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201「今度は私」

しりとり小説

201「今度は私」

 勤め人の宿命だから仕方ない。日々のすごしやすさは上司次第、四十年も会社員をやっているのだから、前川滝美の達観は悟りの境地に入りつつある。いやな上司だったら頭を低くし、彼の言葉はできるだけ聞き流す。滝美の職場は体質が古いので、上司には女性はいない。「彼」しかいなかった。

 業務部第五課。
 要は配属先に困るような者を閉じ込めておくような部署だ。会社にはたいていはそんな男がひとり、ふたりいるもので、滝美は課長の秘書のようなもの。

 そんなところで働いているのだから、達観も磨かれるばかり。滝美自身も定年の近い古参の事務職員ということで、会社が扱いに困って適所を発見したようなものなのだろう。

 しかし、つい先日までいた青田課長は困った奴だった。ようやく彼が定年退職し、肩の荷が下りた気分でいた滝美は総務部長に呼ばれた。

「古い感覚の男で、前川さんも青田さんのお相手は大変だったでしょう? よく我慢してくれました」
「いえ、こちらこそすみませんでした」
「いやいや、あなたの直訴はまちがってはいませんでしたよ。おかげで青田さんもおとなしくなったでしょう?」
「はい」

 おとなしくなったというよりも、滝美を敬遠するようになったのだが、滝美としてはそのほうがよかった。

「このところ我が社の業績も上向いていますし、世間一般的にも景気もよくなっています。つきましては、業務部第五課の業務内容を一新するつもりなんです。業務部は第四課までに変更し、第五課は新人教育セクションということにします。来年度は大勢の新入社員が入ってきますので、課長の前川さんには統率をがんばってほしいんですよ」
「私が課長ですか」
「定年前にもう一花、咲かせて下さいよ」
「でも……」

 若いころに女子新入社員の教育係をつとめたことはあるが、お茶くみの仕方、電話応対や接客の応接のやり方、などなどを教えたにすぎない。挨拶状の書き方なども指導の中に入っていたが、今ではパソコンがあればすべて事足りるようになって、課員や上司や来客にお茶を出す仕事も廃止された。

「課長は前川さんですが、係長としてあなたの後輩女性を任命します。実質的には係長が指導に当たり、あなたはその管理ですね。管理職ですから」
「……はい」

 社命なのだから、やるしかないのだった。

 大勢の新入社員とは他の支社も含めてのことで、前川滝美がまかされたこの支社の新入社員は三名、女性ふたり、男性ひとり、そして、係長の辻であった。

「佐藤です」
「塩野です」
「沖村です。よろしくお願いします」

 大学院修了の女子が二名、彼女たちは二十五歳。男子の沖村は大学新卒で二十三歳。女性たちは大人びていて、沖村は初々しい感じがした。

「私はあなたたちの指導をします、係長の辻です。課長は前川さん。がんばりましょうね」

 係長の訓示に、新人たちは元気にはいっ!! と声をそろえ、滝美は微笑んでうなずいた。

「沖村くん、ネクタイ、まがってるよ」
「背広のうしろからワイシャツの襟がはみ出してる。沖村くんってひとり暮らし?」
「いえ、両親と同居です。朝寝坊なんで……すみません」

 新入社員の中でも最年少なので、沖村は女子たちに世話を焼かれていた。

「朝はもうちょっと早く来て下さいね。遅刻はしないからいいようなものの、毎朝ぎりぎりでは事故にでも巻き込まれたら大変。余裕をもって出勤するように」
「わかりました、係長」

 辻も沖村には苦言を呈していたが、彼は素直に詫び、服装も勤務態度もきちんとしてきた。

 入社して三ヶ月、夏になると新入社員たちも仕事に慣れてくる。会社は有望な新人をじっくり育てるつもりらしく、一年間は滝美が課長をつとめるこの教育セクションで修行する。その間に工場や他の支社を見学したり、営業マンのアシスタントや事務など、職務に必要なあらゆる業務を学ぶことになっていた。

「沖村くん、三人で飲みにいかない?」
「今日は先約があるんです。すみません」
「デート?」
「沖村くんって彼女はいるの?」
「いえ、すみません。デートなんかじゃありませんから」

 退勤時間になると、女子たちが時おり沖村を誘う。沖村はほとんど断るので、女子ふたりで飲みにいったりもしているようだ。辻は時には参加しているらしいが、六十歳近い課長が加わっていると愚痴もこぼせないだろうと、滝美は参加しないと決めていた。

 四十代の辻は既婚で、中学生の娘がひとりいる。佐藤と塩野はいずれは結婚してワーキングマザーになる予定らしいので、飲み会に辻が参加するのはむしろ歓迎していて、将来の心構えなどを聞きたがっているようだった。

「沖村くん、社食でお弁当食べてたね?」
「彼女に作ってもらったの?」
「いえ、母です」
「お弁当くらい自分で作りなさいよね」
「マザコンだな。彼女に知られたら嫌われるよ」

 弟扱いされている沖村は、女子たちにからかわれて頭をかいている。辻も言った。

「沖村くんは彼女と結婚するつもりなの?」
「プロポーズはしてませんし、されてませんけど、二十五歳くらいになったら考えるつもりです」
「二十三じゃまだ早いかもね」
「プロポーズされてないって、あんたがしなさいよね」
「続きは社食でやろうよ。私たちもお弁当、持ってきたんだ。係長もご一緒にどうぞ」
「そうね。たまにはいいよね」

