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2019年12月

フォレストシンガーズ・短歌俳句超ショートストーリィ2019/12

フォレストシンガーズ

 

「あ、椿、綺麗だね」
「……あの花? 椿って言うのか?」

 

 椿も知らないの? と笑うのも今さらなほどに、真次郎とのつきあいは長い。
 しかし、結婚すると感覚がちがってくるもので、こうして雨の中をふたりきりで、相合傘で歩くのはそこはかとなく気持ちいいと言うか、くすぐったいと言おうか。

 

「はい、ここで一句」
「おまえにまかせるよ」

 

 そう言うと思った。美江子はくすっと笑って、いつか誰かから教わった句を口にした。

 

「外湯まで一つの傘で寒椿」凡茶

 

mieko/32

ガラスの靴64「美人」

「ガラスの靴」

 

     64・美人

 

 またまた今夜も酔っ払いのアンヌが、酔っ払いのお客を連れてきた。客間のソファで向き合っているのは、アンヌのバンド「桃源郷」のベーシスト、轟・ゴー。トドロキ・ゴーと読む。桃源郷のメンバーは全員「・」つきの芸名を持っていて、アンヌは新垣・アンヌだ。

 

 轟という字は「ゴー」とも読むからとの安易な芸名のゴーさんは、中肉中背の平凡なタイプだが、ミュージシャンらしい空気はまとっている。
 もうひとりは女性で、僕は彼女を知らない。園可です、とだけ名乗った彼女は二十代の半ばくらいか。小柄で華奢でとびきり綺麗な顔をしていた。

 

「あれぇ? アンヌは?」
「ソノカちゃんが煙草は嫌いだって言ったから、外で吸ってくるって出てったぜ。ねえねえ、ソノカちゃん、俺とつきあわない?」

 

 前半は僕に向かって、後半はソノカさんに向かってゴーさんは言い、ソノカさんは目をしばたたいた。

 

「そんな、私はゴーさんのことなんかなにも知らないのに……ゴーさんだって私のこと、なんにも知らないでしょ」
「つきあったら知れるじゃないか」
「ろくに知りもしないのに、私のどこが好きなんですか?」
「美人だから」

 

 けろっとゴーさんは応じ、ソノカさんは僕を見た。
 音楽業界人種ってのはこういう奴が大半なんだよ。女性とつきあうことを深くなんか考えていないから、吉丸さんやフジミさんみたいな輩ができあがる。ゴーさんも同類だとはアンヌに聞かされていた。僕は運んでいったウィスキーやおつまみののったトレィをテーブルに置き、ソノカさんに質問した。

 

「あなたってどういうひと?」
「小説家の卵で、大学院生です」
「小説家? そんなひとがどうしてミュージシャンにまぎれこんでるの? 知可子さんの紹介とか?」
「知可子さんってどなたですか」
「知可子さんは小説家ってか、ケータイ作家だよ」
「ケータイ作家は小説家ではないんじゃないでしょうか」

 

 どうちがうのか僕にはわかりづらいが、ケータイ作家と小説家の差は、焼き肉の煙と煙草の煙ぐらいはちがうのだろうか。どっちにしても、ソノカさんは知可子さんを知らないらしい。

 

「半年ほど前に、出版社の新人賞公募に小説を応募したんです。そのときに写真もつけておいたら、出版社から電話がかかってきたんですよ」

 

 あなたの小説はイマイチだったけど、美人だねぇ、指導してあげるからしっかり書いてみない? と編集者に言われ、ソノカさんは承諾した。

 

「どんな題材で書きたい? って訊かれたんで、音楽小説が書きたいって答えたんです。そしたら、編集者がさまざまな音楽家に会わせてくれました。クラシックやジャズや、沖縄の音楽をやってるひとや、フランスのシャンソン歌手やレゲエのミュージシャンや、そして、桃源郷のみなさんにも」
「なるほどね」

 

 今夜はその編集者も含めて、ソノカさんは桃源郷のみんなと飲んで語ったり、インタビューのようなことをしたりしていた。その流れでアンヌがソノカさんをも我が家に連れてきたのだった。

 

「僕は小説なんか読まないからわからないけど、ゴーさんは読むの?」
「読まないよ。もちろん、ソノカちゃんの書いたものだって読んだことないよ。ってか、まだ完成させてないんだろ」
「完成した作品はありますけど、これは駄作だと言われました。ただいま修行中です」

