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2019年8月

ガラスの靴56「本能」

「ガラスの靴」

     56・本能

 スパニッシュギターの演奏が流れているのだから、スペインふうバルとでもいうのだろうか。今日は息子の胡弓がおばあちゃんに拉致されてしまったので、この店でアンヌとデートの約束をしていた。

「笙くん、ひとり?」
「……昇くん、久しぶり」

 三十代だろうから、僕よりは十くらい年上だ。年上のひとには「さん」付けするものじゃないの? と眉をひそめるむきもあるが、某ジャニーズ事務所では同い年以下は呼び捨てで、先輩だと「くん」付けで呼んでいるじゃないか。

 昔はロックバンドをやっていて、今はサラリーマン。そんな人間はよくいる。アンヌは昔からロックをやっていて、今はプロのロックヴォーカリスト。昔は似た立場だったのに、時が流れてファンとスターになってしまった、という意味でも、アンヌはしばしばロックキッズの憧れのまとになる。

 そういった意味で親しくなったらしい、アンヌの友達だ。藤堂昇くんはかなりかっこいいルックスをしていて、女性にはもてまくるというのもうなずけた。

「そっか、アンヌさんと待ち合わせなんだ」
「うん、仕事が長引いてるんじゃないかな。昇くんはひとり?」
「僕もデート、ドタキャンされちゃったよ」
「そしたら一緒に飲もうよ」

 メールも来ないから、アンヌは忙しいのだろう。こっちから何度もメールをしたら機嫌を損ねて、僕との約束をすっぽかしてよそに行ってしまいかねない奥さんだから、我慢して昇くんと暇つぶしをしていよう。

「僕はさ……結婚なんかしたくなかったんだよね」
「そう? 結婚っていいものだよ」
「笙くんみたいにお気楽な専業主夫だったらいいけど、普通の男は結婚したら大変なんだよ」

 彼は新垣笙について、アンヌから聞いているらしいが、僕は藤堂昇についてはあまり知らなかった。

「僕は主夫になりたいわけでもない。アンヌさんみたいに器の大きな、包容力のある女はめったにいない。だからさ、結婚なんかしたくないって決めてたんだ」
「気持ちはわからなくもないけどね」

 専業主婦でも風当たりは強くて、昔は当たり前だったのに、いまや非難の対象にもなっているらしい。まして主夫となると、ヒモだのニートだのと言われる。働いて一家の主人となるのも大変だ。男の人生、どうころんでもしんどいのだ。

 だけど、僕が独身だったとしたら?
 二十三歳。社会人として働いていなくてはならない。あの父と母と暮らしてうるさく言われるか、ひとり暮らしで汲々しているか。どっちにしたって僕が高給取りになれるはずもないし。

 自由はあるかもしれないが、あくせく働くのと較べれば、少々不自由な身になっているとはいえ、寛大な妻と可愛い息子を持つ主夫の僕のほうがいい。父はぶつくさ言っているが、母は息子の生活が安定し、孫をしょっちゅう預かって可愛がれるのにも大満足しているのだから、親孝行だってできているのだから。

「だけどね、恋っていきなりやってくるものなんだな」
「恋したの? 初恋じゃないでしょ」
「初恋かもしれないよ。僕は女とは数も覚えてないほどつきあったけど、愛してるなんて思ったことはないんだ。でも、温子ちゃんには……」

 この遊び人が初恋だというのは、案外本当なのかもしれない。ハルコちゃんという女性に生まれてはじめて、昇くんは本気で恋をしたのだそうだ。

「温子ちゃんとはつきあってるの?」
「彼女のほうから告白してくれたから、軽い気持ちでつきあってたんだよ。僕には女の好みってのはなくもないんだけど、そんなのどっちでもいいんだ。来るものは拒まない。女ってどんなタイプでも、どこかは可愛かったり愛しかったりするんだよ」

 そうかなぁ、ひでぇ女もいるよ、と思う僕は経験不足なのだろう。博愛主義の昇くんは、最高で八股くらいやったことがあるそうだ。なんてマメなんだ。

「温子ちゃんは決して美人ではないけど、なんていうのかな、総合的に僕とは相性がいいんだろうな。プロポーズされて、なんとこの僕が、結婚してもいいかなって気持ちになったんだ。こんな気持ちもはじめてだよ」
「へぇぇ」

 年貢の納め時って言葉もあるのだから、いいのではないだろうか。にやっとしてしまった僕に、昇くんは深刻な面持ちを向けた。

「でもなぁ、僕は今まで、本能に従いすぎてたんだよね」
「今は何股やってるの?」
「温子ちゃんとつきあうようになってから、女は整理したんだよ。他に三人ほどはいるんだけど、温子ちゃんにばれないように別れるのは可能だ。だからそれはいいんだよ」