 昼休みになると四人の部下が出ていき、滝美はひとり、自分も弁当を取り出す。
 この年代の夫婦としては晩婚だったので、母は九十歳になった。母よりはひとつ年上の父は昨年、骨折して入院して間もなく肺炎になって他界し、母は老人ホームに入所した。母も身体が思うように動かなくなり、娘の負担になりたくない、と自ら決めてきたのだ。

 ひとり暮らしになった滝美は、週に一度は老人ホームを訪ねて母を外食に連れ出す。遠出はできそうにないので、ホームの一室でお茶の時間にしたり、お喋りをしたりする。滝美には友達もあまりいないので、母との週末のひとときだけが楽しみだった。

「六十近い女性が九十近いお母さんにお弁当を作ってもらってる? それだからお嫁に行けなかったんじゃありませんか」

 青田からはそう言われたが、母は娘の弁当を調えるのが生き甲斐だったのだ。高級な老人ホームにはキッチンも完備されている。老人が使っても危険は少ないように配慮されたキッチンで、昨日、母が作った煮物をもらってきて、今日は滝美も弁当を作った。

 部下たちがいなくなった部屋で、滝美は弁当を食べる。二十代から四十代の部下たちに混ざりたいとは夢にも思えなくて、九十歳の母といるほうが気が休まるのである。

「今日はハンカチにちゃんとアイロン、かかってるんだね」
「自分でかけたの? 母?」
「彼女にかけてもらったとか? はっきり言えよ」
「沖村くんってはっきりしないんだよね。男らしくないんだから」

 最近はなじんだせいか、辻までが佐藤、塩野と一緒になって沖村をからかう。沖村は顔を赤くしてもごもご言っている。辻によると、よその部の先輩女子からも、沖村はなにかといじられているらしかった。

「課長……」
「ああ、はい」
「相談したいことがあるんですが……」

 その日は辻と佐藤と塩野の三人が、地方工場に出張していた。地方なのでビジネスホテルの数も少なく、シングルルームが三つしか空いていなかったとのことで、沖村はまたの機会ということになった。

「ここではできない話ですか? 長くならないんだったら言ってくれていいですよ」
「えと……あの、僕、参ってるんですよね」
「なんのことでしょう?」
「辻係長も佐藤さんも塩野さんも、セクハラですよ」
「は?」

 あなた、男性じゃなかった? と言いそうになって、滝美は沖村を凝視した。

「だって、そうでしょう? しつこく彼女とのことを聞いたり、マザコンだなんてからかったり、この前の昼休みには僕は公園でお弁当を食べていたんです」

 社食でみんなで食べるとからかわれるから、ひとりになりたくて沖村は、職場近くの公園で弁当をすませ、ベンチでまどろんでいた。気持ちよすぎて目覚めたのは昼休み終了時刻ぎりぎり。必死で社に戻ったら、辻に言われた。

「公園で寝てたって? 昼休みまで遅刻するなんてたるんでるね」
「遅刻はしてませんが……」
「最初のころはキミは朝だって遅刻ぎりぎりだったでしょ。よし、モーニングコールしてあげるから、ケータイの番号を教えて」
「いえ、けっこうですから」
「上司の命令が聞けないのかね、キミは」
「そうだそうだ。私にも教えて」
「メルアドも教えてよ」

 などと、佐藤と塩田にも言われたと沖村は話した。

「セクハラですよ。そうですよね」
「うーん……そのくらいでセクハラって言われてもね」
「だけど、男性の上司や先輩が女性にそんなことを言ったらセクハラでしょ?」
「それはそうかもしれないけど、沖村くんは男でしょ。そんなのをセクハラって問題にしたら、なんだか私としても……気にしないのがいちばんじゃないのかしらね」
「……わかりました」

 硬い表情になって、沖村は引き下がった。

「課長に直訴したんだけど、課長はまともに聞いてくれなかったって。部長に言ったらしいんですよ。佐藤と塩田と私、部長に呼ばれて注意を受けました。部長も苦笑いまじりで、男がそんなことを言う時代になったんだなぁ、って感じでしたけど」

 数日後、辻が話してくれた。

「それで、突然決まったんですね。沖村くんが急遽長野の工場に転勤になったのは、そのせいなんですね」
「そうみたいですよ。参ったのはこっちだわ」
「私も加害者の仲間ってことですね。うーん、でも……」
「課長の気持ちはわかります。男って扱いにくいですよね」
「ほんとにね」

 滝美が若かったころには、セクハラなんて言葉もなかった。そんな言葉が流通するようになると、軽い気持ちで女子社員をからかっていた男性たちが頭を抱えるようになり、ついには男子も言い出すようになったか。

 青田が上司だったころには、滝美が彼から沖村のような接し方をされていた。いやでいやで我慢ならなくなって、部長に訴えたのはほんの二年ばかり前だ。女はいいのよ、とは言えないのだから、これからは私も注意しなくちゃ。セクハラの加害者一味になってしまった滝美としては、反省する以外の道はなかった。

次は「し」です。


 

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