 

 素朴な疑問。駄作しか書けない作家の卵をなぜ指導する? 美人だからか? 小説の世界ってそんなふう? 芸能界もそんなものだろうから、おかしくもないのだろうか。

 

「だったら卵ってよりも、作家志望、修行中だろ」
「デビューは保証されてますから」
「駄作なのに? 美人って得だな」
「得じゃありません」

 

 きっ!! という表情になって、ソノカさんは言った。

 

「ゴーさんみたいに、中身も知らないのにつきあってほしいという男性もいる。作家としての勉強をしている間には、セクハラも受けました。私の中身なんか見てくれない男ばっかり」
「どんな中身? ってか、中身なんかあるの? 内臓だの皮下脂肪だのだったらあるんだろうけどね」

 

 こんな会話をどこかの誰かもやっていたような記憶がある。美人はみんな、私の顔ばかりじゃなくて中身を見て、と言いたがるらしい。美人の仲間であるアンヌはそんなことは言わないが。

 

「皮下脂肪って、私は体脂肪は少ないですよ」
「うん。そういう意味じゃないんだけどさ……セクハラ?」
「ええ、セクハラされました」
「痴漢にも遭う?」
「痴漢は案外、私みたいな上等の美人には寄ってこないんです」

 

 真顔で、私みたいな上等な美人、って言うか? カンナさんが聞いたら内心噴火するのではなかろうか。

 

「わりに社会的な地位の高い男性でないと、私には手を出せないみたいですよ。編集者ってプライドが高くて、エリートだって自分では思ってるんです。作家の卵なんて存在は自分のさじ加減ひとつでどうにでもなると勝手に決めてるから、美人にセクハラするのも日常茶飯事なんですよね。由々しき事態だ」
「俺らの業界にもよくあるよ。俺はきみがセクハラされてたって、セクハラに乗っかって成功しようとたくらんでたって気にしない。野心のある女は好きだよ」
「話がずれてます。気にするのは私です」
「いや、きみが俺の女になるんだったら、俺にだって関係あるだろ」

 

 きみのためだったらセクハラ男を撃退してやる、ではなく、俺は気にしない、か。ゴーさんらしい。

 

「なりませんから」
「遠慮しなくていいんだよ。きみは単なる作家の卵。俺は成功したミュージシャン。俺のほうが上だからって引け目に感じなくていい。きみも近いうちには本物の作家になるんだろ」
「あのねぇ……」

 

 ふーむ、ゴーさんの論理はこうなのか。ここまで厚顔無恥だといっそあっぱれだ。

 

「女は美人だってだけで値打があるんだよ。だからさ、遠慮しないでいい。俺の女にしてやるから」
「けっこうです」
「卑下すんなよ」
「してません」
「卑屈になるな」

 

 ことここに至ると、ゴーさんはわざと言っているのかと思えてきた。からかっているのかもしれないし、あわよくば、なのかもしれない。僕はふたりに水割りを作ってあげた。

 

「どうして私が卑屈になる必要があるんですか。私には卑下する要素なんかありません」
「ふーん、アンドロイドみたいだね」
「……ゴーさんって彼女はいないんですか」

 

 別方向から反論でもするつもりか、ソノカさんの質問にゴーさんはさらっと答えた。

 

「いるよ」
「……お話になりませんっ!!」
「まあまあ、興奮しないで。俺に彼女がいると悔しい? まあ、あいつには飽きてきてるから、きみのために別れたっていいんだけどね」
「その女性は美人ですか」
「美少年だよ」
「……」

 

 やはりからかっている。吉丸さんじゃないんだから、ゴーさんは美少年と恋人同士になる趣味はないはずだ。

 

「彼女って言ったじゃありませんか」
「あ、まちがえた。美人だ。決まってんじゃん。俺は綺麗な女としかつきあわないんだから」
「……頭が痛くなってきた……」
「そっか。惚れてきたの? やめたほうがいいぜ。俺に惚れると怪我するぜ」

 

 とうとう僕はぶっと吹き出し、ものすごい目でソノカさんに睨まれた。どこからともなくあらわれたアンヌがうしろから、ゴーさんの頭をごんっとやる。ゴーさんは頭を抱えて椅子からわざとらしくころげ落ち、フロアで唸っている。アンヌはソノカさんに言った。

 

