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2019年4月

ガラスの靴47「思込」

「ガラスの靴」

 

     47・思込

 

 もてる女とはどんなのか。睦子さんと静枝さんが僕の前で持論を繰り広げている。昼下がりのカフェ。

 

 近所のマンションの住人である静枝さんは、僕とはママ友といっていい。僕はパパだが、普段の生活はママなのだから。自称三十歳、実年齢は四十歳くらい。バツイチだが、裕福らしくて優雅に暮らしている。僕の息子の胡弓の遊び相手が、静枝さんの娘の乃蒼ちゃんだ。
 
 えっらそうに命令ばかりするノアちゃんに、嬉々として従う胡弓の図。ある種の男とある種の女の関係としては理想的なのかもしれないと思う僕だった。

 

 妻のアンヌの友達、寿美香さんは超歳の差婚の妻のほう。彼女の夫は四十二歳年上で、金のための結婚だとスミカさんはきっぱり言う。
 そのスミカさんが我が家に連れてきたのが睦子さん。彼女は五十歳前くらいか。料理教室のアシスタントとしてパートで働いている。

 

 我が家に遊びにきていた睦子さんと静枝さんが顔を合わせ、なぜか気が合って親しくなったらしい。歳もそんなには離れていないし、基本、ふたりともに主婦だから話題もたくさんあるのだろう。
 たまには外でランチしようか、と言い合って、三人で外出した。ランチセットを頼んでお喋りしているうちに、話がそこへ流れていったのだった。

 

「笑顔かな」
「にこにこしてるって大切よね」
「料理も重要でしょ。睦子さんってそのおかげで旦那さまに見初められたんじゃないの?」
「あら、私は旦那の理想にぴったりのルックスしてるって、ひとめ惚れされたのよ」
「美貌も大事かも」
「ぱっと見だとルックスは大事だろうけど、長くつきあっていくには中身よ」
「だけど、もてるかどうかだったら……」

 

 笑顔、気配り、愛嬌、女らしさ、男を立てる、聞き上手、家庭的、清純、慎み深い、綺麗好き、etc。睦子さんと静枝さんはもてる女について並べ立てる。その合間には自賛も混ざっていて、僕はほえええぇ、と感心して聞いていた。

 

「けどさ、アンヌは正反対だけどもてるよ」
「アンヌさんってもててたの? もててたっていうより遊び相手にされてただけじゃない?」

 

 音楽には特に興味がないらしい睦子さんは冷淡に応じ、アンヌのバンドのファンだと前々から言っている静枝さんは遠慮がちに言った。

 

「もてても結婚は望まれない女っているからね」
「アンヌは僕と結婚したじゃん」
「うーん、そうだけど……」

 

 はじめて会った際のアンヌの印象は、怖そうなかっこいい女。背が高くて細くて居丈高な雰囲気を持っていて、笑顔なんかかけらもなかった。

 

 態度はがさつなほうで、女らしさはかけらもない。男を立てるだの気配りだのは大嫌いで、アホな男はたびたびアンヌにやっつけられていて、僕は胸のすく思いをしたものだ。僕は弱虫だから専門学校の同級生にだって苛められて、アンヌが救い出してくれた。

 

 興味のない話題だと平気でさえぎって、つまんねえよ、もっと面白い話をしろよ、と誰にでも言うのだから、アンヌは聞き上手でもない。家庭的の「か」の字もない体質だから、夫を主夫にすることを選んだ。僕がいないとまともにごはんも食べないし、お皿一枚洗わないひとだ。

 

 掃除なんか絶対にしない。汚れていたって病気にもならねえよ、最悪状態になったらハウスクリーニングを頼めばいいんだろ、とお金にものを言わせたがる。だから、綺麗好きでは断じてない。

 

 清純、慎み深い……ノーコメント。
 けど、僕はそんなアンヌが好き。アンヌは過去にも現在にも男にもてまくっている。未来も、あと三十年、いや、五十年だってもてるはずだと僕は思う。

 

「アンヌさん、美人だから。美人だったら、つきあうだけだったらそれでいいって男性はけっこういるんじゃない?」
「一般受けする美人でもないけど、遊び相手としてだったらちょうどいいかもね」

 

 冷静に分析してみせる睦子さんは、我が家にある音楽用品を見せてもあげなかったからアンヌが嫌いなのか。アンヌが興味を示さない台所用品だったら気前よくあげたのに。

 

「笙くんがアンヌさんタイプを好きだから、点が甘くなるんだよね」
「笙くんって変わった趣味……」

 

 変わった趣味なのかもしれないが、僕みたいな趣味の男は大勢いる。

 

「あの女はにやにやしやがって、気持ち悪いんだよ」
「日本人はなんでも笑ってごまかすって、ジョーも言ってたぜ」
「メシなんかどうだっていいんだ。家に帰ったら女がいて、テーブルいっぱいに料理を広げて、お帰りなさい、なんて言われたらぞっとするぜ。回れ右して出ていって、ラーメンでも食ってくるよ」
「二十歳で男と寝た経験ないんだってさ」
「……よっぽどひどいんだな」

 

 男同士でそんな会話をしていたミュージシャンたちもいて、そういった人種にアンヌはもてるわけだから、一般的ではないのだろう。

 

 この会話の主は……そうそう、吉丸さんだった。吉丸さんつながりで思い出した女性が今、どこでなにをしているのかを聞いていたので、提案してみた。

 

 なにがあるんだか知らないけど行ってもいいわよ、とふたりともにうなずいたので、場所を移す。移動したのはここからやや離れた繁華街にあるファッションビル。ビルの一階の表通りに面したスペースにある仮設スタジオだ。

