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ガラスの靴49「魅力」

「ガラスの靴」

 

 

     49・魅力

 

 忘れかけていたひとたちに会った。

 

「おまえはいつまで根に持ってるんだよ。あのときのあたしは機嫌が悪かったんだ。おまえみたいなお気楽な専業主夫にはわかりっこない苦労が、働く女にはあるんだよ。いつまでもすねてんじゃねえんだ。いい加減にしろ」

 

 アンヌに叱られたので反省して、忘れようと決めたことが起きた日に会ったひとたちだ。

 

「おまえだって男なんだから、浮気願望はあるだろ」
 その日にも吉丸さんに訊かれ、父も別の日にこう言った。

 

「アンヌさんは奥さんらしいこともせずにおまえに息子もまかせっぱなしだ。そんなだと浮気をしたくなるだろ」

 

 いや、僕はアンヌひとすじの貞夫の鑑なのだから、浮気願望なんてない。お金になるんだったらよその女に抱かれてもいいけど、怖いしなぁ、と思っている程度だ。
 貞夫の鑑から見れば、吉丸さんなんかは信じがたい。吉丸さん以上に信じられないのが、あの日に会ったフジミだった。

 

 レコーディングが長引いて帰宅できない妻のために、お弁当を届けてあげよう。胡弓にはママの仕事場を見せてあげたい。そのつもりでアンヌのスタジオを訪ね、氷みたいにつめたくあしらわれたあの日、公園で会ったフジミ。

 

 そのひとがいる。
 小柄で髪が長くて、一見は若くて可愛いアイドルミュージシャンふう。本当は二十三歳の僕よりも十歳以上年上なのだから中年だが、可愛いタイプで性格のだらしない男、しかもミュージシャンとなるともてるらしく、女が彼を放っておかないのだそうだ。

 

 何度結婚して何度離婚し、何度再婚したのか、友人の吉丸さんにもつかみ切れない。あの吉丸さんをして、そういう男は結婚しなけりゃいいのに、と言わしめるのだが、フジミはなぜか結婚したがる。現在は何度目かの再婚をして、何度目かの妻だった女性と不倫をしているらしい。

 

 僕が浮気をしないのは貞淑だからもあるが、それ以上にメンドクサイからだってのに、フジミさんってなんたるバイタリティのかたまりなんだろ。

 

 妻帯者は夫人同伴のこと、という但し書きがあったので、あたしはおまえを連れていくんだ、とアンヌが言った、アンヌの仕事の集まりだ。想定しているのは男で、夫のいる女を数に入れていないのが気に入らないと言っていたが、こんな場合、喜んで妻についてくる夫は少ないのではないかと。

 

 もちろん僕は喜んでついてきた。
 パーティというのでもないが、ごちそうも出ている。テレビや雑誌で見たことのある人も歩いている。フジミさんもミュージシャンで妻帯者だから、史子さんという名前だったはずの奥さんと同伴して出席していた。

 

「フミちゃんってば、上手にだましたよね」
「私がだまされたのよ」
「ったって、よくも結婚してもらえたよね」
「私が結婚してやったんだってば」

 

 意地の悪い口調で史子さんにからんでいる女は、色っぽい感じのグラマーだ。史子さんは彼女をユイちゃんと呼んでいるから、友達なのか。にしてはユイさんは史子さんに悪意を持っているような気もした。
 例によってアンヌは仕事仲間に囲まれていて、僕はひとりぼっち。僕はあちこちでこうしてひとりで、他人の会話を盗み聞きしている。シュフは見た、ってドラマにでもできそうな。

 

「フジミさん、気の毒に。だまされて結婚させられてさ」
「大きな声で言わないでよ。誰がどうだましたっての?」
「だってぇ……」
 
 くねくねっと身体をよじって、ユイさんはむふふと笑う。史子さんがユイさんに喧嘩腰で迫っていると、突然、ユイさんの態度が豹変した。

 

「あら、はじめまして。フジミさんですよね。私、史子の親友の優衣子です」
「こんにちは、はじめまして」

 