「作家になりたいんだったら、こんな変人と触れ合うのもいい経験だろ」
「アンヌさんもぐるになって、私を愚弄したんですか」
「ふふふん」

 

 その通り、と言いたいのか、アンヌは笑いながら足先でゴーさんをくすぐっている。まったく僕の奥さんは人が悪いのだが、お人よしなんてアンヌじゃないんだから、こんなアンヌが僕は好きなんだから。

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

205「手がかり」

しりとり小説

 

205「手がかり」

 

 可もなく不可もなくだったのかもしれないが、どうにかはじめての仕事を一年間やり遂げられた。昨年度は飛ぶようにすぎていったとしか思えない。入学式では校長の訓辞がラストになされるので、副校長である久水の挨拶が先だ。去年は来賓も父兄も子どもたちの顔もまともに見えていなかったな、と久水は去年の自分を思い出す。

 

 今年はそうでもなく、緊張していたり張り切っていたり、元気が良すぎて近くの席の子どもにちょっかいを出したり、なぜかべそをかいていたりする、新入生たちの様子もよく見えた。

 

「出雲先生、面会したいとおっゃる方が見えてるんですけど……」
「はい、どなたでしょうか?」
「二年生のお母さまで、石飛さんとおっしゃるそうです」

 

 お通ししてもよろしいですか、と尋ねる事務員に承諾の返事はしたものの、久水は首を傾げた。
 独身時代には小学校教諭として十年弱勤務し、結婚して妊娠したので一旦退職した。教師の仕事は育児とも両立できなくもなかったのだが、久水の母も教師で、よその子どもにばっかり愛情を注いでいるように見えたのが不満だった記憶があった。

 

 私は我が子の母親に専念したい。夫も賛成したので、十五年ほどは専業主婦として暮らしていた。下の娘が来春に中学生になる予定だった一昨年、母方の親戚から依頼を受けたのであった。

 

「再就職するつもりなんでしょ? だったらうちの学校に力を貸してくれないかな」
「私立青葉学院ですよね」
「そうですよ。青葉学院小学校のほうね。久水さんはもとは小学校の先生なんだし、児童のお母さんとは年頃も近いでしょう? 副校長のポストが空席になるんで、お願いしたいのよ」
「副校長なんて私につとまりますか」
「正直言って激務でもないし、それほどには大変じゃないのよ」

 

 悩みはしたのだが、夫も娘たちも勧めてくれたので、久水はその仕事を承諾した。
 肉体的にはたしかにそれほど大変でもなかったが、精神的には疲労した。それでも副校長なのだから、児童の担任をするわけでもなく、責任者としても校長の手助けが主な仕事だ。一年がすぎて久水もようやく一息つけるようになった。

 

 ポスト柄、児童の親と面接するようなこともめったにない。石飛亜衣という名の新二年生の女の子。その母、桐子。名簿を見つつ久水は石飛桐子を待っていた。

 

「お忙しいところ、どうもすみません」
「いえ、こちらこそ」
「出雲先生、私を憶えておられませんか?」
「えと、お母さまを、ですか」
「旧姓は黒木というのですよ。先生の旧姓は織田さんですよね。織田久水さん」
「ええ、そうですけど……」

 

 昔なじみなのか? 改めてまじまじと彼女の顔を見たが、久水は桐子を思い出せなかった。

 

「中学校のときに同じ学校でした」
「……同じクラスでした?」
「いいえ。クラスが同じになったことはありません」
「……同じ学年ですか?」
「そうですが、クラスは別です」

 

 人口密集地の大きな中学校だった上に、中学時代には特に印象的な出来事もなかったので、久水の記憶には十二歳から十五歳までの年頃があまり残っていない。黒木桐子という名の女生徒も思い出せなかった。

 

「副校長の出雲先生……先生も結婚なさって苗字が替わってるから、私もすぐに思い出さなかったんですよ。でも、去年の運動会のときだったかしら。先生をお見かけして記憶がぱーっと戻ってきました。あの織田さんだっ!! ってね」
「すみません。石飛さんと私の間になにかありました?」

 

 目を細めて久水を凝視してから、桐子はほっと吐息をついた。

 

「そういうものなのかもしれませんね。わかりました。先生は覚えていらっしゃらないと」
「すみません。申し訳ありません。詳しく教えて下さいな」
「いいんです。では、失礼します」
「石飛さん、待って下さい」

