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2019年10月

203「血も涙も」

しりとり小説

203「血も涙も」

「博也くん、久しぶり。あなたの子、保育園に入ったのよ」

 知らない女、というのは波津美から見た場合であって、博也にとってはモトカノなのか。博也も青ざめたが、波津美だってショックを受けた。

「僕の……子? そんなはずは……だって、あのとき、避妊したはずじゃないか」
「避妊なんて万全じゃないって知らないの? そういうことだから……」

 そういうことだから……の後をなんと続けたいのかは知らないが、女は首を振り振り立ち去ろうとした。
 ふたりで映画を観ようと、繁華街にやってきた休日。映画館の前で博也のモトカノに出会ったまではしようがないのかもしれないが、彼女の台詞は衝撃的すぎる。羽津美は彼女を呼び止めて質問した。

「子どもさん、いくつですか?」
「二歳になったの。やっと保育園に入れて、私もきちんと働けるわ。あなたには……」

 ご愁傷さま、と小声で言い、流し目と微笑を波津美に向けて、彼女は映画館に入っていった。

「二歳ってことは妊娠したのは三年前くらいね」
「え、えーと……僕はそんなことは……」
「したって認めたじゃない? 私たちは正式な夫婦じゃないけど、三年前だったらもう同棲してたよね? 裏切りだよね」
「波津美ちゃーん」
「ちょっと、しばらく考えさせて」

 結局、波津美は博也と別れたので、その後の展開は知らない。博也とは結婚するつもりで同棲をはじめたのがずるずる行っていて、このままではいけないな、と思っていたのだが、結果的にはバツがつかなくてよかったのだった。

 当時、波津美は二十九歳。二十代のうちはまだのんびりしていられたのだが、三十歳を目前にすると少々焦ってくる。結婚はしたい、出産もしたい、と考えると、女にはタイムリミットがあるのだから、そこからは積極的に結婚相手を探すことにした。ただの彼氏ではなく結婚できる相手だ。

 条件的にも心情的にも、この男ならいいか、と思えたのが俊二。波津美だって女としての容姿も条件も悪くはない。細身中背、そこそこの美人で、しっかりした会社で働く正社員だ。俊二も波津美との結婚に乗り気になった。

「ひとつだけ、心配があるんだよね」
「なんだろ」

 どちらからプロポーズしたというのでもなく、三十歳同士のカップルならば結婚に進むのが自然だよね、といった感じで結婚が決まると、俊二が言い出した。

「心配だったんで、ネットの匿名相談を見てみたんだ」
「だから、なんの心配?」
「見て」

 自ら相談してみようかとも思ったのだそうだが、類似の相談はいくつもあった。俊二はスマホでその匿名掲示板を見せてくれた。

「彼に同棲しようって誘われています。私も彼が好きだから同棲したいんだけど、みなさんはどう思われますか?」

 同棲なんて女にとっては不利になるばかりだよ。
 結婚が決まったあとだったらまだいいけど、婚約もしていないのに同棲? だらしない、ふしだらな。

 私があなたのお母さんだったら大反対するわ。ちゃんとした家庭のお嬢さんは同棲だなんて、軽いことはしないものです。好き合ってるんだったら結婚しなさい。

 もしも別れてしまったらどうするの? 同棲すると結婚しないことも多いらしいよ。別れてしまったときに傷がつくのは女性なんだからね。軽々しく同棲なんかするものじゃないの。

「彼女と同棲したいんだけど、彼女はためらっています。僕としては大好きな彼女と一緒に生活できるなんて最高だと思うんだ。僕は二十一、彼女は二十三、結婚なんて考えられる年齢じゃないんだから、楽しく同棲できたら幸せなのに、どうして彼女はうんと言ってくれないんだろ」

 なんて無責任な男。そんなに好きなら結婚しなさい。
 私が彼女の友達だったら忠告してあげたいな。そんな男からは早く逃げろって。

 あなたはまだ若くて結婚なんて考えられないだろうけど、彼女のほうは結婚するには決して早くない。同棲じゃなくて結婚したいって言ってるんでしょ? 結婚したくないなら別れなさい。

