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196「とんだ顛末」

しりとり小説

196「とんだ顛末」

 経済的に余裕のない若者が増えているからか、昨今は結婚式をしないカップルも多い。したとしても地味婚。六十代の浪子が結婚したころには、結婚式は女にとっての憧れだったのに、近頃の若い女は合理的だから、そんなの無駄だよ、と切り捨てる場合もある。

 息子は妻となった女性の希望で海外挙式。むこうの親は行かないんだから、母さんたちも来なくていいよ、と息子はそっけなかった。
 
 娘はフォトウェディングと食事会のみ。結婚式なんかにお金を使うくらいだったら、新婚旅行をゴージャスにしたいのよ、と娘は言った。ふたりの子どもがともに結婚しているのは昨今では幸運だと聞くが、ふたりともにちゃんとした式を挙げてくれなかったのが、母としては心残りだ。

 世間一般がそういう風潮になっているので諦めるしかなかったのだが、昔ながらに新郎の上司夫婦に仲人を頼み、正式に結婚式を挙げるという夫の部下には、浪子は好感を抱いた。

 夫は会社重役であるので、特に定年の決まりはない。七十歳近い現在もしっかり働いているので、部下もいる。このたび結婚式を挙げるのは、重役秘書室勤務の男性社員とその婚約者。三十歳の男性社員については、四谷という名前を浪子も時おり夫の口から聞いていた。

「婚約者の方はなんてお名前? 一度、四人で食事でもするべきよね」
「我が家にお招きするのか?」
「それでもいいけど、若い方にはレストランのほうが気楽でいいかもしれないわね」

 夫婦で仲人をするのだから、浪子だって新郎新婦に会っておきたい。仲人をするのははじめてであり、夫もけっこう晴れがましいのは好きなので、張り切っているようだった。

「彼女は半田小春さんといって、僕もまだ会ったことはないんだけど、四谷くんとはお父さん同士が親友なんだそうで、幼なじみでもあるそうなんだよ。彼女はピアノの先生なんだそうだ」
「ピアノの先生の半田小春さん?」

 「はんだ・こはる」、ありふれた名前ではないだろう。ピアノの先生なるとよけいに、浪子が噂に聞いた女性と合致する。夫に話す前に噂の真相を確認しておこうと、翌日、浪子はコーラスサークル仲間の木戸に電話をかけた。

「半田小春さんって、前に木戸さんたちから聞いた女性よね?」
「ああ、半田さんね。浪子さんがサークルに入る前に、ピアノで伴奏してくれていたひとよ」
「お仕事もピアノの先生だった?」
「そうそう」
「若い女性だったわよね」
「そうね。二十代だったわ。サークルはけっこういい年のおばさんばっかりだから、半田先生はずいぶん目立っていたわね。綺麗なひとだったし」

 若いころには夫には転勤もあったので、日本各地で賃貸のマンションで暮らしていた。海外生活の経験もある。夫が六十歳になると転勤はなくなったので、ひとまず建売住宅を買った。当時はまだ娘も息子も独身だったので、広い屋敷だった。

 子どもたちが相次いで結婚し、夫婦ふたりだけになると、以前の屋敷では広過ぎる。掃除も維持も大変だと浪子がこぼしたので、ふたり暮らしに最適な家を建てようとの話になった。
 二年ほど前にその家が完成し、夫とふたりして引っ越してきた。

 建売住宅を買ったころから、浪子は会員制のスポーツジムに通うようになっていた。そこで知り合った同年輩の女性たちと、次第にプライベートな話もするようになる。高級なほうのジムだったので、会員女性たちの暮らし向きもおよそ似通っていた。

 歌が好き、カラオケも好き、と話したから、だったら私たちの女声合唱サークルに入らない? と誘われて浪子も参加した。そのサークルもスポーツジムも引っ越したために遠くなって退会し、こちらに来て改めて別のスポーツジムに入会し、女声合唱サークルも見つけたので仲間に入れてもらった。

 今回のサークルもわりあいに裕福な家庭の主婦がメインだ。暇で優雅な年配の主婦たちの噂話で、浪子はすこし前までいた男性指揮者と、女性ピアニストについて聞いたのだった。