 マメでいて別れ上手。プレイボーイの条件だとは僕も実感していたが、本気の恋をしていると言う男が他に三人もいるなんて、よく身体が保つものだ。

「ただ、養育費が……」
「あれ? 昇くんってバツ持ち?」
「いや、結婚はしてないんだけど……」
「子どもだけいるの?」
「うん」

 それで深刻な顔をしているのか。アンヌはまだ来ないし、本腰を入れて聞いてあげよう。

「ふたり」
「ふたりもいるの?」

 結婚していないのにふたりの子どもを産んだ女性って、あのほのかさんに近い性質をしているのだろうか。呆れ半分の僕に、昇くんは言った。

「真智子ちゃんって女性が産んだ子と、奈江ちゃんって女性が産んだ子なんだよね。誕生日がとても近いから同い年なんだ」
「はぁ?」
「ふたりともに、結婚はしなくていいから認知だけして、養育費は払ってって言ったんだよ。ラッキーな気もしたけど、生まれてみたら相当に大変だった」
「は、はあ……」

 ラッキー? 怪訝な顔になったらしき僕に、昇くんは言った。

「男の本能ってのは無責任に言えば、種まきだよ。いくらでも種をまいて、女が受胎する。複数の女があちこちで自分の子を産む。子孫繁栄を果たして、男は闘って果てるのさ」
「はあ……ふーん」
「そういう意味ではラッキーだろ。僕は結婚なんかしたくないけど、深く考えたら子孫は残したい。女が勝手に僕の子を産んで勝手に育てるんだよ」
「う、うー……」

 そんなの僕にはラッキーだとは思えないが、そう思える男もいるらしいとは知った。

「だけどさ、ふたりなんだよ。ふたりの女がほぼ同時に子どもを産んだ。男の子と女の子だ。真智子ちゃんと奈江ちゃんは一緒に暮らしてて、父親としての義務なんだからたまには子どもを見にこいって要求はされる。時には預かれとも言われる。赤ん坊をふたり預かってみろよ。死にそうだよ」

 うちの母は胡弓を預かるのが幸せそうだが、母は育児の経験者だからか。僕はあまり小うるさいことは言わないし、胡弓はひとりだけだから、それほど大変だとは母は思っていないように見えた。

「必ずふたり同時になんだよね。あれって復讐なんだろか」
「んんと……ちょっと待ってよ。真智子さんと奈江さんが一緒に暮らしてるって?」
「そうだよ。ひとりで子どもを育てるのはつらいけど、ふたりの女がふたりの子どもを育てるのはやってみる価値があるとかいって、僕との結婚じゃなくて、僕の子を妊娠した女性同士の同居生活を選んだんだ」

 それって……想像すると眩暈がした。

「それもいいな、ナイスな考えじゃん、って、僕も賛成してたんだよ。もっとも、反対したって彼女たちは押し通しただろうけどね。で、今の僕はそんな状況なわけ。バツはなし、ただし、子どもがふたり。養育費ふたり分。時々はベビーシッターもやる」
「そりゃ大変そう」
「だろ? 正直に打ち明けたら、温子ちゃんがそんな僕を受け入れてくれると思う?」
「思わない」

 としか、僕には返答しようがない。自業自得とはいえ、昇くんは茨の道を歩いているわけだ。
 
 世の中は広い。ほのかさんのように三人の子持ちで、彼女もバツはなし。三人の子の父親はそれぞれにちがい、一度も結婚もせず認知もしてはもらわず、ひとりで優雅に子育てしている。そんな女性もいる。
 かたや、同じ男の子どもをそれぞれに産み、ふたりの女性が同居して育てている、真智子さんと奈江さん。

 その三人の女性たちは、話が合うのか。反発し合うのか。僕にはどうなのだかわからないけれど、ほのかさんに奈江さんと真知子さんを紹介してあげたくなってきた。

つづく


フォレストシンガーズ・短歌俳句超ショートストーリィ2019/8

フォレストシンガーズ

超ショートストーリィ


 なんの気なしに如雨露を手に取ろうとしたら、息子の広大の黄色い声が降ってきた。

「駄目っ!! ダメダメっ!!」
「え? どうして? ああ、そっか。うんうん、駄目だな」

 マンションのベランダで、妻がささやかな花を育てている。いくつか並んだプランターの植物には、いつもは妻の恭子が三歳児の広大と一緒に水やりをしていた。

 今日は恭子が次男の壮介だけを連れて出かけているので、休日の繁之は広大とお留守番だ。たまには水やりでもしようかな、と如雨露を取ろうとして広大に叱られた。どうして駄目なのかよ確認してみたら、そういうことか。繁之は如雨露を持ち上げるのをやめて、部屋の中から小さな手桶を持ってきた。

「この朝顔、広大のなのか?」
「そうだよ。管理人さんのおばあちゃんがくれたの」
「そっか。大切にしてるんだな」
「綺麗でしょ?」
「うん、すごく綺麗だね」

 花を愛する情感豊かな子どもに育ってくれたのは、きみのおかげだよ、恭子。繁之は妻に感謝しつつ、自身の子どものころを思い出していた。

「小学生になったら夏休みに、朝顔を育てて朝顔日記ってのを書くんだよ。パパが小学生のころにはそんな宿題があったけど、今どきでもあるのかな」
「ぼく、あさがおにっき書く」
「うん、あとで一緒に書こうか」
「うんっ!!」