 

 待ってはくれず、桐子は帰っていってしまった。
 個人的な用件、しかも児童のことではなく、母親と久水が中学生のころに同じ学校で同じ学年だったというだけだ。放っておいてもいいのかもしれないが、桐子の暗い瞳が気になった。

 

 子どもたちの母親と久水が同年輩だと、親戚の者は言った。久水は四十六歳なので、小学生の母親はもっと若いのではないかと思ったのだが、そうとも限らない。昨今は晩婚晩産の女性も多く、桐子だって四十五歳で七歳児の母だ。名簿によると石飛亜衣には別の小学校に通う十歳の兄がいるようだが、それでも桐子の出産は遅いほうだろう。

 

 私立青葉学院は女子校で、小学校から大学まである。生徒は裕福な家庭のお嬢さまがほとんどで、桐子の夫も弁護士だ。勉学優秀な女子校として、青葉学院はエリートの妻養成校のようにも言われていた。

 

 母親の職業は主婦となっている。久水は石飛亜衣の名簿を詳しく読んでみたが、たいした事実は判明しなかった。

 

 胸の中にわだかまりは残ったものの、家族や同僚に相談するほどのことでもなさそうだ。桐子は娘の通う小学校の副校長が同窓生だと知って訪問してきたものの、久水のほうが覚えていないと言ったのでがっかりしたのだろう。それだけだと思っておいた。

 

「こんな手紙が届いてるんですよ」

 

 ところが、それから一週間ほどしたある日、久水は校長から封書を手渡された。校長の名前のみの宛名しかないので、直接学校のポストに入れていかれたのだろう。

 

「出雲先生は教育者としていかがなものなのでしょうか。
 彼女の子どものころの素行を調査なさいましたか? 問題ありですよ」

 

 短い文面の手紙で、久水にはさっぱり意味がわからない。なんなんですか、これは? と校長を見返した。

 

「先生方の間に噂が起きてるんです。先生方は誰かのお母さんから聞いたらしいんですが、出雲先生が子どものころにひどいイジメをしていたと」
「イジメ?」
「なにをなさったんですか?」

 

 子どものころにイジメの加害者になった、この私が? 久水は思い出そうとした。

 

 幼稚園のころに友達と喧嘩をして、その子の名前も忘れてしまったが、あんたとは遊んであげない!! と意地悪を言ったことならある。いいもんいいもん、と相手も言ってしばらくは仲違いしていたのだが、いつしか仲良しに戻っていた。

 

 同じころに男の子に髪を引っ張られたり、帽子を取られたりしたこともあるが、母や先生は、あの子、久水ちゃんが好きなんじゃない? と笑っていた。好かれていたのかどうかは知らないが、あれは久水が苛めたのではなく苛められたのだ。そのくらいの細かな出来事だったらあったが、誰にでもあるのではなかろうか。

 

 小学校のころにも近いことはあった。グループが半々に分かれて反目し合ったり、男の子たち対女の子たちで喧嘩腰の議論をしたり。

 

 中学生のときには……それほど子どもっぽいことはしなくなったので、久水は軽いイジメにも巻き込まれたことはない。高校生ともなると、子どものころとは言わないだろう。

 

「覚えてませんけど……」
「意外とイジメはね、苛めたほうは忘れてるんですよ。よーく思い出してみて下さい」
「そう言われましても……」

 

 老人といっていい年頃のいかめしい女性校長は、きびしい表情で久水をねめつける。彼女は手紙も噂も信じ込んでいるようだが、どれだけ記憶を探っても思い当らない。久水は幼稚園や小学校のころの諍いを口にした。

 

「そのくらいのことではないと思いますけどね」
「私にはそれしか思い出せません」
「その程度だったらここまでは……あなたが忘れているのかもしれませんよ。出雲先生、しっかり考えて下さい」
「すこし時間を下さい。思い出してみます」

 

 そうとしか答えようのない久水に、これは深刻な事態なのですよ、と校長は宣告した。

 

 いじめ事件は学校としては大問題だろう。過去のことであっても、副校長がイジメの加害者となれば由々しき事態だ。教師たちにも遠巻きにされているように感じる。久水は頭が痛くなるほどに、想い出を掘り起こした。

 

 ひとつだけ思い当るふしがある。石飛桐子、旧姓黒木。彼女との面接が無関係だとは思えなくなってきて、久水はいとことの国際テレビ電話での通話を選択した。

 