 

「こんなの、聞きにきたわけ? なんなの、これ?」
「わっ、キャンディじゃないの」
「やっぱ静枝さんは知ってたね」

 

 世代的には睦子さんだって知っているのだろうが、睦子さんは音楽には興味がないから知識もないのだろう。僕は名前だけは知っていた、ロブ・キャンディ。アメリカでも日本でも二十年ほど前にものすごい人気があったのだそうだ。

 

「アイドルみたいなものだったけど、実力もあるんだよ。久しぶりの来日でライヴもやるから、あたしは桃源郷の誰かと一緒に聴きにいく。笙はラジオで聴けばいいよ。スタジオライヴをやるんだそうで、ほのかが通訳で公開放送するってさ」

 

 アンヌが教えてくれて、どうしようかな、と迷っていたのだが、西本ほのかさんを睦子さんと静枝さんにも見せてあげたくて連れてくることにした。

 

 通訳の仕事があるのだから、会うのは無理かもしれない。紹介している時間もないだろうし、時間があったとしてもほのかさんと睦子さんと静枝さんじゃ女としてのレベルがちがいすぎて、だなどと、静枝さんのほうに近い僕が言うのは傲慢なのか、卑屈なのか。

 

 いずれにしても口にはせず、キャンディについての説明は静枝さんにまかせて、僕は公開放送のスタジオにいるほのかさんを見ていた。

 

 すらっとした長身をセンスのいいスーツで包み、あかぬけた髪型をしてすかっとした化粧をしている。四十歳前後だろうから静枝さんとは近い年頃だが、ちがいすぎる。彼女の生き方を否定するひとはたくさんいるだろうが。僕は応援したい。

 

 性格ワルッ!! というところもあるし、僕が応援したいと言ったって、笙くんが私になんの応援をするわけ? とさらっと訊かれそうで、寂しいときにはベッドのお相手を……とも言えないから、僕なんかがおつきあいするのはつらい相手であるのだが、ま、ほのかさんも一応は主婦だってことで共通点はあるのだから。

 

 なんだかだ心で言い訳しつつも、僕はほのかさんを見つめている。
 司会は男女ペアのDJ。睦子さんはそっちには詳しいようで、テレビのバラエティに出ているタレントだと教えてくれた。男のほうは五十代くらいで、キャンディをなつかしいと言い、女のほうは若くて、かっこいいですねぇ、を連発していた。

 

 事実、キャンディも五十歳に近いだろうが、引き締まった身体に甘い容貌を保っていてかっこいい。ほのかさん、次は彼を狙ってる? ヒスパニックと日本のハーフ美少年がほしいとか?

 

 やがて、スタジオライヴがはじまる。キャンディという芸名をつけた由来になったという、彼のキャンディヴォイスはおじさんになっても健在で、静枝さんはうっとり聴き惚れ、睦子さんはつまらなそうに僕に身を寄せてきた。

 

「あの通訳のひとが笙くんの知り合い?」
「そうだよ。彼女ももてるんだ」
「美人っていうか、今ふうね。意地が悪そう」
「そういうところはあるかな。睦子さん、洞察力あるね」
「そりゃそうよ。私は人を見る目はあるの」

 

 お世辞を言ってあげてから、あとでね、と囁き返す。ガラス張りのスタジオなのでほのかさんからも観客が見えるだろうが、僕がいるとは気づいていないだろう。観客には中年女性が多く、キャンディの歌を聴いて嬉しそうだった。

 

「さて」

 

 スタジオライヴが終わると、僕ら三人はその場から離れてカフェに入った。あとでね、と言ったのだから、ほのかさんについて語ろう。

 

「あのひと、未婚の母なんだよ。白人とのハーフがひとり、黒人とのハーフがひとり、日本人の子がひとり、三人の我が子を結婚もせず、認知もしてもらわずに母だけの手で育ててる。家政婦さんやベビーシッターさんはいるけどね」

 

 ついでに、正体不明の若い男性の同居人もいるが、彼が何者なのか判明していないのではしょっておいた。

 

「彼女はもてるんだよね。そんなだから、もっと子どもが増えるかもしれないよ」
「……それって……」
「どういう知り合い?」

 

 そろって眉をひそめて、静枝さんと睦子さんが問い返す。めんどくさいので、アンヌの友達、とだけ言った。

 

「そんな母親に育てられた子どもって、幸せになれるんだろか」
 静枝さんが言い、睦子さんも言った。

 

「差別されるよね。イジメにだって遭いそう。私だってうちの子がそんな母親を持つ子どもを友達だって連れてきたら、あんまり仲良くしないほうがいいって言うわよ。息子がいたとして、そんな子と結婚したいって言い出したら猛反対するわ」
「息子の嫁にはしたくないわね」
「笙くんはどうなの?」
「僕は歓迎するよ」

 

 案の定の反応にがっかりしてしまったが、こんなものだろう。
 ほのかさんちの華子ちゃんか佳子ちゃんが胡弓の彼女になり、結婚する。華子ちゃんだって佳子ちゃんだって自立した女に育つに決まっているのだから、そしたら胡弓は専業主夫になれるじゃないか。最高じゃないか。

 

「そんなの、遊ばれたっていうんじゃないの?」
「すっごく都合のいい女だよね」
「子どもを勝手に産んだんだから、認知もなにもあったもんじゃないけど……」
「睦子さんちの娘さんが結婚したいって連れてきた男性に、そんな事情の隠し子がいたらどうする?」
「えーっ!! 駄目っ!! 絶対反対!!」
「私もだなぁ」

 

 娘のいる母であるふたりの女性は、その話題で盛り上がっている。
 結婚したくてもできなかったかわいそうな女、ほのかさんはそういうスタンスだととらえられてしまったようだが、彼女がここに来ていつもの台詞を口にしたとしたら?