 ここで一句、と乾さんならやるんだろうけど、俺には無理だな。
 だけど、なにやら浮かんできそうな。んんんん、んん。

「朝顔につるべ取られてもらい水」加賀千代女

 いや、これはモロ他人の作じゃないか。俺にこんなにうまい句が詠めるわけがない。
 ベランダに置いてある如雨露に朝顔の蔓がからみつき、使えなくなっていた。これぞまさしく現代の、朝顔につるべ取られて……だ。やっぱ俳人って情景を短く切り取るのが上手だよな。見習わなくちゃ、と感じるのもおこがましいほどに。

END

ガラスの靴55「横入」

「ガラスの靴」

     55・横入


 酔っ払いのアンヌが連れてきた酔っぱらいたちが、我が家を占拠している。飲みにいった夫が友達を引き連れて帰ってくると怒る主婦もいるらしいが、主夫の僕は怒るなんてとんでもない。僕がアンヌに従順だからもあるが、留守番よりも大勢の人に囲まれているほうが楽しいからだ。

 一度寝るとめったなことでは起きない息子、ってのも、アンヌが真夜中にでも友達を連れてくる理由のひとつだろう。マンションは広いから近所迷惑にもならないし、少々騒いでも息子の胡弓は起きないし。

「笙、つまみが足りないよ。おまえの得意料理作って持ってこいよ」
「アンヌさんって笙くんをおまえと呼ぶんだね」
「てめえも女房をおまえって呼んでるだろうがよ」
「いや、僕は男だし……」
「あたしは女だよ、悪いのか」
「よくはないってか……」

 喧嘩をしているわけでもないが、酔っ払いアンヌがからんでいるようにも聞こえる相手は巻田くんだ。僕はアンヌの仰せに従って、得意なポテトグラタンを作る。キッチンで料理しながら、アンヌと巻田くんの会話を聞いていた。

「巻田の女房はいくつだった?」
「二十一」
「若いよなぁ。スケベ男は若い女が好きで、若かったら欠点なんかなんでも目をつぶるんだろ」
「まあ、それはあるね。うちの水那ってアンヌさんから見ても欠点だらけ?」
「若い子は太ってても可愛いけど、水那はBWHのサイズが同じだろ。ボンキュッパッじゃなくて、どす、どす、どすっ」
「そこまでじゃないけどね」

 その調子で、アンヌは巻田くんの奥さん、水那さんを無茶苦茶にこきおろす。いくらなんでもあんまりだよ、と他の誰かが言い、また別の誰かも言った。

「水那ちゃんは高校を出てアルバイトしてたときに、巻田と知り合ったんだよね。専業主婦でしょ」
「そうだよ。僕がプロポーズしたときには、仕事なんかしたくないから、巻田さんと結婚してあげるってほざいたんだ」
「家事はやってるの?」
「やらなくはないけど、文句ばっかり言ってるよ。思ったよりも僕の給料が安いとか、うちのおふくろが来て料理を教えてあげるって言った、よけいなお世話だとか」
「それはたしかによけいなお世話だ」

 笑い声の中、アンヌが言った。

「若いわりには水那って肌も綺麗じゃないんだよな。内臓が悪いんじゃないのか?」
「水那ちゃん、ナッツが好きだって言ってたよ。ナッツはちょっとだったらいいけど、食べ過ぎると塩分と脂肪分過多になるんだよね」
「暇だからナッツ食べ食べ、テレビばっか見てるんだろ」
「アンヌさんって水那ちゃんが嫌い?」
「ってか、巻田が嫌いなんだよ」

 ひでぇ、と巻田くんの声がして、みんながまたまた笑う。

 巻田くんは音楽事務所の社員で、水那ちゃんはその事務所と同じビルに入っている、アパレルメーカーでアルバイトしていた。若い子が大好きな三十男、巻田くんは水那ちゃんを見そめ、熱烈にプロポーズして結婚した。僕は水那ちゃんとは会ったことはないが、僕と似た立場の主婦なのだろう。

 ポテトグラタンができあがって運んでいったときにも、みんなは水那ちゃんの悪口で盛り上がっていた。ひでぇなあ、と言いながらも、巻田くんは情けなさそうに笑っていた。

 その夜から半年ばかりがすぎて、巻田くんが我が家にやってきた。

 小太りで背が低い。水那ちゃんはなんでこんな男と結婚したんだろ。収入だってよくもないらしいのに、水那ちゃんは若いんだから、そう急がなくてもいいのに、とも思うが、水那ちゃんってブサイクらしいから、妥協だろうか。僕は水那ちゃんを見たことがないので、憶測しかできない。

