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202「仕打ち」

しりとり小説

202「仕打ち」

 クールなつもりでいたけれど、生まれてはじめての恋に、兼子は我を忘れた。
 三十一歳にして初恋だなんて、そんなはずはないでしょう? と周囲の皆は笑う。子どものころには好きな男の子がいた記憶もあるし、大学生まではちょっとしたつきあいだったらしたが、あんなものは恋ではなかった。

 なのだから、初恋なのだ。初恋を成就させて結ばれたなんて、私はなんて幸せ者なのだろう。こっちから好きになって、追いかけて告白してプロポーズして、私のものにする、兼子にはそんな恋が性に合っていたらしい。

「会社、やめてきたよ」
「え? そうなの?」
「そう。俺はもう働くのに疲れたんだよ」
「そ、そうなんだね。まあ、しばらく休めばいいよね。次のあてはあるんでしょ」
「ないよ。働くのに疲れたって言っただろ」
「そしたら……どうするの?」

 寝耳に水とはこのことだ。兼子は外食産業で働いていて、一店舗をまかされている。正社員なので年収も悪いほうではないから、夫の収入がなくても暮らしてはいけるだろうが、ひとこと、相談くらいするものではないのだろうか。

 バツイチだけど子どもはいない、前の妻とは性格の不一致で離婚した、兼子は三次からそう聞いていた。三次は兼子よりもふたつ年下の二十九歳。若すぎた結婚だったんだろうな、と解釈して、兼子は三次にプロポーズした。今度こそ、私が幸せにしてあげるから、と。

「主夫になるよ」
「はぁ……」
「男女同権だろ。男にだってその権利はあるはずだよ」
「私は女性の主婦ってのも嫌いだけど、私がそんなものになるつもりはないけど、妊娠出産、子育て時期だけだったら主婦はかまわないと思うのよ。女性の主婦ね。だけど、男性は出産はしないんだから……」
「兼子、子どもがほしくなった? 産んでもいいよ。俺が育てるから。それだったらいいんだろ」

 今はそんな話はしていないんだけど……と言いかけた兼子に背を向けて、三次はソファに伸びてしまった。

 会社員としての日々に疲れてしまったのだろう。三次は薬品会社の営業マンで、医者やナースを相手にする営業活動の苦労についても、兼子にこぼしていた。そんな会社はやめてもかまわない。転職するのだったら兼子は反対などしない。けれど、子どももいないのに主夫って……三次が出産するわけでもないのに。

「しばらく休んでゆっくり考えて」

 そうとしか言えなくて、兼子は静観することにした。

「掃除、洗濯、料理が主婦の三大家事だよな。俺は掃除も洗濯も前からけっこうやってるけど、料理はあまりやったことがない。買い物に行かなくちゃなんないだろ。食費、ちょうだい」
「早速主夫をやるつもりなのね。がんばって」

 仕事をやめたからといってだらだらするのではなく、主夫業をこなすのだったらいいではないか。一週間分の食費のつもりで、兼子は夫になにがしかの紙幣を手渡した。

 共働きなのだから、三次は以前から多少の家事はやっていた。料理だけは苦手だと言うので、宅配サービスやスーパーの惣菜なども駆使して、主に兼子が食事担当だった。たいしておいしくもないものを食べていたのだが、三次も兼子も食にはさして関心がない。三次の料理も上手ではなかったが、食べられればそれでいいのだった。

「今日のシチュー、うまくできてるね」
「だろ? ネットで研究したんだよ。うんうん、おいしいよね」
「家に主夫がいてくれるって、悪くないかも」
「そうなの……?」
「あなたがそれでいいんだったら、再就職なんかしなくてもいいよ」
「あっ、ああ」

 意外そうな顔をする三次に、兼子はにっこりしてみせた。

「へぇぇ、あなたがね……」
「なにかご用でしょうか」
「そんな警戒しなくてもいいのよ。どうぞすわって」

 平和にすぎていく日々に身をゆだねていたら、さざ波が立った。美樹と名乗る女性からの突然のメール。彼女は三次の前妻で、三次つながりで仲良くしましょうよ。一度会わない? とのメールだったのだ。

 気の強い女でね、それ以外にもなんだかんだで合わなかったんだ。子どもはいなかったんだから、二度と顔を合わせることもないよ。だけど、俺、女にはこりごりした部分もあるから、結婚はしたくないかなぁ。
 そう言っていた三次を強引にその気にさせたのだから、勝者は私だ。美樹の顔を見てみたかったのもあって、兼子は彼女の誘いを了承した。

 会社帰りの喫茶店。三次が言っていた通り、すらっと背が高くてセンスのいい、メイクも上手なきつい顔立ちの女だ。見ようによっては美人かもしれない。年齢は三次からは聞いていなかったが、二十五、六といったところに見えた。