 

「私は独身主義なのよ。子どもはほしいけど夫はいらないの。私は自力で子どもの三人くらい育てていけるんだから、身近に大人の男なんてのはいないほうがいいのよ。都合のいい女じゃなくて、男を都合よく利用しなくちゃね」

 

 口だけではなく実践もしているほのかさんに、睦子さんや静枝さんはなんと言い返すのか。強がりを言うしかない哀れな女だとでも?

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

197「罪かしら」

しりとり小説

197「罪かしら」

 スケジュール表にデートの予定が入らなくなると、途端に暇になった。
 暇なのは性に合わないので、ネットで見かけた「鉄ちゃんの会」に入ってみた。鉄ちゃん、すなわち鉄道愛好家である。鉄子の会というのもあるようだが、女ばかりの集まりも性に合わないので、鉄ちゃんのほうにした。

 案の定、鉄ちゃんは男ばかりだ。少年から中年、老年までいる鉄道好き男性たちの中に、ちらほらと女性もいる。二十四歳の菜々星は男性たちのアイドルになることに成功した。

 アイドルになるのはそれはそれで楽しいのだが、もてはやされてばかりいても無意味である。青年層にターゲットを絞って候補を探していたら、彼のほうから告白してきた。

「菜々星さん、俺とつきあって下さい」
「つきあうっていったって、私、晴輝さんのことをよく知らないから、そんなに軽々しくオーケーはできないな。何度かデートしてからでいい?」
「もちろんだよ。俺は菜々星さんを軽く扱うつもりなんかないから」

 第一段階成功。陽川晴輝という名前はなにかを連想させるのだが、なんだったか。吉川精機という会社が近所にあるから、それだろうか。それなんだろうな、と首をかしげつつも菜々星はおのれを納得させ、デートのたびにそろそろと晴輝の私生活に探りを入れていった。

 身長はさして高くもないが、低くもない。顔も醜くはなく、太ってもいず、ルックスは合格。生理的にいやなタイプではなかったら、許容するつもりだ。二十四歳で男性とつきあうのは、これからは結婚も視野に入れる予定なのだから、外見にとらわれている場合ではない。

「大学を出て鉄道専門雑誌の編集部に就職したかったんだけどね」
「晴輝さんって専門家なんだ」
「いや。就活で失敗したから、メーカーの製造部門だよ。入社五年目だから製造部門なんだけど、いずれは営業部志望。とはいってもうちの会社は都内にしか営業所はないから、遠くへ転勤ってのはないよ」

 二十六歳。男性としては結婚を意識する年齢ではないかもしれないが、転勤族ではないと言いたいのだろう。ちょっと年上がいいな、との菜々星の理想にはあてはまっていた。

「父親は公務員、兄貴は俺とは別の会社の会社員。母親はいないんだ。早くに亡くなったんだよ」
「それは大変だったね」
「うん、でも、男三人でどうにか家事もやってるよ。親父はそれほど忙しい仕事でもないし、母が亡くなってから十年もたつんだから、家事も得意になってるんだ」

 姑がいない、ラッキーである。
 しかし、晴輝の境遇はそっくりそのままどこかで聞いた。誰だっただろう。母は俺が高校生のときに死んで、公務員の父が家事もやってて、俺と弟も手伝ったんだよ、と言っていた男は……。

「兄貴はついこの間、結婚したんだ。二十八なんだけど、三年くらい前になにかあったらしくてね。俺には話してくれなかったけど、女にふられて大ショックだったんじゃないかな。傷心をひきずっていたんだけど、やっと立ち直って結婚したんだよ。父も俺も一安心。兄貴がああだと暗いからね」
「よかったじゃん」

 ごく平凡な派遣社員である菜々星は、自分のほうの仕事の話もした。
 鉄道に関しては菜々星は詳しいわけでもないが、男はおおむね、自分の趣味の話は自分がするほうを好む。菜々星が晴輝の鉄道おたく話を聞いて笑ったり、晴輝くん、なんでもよく知ってるねぇ、と感心してみせたりしてやると、晴輝はしごく満足そうだった。

「菜々星ちゃん、うちの父親に会ってくれないかな」
「……それって……」
「どっちを先に言おうか迷ったんだけど、父親と……兄貴と兄嫁さんにも会ってもらって、菜々星ちゃんがいやな奴じゃないって判断してくれたら……結婚したい」
「……うん、いいよ」

 結婚して下さいっ!! ではなかったのはやや不満だったが、妥協しよう。出会いから一年、二十五歳になっていた菜々星は、このへんで手を打つつもりになっていた。

 婚活というものをしないと結婚できない男女が、世間にはあふれているらしい。男には結婚なんかしたくないと言う者が増えている。本心から結婚にメリットを感じないと言い放つ者やら、奥さんや子どもはほしいけど、俺なんかじゃ結婚できないし、彼女もできないし、と諦めている者やら。

 結婚なんてふんっ!! 私のキャリアの邪魔になる夫も子どももいらないのよ、のバリキャリと。
 したいけど、私も派遣だし、夫ひとりの収入じゃ子どもも持てないし、私なんかじゃ結婚できないかもね、の非正規社員女性と。

 女は両極端に分かれているらしいが、菜々星はそのどちらにもなりたくない。結婚したらひとまず専業主婦になり、早めに妊娠出産し、ふたりの子の母になる。下の子が幼稚園に通うようになったらパートできたらいいな。菜々星のライフプランはそんなふうに決まりつつあった。