「えーと、アンヌはまだ帰ってないんだけど……」
「帰ってなくていいんだよ。きみに頼みがあるんだ」
「僕に? ま、どうぞ」

 今夜も胡弓はすでにベッドに入っている。招き入れた巻田くんはむずかしい顔をして、キッチンの椅子にどかっとすわった。

「そんなところにすわるって、ああ、そっか。僕のポテトグラタンが食べたいの? 作ってあげようか」
「グラタンなんかいらないよ。笙くん……」
「はい?」
「アンヌさんを僕に譲ってくれっ!!」

 一瞬、なにを言われているのかわからなくて、目をぱちくりさせた。

「僕の妻はあんなのだ。きみも前に聞いてたんだろ」
「あんなのって。若いんでしょ」
「若いだけの女なんだよ。僕はたしかに若い女の子が好きだから、水那の若さだけでも値打があると思って、恋は盲目状態で突っ走った。だけど、結婚してみたらあんな女……」

 どすどすどすっ、の体型で、料理は下手。小遣いくらいはバイトでもして稼げと言っても、やだぁ、それよりもセイちゃんがもっと稼いできてよ、と反抗する。巻田くんの名前は誠一だから「せいちゃん」なのだそうだ。
 家事はやってはいるけど下手。文句と不満ばかり言って、巻田くんの母や姉と喧嘩をする。まだ若いから子どもなんかいらないと言う。バイトもしないくせに浪費家で、ブランドもののバッグを無断で買ったりもする。だんだんと嫌気がさしてきたのだそうだ。

「その点、アンヌさんは若くはないけど綺麗だよな。プロポーションもいいだろ。稼ぎもいいだろ。水那は今は若いけど、いずれは年を取る。十年後、三十代の水那と四十代のアンヌさんを較べたら、アンヌさんのほうが若々しいんじゃないだろうか」
「そうかもね」
「そうだよ」

 だって、アンヌは働く女性だもの。芸能人と言ってもいい、特別な仕事の女性だもの。僕はアンヌが誇らしくて、つい先刻、巻田くんがほざいた台詞を忘れそうになっていた。

「それに、なんたってアンヌさんは稼ぎがいい。それだって長い目で見たら、生涯に水那が稼ぐ金額と、アンヌさんの収入とだったら桁がいくつちがうか。美人でかっこよくて、稼ぎがよくて……それだけそろえば、若くないのも性格がよくないのも許せるよ」
「あんたに許してもらわなくてもいいけどね」

 むっとしたので、反撃に出ることにした。

「性格がよくないってのはたしかに、そうかもしれないよ。アンヌは料理なんかできない。できないってか、する気がないだけで、したらできるのかもしれないけど、家事も育児もできないんだ。だから僕を選んだんだよ。巻田くんって専業主夫はできる?」
「いや、なにも僕が主夫をしなくても……アンヌさんが仕事を減らして……ってか、僕はアンヌさんと結婚したいとか言うんじゃなくて……」

 しどろもどろしている巻田くんに、もうひとこと言ってやった。

「それにそれに、巻田くんってこの間、アンヌにぼろっくそにけなされてたじゃん? あれだけ無茶苦茶言われて惚れたの?」
「あれだけの毒舌を吐くところも、かっこよくて潔いと思ったんだよ。水那なんか語彙が貧困だから、ケチぃだとか、ずるぅい、だとかしか言わないんだよ」
「けなされて惚れたって、変態、マゾ!!」

 語彙が貧困といえば僕もだ。これでもアンヌに教わって言葉を覚えたので、水那さんよりはましなはずだが、的確に巻田くんにぶつける罵詈は思いつかなかった。

「アンヌはあげないよ。アンヌは僕のものなんだからねっ」
「笙くんには水那のほうがつりあうだろ。水那とアンヌさんを取り換えっこしようよ」
「やだ。そしたら僕が働かないといけないじゃないか」
「働けよ。男のくせに主夫やってるなんて、それがまちがってるんだから」

 次第に論旨がずれていって、興奮して罵り合いになって、ふと気づくと背中に冷やかな空気を感じた。

「アンヌさん……」
「アンヌ、帰ってたの? お帰りなさい。聞いてた? なんとか言ってやってよぉ!!」

 いつからそこにいたのか知らないが、アンヌは罵り合いを聞いていたのだろう。巻田くんに指をつきつけた。

「アホか、てめえは。てめえは下等な男なんだから、ヨメも下等な女が似合いなんだよ。夫婦ってのは似た者同士が……あれあれ? あれっ? そうすると……」
「アンヌ、どうしたの?」
「夫婦は合わせ鏡だとかっていうよな。すると……笙とあたしは似た者同士? ……まさか、そんなこと、あるわけないだろ。あるわけないっ!!」
 