 いいんじゃない? キミは男なんだから、同棲していた過去は武勇伝みたいなものだよね。けど、彼女はどうかなぁ。同棲経験のある女なんて汚れものだよ。キミと別れたら彼女は傷物ってことで、まともな男とは結婚できなくなるよ。日本人ってそういうところ、堅いってかなんてか。

 彼女がいやがるってことは、一緒に暮らすとあなたに欠点を見られるからじゃないかな。実は彼女、他にも男がいるとか? 結婚なんて男にとってはなんのメリットもないんだから、同棲で十分だよ。愛してる、愛してるんだからっ、っと説得して、それでもいやがったら、なにか僕に隠してることでも? って追及してみたら?

 いいなぁ、俺も無料の夜のお相手、ほしいなぁ。
 がんばって彼女を説得しなよ。ただし、妊娠だけはさせないようにね。
 なんでって? 責任取って結婚なんてことになったら地獄だからだよ。

「……私の同棲経験?」

 そのあたりまで読むと辟易してきたので、波津美はスマホから顔を上げて俊二を見た。

「心配ごとってそれ?」
「そうなんだ。俺はそんなに重くは考えてなかったんだけど、職場の先輩に相談してみたら、世間では女が同棲してたってのはいやがられるよ、ご両親には内緒にしておいたほうがいいよ、って言われたんで……」
「私は悪いことはしていないから」
「そうなんだけどね……」

 歯切れ悪く、俊二はむにゃむにゃ呟いていた。

「要するに日本では、同棲していた相手と結婚できなかった女を、ふしだらだの軽いだの傷ものだのと見なし、次につきあった男性の両親が知ると眉をひそめるという風潮があるわけですね。そのために反対する人が多い。ってことはつまり、偏見があるってことです。今どき、モトカレやモトカノがいたりするくらいは当然でしょう? それもいたらいけない、女は過去が真っ白じゃなかったらいけない、なんて言う人もいるかもしれないけど、そこまで言うのはお笑い沙汰じゃないですか。三十過ぎてモトカレやモトカノもいないほうが異常です」

 だからさ、内緒にしておこうよ、俺はそれほど深く考えてないけど、親は六十代なんだから……と俊二は言ったが、波津美はすべてを正直に話すほうを選んだ。

「俊二さんのお父さまやお母さまは、そんな偏頗な思想の持ち主ではないと信じています。私はかつて同棲していたことがありますが、過去とはすっぱり決別しているのです。そんなの、気になさいませんよね?」

 横で冷や冷やしているらしき俊二、苦虫をかみつぶしたような顔でいる父親、波津美が鮮やかに言ってのけると、ややあって俊二の母親が発言した。

「その件については我が家でも話し合ってみますので」
「……そうですか。偏見なんてあるわけないわ、って言っていただけると思っていましたが……いえ、はい、よろしくお願いします」

 俊二の両親に挨拶に行き、辞去した波津美を駅まで送ってくれる道で、俊二は深々と吐息をついた。

「堂々としてて、波津美ちゃん、かっこよかったけどね」
「ご両親は気に食わなかったみたい?」
「そうだねぇ。親父はこそっと言ってたよ。そんなこと、話してくれなくていいのに、って」
「私は隠し事は嫌いなんだよ」
「うん、波津美ちゃんらしい……俺はそんな波津美ちゃんが好きだけどね」

 でもさ、と俊二はいたずらっぽく言った。

「いいなぁ、ずるいなぁ、波津美ちゃんにばっかりそんな華々しい過去があって。うらやましいな。俺とも同棲しない? 俺はまだ急いで結婚なんかしなくてもいいんだから、波津美ちゃんと同棲して別れてからだっていいわけだよ。そしたら俺にも華やかな過去ができる」
「……ちょっと、俊二くん」
「だって、波津美ちゃんばっかり、ずるいんだもん。俺も同棲したいよ」

 同棲は初体験の女ならば、世間体がどうのこうのと逃げられるかもしれない。けれど、波津美の場合はなんの口実もつけられない。俊二は冗談を言っているのか、にしても、真実味もある。こんなことを言い出して波津美との結婚から逃れようとしているのならば、高等戦術? 

