが抱っこしてくれたらなぁって思うわ。笙くんは男のひとやもんね。私よりは力があるよね」
「まあね」

 

 寂しそうに微笑むキホさんを見ていると、胸がきゅっとなる。浮気をして妻と娘を捨てた男を詰ってやりたくなってきた。

 

「あ……」
「ん?」

 

 広い中庭の真ん中に吹き抜けの四阿があって、木のテーブルとベンチがしつらえてある。そこでなにか飲んでいるのは、トクさんとアンヌだ。仕事の電話じゃなくてさぼっていたのか。僕がちょっとだけむっとしていると、キホさんが言った。

 

「さっき言うてた、このホテルの婿養子さんよね。奥さんの知り合いて、モトカレ?」
「知らないけどね」
「息子を旦那さんにまかせっぱなしで、浮気したはるんとちゃうの?」
「アンヌはそんなことはしません」
「そうかしら。知らぬは亭主ばかりなり、ってね」

 

 いやらしーく笑ってから、キホさんは囁いた。

 

「うちらも浮気、せえへん?」
「……う……おーい、アンヌー!!」

 

 やばい。それもいいかも、なんて言いそうになってしまった。キホさんはシングルマザー。下手をしたら僕は息子と娘のふたりの子持ちになって、もっと下手をしたらもうひとり子どもができて、僕が働かなくてはならなくなるかもしれない。駄目だ、笙、おまえにはそんな役目は無理だよ。

 

 ふらっとなりかけた気持ちを立て直し、アンヌ、助けてっ!! のつもりで叫ぶ。アンヌは僕らに気づいて小さく手を振り、トクさんも小さく会釈する。近づいていくと、アンヌが言った。

 

「あたしも疲れてるからさ、胡弓と遊ぶよりものんびりしたかったんだ。胡弓は寝たのか」
「胡弓は遊び疲れたみたいだよ」
「そっか」

 

 こちらは? と言いたげに見たアンヌに、キホさんが挨拶した。

 

「お母さんやのにそんなこと言うてたら、私が笙くんをもらいますえ」
「……おまえ、何者だよ?」
「おまえ? 初対面のあんたにおまえ呼ばわりされるいわれはないわ。そんな下品な女やと捨てられますえ」
「別れるなんてことがあったとしたら、捨てるのはあたしだよ。あたしに捨てられたら笙は生きていけないんだから。笙、行くぞ」
「……はい」

 

 怒ってる? アンヌだって息子と遊ぶのをさぼって、こんなところでモトカレかもしれない男と喋ってたんじゃないか。

 

「きゅうちゃん、行ったらいやや」
「へ? あ、レティちゃん、またね。バイバイ」
「胡弓、そんなガキにかまうな」

 

 まっ!! と柳眉をさかだてるキホさん。まあまあ、まあまあ、とおろおろしているトクさんを無視して、アンヌは僕の腕から胡弓を奪い取り、先に立って歩き出した。
 アンヌったら、夫と息子がもてたから妬いてるの? そんなことを言うとぶっ飛ばされそうだから黙っているが、そうだとしたら嬉しい。アンヌも人の妻、人の母なんだね。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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