 絶対に奥さんは正社員でなくてはいけない、専業主婦など認めない。パート? 甘えるな、の主義の男は菜々星がかつてつきあってきた中にもいた。エリートの中には、専業主婦でもいいけど家事は完璧にやってくれ、とほざく奴もいた。菜々星としてはどちらもごめんだから、晴輝が菜々星のプランに賛成してくれるのも好ましかった。

 菜々星の両親と妹に会ってもらうのは後回しにして、先に晴輝の家庭を訪ねる。父親と兄と、新婚の兄嫁が迎えてくれる。晴輝の兄の顔を見て、記憶のパズルがかちっとはまった。

 兄貴兄貴としか晴輝は呼ばないし、兄の名前は尋ねなかったのだが、意識下で、もしかしたら……と思っていたからかもしれない。何年たつのか、三年か? 二十三歳まではできるだけ数をこなすつもりだったので、あのころの菜々星はとっかえひっかえ男とつきあっていた。その中のひとりにすぎないのだから、彼のことは忘れてしまっていた。

 それでも心にひっかかってはいたのだから、陽川熱太などという名前を聞けば明確に思い出しただろうに。にこやかに出迎えてくれる父親と、太目の妻のうしろで固まっているかのごときアツタをちらっと見て、菜々星は微笑んで挨拶をした。

 同居しているのでもないから、晴輝は兄とはそんなに話もしないと言っていた。彼女ができたのか? そりゃよかったな、連れてくる? 俺も嫁と一緒に会いにいくよ、今日のことにしてもその程度の会話しかかわしていなくて、父も兄も、彼女はなんて名前? とも訊かなかったのだろう。

 母親がいれば根掘り葉掘り質問したがるのかもしれないが、父親や兄なんてそんなものかもしれない。アツタはあたふたしているようにも見えたが、菜々星はとうに立ち直っていた。

 出前の寿司と、兄嫁が調えてくれた澄まし汁やお茶とで、昼食をしたためつつ歓談する。晴輝の父も兄嫁も、菜々星には次男の婚約者として接していて、菜々星も異論はない。この次には両家の顔合わせ、というような話題にもなった。アツタは言葉少なく、ただうなずいてばかりいた。

「……菜々星さんって……」
「んん?」

 晴輝が菜々星の家にも挨拶に来、父も母も快く結婚を許してくれた。妹も、ま、あんなもんじゃないの、と生意気を言っていた。結納はどうする? 結婚式は? と具体的な話に進んでいたころ、アツタの妻が菜々星を訪ねてきた。菜々星が仕事をすませて退勤しようとしていたら、声をかけられたのである。

「すみません、お茶でも……」
「いいけど、なんなの?」

 じきに義理の兄嫁になる女性、アツタの妻。そうとしか意識はしていない。晴輝にしても義姉さんとしか口にしない。そもそもめったに兄嫁の話などしない。晴輝の父親とは幾度か会ったが、兄と兄嫁にはあれっきり顔を合わせてもいないから、彼女の名前は菜々星は知らなかった。

「菜々星さんがはじめてお義父さんと会われたときに、主人の様子がおかしかったんです」
「……めんどくさいな。そうですよ、前にちょっとだけ、アツタさんとつきあってたよ」
「ちょっとだけ?」
「そうだよ」

 義姉さんは兄貴よりも年上だ、三十すぎだな、と晴輝が言っていた。いくつなのかは知らないが、年上なので敬語を使うつもりが即座に崩れてしまった。

「ずっとぽーっとしていて、心ここにあらずみたいで、帰ってから問い詰めてみたんですよ」
「そんなのどうでもいいよ。聞きたくないから」

 どうでもいいと言っても、兄嫁は話を続けた。

「菜々星ちゃんだったんだ……俺のモトカノだよ。晴輝もいくらなんでも菜々星ちゃんと……そんなのないよ、たまんないよ、って、泣き出してしまいました」
「アツタくんが? なっさけねえ男!!」
「ぐずぐず泣いたり、あなたがどれだけいい女だったかって話したり、晴輝の馬鹿野郎って荒れたり、酔っ払って言ったりしていました。奪回するんだって」
「私を奪回?」
「おまえと結婚なんかするんじゃなかった、離婚しよう、俺はもう一度菜々星に……なんて言いかけて、無理だな、って肩を落として泣くんです」
「バッカじゃないの?」
「馬鹿ですよね」

 そんな話を聞くと、アツタに対する軽蔑の念しか起きない。

「あなたを忘れるとは言ってました」
「そうだね、忘れるしかないって言っておいて」
「はい、言っておきます」

 ぶちまけてちょっとはすっきりしたのか、彼女はふたりで入った菜々星の職場近くの喫茶店の席を立った。

 立っていった近い将来の兄嫁の背中を見送りつつ、菜々星は思う。あれって私にアツタを軽蔑させて、あんな男に未練はないわ、と思わせる手段? 作り話だとも考えられるけど。

 ううん、本当のことだよね。アツタってば、そんなに私を愛してたんだ。捨てられて痛手で、三年もひきずって、吹っ切るためにつまらない年上の女と結婚した。そこに弟の婚約者として登場した、かつて熱愛していた菜々星。そりゃあ心も乱れに乱れるさ。

 私ってそれほどのいい女。晴輝なんかと結婚するのはもったいないほどかな? アツタ、ごめんね、もはや手の届かなくなった女、それでいて、弟の妻として身近にいる女。そんな女を想い切れない愚かなわが身を責めて。それにしても私って罪な女……限りなくいい気分であった。

次は「ら」です。

 
 
 
 