「なーんか怪しいと思ってたら、案の定だったのよね」
「指揮者っていうのはリタイアしてたけど、大きな会社の重役だった男性で、趣味でオーケストラの指揮もしていたらしいのね。ピアノも弾くって言ってたわ」
「七十すぎてたけど、お金も持ってるし、なかなかかっこいい男性だったわよね」
「それにしても、二十代の女性があんなおじいさんと……」
「お金とかっこよさがあるんだもの。ちゃっかりした女の子だったら、遊び相手にだったらいいって思ったんじゃない? 私はあのふたり、怪しいって思ってたもの」
「私は半田さんも市川さんも……あら、市川さんの名前、出したらいけなかった? えーっと、そう、ふたりとも知らないんだけど、春日さんも言ってたわ、あのふたり、やっぱりそうだったのよって」

 つまり、ピアニストの半田小春は、サークルの指揮者だった男性と不倫関係にあったのである。
 そんな仲が明るみに出、ふたりともにサークルをやめた。浪子が入会したのはふたりがやめたあとなので、古参の会員からの又聞きではあったので、木戸に確認したのだった。

「やっぱりまちがいないのね」
「まちがいないけど、どうしたの? 半田さんがなにか?」
「いえ、ちょっと確かめたかっただけ」

 夫の部下と半田さんが婚約して……とまで木戸に話すほど、浪子は分別のない女ではない。そこは言葉を濁しておいて、帰宅した夫に報告した。

「なんだって……?」
「まちがいないみたいよ」
「それは……」

 みるみる夫の表情が曇っていった。

「四谷さん、知ってるのかしら」
「婚約者が不倫をしていたとか? 知るはずがないだろ。不倫をしていたような女と結婚しようなんて、まっとうな男だったら思わないよ」
「そうかしらね。今どきの若いひとはわからないから」
「いいや。男ってのは若くても年寄りでも同じだよ」

 まあそうだろう、と浪子も思った。

「だったら、あなたから話す? そういうことって教えてあげるべきなのかしら」
「……僕だったら絶対に、不倫経験のある女はいやだ。知らないんだったら教えてほしいな」
「私も教えてほしいわ」
「で、それは絶対にたしかなんだね」
「ええ、もちろん」

 自分たちの縁談なんてものはもはや起き得ないが、たとえば息子の妻が過去に不倫していたと聞いたら? 今さらであっても、浪子だったら息子に離婚を勧めたい。結婚してから知るよりは、破談にすることもできる段階の今、知ったほうがいいはずだ。浪子と夫はそう結論づけた。

「四谷くんに話したよ。もちろん知らなかったみたいで、考え直しますって言ってた」
「そりゃあそうよね」
「教えて下さってありがとうございます、奥さまによろしくお伝え下さい、だそうだ」
「四谷さんはお行儀いいわよね。そんな男性があたら、不潔な女につかまってしまわなくてよかったわ」

 むずかしい顔をして、夫はうなずいた。

 挙式は延期……ふたりで話し合っている……双方の両親もまじえて話したそうだ……式は無期延期……夫からカップルの情報がもたらされる。最終的にはふたりの結婚はなくなったと聞いた。

「仕方ないわね」
「僕は話し合いの細かい部分までは聞いてないけど、四谷くんはげっそりしていたよ。女性不信に陥ったんじゃないかな」
「しばらくは心の傷が残りそうね。気の毒に」

 とはいえ、浪子にとっては所詮他人事だ。合唱サークルでその話をすると、ぽろっと半田小春について言ってしまいそうだから、当分はサークルに顔を出すのもやめておくことにした。

 三ヶ月ばかり経過したある日、今夜は外で食事をする、と言って出かけた夫が、ひとりの男性を伴って帰宅した。食事は彼とする予定だったのだそうだが、急遽、我が家で話すことにしたのだと夫は言った。

「市川と申します。以前、奥さまの合唱サークルで指揮をさせてもらっていました」
「……あ!!」

 噂の主役ではないか。どうしてその市川さんが? 一瞬パニックを起こしそうになった浪子は、私が悪いわけじゃなし、と考え直して慌てて挨拶をした。

「お茶だけでいいから、母さんもちゃんと聞きなさい」
「え、ええ、でも、なんの話なんでしょう」
「いいから」

 怖い顔をしている夫に命じられたので、浪子はお茶を三つ、応接間に運んでいった。

「ありがとうございます……いやぁ、デマとは恐ろしいものですな」
「デマ?」

 五年ばかり前、市川は現在、浪子が所属している合唱サークルに指揮者として招かれた。木戸たちは彼を七十歳すぎていると言っていたが、浪子の夫と同年代だろうから、当時は六十すぎだったはずだ。