「……久実ちゃん、覚えてない?」
「久水の中学のときのことねぇ。同じクラスじゃなかったもんね」
「黒木桐子って子、覚えてない?」
「知らないな」

 

 父親同士が兄弟なので、姓も同じ織田、祖母の名前からひと文字もらった「久」の字もかぶっていて、中学校も同じだった久実と久水。ただし、読み方は「くみ」と「ひさみ」だ。

 

 高校は別々になり、大学は久実のほうがイギリスに留学してしまったので、疎遠になっていたいとこ。久水としては久実を忘れかけていたのもあったのだが、藁をもすがる気分で彼女に連絡を取ってみた。久実は現在ではイギリスで結婚し、夫とふたりしてロンドン郊外でオリジナル家具を作っている。五人もいる子どもたちも、自然豊かな土地でのびのびと育っているようだ。

 

「思い出してみるよ」
「うん、お願いね」

 

 毎日毎日、思い出しましたか? と校長に責められる。ママ、やつれてない? と心配してくれる家族には、イジメ問題など迂闊に口にできない。児童とは触れ合わない仕事だが、教師たちにも白い目で見られているような気がしていた。久水は再び、久実にテレビ電話をかけた。

 

「黒木、黒木桐子。思い出したよ」
「そうなの? 黒木さんって嘘つき?」
「いやぁ、あのさ……」

 

 長年リアルでは会っていない、テレビ電話だってめったにしないので久実の顔を見るのは実に久しぶりだが、近頃はやつれ気味の久水よりは十も若いのではないかと思えた。同い年なのに、気ままな芸術家はいいわね、と久水は言いたい。

 

「かなり巧妙にやっていたのかな、誰も気づいていなかったんだね。久水も知らなかったよね?」
「なんのこと?」
「あたしだよ、あたし」
「ええ?」
「執念深いなぁ。怖いなぁ。三十年も前だろうが。あたしだって忘れてたさ。そんなことでねちねち言ってくるなんて、あの女は今でもそんな性格か」
「久実ちゃん、なんのことよ?」

 

 のらくらしているのを聴き出してみると。

 

 三十年以上前、中学校の工芸クラブに所属していた久実は、同い年の黒木桐子と知り合った。工芸クラブなのだから女子は少なくて、久実としては友達ができたみたいで嬉しかったのだそうだ。

 

「あたしも忘れてたんだけど、あいつ、陰湿な性格なんだよね。綺麗な子ではあったけど性格最悪。あたしの好きだった先輩にぶりっ子して取り入って彼女になっちまいやがったのもあって、仕返ししたの」
「仕返しってどんな?」
「忘れたけど、いやがらせとかさ。いやぁ、あたしもあのころは思春期の意地悪少女で、けっこうあくどい真似もしたかもね。ったって、過去じゃん、しつこいんだよ」
「久実ちゃん……」

 

 まったくの他人ならば、人違いですっ!! と叫べるだろう。冤罪ですっ!! 私はイジメなんかしていませんっ!!
 けれど、実際に黒木桐子を苛めていた者がいる。人違いなのは事実だが、まちがえた相手が悪すぎる。外見も名前もよく似た織田久実。冤罪を晴らそうとすれば、桐子はなんと言うだろうか。

 

「そうですか。出雲先生のいとこ……身内にそのような女性がいらっしゃる方なのに、教育者としてはいかがなものでしょうか? みなさん、どう思われますか?」

 

 公衆の面前で身の潔白を証明しようとしたら、そう反論されそうで、久水の気分は暗澹としてきた。

 

次は「り」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラスの靴63「正論」

「ガラスの靴」

 

     63・正論

 

 かっこいいロックお姉さんが可愛いロックガールだったころ、アンヌはアマチュアロックバンドで歌っていた。そのころからのファンだというカンナちゃんが、今夜は僕の家族と一緒にごはんを食べている。

 

 でかくてごつくて、はっきり言って顔も不美人、というよりも不美人以下の女の子には、若くても世の中は残酷なようだ。ブスだなんて正直に言うとアンヌが怒るのは、カンナちゃんを妹みたいに思っているからか。アンヌは恋ではないと思うが、カンナちゃんのほうはアンヌに恋心に似た感情を抱いているのかもしれない。

 