ガラスの靴46「虚言」

「ガラスの靴」

  46・虚言

 作業が煮詰まって膠着状態のレコーディングスタジオに、子連れで弁当を届けにきた馬鹿。馬鹿すぎて相手にする気にもならず、そっけなくしてやったものだから、笙は根に持っている。表面上はもと通りにふるまっているが、根に持っている証拠に、またスタジオにやってきやがった。

 ちらっと笙の姿が見えたのを無視して、あたしは喫煙所に入っていく。ミュージシャンには喫煙者が多いのでスタジオには喫煙所があるが、最近は全館禁煙の建物も増えていて、暮らしにくいったらありゃしない。

「……正直に言ってないんだね」
「うん、そうなんだよな」
「うーん、それってさ……」

 喫煙所には先客がいた。顔は見たことのあるような男と知らない女。むこうはあたしがミュージシャンだとは知っている様子で軽く会釈し、話に戻る。あたしも煙草を上げて、よっ、って感じで挨拶しておいた。

「あんたが金持ちだって知られると、金目当ての女しか寄ってこないから?」
「俺が金持ちっていうよりも、親父が金持ちなんだけどな」
「あんたは思い切り恩恵を受けてるでしょうが」
「まあな」

 浮かない顔をした男は、灰皿に吸殻をもみ消してから新しい煙草に火をつける。女ももくもくやっていて、ふたりともにけっこう長くここにいるようだ。

「あんたは言われたくないだろうけど、あのお父さんの息子だからこそ、ライターとして売り出してもらったんだよね。そりゃあ、いくらお父さんが売れっ子の文筆業者だからったって、息子がどうしようもなく才能がなかったら駄目だよ。でも、ムジョーには多少の才能はあった。ムジョーくらいの文章を書ける者なんていくらでもいるけど、最悪のライターってわけではなかったんだよね。ここに数人、同じ程度のライターがいる。そんなら、あのお父さんの子のムジョーを抜擢しよう、あんたってその程度だよね」

 なめらかにまくし立てる女に向かって、ムジョーと呼ばれた男はぼそっと、知ってるよ、と応じた。
 ムジョー? ああ、わかった。作家でもあり社会学者でもある木戸佐の息子だ。木戸佐の息子だとは知られたくないそうで、彼はムジョーとか名乗っている。

 知られたくないと言ってもその事実はあたしでも知っている、ムジョーは音楽系のライターである。女は編集者か、出版関係なのだろう。音楽業界人とは別種の臭みを持っていた。

 レコーディングスタジオなのだから、音楽系のライターや編集者だって出入りする。取材にでもきたのか、このふたりは仕事を終えたか途中だかで一服しているのだろう。ぼそぼそと喋っているのが漏れ聞こえたところでは、女の苗字はヒゲタというらしかった。

「それでな、彼女は言うんだよ。俺は本名しか言ってないから、彼女は俺を木戸さんと呼ぶ。彼女は言うんだ。木戸さんは小説家になりたいんだよね。私は本なんて読まないからわからないけど、きっと木戸さんには才能はあるはずよ。きっと小説家になれるよ。今は不遇なのは仕方ない。小説を書くひとって修業時代があって当たり前なんでしょ。私が支えてあげる、私が稼いでくるから、木戸さんは心置きなく書いて。私は木戸さんを愛してるんだから、養ってあげたっていいわ。もしも小説家になれなかったら、主夫になってくれたっていいのよ、だってさ」

 主夫、という単語にあたしは反応する。ふむ、殊勝な心掛けの女ではないか。
 見たところ、ムジョーは三十代の半ばくらいか。ヒゲタは四十くらいに見える。他には喫煙所には人がいないので、やや離れた場所にいてもふたりの会話はよく聞こえていた。

「俺は田舎から出てきて、六畳一間にトイレとちっちゃな台所のついたアパート暮らしで、風呂もないから銭湯に行ってて、車も持ってない。アルバイトはしてるけど、書きたいから最小限の収入しかないんだ、って最初に言ったのを、彼女、すっかり信じてるんだよな」
「なるほどね」
「結婚してほしいとは言わないけど、木戸さんを支えてあげるためには、一緒に暮らしたほうがいいと思うの、なんて、目をキラキラさせて迫ってくるんだよ」

「彼女、いくつだっけ?」
「二十七」
「そろそろ結婚に焦る年だね」
「ヒゲタもそのくらいから焦っておけば、四十過ぎて独身なんてのは避けられたのにな」
「あたしのことはほっとけ」

 すると、ヒゲタも独身なわけだ。ヒゲタはなんとなく冷笑的な口調で言った。

「同棲なんかしちゃったら、ムジョーの正体がばれるよね」
「っていうよりも、俺は彼女と同棲じゃなくて、結婚したほうがいいかなぁって思うんだ」
「見事にだまされちゃって……」
「は?」
「いいのよ、いいの」

 だまされちゃって……は小声だったので、ムジョーには聞こえなかったのか。あたしにはきっちり聞こえた。

「だからヒゲタに相談してるんだろ。遊びだったら悩みもしないよ。同棲したいなんてのも適当にはぐらかしたらいいだけだ。けど、彼女はひたむきに、貧しくて恵まれない俺を支えてくれたいと言っている。可愛い女なんだぜ。俺に惚れてるんだよ」
「ふーーーーん」

 視線を感じる。笙がどこかで立ち聞きしているのだろう。

「そんなら結婚しよう、って言ってやりたいよ。彼女も喜んでくれると思う。小説家になりたくて、一生懸命書いてはいても芽が出なくて、糧はコンビニのバイトで得ていると信じている男に、彼女は本気で恋してくれてるんだ。プロポーズしたら大喜びでうなずいてくれるよな」
「そうだよね。やったーっ!! 大成功!! ってなもんだよ」