 どちらなのかを見定めるために、波津美はもう一度同棲するべきなのだろうか。

次は「も」です。


 

 

 

ガラスの靴60「本気」

「ガラスの靴」

     60・本気

「仕事の帰りにほのかと飲みに行く約束したから、おまえも来られたら来てもいいよ」
「行っていいの? やったっ!!」

 出がけのアンヌからお許しをもらったので、胡弓は両親の家でお泊りさせてもらうことにして、ひとりでその店に出かけていった。「インディゴ」という名のしゃれた洋風居酒屋だ。ミュージシャン好みの店らしく、そこここにそれっぽい人の姿がある。

 わりあいに広い店で、アンヌとほのかさんがいるのを発見するには時間がかかった。きょろきょろ見回してようやく見つけたほのかさんを、熱っぽく見つめる男がいるのにも同時に気づいた。
 四十歳くらいか。髪の長い渋いルックスをした、長身で痩せた男だ。彼はじっとじーっとほのかさんを見つめている。妙に気になったので、僕は先に彼に近づいていった。

「あなたってミュージシャン?」
「あ? そうだけど……きみは?」
「どこかで会ったこと、あるかな。僕は新垣笙っていうんだ。僕は専業主夫なんだけど、奥さんがミュージシャンなんだよ」
「専業主夫……笙……聞いたことはあるような……奥さんって?」
「新垣アンヌ」
「……ああ」

 いくぶん離れた席にはほのかさんがいて、その隣にはアンヌもいる。ああ、とうなずいた彼の態度は、アンヌを知っているという意味だろう。伊庭と名乗った彼は小声で言った。

「俺が彼女に見とれてたから、ストーカーだとでも思って警戒して、それできみが寄ってきたのか」
「ストーカーだとまでは思わないけど、どうして見てるのかなとは思ったよ」
「……出ようか」
「出るの?」
「よかったら聞いてほしいんだ」

 同じ店内にほのかさんがいるからなのか、よそに行きたいらしい。好奇心全開になったので、僕は彼についていった。アンヌには何時に来ると約束はしていないから、遅れても怒られないはずだ。

「バンドやってるひと?」
「いや、俺はスタジオミュージシャンだ。ベーシストなんだよ」

 低くて渋くていい声だ。ルックスもいいからもてるだろう。ミュージシャンってやたらもてるんだよね、と憎々しげに言う、ミュージシャンの彼氏や夫を持つ女はよくいる。女のミュージシャンももてるが、変人が多いので男のミュージシャンほどではないかもしれない。

 女のほうが許容範囲が広いのかな。僕はやっぱ女っぽいのかな。別にそれでもいいけど、なんて首をすくめて、伊庭さんに連れられてきた店でカンパリソーダを飲んでいた。

「主夫で奥さんがいるって言うんだから、そっちの趣味じゃないだろ。バイだったりするのか?」
「僕はバイでもゲイでもないよ」
「だよな、安心したよ」

 ちょっとだけ心配していたのか。そんなに簡単に信じていいのぉ? などと言うとややこしくなるので、話ってなに? と見つめ返した。

「あの女、ほのか、知ってるんだろ」
「知ってるよ。ほのかさんの三番目の子の父親は、アンヌのバンドのドラマーだからね」
「ってことは、ほのかの三番目の旦那?」
「んん? あなたこそ、知らないの?」

 年上の男は「くん」付けにするのが正しいはずだが、ここまで年上だと「さん」付けのほうがいい。某ジャニーズ事務所でも、「木村くん」「中居くん」「東山さん」「マッチさん」と呼んでいるようだから、大先輩はさん付けにするべきなのだろう。
 
 それはともかく、意外に伊庭さんはほのかさんの境遇を知らないのか。言ってはいけない……のかな? とも思ったが、こうなったら全部言ってしまうことにした。

「ほのかさんは独身だよ」
「バツイチじゃないのか?」
「結婚はしてないんだ。未婚の母ってやつ。伊庭さんはほのかさんをどこまで知ってるの?」

 シンガーのバックバンドでベースを弾いたり、ギタリストのソロアルバムに協力したり、レコーディングに呼ばれてスタジオミュージシャンを務めたり、伊庭さんの仕事はそういうものらしい。アンヌのバンド「桃源郷」のレコーディングにも参加したことがあるそうだ。