 それって……と僕も悩んでいると、アンヌは巻田くんに向かって言った。

「Disappear!!」
「アンヌ……なんて言ったの?」
「おまえは黙ってろ、笙。巻田だったらわかるだろ」
「僕にもわかるように言ってよ」

 うーー、と唸ってから、アンヌは再び言った。

「Go away!!」
「きゃあ、英語だ。かっこいい」
「うるせえんだ、笙は。おまえは黙れ!!」

 しおしおとなった巻田くんが、立ち上がってキッチンから出ていく。つまり、帰れと言ったのだろう。僕はアンヌに抱きついた。

「よかった。アンヌは僕でなきゃ駄目なんだよね」
「巻田みたいな下等な男にはよろめかないけど、上等な男にだったら乗り換えるかもしれないよ」
「そんなぁ……」
「バーカ。いいから、腹減った。メシはないのか?」
「はーい、お茶漬け、作ろうか」

 そんなの嘘だよね。僕はアンヌ一筋なんだから、アンヌだって根本ところでは笙一筋だよね。

「あのな、笙?」
「なあに?」
「おまえはあたしのものだけど、あたしはおまえのものじゃないよ」
「……僕はあなたのもの、それだけでも嬉しいよ」
「アホだな、おまえは。さっさと作れよ、お茶漬け」
「うんっ!!」

 さっき、なにやらアンヌがぶつくさ言っていたような気がするが、そう信じたら心がぱっと晴れて、幸せいっぱいになれた。

つづく


201「今度は私」

しりとり小説

201「今度は私」

 勤め人の宿命だから仕方ない。日々のすごしやすさは上司次第、四十年も会社員をやっているのだから、前川滝美の達観は悟りの境地に入りつつある。いやな上司だったら頭を低くし、彼の言葉はできるだけ聞き流す。滝美の職場は体質が古いので、上司には女性はいない。「彼」しかいなかった。

 業務部第五課。
 要は配属先に困るような者を閉じ込めておくような部署だ。会社にはたいていはそんな男がひとり、ふたりいるもので、滝美は課長の秘書のようなもの。

 そんなところで働いているのだから、達観も磨かれるばかり。滝美自身も定年の近い古参の事務職員ということで、会社が扱いに困って適所を発見したようなものなのだろう。

 しかし、つい先日までいた青田課長は困った奴だった。ようやく彼が定年退職し、肩の荷が下りた気分でいた滝美は総務部長に呼ばれた。

「古い感覚の男で、前川さんも青田さんのお相手は大変だったでしょう? よく我慢してくれました」
「いえ、こちらこそすみませんでした」
「いやいや、あなたの直訴はまちがってはいませんでしたよ。おかげで青田さんもおとなしくなったでしょう?」
「はい」

 おとなしくなったというよりも、滝美を敬遠するようになったのだが、滝美としてはそのほうがよかった。

「このところ我が社の業績も上向いていますし、世間一般的にも景気もよくなっています。つきましては、業務部第五課の業務内容を一新するつもりなんです。業務部は第四課までに変更し、第五課は新人教育セクションということにします。来年度は大勢の新入社員が入ってきますので、課長の前川さんには統率をがんばってほしいんですよ」
「私が課長ですか」
「定年前にもう一花、咲かせて下さいよ」
「でも……」

 若いころに女子新入社員の教育係をつとめたことはあるが、お茶くみの仕方、電話応対や接客の応接のやり方、などなどを教えたにすぎない。挨拶状の書き方なども指導の中に入っていたが、今ではパソコンがあればすべて事足りるようになって、課員や上司や来客にお茶を出す仕事も廃止された。

「課長は前川さんですが、係長としてあなたの後輩女性を任命します。実質的には係長が指導に当たり、あなたはその管理ですね。管理職ですから」
「……はい」

 社命なのだから、やるしかないのだった。

 大勢の新入社員とは他の支社も含めてのことで、前川滝美がまかされたこの支社の新入社員は三名、女性ふたり、男性ひとり、そして、係長の辻であった。

「佐藤です」
「塩野です」
「沖村です。よろしくお願いします」

 大学院修了の女子が二名、彼女たちは二十五歳。男子の沖村は大学新卒で二十三歳。女性たちは大人びていて、沖村は初々しい感じがした。

「私はあなたたちの指導をします、係長の辻です。課長は前川さん。がんばりましょうね」

 係長の訓示に、新人たちは元気にはいっ!! と声をそろえ、滝美は微笑んでうなずいた。

「沖村くん、ネクタイ、まがってるよ」
「背広のうしろからワイシャツの襟がはみ出してる。沖村くんってひとり暮らし?」
「いえ、両親と同居です。朝寝坊なんで……すみません」

 新入社員の中でも最年少なので、沖村は女子たちに世話を焼かれていた。

「朝はもうちょっと早く来て下さいね。遅刻はしないからいいようなものの、毎朝ぎりぎりでは事故にでも巻き込まれたら大変。余裕をもって出勤するように」
「わかりました、係長」

 辻も沖村には苦言を呈していたが、彼は素直に詫び、服装も勤務態度もきちんとしてきた。

 入社して三ヶ月、夏になると新入社員たちも仕事に慣れてくる。会社は有望な新人をじっくり育てるつもりらしく、一年間は滝美が課長をつとめるこの教育セクションで修行する。その間に工場や他の支社を見学したり、営業マンのアシスタントや事務など、職務に必要なあらゆる業務を学ぶことになっていた。