 ヒゲタの台詞には棘と毒を感じるのだが、自分の世界に浸っているのか。ムジョーは感づいていないようだ。

「だけど、そうすると俺はすべてを告白しなくちゃならない。嘘つきになっちまう。なあ、ヒゲタ、どう思う? だまされてた、ためされてた、とかって、彼女は怒るかな。俺はそれが心配なんだよ。ためしたとかだましたとかじゃなくて、最初は軽い気持ちだったから、って言っても言い訳にしかならないんだろうか。今では本気になったから、ごめん、許して、結婚してくれ、って言っていいものだろうか」
「言えば?」
「ずいぶん簡単に言うんだな」

 いつしかムジョーは煙草を吸う手を止め、ヒゲタがひとりで吸っている。あたしの耳もムジョーの言葉に集中してしまっていた。

「だって……ねぇ、ムジョーって純情ってか、可愛いんだ。そんな男だったんだ」
「……どういう意味だ?」
「知らないわけないじゃん。まあ、あんたのお父さんは知らない者は知らないだろうけど、その彼女とは一年ほどつきあってるんでしょ」
「つきあってるけど、外でしか会ったことはないよ」
「それでも、言葉のはしばしだとか、持ってるものとか着てるものとか……調べる気になったらなんとでもなるしさ」
「だから、どういう意味だ?」

 ヒゲタの言いたいことはあたしにはわかったが、ムジョーは首をかしげている。ヒゲタはふふんと鼻で笑ってから言った。

「あんたが実は大金持ちの息子で、それなりには仕事もできるライターだって、彼女は知ってるよ。知ってるに決まってるの。あんたがもしも書くほうの仕事ができなくなったとしても、いざとなったらお父さんの秘書でもやればいいって立場なのもわかってる。お父さんの著作権だのなんだのも、いずれはあんたのものになる。将来だって安泰だってね」
「そんなことは……」
「けなげで可愛い女を演じてる女に見事にだまされて、可愛いね。おめでたいとも言うんだよね」
「……そう、なんだろうか」

 眉をしかめて考え込んでいるムジョーに、ヒゲタはさらに言った。

「彼女はあんたと結婚したくて必死なんじゃないの。女のほうから同棲だなんて言い出すのも、あんたのそんな性格を見越してるんだね。まずは同棲ってことになったって、妊娠でもしてしまえばこっちのもんだ。外堀を埋めてくっていうのかな。じっくりゆっくりあの木戸佐の息子を落とそうと手ぐすね引いてる女に、実は俺はこれこれこうで……ごめん、だますつもりはなかったんだ、結婚しよう!! って言うの? まあまあまあ、お疲れさん」

 ううっと唸ったムジョーは、片手で煙草のパッケージを握りつぶした。ヒゲタは薄笑いを浮かべてムジョーを見下ろしている。あたしとしては我慢できなくなってきて、声を出した。

「笙、いるんだろ。出てこいよ」
「……あ、知ってた?」

 唸りっぱなしのムジョーはあたしたちに意識を向けるゆとりもないようだが、ヒゲタはちらちらこっちを見ている。姿を見せた笙にあたしは話しかけた。

「女は女をお見通しってのはあるけどさ」
「うん?」
「女はみんな、おまえと同じことを考えてるわけじゃねえんだよ」
「あ、えと……」

 てめえはそんな女だからって、女だったらみんな同じことを考えてると決めつけるな、との想いをこめて、あたしは視線だけをめぐらせた。会ったこともない、知人の彼女だってだけの女をそんなふうに言うなんて頭にくる、ってのは、あたしもおめでたいのかもしれないが。

 困った顔をしている笙のむこうに、ヒゲタの顔も見える。あたしの言い方ではヒゲタのことなのかどうか、明白ではないだろう。けれど、彼女には通じたらしく、そっぽを向いて煙草の煙を吐いた。
 
つづく

 

フォレストシンガーズ・短歌俳句超ショートストーリィ2019/4

フォレストシンガーズ

超ショートストーリィ


 万葉集といえば奈良が舞台なのか? 奈良時代に編纂されたはずなのだから、舞台も奈良なのが当たり前か。中学、高校時代の国語の授業で「万葉集」を習ったはずだが、ほとんど記憶にも残っていない。万葉集? 本橋真次郎にとっては、俺には関係ねえや、だったのだが。

「へええ、万葉集専攻なのか。好きなのか?」
「好きだよ」
「……おまえ、変態だろ」
「変態はないだろうが」

 大学生になって合唱部に入り、友達になった乾隆也は金沢出身で、万葉集が好きだと言う。そんな嗜好の同い年の男がこの世に存在するとは、真次郎には驚きだった。

 ひとかけらも興味のなかった万葉集を話題にするなんて、自分がそんな話をしているなんて、真次郎にとってはそれもびっくりだ。乾の影響なのはまちがいない話題を展開していると、すこしずつは高校生までに習った知識が思い出されてきた。

「そのころの江戸って焼野原だろ?」
「なんで焼野原?」
「いや、江戸は火事が多かったって聞くから」
「江戸時代の江戸には火事が頻発していたらしいけど、奈良時代や平安時代には鄙びた田舎なんだから、焼野原ってのとはちがうんじゃないかな。で、本橋くん、なにが言いたい?」