 高校生のころにだって、アンヌのバンドの男どもは、こんな女にファンになられたくないと言ったらしい。最近もバイト仲間のクリーニング屋さんの主婦が男を紹介してくれたら、その男は焦って逃げたらしい。僕も男だから、男の気持ちはわからなくもないが。

 

 気の毒な境遇のカンナちゃんには同情が起きるのもあり、食事くらいは喜んでごちそうしてあげたい。僕が作った揚げ物やサラダをおいしそうに食べているカンナちゃんに、息子の胡弓が言った。

 

「おねえちゃんのお口、おっきいね」
「うん、おいしいから大口あけて食べちゃうんだ」
「おなかもおっきいね。赤ちゃんがいるの?」
「……」
「こらっ、胡弓!!」

 

 ママに怒られた胡弓はびっくりして泣き出し、カンナちゃんもべそをかいてしまった。大きな図体をして、カンナちゃんは気が弱いらしい。気が弱いからこそ自棄になるととんでもないことをしでかす、その典型みたいな女の子なのだ。

 

「胡弓、胡弓、よしよし。もう眠くなったんだよね。パパが絵本を読んであげるから、歯を磨いてねんねしよう。カンナちゃん、ごめんね。カンナちゃんはアンヌにまかせるから、ね、胡弓、おねえちゃんとママにおやすみなさいは?」

 

 うえーん、と声をあげて泣いている胡弓を抱いて頭を下げさせ、僕がかわりに、おやすみなさーい、と言った。アンヌはカンナちゃんをなだめていて、僕は胡弓を洗面所に連れていき、歯磨き、洗顔をさせる。息子は三歳だから、まだひとりではなにもできない。

 

 三歳だからこそママに叱られたのを忘れるのも早くて、ぬいぐるみや絵本でごまかすのもたやすい。胡弓を寝かしつけてダイニングキッチンに戻ると、カンナちゃんも泣き止んでいた。

 

「えーと……あれ? お客さんだね」
「笙、出ろよ」
「はーい」

 

 気づまりなので、新たなお客さんが来てくれるのはありがたいかもしれない。玄関のスコープから覗いてみると、外に立っているのは西本たつ子、竜弥の親子だった。

 

「アンヌさんには連絡したんだよ。今夜だったら早く帰れるからって、時間もアンヌさんに指定されたんだ。ママもアンヌさんに会いたいって言うから、連れていっていいかって訊いたのもOKしてもらったよ」
「そうなんだ。僕は聞いてないけど、約束なんだよね。入って」

 

 お邪魔しまーす、と竜弥くんは言い、母と息子が我が家に入ってくる。そうそう、竜弥が来るんだった、とアンヌも呟いていた。

 

 桃源郷のドラマー、吉丸さんの次男を産んだ未婚の母、西本ほのかさん。ほのかさんのマンションに同居するようになった謎の美青年が竜弥くんだ。きみはほのかさんのなに? と尋ねてもはぐらかしてばかりいた竜弥くんの正体が先ごろようやく判明した。

 

 この母と息子はほのかさんと姓が同じ。すなわち、たつ子さんはほのかさんの兄の妻で、竜弥くんはほのかさんの甥にあたるのだった。

 

 叔母と甥が恋仲にならないとは限らないので油断はできないが……ってのもあるが、まあまあ一安心。って、僕が安心する必要もないが。吉丸さんの事実上の妻、ただし男、のミチも、怒る必要もないのに怒っていた。なんだ、だまされてた、心配して損したっ!! などと。

 

 母という立場は同じだが、えらくちがったタイプのたつ子さんとアンヌが、はじめましての挨拶をかわしている。カンナさんも紹介し、大人ばかり五人でお茶の時間になった。

 

「カンナちゃん、泣いてた?」
「そうなんだよ、竜弥くん。胡弓がちょっとね……」
「カンナもあれくらいで泣くなよ」
「……うん、ごめんね。ほんとのことだもん。あんなちっちゃい子は正直に、思ったことを言うよね」
「なに言ったの? ああ、まあ、だいたいわかるけど……」
「竜弥さん、失礼よ」

 

 たつ子さんが竜弥くんをたしなめたということは、この親子の想像はだいたい当たっているのだろう。たつ子さんはお説教口調になった。

 

「人間は外見じゃないのよ。カンナさんだって外見なんか気にしなくていいの」
「そお? 人は見た目が八割、なんて説もあるよ」
「竜弥さんは黙ってなさい」

 