 海外ミュージシャンの日本公演のときにも、伊庭さんは彼のライヴのバックバンドに加わっていた。そのミュージシャン、イギリスのジャズシンガーの通訳として働いていたほのかさんと、伊庭さんが知り合った。

「いい女なんだよな。ハートにずきゅーんっ!! っと来た。俺は当時は結婚してて、女房と娘がいたんだ。女房はどうでもいいけど娘が可愛いから、浮気はばれないようにやってた。女房も薄々は感づいてたんだろうけど、そうするさくは言わなかったよ。だからさ、いい女がいたら寝たいと思うんだ。そのへんはきみだってわかるだろ」
「まあね」

 面倒だからそう答えておいたが、僕はアンヌ一筋だから浮気なんかしたくない。しかし、男の生理は同性として理解はできる。特におっさんはこうなのだと知っていた。

「なのにさ、ほのかとは寝たいとは思わなかった。恋をしちまったんだよ。ガキのころの片想い……いや、中学生のときの片想いだって、その女の子とやりたかったよ。生々しかったよ。俺も四十に近くなって枯れちまったのか……いや、そうでもないんだ。ただ、ほのかって女を知りたくて……そばにいたくて……ガラでもなく、片想いの歌なんか書いたりして……」

 どこかで聞いた話のような気もするが、どこにでもころがっているエピソードなのかもしれない。

「ほのかとは仕事のつきあいはあったけど、自分の身の上を詳しくは話さない女なんだよな。子どもがいる、結婚はしてない、程度しか聞かなかった。惚れた女に子どもがいるなんて聞くとちっとはショックなものなんだけど、ほのかに限っては、この女だったらなんだっていい。なにがどうあれほのかなんだから、この女だったらすべてをそっくりそのまま受け入れようって気になったんだ」
「だけど、伊庭さんって結婚してたんでしょ」

 そうなんだよ、と切なげに、伊庭さんはストレートのウィスキーを飲んだ。

「だからさ、フェアじゃないから、離婚したよ。俺はほのかと不倫してるわけじゃないんだけど、頭もハートもほのかでいっぱいになっちまって、女房はもちろん、娘のことだってどうでもよくなっちまった。ほのかほのかほのか、ほのかだけでいい。ほのかはそれほどの女なんだ」
 
 ふーん、そうかなぁ、なんだってそう、ほのかさんに幻想を抱く男がいるんだろ。僕は女っぽいせいか、そこまで彼女が魅力的だとは思わないが。

「だから、慰謝料も養育費もたんまりせしめられて、マンションも取られて、それでも別れて身軽になったんだよ。ほのかのためだったら金なんかいらないんだ」
「で、求愛したの?」
「いいや、それがさ……」

 気持ち悪いほど純情そうに、伊庭さんは笑った。

「言えないんだな。たまにはほのかに会うんだけど、つきあってくれだとか、寝たいだとか、おまえがほしいだとか言えない。世間話くらいしかできない。さっきもインディゴに入ったらほのかがいた。近寄ってもいけずに見とれてるだけだ。ほのかって女神みたいだよな」
「……そぉ?」

 本当のほのかさんがどんな女性なのか知っても? 意地の悪い気持ちもあって、僕は話した。

「ほのかさんには三人の子どもがいるんだよ。上は白人とのハーフ、真ん中は黒人とのハーフ、三番目は日本人。一度も結婚はせずに、三人の子どもをひとりで育ててるんだ」
「……ほぉぉ」

 しばし絶句してから、伊庭さんは呟いた。

「すげぇ。かっこいいってのか……うまい言葉が見つからないけど、そんな女、いるんだな」
「……あなたも年の割に、言うことが幼稚だね」

 その反応は、ほのかさんがそういう母だと知ったときの、ミチや僕にそっくりではないか。

「がっかりはしないの?」
「なんでがっかりなんかするんだよ。さすがは俺の惚れた女だって……ますます惚れたよ。そんな女……そんなのだったらよけいに、俺は……無理だな。俺のものになんかできないな」
「だろうけどね」