「沖村くん、三人で飲みにいかない?」
「今日は先約があるんです。すみません」
「デート?」
「沖村くんって彼女はいるの?」
「いえ、すみません。デートなんかじゃありませんから」

 退勤時間になると、女子たちが時おり沖村を誘う。沖村はほとんど断るので、女子ふたりで飲みにいったりもしているようだ。辻は時には参加しているらしいが、六十歳近い課長が加わっていると愚痴もこぼせないだろうと、滝美は参加しないと決めていた。

 四十代の辻は既婚で、中学生の娘がひとりいる。佐藤と塩野はいずれは結婚してワーキングマザーになる予定らしいので、飲み会に辻が参加するのはむしろ歓迎していて、将来の心構えなどを聞きたがっているようだった。

「沖村くん、社食でお弁当食べてたね?」
「彼女に作ってもらったの?」
「いえ、母です」
「お弁当くらい自分で作りなさいよね」
「マザコンだな。彼女に知られたら嫌われるよ」

 弟扱いされている沖村は、女子たちにからかわれて頭をかいている。辻も言った。

「沖村くんは彼女と結婚するつもりなの?」
「プロポーズはしてませんし、されてませんけど、二十五歳くらいになったら考えるつもりです」
「二十三じゃまだ早いかもね」
「プロポーズされてないって、あんたがしなさいよね」
「続きは社食でやろうよ。私たちもお弁当、持ってきたんだ。係長もご一緒にどうぞ」
「そうね。たまにはいいよね」

 昼休みになると四人の部下が出ていき、滝美はひとり、自分も弁当を取り出す。
 この年代の夫婦としては晩婚だったので、母は九十歳になった。母よりはひとつ年上の父は昨年、骨折して入院して間もなく肺炎になって他界し、母は老人ホームに入所した。母も身体が思うように動かなくなり、娘の負担になりたくない、と自ら決めてきたのだ。

 ひとり暮らしになった滝美は、週に一度は老人ホームを訪ねて母を外食に連れ出す。遠出はできそうにないので、ホームの一室でお茶の時間にしたり、お喋りをしたりする。滝美には友達もあまりいないので、母との週末のひとときだけが楽しみだった。

「六十近い女性が九十近いお母さんにお弁当を作ってもらってる? それだからお嫁に行けなかったんじゃありませんか」

 青田からはそう言われたが、母は娘の弁当を調えるのが生き甲斐だったのだ。高級な老人ホームにはキッチンも完備されている。老人が使っても危険は少ないように配慮されたキッチンで、昨日、母が作った煮物をもらってきて、今日は滝美も弁当を作った。

 部下たちがいなくなった部屋で、滝美は弁当を食べる。二十代から四十代の部下たちに混ざりたいとは夢にも思えなくて、九十歳の母といるほうが気が休まるのである。

「今日はハンカチにちゃんとアイロン、かかってるんだね」
「自分でかけたの? 母?」
「彼女にかけてもらったとか? はっきり言えよ」
「沖村くんってはっきりしないんだよね。男らしくないんだから」

 最近はなじんだせいか、辻までが佐藤、塩野と一緒になって沖村をからかう。沖村は顔を赤くしてもごもご言っている。辻によると、よその部の先輩女子からも、沖村はなにかといじられているらしかった。

「課長……」
「ああ、はい」
「相談したいことがあるんですが……」

 その日は辻と佐藤と塩野の三人が、地方工場に出張していた。地方なのでビジネスホテルの数も少なく、シングルルームが三つしか空いていなかったとのことで、沖村はまたの機会ということになった。

「ここではできない話ですか? 長くならないんだったら言ってくれていいですよ」
「えと……あの、僕、参ってるんですよね」
「なんのことでしょう?」
「辻係長も佐藤さんも塩野さんも、セクハラですよ」
「は?」

 あなた、男性じゃなかった? と言いそうになって、滝美は沖村を凝視した。

「だって、そうでしょう? しつこく彼女とのことを聞いたり、マザコンだなんてからかったり、この前の昼休みには僕は公園でお弁当を食べていたんです」

 社食でみんなで食べるとからかわれるから、ひとりになりたくて沖村は、職場近くの公園で弁当をすませ、ベンチでまどろんでいた。気持ちよすぎて目覚めたのは昼休み終了時刻ぎりぎり。必死で社に戻ったら、辻に言われた。

「公園で寝てたって? 昼休みまで遅刻するなんてたるんでるね」
「遅刻はしてませんが……」
「最初のころはキミは朝だって遅刻ぎりぎりだったでしょ。よし、モーニングコールしてあげるから、ケータイの番号を教えて」
「いえ、けっこうですから」
「上司の命令が聞けないのかね、キミは」
「そうだそうだ。私にも教えて」
「メルアドも教えてよ」