 ぺろりと舌を出す竜弥くん、きょとんとしているカンナさん、わずかに眉をひそめているアンヌ、このおばさん、なにを言い出すんだろ、の僕を前に、たつ子さんは語った。

 

愛するよりも愛されるほうが幸せだなんて嘘よ。相手を愛さなくちゃ。信頼しなくちゃ。

 

 だけど、愛したほうが損だともいえるよ。アンヌと僕は相思相愛だから問題ないけど、ほんとはちょっとだけアンヌの愛のほうが上回ってるんじゃないかな。でなけりゃ一生懸命働いて、僕を養ってはくれないでしょ?
 これ、僕の内心でのつっこみ。以下同じ。

 

 大切にしてくれる相手とつきあうことが肝要よ。浮気をしたり暴力をふるったりする男性は絶対に駄目。信頼できて、彼もあなたを大切に想ってくれるひとを探しなさい。

 

 うん、たつ子さんは夫が絶対に浮気はしてないって信じてるんだよね。表面上はあなたの夫はあなたを大切にしているふりをしている。知らぬが仏、ってね。

 

 女性には主婦という大切な役割があるのだから、金銭的にはご主人の収入に頼ってもいいの。でも、精神的には自立していなくちゃね。私は経験上、言っているのよ。ええ、もちろん私は精神的には主人に依存したりはしていないわ。

 

 精神的自立かぁ。むずかしいな。僕はアンヌがいなくちゃ生きていけないけど、アンヌはそんな僕を可愛いと思ってくれてるんだから、それでいいんだ、うん。

 

 未来をも見据えた恋をしなくちゃいけないわよ。今がよければそれでいい、なんて刹那的な恋は楽しいかもしれないけど、虚しいでしょ?
 具体的に言えば結婚。
 あなたと愛し合い、大切にしてくれ、信頼できて、それでいて精神的には自立している関係の男性と堅実に恋をして。結婚するのが女の幸せよ。

 

 口ではなんとでも言えるんだから、結婚から逃げるような男性は駄目。きちんとプロポーズしてくれる男性がいいわね。そこはやっぱり男性に責任を取ってもらわなくちゃ。

 

 なんだか矛盾してない? 女性が愛することが大事なのだったら、プロポーズも女性からしてもよくない?
 もっとも、たつ子さんは昭和の女だから、こんな主義でもしようがないのかな。それにしても、ほんと、おめでたいおばさんだ。

 

 いつの間にかアンヌの姿は消えている。毒舌で辛辣な口をきくのがかっこいいアンヌではあるが、昔気質の主婦を相手になにを言っても徒労だと感じたのか、外へ煙草でも吸いにいったのか、胡弓の部屋か、バスルームか。どこかにいるのだろう。

 

 竜弥くんはにやにやしていて、腹に一物ありそうではあるが黙っている。僕も黙って聞いている。カンナちゃんはと言えば、目を丸くして聞き入っていた。

 

「わかった? 恋愛の極意って案外、こんなものなのよ」
「……はい」
「あなたにだっていいひとがきっと見つかるわ。人間は外見じゃないのよ」
「はい」
「素直ねぇ。いい子ねぇ」
「ママ、こんな嫁がほしい?」

 

 ちらっといやな顔をしたものの、たつ子さんは素早く体勢を立て直して息子に言った。

 

「そうね。いいわね。竜弥さん、カンナさんとつきあったら?」
「……えっ?!」
「そうよそうよ、それがいいわ。カンナさんはいやじゃないわよね」
「……え」

 

 え、えっ、えーっ、と双方ともにえーえーしか言わない。カンナちゃんは真っ赤になってハンカチを取り出し、あつぅぃ!! と小声で叫ぶ。母親の手前か本人を前にしているせいか、竜弥くんも困惑顔で、お断りっ!! とも言えないらしい。

 

 ぽーっとピンクになった頬をして、目をウルウルさせている女の子は愛らしいものだが、カンナちゃんだとなぁ……僕だって……おっと、アンヌに怒られるから言えない。

 

 いや、しかし、意外とこのおばさん、息子にも意地悪なのかも? 竜弥くんがOKしたら自分だっていやだろうに、息子を苛めて楽しむ母。被害者はカンナちゃん。世の中って美しさのかけらもない女には、とことん残酷なのである。

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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