 豹変した理由はこれか。史子さんは苦々しい顔になって、それでもフジミさんに優衣子さんを紹介している。フジミさんもにこにこして、三人で談笑をはじめた。

 

「フミちゃんみたいな素敵な女性と結婚できて、フジミさんはハッピィでしょ」
「ああ、まあね」
「私には友達はいっぱいいるけど、フミちゃんほどの女性は他にはいないのよ。フミちゃんほどの女がつまらない男と結婚するなんて言ったら妨害してやろうかと思ってたくらい」
「それはそれは……」

 

 よくもまあぬけぬけと、と僕も思うのだから、史子さんはなおさらだろう。史子さんは無口になり、フジミさんはやにさがっている。史子さんは僕に気がついてそばに寄って来た。

 

「アンヌさんの旦那、笙くんだったよね」
「そうでーす。僕のこと、覚えてた?」
「ムーンライトスタジオの近くで会ったよね。今の、聞いてた? むこうに行こうか」
「聞いてたけど……離れていいの?」
「いいのよ」

 

 今の、とはフジミさんがあらわれる前とあとの優衣子さんの台詞だろう。離れていいの? と僕が訊いたのは、あの男と色っぽい女をふたりっきりにしていいのか、という意味だったのだが、史子さんがいいと言うのでちょっと離れた場所に歩いていった。

 

「あの女、ユイって男から見てセクシー?」
「僕の趣味でもないけど、セクシーではあるね」
「笙くんって変な趣味なんだってね。吉丸さんが言ってたわ」

 

 悪かったね、ほっといて。

 

「ユイって女にはわからない魅力を持ってるんだろうね」
「フェロモンとかってやつ?」
「それなのかもしれない。昔はイラッと来たもんよ。ユイは誰かの彼氏を紹介されると、自分のものにしなくちゃいられないの。あたしはこんなに魅力的なんだから、どんな男もあたしにはイチコロで参るんだってところを見せずにいられないらしいのよ」

 

 噂になら聞くが、本当にそんな女がいるんだ。僕は会ったことはないけけど、男にはわからないだけなのだろうか。

 

「そしてまた、迫られた男もまず百パーセントの確率で落ちるんだよね。ユイってそれほど魅力があるんだと思ってた。ユイは今でもそう信じ込んでるんだろうな」
「ちがうの?」

 

 ふたりして同じほうへ視線を向ける。そこには男にしなだれかかる女と、そうされてにやけている男がいた。

 

「それはあるんだと思うよ。だけど、そんな女やそんな男ばっかりじゃないはずよね。私の知り合いって、そんな男と、そんな男としかくっつけない女としかいないの? 考えたら憂鬱になっちゃう」
「うーん、そうなのかなぁ」
「でもね、それだけじゃないって気づいたの」

 

 顔を僕に近寄せてきて、史子さんは言った。

 

「ユイは人のものを欲しがるガキなのよ」
「ああ、他人のおもちゃをほしがる子どもね。うちの胡弓の友達にもたまにいるよ」
「そうそう。それに近いんだよ。でね、フジミも同類なの」
「そしたら……」

 

 やっぱあの男と女をふたりきりにしておくと危険じゃないか、そう言いたい僕の気持ちを読んだかのように、史子さんはかぶりを振った。

 

「いいのよ、もういいんだ。フジミには愛想が尽きた。ユイがほしいんだったら持ってけって感じ。どうせ自分のものになったら、すぐに飽きるんだから」
「ふーむ」

 

 そう言われてみると、僕も気がついた。
 何人もの女性に恋をして、だか、恋をしていると錯覚してだか、そのたびに結婚しては離婚してまた結婚する。そういう男は次の彼女を手に入れるためには、前の彼女と別れなくてはならない。フジミさんはあからさまな二股はやらないらしい。

 

 別れるためには彼女に愛想尽かしをさせて、捨てられるように持っていく。恋多き男女とは、別れるのがうまい奴。そんな話も聞いたことがあった。
 あの男、あれで案外……案外、なんなのかはいっぱいあって言い切れないが、ひとつだけ。ああいうのを恋愛上手と呼ぶのだろうか。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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