 ウイスキーグラスをもてあそびながら、伊庭さんは吐息をついた。

「ノアもそんな女になったら、かっこいいよな」
「ノア?」
「俺の娘だよ」
「……ひょっとしてあなたの元妻って、静枝さんって名前?」
「へ? なんで知ってるんだ?」

 ぽかんと見つめ合う伊庭さんと僕。どこにでもありそうな話だからではなくて、聞いたことがあるのも道理。そうすると静枝さんの元夫ではないのか。

 公園でたまに会う、胡弓の遊び友達、乃蒼ちゃん。乃蒼ちゃんの母である静枝さんは、僕のママ友とも呼べる。僕はパパだが、やっていることは世間一般のママに近いのだから。
 静枝さんはバツイチで、夫が浮気をして離婚したとは聞いていた。夫がよその女に純愛をささげていたらしく、けっ、馬鹿馬鹿しい、みたいに、静枝さんは吐き捨てた。その元夫の名前は聞いていなかったが、ここにいる伊庭さんだったのか。

「そうかぁ、ほんとだったんだ」
「ほんとだったとは?」

 不倫ではなく、本気の恋。それが本当だったとしたら、いっそう許せないと静枝さんは言っていた。その気持ちもわかる気がする。
 奥さんにならばごまかすために、肉体関係はないと嘘をつくかもしれない。けれど、僕にはそんな嘘をついても無意味なのだから、そういう意味で、ほんとだったんだ、と僕は呟いたのだ。

 深いところはわかっていない伊庭さんを連れて、インディゴに戻るべきか。アンヌだったらなんて言うんだろ。伊庭さんの純情に水をぶっかけて踏みにじってぐちゃぐちゃにしたがる、かもしれない。ほのかさんも嘲笑いそうだから、連れていかないほうがいいのか。

 馬鹿らしいとか勝手にしたら? とか笑うのは簡単だけど、ほんのちょっぴりだけ、伊庭さんの気持ちを尊重してあげたい。そう思うのは、女っぽくても僕も男だからなのだろうか。

END

フォレストシンガーズ・短歌俳句超ショートストーリィ2019/10

フォレストシンガーズ

2019/10

 タイの気候に近づいてきていると言われる日本の夏。
 今年も猛暑、酷暑が続いていた。

 子どものころをすごした金沢の街に、猛暑日なんてあったただろうか。
 北陸も夏は暑いが、隆也の子ども時代には喘ぐほどの暑さは経験していないような。

 夏休みの楽しさのほうが勝っていて、子どもには暑さなんて感じにくかっただけなのかもしれない。
 故郷は甘いノスタルジーに彩られているものなのだから、子どもなりにたくさんあった不快感なんて、忘れてしまったのかもしれない。

「おや、こんなところに……コスモスって晩夏の花だよな。ちょっとだけ季節はずれ? でもない?」

 大人は快感よりも不快感のほうばっかり感じて生きてるものなんだなぁ、などと感じつつ、仕事で訪れた故郷の街を歩いていた隆也は、たおやかな花を見つけて足を止めた。

「秋風にこすもすの立つ悲しけれ危き中のよろこびに似て」与謝野晶子

 コスモスの花みたいな女性と出会わないかな、なんて、そんな雑念も起きる、今年も独身のまま迎えた秋。

END


 


ガラスの靴59・「不満」

「ガラスの靴」

     59・不満


 婚活をして必死になって相手を探す男女もいるが、なんの苦労もなく結婚した男女だっている。僕もそのひとりで、ここにいる科夢もそういう男の子のひとりだ。
 もうひとり、ここにいる巻田誠一くんはどうなのだろう? 婚活はしていないものの、必死で若い女の子にアタックして結婚してもらったのだそうだから、苦労はしたのだと思う。

 かたや、カムはアイドルのオーディションを受けにいき、テレビ局の女性に目をつけられて襲われて、その後に言葉たくみに取り入って彼女との結婚に持ち込んだ。
 昔だったら男女がさかさまだろ、と言われそうな結婚だが、僕だって昔ながらの風習からすれば男女さかさまの専業主夫なのだから、カムとトーコさんが幸せだったらそれでいいのだ。