 やはり人は、自らの故郷が気になるものなのだ。真次郎の故郷は東京だから、こんな質問がしたくなった。

「じゃあ、万葉集では関東が舞台の短歌ってないのか?」
「なくはないよ。歌碑だってあるよ」
「可否?」
「うん、歌碑」

 しばし目を白黒させてから、ああ、歌碑か、と真次郎はうなずいた。

「多摩川のあたりは万葉集にもよく詠まれてるみたいだな。都内にも歌碑はあるよ。一度行ってみるか?」
「おまえとか?」
「うん、俺もおまえとは行きたくないよ」

 だったら言うな、と真次郎はむくれ、隆也は笑う。きみには万葉集よりはこっちのほうがいいんじゃないか? 江戸の俳句だっていっぱいあるよ、と隆也が教えてくれた。

「花の雲鐘は上野か浅草か」松尾芭蕉

 ここは東京、時は四月。この歌は状況にもぴったりだ。俺には万葉集はむずかしいから、松尾芭蕉のほうがわかりやすくていいな。知り合ったばかりだっての、早くも乾に気持ちを読まれてしまった。

SHIN/18/END

 

ガラスの靴45[夢見」

「ガラスの靴」

     45・夢見

 似てるんじゃない? ということで紹介してもらった男の子は、僕よりは背が高いが身体も大きくはなく、細身で可愛い顔をしている。二十一歳だというから僕よりもふたつ年下の彼は、科夢と名乗った。

「カムくん?」
「そう、科学の夢」
「鉄腕アトムみたいだね」
「なにそれ?」

 アトムって知らないのかな、僕が古いのかな、と思ったので説明はせず、カムくんとふたりでゆっくり話せる場所に移動した。
 彼は高卒フリーター、アイドルになったらいいのにと女友達にそそのかされてオーディションを受けにいき、彼女と知り合ったのだと、隅っこに移るまでの間に聞き出した。

「彼女、いるんだね」
「うん。そのアイドルオーディションの仕事をしていた、僕よりも十一歳年上のプロデューサーなんだ。トーコちゃんっていうんだけど、彼女、僕がほしくてオーディションに不合格にしたんじゃないかと思うんだよね。僕がアイドルになっちゃったら手が届かなくなるでしょ」

 年上の彼女がいるところが、僕と似ているのか。僕はアイドルになろうなんて考えたこともなく、そんなしんどそうなのはいやだと思う怠け者だが、顔が可愛いのだからとテレビに出たがる男女はよくいるものなのだ。

 時たまアンヌに連れてきてもらう、音楽業界のパーティ。東の子、と書いてトーコさんと読むというカムの彼女も音楽業界人だ。カムと僕は小さい控室に入り込み、中から鍵をかけた。

「僕の奥さんも七つ年上で、ロックミュージシャンなんだよ」
「笙くんも食われちゃったの?」
「……食われたっていえば近いのかもしれないけど、僕はアンヌが好きだから」
「僕だってトーコちゃんは好きさ」

 オーディションには不合格になり、その場合は通知も届かないからがっかりしていたカムくんのもとに、音楽プロダクションから電話がかかってきたのだそうだ。

「カムインとか、カモンとかのカム? ユニークな名前よね。キミの名前の由来って?」
「由来?」
「まあいいわ。お話があるの。会わない?」
「なんの話?」
「悪い話じゃないから、出てらっしゃいよ」

 その電話をかけてきたのがトーコさん。暇だったのもあって、カムは彼女に指定された店に出かけていった。
 夜中のクラブ。トーコさんはセクシーなドレスをまとっていて、カムはどきっとした。な、なんの話? と問いかけた声が上ずっていたらしい。

「キミは敬語も使えないの? 私はキミよりも十も年上だよ。ですますで喋りなさい」
「……なんの話? 仕事をくれるの?」
「敬語を使いなさいって言ってるのが聞けないの?」
「うるせえな」
 
 初対面同然のときから叱りつけられて、カムは反抗的になった。トーコさんは怖い顔になり、ちょっと来なさい、と言ってカムの手を引き、どこかへ連れていった。

「この部屋みたいな狭い控室だったよ。トーコさんはそのクラブの常連だから、飲みすぎたりしたときには貸してもらうんだってあとから聞いた。だけど、そのときには知らないだろ。なんだか怖くて、そんなところでね……」
「なになに?」

 誰かが入ってくるかもしれないスリルもあって、カムはどきどきそわそわ。トーコさんのほうは落ち着いていて、カムをソファに押し倒した。

「トーコさんってでかい女? 力持ち?」
「特にでかくはないよ。僕と同じくらいの身長かな」
「そしたら女性としてはでかいほうだね。アンヌもそんなもんかな」

 細身なのもカムと変わらなくて、さして力持ちでもないトーコさんに簡単に押し倒されたのは、カムもいやではなかったからだ。覆いかぶさってきたトーコさんにくちびるを奪われ、服を脱がされて全裸にされ、全身くまなく愛撫された。

「中学のときにも高校のときにも、女の子と幼稚なセックスはしたんだよ。そんなもん、あれってほんと、ガキの遊び? ってほどに……もうっ、最高!!」
「へぇぇ」

 すると、彼は僕よりは進んでいるわけだ。僕は十八歳でのアンヌとのセックスが初体験で、アンヌ以外の女性とはベッドに入る寸前まではいっても逃げてしまった。僕はアンヌひとすじ貞夫の鑑なのである。

「僕はもう、それでトーコちゃんのとりこさ。あたしのものになりなさい、って言われて……じゃあ、トーコちゃんも僕のものになって……って答えて、あたしは誰のものでもないよ、馬鹿、って言われて……そんなつきあいをしていたんだ。そうしているうちには僕はトーコちゃん以外の女なんかどうでもよくなった。僕だってもてるんだけど、トーコちゃんはもっともてる。トーコちゃんを僕ひとりのものにするにはって……」