 などと、佐藤と塩田にも言われたと沖村は話した。

「セクハラですよ。そうですよね」
「うーん……そのくらいでセクハラって言われてもね」
「だけど、男性の上司や先輩が女性にそんなことを言ったらセクハラでしょ?」
「それはそうかもしれないけど、沖村くんは男でしょ。そんなのをセクハラって問題にしたら、なんだか私としても……気にしないのがいちばんじゃないのかしらね」
「……わかりました」

 硬い表情になって、沖村は引き下がった。

「課長に直訴したんだけど、課長はまともに聞いてくれなかったって。部長に言ったらしいんですよ。佐藤と塩田と私、部長に呼ばれて注意を受けました。部長も苦笑いまじりで、男がそんなことを言う時代になったんだなぁ、って感じでしたけど」

 数日後、辻が話してくれた。

「それで、突然決まったんですね。沖村くんが急遽長野の工場に転勤になったのは、そのせいなんですね」
「そうみたいですよ。参ったのはこっちだわ」
「私も加害者の仲間ってことですね。うーん、でも……」
「課長の気持ちはわかります。男って扱いにくいですよね」
「ほんとにね」

 滝美が若かったころには、セクハラなんて言葉もなかった。そんな言葉が流通するようになると、軽い気持ちで女子社員をからかっていた男性たちが頭を抱えるようになり、ついには男子も言い出すようになったか。

 青田が上司だったころには、滝美が彼から沖村のような接し方をされていた。いやでいやで我慢ならなくなって、部長に訴えたのはほんの二年ばかり前だ。女はいいのよ、とは言えないのだから、これからは私も注意しなくちゃ。セクハラの加害者一味になってしまった滝美としては、反省する以外の道はなかった。

次は「し」です。


 

ガラスの靴54「育休」

「ガラスの靴」


     54・育休

 日々、人の噂が聞こえる。ロック界にも主夫の世界にも、アンヌが触れ合う人々にも、僕が触れ合う狭い人間関係の中にも、変な奴、平凡な奴、ちょっとずれた奴、大幅にずれた奴、ずれてるのかどうかわからない奴など、いろんな人種がいるのだから。

 うちの奥さんは我が家の大黒柱で、ロックヴォーカリストとして勤労して夫と息子を養っている。なのだから、一般的な女性とも言えないのかもしれないが、お喋り好きだ。噂話も好きなようで、僕にも聞かせてくれる。それだけにむしろ、すこし日が経つと以前に聞いた話は忘れてしまうのだった。

「ああ、眸さんだっけ」
「笙くんの知り合い?」

 アンヌに連れてきてもらったパーティで、西本ほのかさんに会った。ひとことでいえば、僕のパパ友ミチの事実上の夫である吉丸さんの、次男を産んだ女性だ。

 それって……? へっ?!

 実際、ひとことでは言えない関係の、ほのか、吉丸、ミチ、メインの三人以外にも何人もの人がからまるのは、吉丸さんが悪いのか、ほのかさんがぶっ飛びすぎているのか。いずれにせよ、ほのかさんの噂は常に僕の周りを飛び交っているので忘れるはずはない。

 すらっと現代的でセンスのいい長身を、おしゃれなファッションに包んだ通訳。ほのかさんは現代女性が憧れる女性かもしれない。未婚で三人の子どもを出産して育てているというのは賛否両論、というか、否の意見のほうが多いだろうが、僕は彼女が好きだ。

 そんなほのかさんと談笑していると、おなかの大きな女性が見えた。忘れていたのは彼女なのだが、マタニティドレスを着た姿で思い出した。

 売り出し中の作曲家だと、アンヌが我が家に連れてきた三隅斗紀夫。彼と外で偶然にも会ったときには、女性とデート中に見えた。
 実はデートではなく、斗紀夫くんは彼女に責め立てられていたのだった。

 前の会社で同僚だった眸さんに、斗紀夫くんは迫られていた。上手に迫られてはめられてできちゃって、結婚してよ、責任取ってよ、と攻撃されているところに、僕が通りかかったのである。

 それからあのふたりはどうしたのか。アンヌは斗紀夫くんと交流があるはずだが、話さないので僕は知らない。友人、仕事関係のつきあいのあるひと、通りすがりの人間、飲み友達、昔からのファンなどなど、アンヌにはやたら知り合いが多いので、斗紀夫、眸のことも忘れてしまっているのかもしれなかった。

 やや離れた場所にいた眸さんも僕に気づいたようだが、目をそらした。ということは……? と考えていると、ほのかさんが言った。

「あのおなかの子ども、笙くんの?」
「まさか」
「吉丸だったりして?」
「吉丸さんがどこかの女のひとを孕ませてるってことはありそうだけど、あれはちがうはずだよ」
 
 これこれこうでね、と説明すると、ほのかさんはふむふむとうなずいた。

「結婚できなかったんじゃないのかな。だから僕をいやな目で見て、近づいてこないんだよ」
「よかったねぇ、私は彼女を祝福してあげたいわ」
「あなたの感覚はとっても特殊だから、祝福なんかしにいかないほうがいいよ」