「で、カムくんはドレスを着たの?」
「トーコちゃんがドレスは許してくれなかったから、フリルのついたシャツにしたんだ。ほんとは全身に花でもつけたかったんだけど、それだったら花嫁が目立たないからって却下されたんだよ」
「やっぱり」

 以前に会ったときには、カムはトーコさんとの結婚式で主役になりたいと言っていた。僕のほうがトーコさんよりも若くて綺麗なのに、花嫁さんばかりずるいと怒っていた。
 おしゃれは好きだけど、そこまでの目立ちたい願望はない僕にはカムは不思議だったのだが、そんな男もいてもいい。

 スマホに入っているカム&トーコの結婚式の写真を見せてもらっていると、のこのことやってきたのが巻田くん。僕はよほどでないと人を嫌いにならない性質だから、アンヌさんを僕にくれ、とほざいた巻田くんも嫌いにはなっていない。アンヌが断ってくれて安心しただけだ。

「よぉ、美少年がおそろいで」
「よぉ、太目のおじさん」

 むこうがイヤミっぽく言うので、僕も意地悪く応じてやった。
 
 音楽事務所の社員である巻田くんも、奥さんがテレビ局の社員であるカムも、奥さんがロックバンドのヴォーカリストである僕も、テレビ局とは無関係ではない。関係者しか入れないテレビ局の中のカフェにいると、パルフェに会えると聞いてカムと一緒にやってきた。

 パルフェとはフランスの女の子たちのアイドルグループで、来日している彼女たちがこのテレビ局に来るとは、アンヌが教えてくれた。
 
「わぁ、パルフェ。僕、けっこうファンなんだ。サインもらえないかな」
「あたしは行かないけど、そだ、トーコの働いてる局だな。カムもパルフェのファンだとか言ってたよ」
「だったら……」
「いいんじゃないか?」

 そこで久しぶりにカムに連絡すると、僕も会いたい、行こうよ、と言ってくれたのだった。巻田くんはパルフェに会いたかったわけでもなく、単に通りがかっただけらしい。
 
「ふーん、パルフェねぇ。あの子たちはうちの水那と変わらない年なんだよな」
「水那って巻田さんの妹?」
「いや、女房だ」
「巻田さんって結婚してるんだ。僕も結婚してるんだよ」
「ああ、そうなのか。笙くんもカムくんも結婚早いね。カムくんの奥さんも年上?」
「うん、十一年上」

 そのカムの奥さんのおかげで、関係者以外立ち入り禁止のカフェに入れたのだと話してから、カムが巻田くんに質問した。

「巻田さんの奥さんは若いんだね。どんなひと?」
「どんなひとって……僕は若い女が好きだったんだよ。きみらなんか自分が若いから、相手は年上でもいいんだろ。僕は若いころから年上になんか興味なかったけど、年上のいい女に憧れる坊やってありがちだよな。昔の僕だったら……」

 コーヒーに角砂糖を三つも入れて、巻田くんはまずそうに飲んだ。

「そんな年上の女と血迷って結婚したら後悔するぞって言っただろうけど、女は若さだけじゃないってつくづく思うよ。アンヌさんくらいがいいよなぁ。彼女は僕よりは若いし、背が高くて美人だし、収入もいいし。笙くんがうらやましいよ」
「だから、巻田さんの奥さんってどんなひとなの?」

 いやそうな顔をして、巻田くんは一気に言った。

「ブスだよ。ブスで寸胴で、アルバイトしかしたことがないから稼げない。家事だってやってはいるけどうまくない。メシもまずいし、掃除も行き届かない。結婚前にはすこし太ってても可愛いと思ったんだよ。若かったらそれだけですごく価値があると思ったんだ。僕の目は雲ってたんだね」
「すると、奥さんって巻田さんより下だと思える?」
「当たり前だろ。アンヌさんには、割れ鍋に綴じ蓋だとか言われたけど、僕のほうがよっぽど上だよ。少なくとも僕は稼げる。働いて収入を得ている」