 同じころ、音楽大学を卒業したばかりの半田小春も、サークルにピアニストとして招かれた。彼女は市川の大学の後輩であり、ふたりともにピアニストになりたくて、しかし、ピアノだけで名を上げるほどのプロになれる才能はなく、ピアノ教師になったり、趣味として楽しむだけになったりという部分が共通していた。

「ですから、孫と祖父みたいに仲良くはなりましたよ。ふたりで食事に行ったり、私の妻はクラシックには興味がないから、海外から来日したオーケストラのコンサートに半田さんとふたりで行ったりもしました」

 それから三年ほどして、市川の妻が病に倒れて入院した。半田は子ども向けの音楽教室に講師として就職し、多忙になったので、ほぼ同時期にサークルはやめた。

「そのせいみたいですね。あらぬ噂を立てられていたとは、浪子さんのご主人が半田さんの婚約者にそんな話をなさったと聞いて、私もはじめて知ったんです。びっくりしましたよ」
「あらぬ噂なんですか?」
「そうですよ。事実無根です」
「でも、火のないところに煙は立たぬと申しますが……」

 反論をこころみようとした浪子に、夫が言った。

「先日、市川さんから会社に電話をもらったんだよ。四谷くんと半田さんの一件について話をしたいと言われて、今夜、お話を伺うことにした。ふたりで話して冷静に分析してみたんだ」
「私は半田さんと親しくしていましたよ。まったく関わりもなかったとは言わないが、大学の先輩と後輩として、趣味を同じくする者としての節度のある友達づきあいです。妻にも半田さんを紹介したこともあります」
「しかし、サークルのおばさんたちは邪推していたんだね」

 ほぼ同時期に市川と半田が退会した際に、ほら、やっぱり、あのふたり、不倫してたんじゃない? と憶測でものを言う者があらわれた。噂話が伝播していき、不確実だった情報が本当のこととして広まっていく。市川も半田もいない今、否定する者もいないのだから、前にこんなことがあってね、との面白おかしい伝聞になっていったのだろう。

「誰ひとりとして証拠を持ってるひとなどいないはずですよ」
「母さんも噂話として聞いただけなんだろ。絶対にまちがいないって言ったきみを信じた、僕が愚かだったよ」
「本当に怖いですなぁ」

 そんなはずは……だって、みんなが言ってましたよ…子どものような反論しかできないことに気づいたので、浪子はうつむいた。

「半田さんの婚約者サイドが、調べにきたんです。私に直接質問されたわけではないが、それで私も知ったんですよ。確たる証拠はもちろんつかめない。けれど、ふたりきりで食事をしているのを見たとか、その程度だったら記憶している人もいる。グレイですな、と婚約者に報告が行ったそうです」
「四谷くんのほうでは、なにもなかったらそんな噂が立つわけがない、と強硬でね」
「半田さんも、そんなふうに疑われるんだったら……と言って身を引いたそうですね。迷ったんですけど、半田さんに電話をしてみましたよ」

 私は不倫なんかしていない、と言っても信じてもらえず、つまらないデマを信じるような方とは結婚しません、と半田は寂しげに笑っていたのだそうだ。

「もういいんですよ、と半田さんは言ってましたが……私としてはどうしていいのか」
「市川さんはなにも悪くないでしょう? 私のほうこそ……」
「いや、まあ、奥さまを責めるのも酷ですけどね」

 憐憫なのか同情なのか、市川はそんな目で浪子と夫を交互に見る。どうしていいのかわからないのは私のほうだ……ちらっと顔を上げて夫と半田を見、再び目を伏せた浪子の耳に、市川の声が届いていた。

「こうなったら私、もう一度プロのピアニスト目指して挑戦しようかしら。来年、オーストリアで開催されるコンクールに出ようかしら。市川さん、まだ手遅れじゃありませんよね? 半田さんはそんなふうに言っていました。今どきの女性は潔いですね。ですから、半田さんにとって悪いことばかりではないのかもしれません」
「いや、しかし……」

 冷や汗をかいているような夫の声も耳に届いてきて、浪子の首の角度は下がっていくばかりであった。

次は「つ」です。


 

 

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