「三次って稼ぎのいい女が好きなんだよね」
「そうなんですか」
「私も三次と結婚する前は、モデルクラブでアルバイトしてたの。収入はよかったんだよ」

 売れないモデル、言われてみればいかにも、だ。

「三次は働く女が好きでしょ。彼の母親は専業主婦で、のんびりしすぎてて太ってる。そういう女に嫌悪感があるんだよね。そのくせ、私を見て言うのよ。そんなに痩せてて子どもが産めるの? モデルだなんていかがわしい仕事よね。ふしだらな生活をしていそう、だとかって」

 ひとしきり三次の母親の悪口を言ってから、美樹は話題をずらした。

「モデルとしては売れなくなってたから、転職したんだ。だけど、私には地味な仕事なんて合わないの。三次が働けって言うから働いてたよ。無職の女となんか結婚しない、とも言われたんだもんね。でも、とうとうある日、仕事をやめてきて言ったの。専業主婦になりたい、子ども作ろうよ、そしたら私、主婦になれるもの、って」

 どこかで兼子も似た台詞を聞いた。

「結果的にはそれが離婚の原因になったんだよね。美樹は美人でスタイルもよくて、独身のときにはモデルだった、俺はそこに惚れたんだ。モデルは若いときにしかできないんだから仕方ないのかもしれないけど、そしたら別の仕事を見つけてしっかり働けばいい。もとモデルなんだったらその人脈とかもあるだろ、ってがみがみ怒るの。おまえの専業主婦宣言はショックだったよ、って」

 そうは言っても、惚れた弱みで許してくれるだろうと美樹は思っていた。そのうちに妊娠してしまえば、大きな顔で専業主婦ができる。ところが、三次に離婚届を突き付けられた。

「契約違反だ。俺はおまえが好きだけど、理想からかけ離れた専業主婦は許せない。絶対にいやだ、って言うんだよ。そしたら子どもができるまではパートで……って妥協したんだけど、それもいやだって。バリバリキャリアウーマンか、派手な仕事をしてる女がいいらしいんだね」

 そこで、美樹はうふっと笑った。

「めんどくさくなって離婚したよ。でも、三次は私に惚れっぱなしだから、いろいろ報告してくるんだよ。ファミレスの店長だからキャリアなんかじゃないけど、けっこう稼ぐ女に結婚を迫られてるんだ。結婚なんかしたくない、あんな地味な女はごめんだ、って思ってたんだけど、いいこと思いついた、ってメールをよこしたの。それからその女と結婚して、いいことってなんだろ、って思ってたら、幼稚な復讐だなぁ。あのときのショックを逆の立場で女房に味わわせてやりたいって」

 声を立てて笑っている美樹の台詞の、意味がわからない。前半はわかるが、後半はどういう意味だ? 幼稚な復讐?

「なのに、奥さんは意外にもけろっとしてる。家に主夫がいるっていいもんだよね、まで言う。俺はいったいなんのために……って、三次、暗いらしいね。バッカじゃん?」
「あの……それ……」
「安心していいよ。私は三次と浮気もするつもりはないから。今はただの友達。兼子さんとの変わった夫婦の様子とか聞いて、私も再婚したときの参考にしようと思ってるだけ。勉強になるわぁ」
「……あの、復讐って?」
「わかんない? 鈍いんだ」

 あ、私、デートの約束があるんだ、と言って美樹が席を立ってから、兼子はつらつら考えた。
 ファミレスの店長、すなわち兼子と結婚したのは、美樹から与えられたショックを別の立場で今度の妻に与えて復讐するため? そんな動機で結婚する男がいるのか? どうして前妻への復讐を私に?

 復讐、復讐、ショック、逆の立場。

 何度も考えてやっと思い当った。専業主婦になりたい? 結婚した相手にそう言われて離婚したくなるほどのショックを受けたとは、それもかなり兼子には意外だったが、復讐のターゲットを自分が向けられていたとは、人の考えってのは多様すぎて気が遠くなりそうだ。

 じゃあ、三次はこれからどうするつもり?
 気が済んだんだったら離婚する? それとも、専業主夫って居心地がいいな、なんて思って、その座にすわり続ける? 兼子としては、主夫と暮らすのは悪くないと思う。本音でそう思えるようになったのは、案外三次が主夫として有能だからだ。

 彼の本音を知っても、彼への恋心は幻滅などは感じていない。惚れた男のためならば、多少の理不尽にも耐えてみせる。それが恋かしら? 女友達がいたってどうってこともないけどね……自分の発想外の事実を知らされて、兼子の思考能力がうまく働かなくなっているようだった。

次は「ち」です。

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