 ふーん、と考え込んでいるカムに、今度は巻田くんが質問した。

「きみも主夫なのか?」
「主夫でもよかったんだけど、トーコちゃんは子どもを産みたくないらしいんだよね。そうしたら主夫はいらない。バイトくらいしろって言われたんで、ダンススタジオの仕事を紹介してもらったんだ。トーコちゃんの紹介だから、芸能人もレッスンに来るスタジオだよ」

 アイドルのオーディションを受けにいったときは、トーコさんが審査員側だった。トーコちゃんは僕を自分のものにしようと、オーディションを不合格にしたんだとカムは言う。
 しかし、もうカムはトーコさんの夫だ。自分のものになってからだったら、アイドルっぽい仕事をするのもいいのではないかと、トーコさんは考え直した。

「それでね、半分はバイトで、半分はレッスンもつけてもらってるんだ。僕はダンスはわりとうまいんだけど、歌が下手なんだよね。アイドルなんて歌が下手でもいいから、人数の多いグループのひとりぐらいだったらできなくもないかなって。もとアルバイト主夫のアイドルってユニークでしょ」
「ふーん」

 不満そうな巻田くんをちろっと見て、カムが言った。

「だけど、なんだかね……巻田さんがうらやましいよ」
「僕のなにがうらやましいんだ?」
「だって、僕はいつだって……」

 アイスティをひと口飲み、カムはもの憂い口調で続けた。

「トーコちゃんって三十代だけど、ほんとのほんとに二十五くらいにしか見えないんだよ。おしゃれで美人ですらーっとしてて、カムくんの奥さんってモデル? ほんのすこし年上なだけでしょ、ってみんなに言われるんだ。仕事もできて、子どもはいらないって言ったら、上司に安心されたって。トーコに休まれたらうちの職場は回っていかないんだから、産休なんか取られると困るってさ」
「自慢かよ」

 ひたすらに巻田くんは不満そうで、僕としても、なんでそれで巻田くんがうらやましいんだろ、と頭をかしげていた。

「僕ってアイドルになれるって言われるほどなんだから、イケメンっていうか……僕も年よりももっと若く見えるほうで、十代に見られたりもするんだから、美少年だよね」
「……」

 小声でぼそっと巻田くんが言ったのは、頭が悪いからだ、と聞こえたが、ひがみであろう。

「そんな僕は今までは、いつだってどこでだってみんなにもてはやされたんだよ。なのに、トーコちゃんと結婚したら、僕はトーコちゃんの添え物みたいだ。結婚式だって、トーコちゃんのペットみたいってか引き立て役ってか。つまんなかったよ」
「ふーん、そういう考え方もあるんだな」
「やっぱ僕、アイドルになりたいな」

 それで、なんで僕がうらやましい? と、巻田くんも僕と同じ疑問を口にしたが、カムは答えない。答えると失礼だからか。
 若いだけがとりえで、不細工で収入もなくて特になにもできない奥さんだったら、夫が優位に立てるからって? そんな考え方をする男もいるだろうが、僕にはそんな思想はない。

 うちの奥さんも年上だけど、巻田くんの言う通り、美人で稼ぎもいい我が家の大黒柱なのだから、息子の胡弓も僕も、アンヌのおかげでぬくぬく暮らせている。僕は妻を愛し、尊敬し、感謝している。
 うんうん、僕にはアンヌが一番だよ、と思っていると、カフェの入り口あたりがざわめいた。パルフェの女の子たちが入ってきたらしく、金髪が見えていた。

「トーコちゃんには内緒だけど、しばらくは我慢して将来は……」
「パルフェの女の子みたいな若い子と浮気して離婚するって?」
「それだったら同じじゃないか。いや、そうでもないのかな。アイドルなんて一過性なんだから、あの子たちも年を取ったらぶくぶく太ったおばさんになるのか。若さってはかないよな」

 おのれにも言い聞かせているような巻田くんの声は、もはやカムには聴こえていない。中腰になってパルフェの女の子たちに見とれている。僕もカムと同じ姿勢になり、意識がパルフェに集中してしまったから、巻田くんの繰り言なんか聞いてはいなかった。

つづく

 
 

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