 そう言っているのに、ほのかさんは眸さんに歩み寄っていく。心配なので僕もあとを追った。

「何ヶ月でいらっしゃるの? 私にも子どもが三人いるものですから」
「六ヶ月です」
「安定期ね。今のうちに海外旅行に行かれたら?」

 安定期だけど無理はしないでね、と声をかけるのが並の女性だろうが、ほのかさんは並ではない。え、ええ、と眸さんはためらいがちに応じていた。

「働いてるんでしょ?」
「ええ。ほんとは仕事を辞めたいんだけど、夫が……僕は主婦なんて認めないって言うんです」
「そこらあたりは見解の相違だけど、そしたら、夫に育休を取ってもらったら?」
「育休ですか」
「産休は女しか取れないだろうけど、育休は男性だって取れるでしょ」
「……そうですねぇ」

 あれれ? 結婚したのだろうか。結婚したのだったら相手はフリーの作曲家なのだから、育休なんか取れない。僕は口をはさまずに聞いていた。

「夫ってサラリーマン?」
「ええ、そうです」
「大きい会社?」
「そうですよ、大企業のエリートサラリーマンです」

 関係ないのになんでそう根掘り葉掘り……と怒りそうなものなのに、眸さんがきちんと応対しているのは、僕がそばにいるからか。ほのかさんは笙の連れだと認識しているからなのかもしれない。

そのあともほのかさんと眸さんは熱心に話し込んでいたが、出産話などには僕は入っていけない。眸さんは僕を嫌っているようだし、僕だって子持ち主夫だとはいえ、主婦ではないのだから出産だけはできないわけで。
 じりじりとふたりから離れて、僕はローストビーフのお皿の前に立った。一流ホテルのシェフが作った料理はおいしい。常に料理をしている身としては、他人の作った豪華な食事は魅力的だ。

 食べるほうに専念していると、ほのかさんが僕のそばに戻ってきた。なにやらむふふといった顔をしている。ローストビーフを飲み込んでから、どうしたの? と尋ねた。

「育休の話をしているうちに、ボロが出てきたの」
「ボロって?」
「彼女、やっぱりその三隈って男にはふられたみたいよ。結婚なんかせずに子どもを育てていくのがベストなのに、そうは思えない女もいるんだよね」
「そっちのほうが普通だから」

 自分は普通ではないという自覚もあり、普通ではない自分を誇らしく思っているふしもあるほのかさんは、そうね、と同意してから言った。

「だからね、いいことを教えてあげたの」
「なに?」
「うまく行ったら報告してあげる。幸い、候補もいるみたいだし……」

 候補? きょとんとした僕をその場に残して、ほのかさんはどこかに行ってしまった。

 その報告をしてくれるらしく、今日はほのかさんが僕を誘ってくれた。デパートの一画にあるティルーム。そこからはベビー用品売り場が見える。

「彼も育休は取ってくれないみたいだけど、結婚したい眸ちゃんにはお似合いの相手だよね」
「え? はれ?」

 今にも生まれそうな大きな大きなおなかをしたほのかさんが、知らない男と歩いている。前に会ってから三ヶ月ばかり経つから、あのおなかになっているのは当然だ。

「三隈くんじゃないよね。あのひと、ほのかさんは知ってるの?」
「私が知恵を授けたの。眸ちゃんは彼と結婚するみたいよ。出産前に籍を入れたら、彼の子どもってことにできるのよね。ま、そのほうがいいんだったらそうすればいいのよ」
「それって……」

 つまり、眸さんに恋をしていたあの男をたぶらかしたとか? 実はあなたの子なのよ、と言えとほのかさんがそそのかしたとか?

「私はそんな卑怯な真似は勧めません。あなたの子どもではないけど、私を愛してるんだったらこの子ごと受け止めてってところよ」
「ほんとに?」

 むふふって感じで笑うほのかさんは、おのれのことならばそんな卑怯なふるまいはしないだろう。けれど、眸さんに授けた知恵のほうは、いったいどんなものだったのやら。コワコワ怖っ!!

「でも、ふたりともなんだか幸せそうだよね」
「そうよ。子どもが産まれるって幸せなことなのよ」
「あの男には関係ないのに?」
「関係はあるの」
「うん、まあね……」

 よその女が産んだ子の継母のようになっている男もいるのだから、よその男の子を産む女と結婚して、その子のためにがんばって働く男がいても不思議はない。
 人生いろいろ、なんて、演歌みたいな歌を口ずさみ、僕はほのかさんに言った。

「せっかくデパートにいるんだから、今夜のおかずはデパ地下で買って帰るよ」
「今夜はアンヌは早く帰ってくるの?」
「うん。今日は夕食、家で食べるって」
「笙くんも幸せそうね」
「もちろん」

 他人がどうあれ、今の僕には今夜のおかずのほうが大切だった。

つづく

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