 結婚するしかない。カムはトーコさんにプロポーズし、キミが女にプロポーズって、十年早いよ、馬鹿、と罵られたのだそうだ。

「そんなら子どもつくろうよ」
「いらないよ、子どもなんか」
「だけどさ、トーコちゃんはもう三十すぎたんでしょ。いい女は結婚してて当たり前だよ。独身なんてかっこ悪いよ」

 苦し紛れのカムの台詞に、トーコさんは揺らいだらしい。

「最近のいい女ってのは、旦那なんかよりずーっと稼ぎが良くて、器も大きいんだ。旦那は適当にやってりゃいいのよ、なんだったらあたしが養うからって、僕の知ってるかっこいい女はみんなそうだよ。トーコちゃんだってそうなりたくない?」
「……別にキミを養いたくなんかないけど、結婚ってのは悪くないかもね。あたしは浮名を流しすぎてるから、つきあうだけだったらいいけど、結婚となると……って二の足を踏む男ばっかりなのよ。カムとだったらいいかも」

 浮名ってなんだろ? とは思ったのだが、どうでもいいので、カムは押しまくった。トーコさんは揺れ、揺れて揺れて、ついに今度はカムがトーコさんを押し倒したのだった。

「そうなんだ。だからきみたちと僕たちが似てるって言われたんだね」
「ねえねえ、笙くんとアンヌさんの結婚式ってどうだったの?」
「僕ら、でき婚だし、式は挙げてないんだ」
「そっかぁ、僕は盛大に豪華にやりたいな」

 うっとりした顔になって、カムは言った。

「真っ白なタキシードに花をいーっぱいつけたのを着たいんだ。お色直しでは紋付き袴と、赤いスーツもいいかな。南の島の花婿みたいな花柄のシャツなんかもいいかな。僕は花が大好きだから、花いっぱいの衣装で花いっぱいの結婚式をしたいんだ。トーコちゃんがいやがるからできないけど、いいって言ってもらえたら、ウェディングドレスも着てみたいな。花柄のドレスなんかもいいな」
「……きみ、女装趣味があるの?」
「笙くんは着てみたくない?」
「ないよ」

 その趣味は僕にはない。

「ずるいと思わない? 女のひとは綺麗なドレスを着て、ヘアスタイルもごてごてっとさせて、髪にまで花を飾ったりするんだよ。男はそういうことができないんだもん。つまんないよ」
「普通、結婚式では花嫁が主役だからね」
「そんなのずるいよぉ。僕も綺麗な服を着て、綺麗なお婿さんになりたいよぉ」
「……うーん。そうだねぇ。トーコさんにお願いしてみたら?」
「聞いてくれないもん。トーコちゃんってすぐ怒るんだよ。結婚したらお小遣いは十万円でいいよって言ったら、キミの小遣い分はキミが働きなさいねって言うんだ」
「専業主夫になるの?」
「当然だよ」

 そこもまた、僕らと似ているところだ。

「トーコちゃんが好きで、僕ひとりのものにしたくて結婚してもらうんだけど、冷静になって考えてみたら、僕は結婚してまで働きたくはない。トーコちゃんだったら収入がいいから、お手伝いさんも雇ってくれるんじゃないかなって思ったんだけど、言ったら怒られそうだから、結婚してからだんだんお願いしようかなって。それにさ、なんたってトーコちゃんは女で、料理もできなくはないから、そこらへんの男よりはましだもんね」
「で、きみはなにをするの?」
「なにしようかなぁ。おしゃれとか? 楽しみだなぁ」

 金持ちと結婚して専業主婦になった女性には、カムみたいなひとがいなくもない。彼女たちの主な仕事は社交だと聞いた。夫がそれでいいのならそれでいいのだから、カムだってトーコさんが許せばそれでいいのだろう。

 うっとりした顔をして夢を語る結婚式直前の若いひと。カムという名の女の子だったら、それほど奇異でもないのだろうが。

「結婚式、結婚式だけが不満なんだよね。なんとかして僕もトーコちゃんに勝つくらいの綺麗なお婿さんになる方法ない? だいたいからして、僕のほうが若いんだもん。綺麗にしたらトーコちゃんには負けないよね」
「う、うん、そうだね」

 結婚式なんか面倒だ、興味ないから挙げたくない、という男性はいる。女性も同意し、親もそれでいいと言って結婚式なしの夫婦は、我が家をはじめとして時々はある。
 男性はそう思っていても、女性がやりたがる場合は多い。親に押し切られて仕方なく、といったケースも耳にする。

 が、美しい花婿になって花嫁にビジュアルで勝ちたいという男ははじめて見た。ふーん、へぇぇ、すげぇなぁ、としか思えない僕は、もはや現代の若者ではなくなっているのだろうか。カムくんが一般的だとは僕には考えられない。そんな話、他には聞いたことがないから、普通じゃないはずだけど。

つづく

 

令和元年

令って文字にはなじみが少なくて、和は昭和の「和」をまた使うのか、程度にしか考えなかったのですが、言われてみればそうですね。

「命令」の令だわ。

違和感が……って言ってる文化人も数人はいるみたいですね。

令息、令嬢、令室、このたぐい以外は、

命令、条令、指令、辞令、律令、こんなのばっかり。

上につくのと下につくのとではちがうとか、漢字一字の意味はあまり関係ないとか?

梅の宴? そんなのどかなものなのか?

だからって、元号の漢字の意味にそれほどの深い陰謀もないだろうし、あったとしてもそれがなに? でもあろうし。

花冷えの昨日今日、なにかと考えた私を、もうすぐ二歳になる小梅が箱の中からじとっと見ています。

大阪の桜の花もだいぶ咲いてきましたよ。

 

 

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