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ガラスの靴32「西陽」

「ガラスの靴」

     32・西陽

 家族サービスをやっている新垣アンヌを見ると、過激なロッカーアンヌファンは幻滅するのだろうか。今日のあたしは胡弓の母として活動しているので、髪をポニーテールにしてサンバイザーなんかかぶって、Tシャツにジーンズの健全な服装だ。

 すっぴんに近いメイクにして、プラチナの髪が目立たないようにすれば、新垣アンヌだと気づかない人間のほうが大部分だろう。あたしたちのバンドは国民皆が知っているほどメジャーじゃないし、ロッカーにだってプライベートは必要だし。

 父方の祖父母にたびたび遊びに連れていってもらっている胡弓は、三歳のくせに一人前の口をきく。今日は富士山の近くに新しくできたテーマパークに行きたいというので、笙の運転で家族そろって一泊で遊びにきた。かったるいなぁ、二日の休みのあとはまた仕事なのに、と思うのは、世のお父さんたちも同じだろう。

 最近は母親だって働いている場合も多いから、母親が子どもと遊ぶのをかったるいと思ったりもするのだろうか。かったるいけど楽しくなくもないのは、子どもと遊ぶ親の尋常な感覚だろう。笙と胡弓はたいへんに楽しそうに、あれに乗ろうか、これを見ようかとはしゃいでいる。

「アンヌ?」
「へ?」

 おや。ファンに気づかれた? 胡弓と笙にソフトクリームを買ってやろうと近づいた売店の兄ちゃんが、あたしの顔を見て言った。

「アンヌ……久しぶりだな。元気そうじゃん」
「あ、シロー」

 本名はなんとか四郎、なんとかの部分は忘れてしまった。シローとしか呼んでいなかったモトカレだ。
 故郷にいた高校生まで時代を省いても、あたしにはモトカレって存在は山ほどいる。忘れてしまった奴もいる。シローについては覚えているのは、深いつきあいをしていたからか。こいつとは同棲してたっけ? こいつの子を妊娠したことあったっけ?

 そこまでディープなつきあいをしていた男も、ひとりやふたりではない。妊娠したのは胡弓が三回目だが、短い期間の同棲だったら何度もやっている。あたしが飽きてしまったり、おまえみたいな女とつきあってらんねえよ、ああ、同感だね、と罵り合ったりして何度も別れ、何度も別の男とつきあった。

「アンヌが桃源郷で活躍してるのは知ってるよ。プロになったのってはじめてだろ。おめでとう」
「ああ、ありがとう。あんたは仕事?」
「うん、このソフトクリームショップって、キティ製菓のアンテナショップみたいなものなんだよ。俺はキティ製菓の営業部で働いてるんだけど、ここへ応援に……」
「そっか。しっかり仕事しな」
「アンヌ、あとで話をしないか」

 小さなショップだから、今は店内にいるのはシローひとりだ。振り向いてみると、ベンチにすわった笙と胡弓が観覧車を指さしてなにやら話していた。

「あれがアンヌの子か。なぁ、話しようよ。アンヌは旦那には聞かれたくないだろ」
「旦那はなんだって知ってるから、そんなのは脅迫にはなんないよ」
「脅迫なんかしてないよ。だけど、子どもには聞かれたくないんじゃないの?」

 それが脅迫でなくてなんだというのだ。
 専門学校で出会って笙に告白される前に、あたしには中絶経験があると言った。アンヌさんの人生って波乱万丈でかっこいいね、と笙は憧れの目を向けた。なのだから、あたしがどれほど苛烈な過去を持っていようとも、笙は気にしない。アンヌはえらいね、大変だったんだね、そんなのを乗り越えたって尊敬するなぁ、と言うと信じている。

 が、息子はどうだろ。三歳ともなると多少は意味がわかるのか。今はわからなくても記憶に残って、大人になってから思い出すのか。

「……あんなちっちゃいのには聞かせたくないけど、あいつの母親はこんな女なんだ。その事実をきちんと受け止めて、咀嚼して消化して昇華して、糧にしてほしいもんだね」
「かっこいいこと言っちゃうんだな」
「母は強いんだぜ」
「おまえはもとから強いじゃないか」
「だけど、ちょっとぐらいだったら話を聞いてやるよ」

 三時には休憩が取れるという。今日は昼休みが取れなかったので、その時刻に一時間、自由になれる。交代要員が来てくれるのだと言うシローの頼みを承諾した。

「アンヌ、知り合い?」
「ああ、モトカレ。あいつの子を堕ろしたんだ」
「あ、あ、そうだったの?」

 その相手を目の当たりにしていささかショックではあったようだが、笙は一瞬、目を丸くしただけだ。シローにぶちまけられる前に、自ら言っておきたかった。

「話をしたいって言うから、あとで会ってくるよ」
「そ、そうなの? 大丈夫?」
「おまえがついてきたら足手まといだってわかってるだろ。人気のある場所で話すから大丈夫だよ」
「どういうひとだか聞いていい?」

 遠慮がちに笙が尋ね、胡弓はソフトクリームを食べている。

 話をしていると思い出してきた。十九か二十歳のころ、大学を中退する前の出来事だ。勉強なんかよりもロックが好きで、学校は適当にしてライヴハウスに通っていたあたしは、そのころにはじめてロックバンドにスカウトされた。そのバンドはギターとベースが女で、ギタリストが脱退するからあたしに加入してほしいと言われたのだ。

 「ファイアーホークス」だったか、シローはそのバンドのヴォーカリストだった。
 二十代半ばくらいまでのあたしには、バンドのメンバーに手は出さないとの主義はなかったから、その気になれば恋人同士にだってなった。シローとは短い間仲良くしていて、どっちかの部屋に入り浸ったり、人前でもいちゃついたりしていた。

「アンヌ、機嫌がよくなくないか?」
「機嫌ってか、体調がよくないんだよ」
「どうかしたか?」
「中絶したんだ」
「……シローの子か?」
「そうだよ。昨日手術したから、本調子じゃないんだよね」
 
 バンドのメンバーに話したら、シローにも伝わった。

「なんで俺じゃなくて他の男に先に喋るんだよ」
「あんたには関係ないもん」
「俺の子じゃないわけ? そうだよな。おまえなんて、誰とでも寝る女だろ。俺が誘ったらすぐに身体を許したもんな。知り合って間もない男と簡単に寝る女だもんな」
「許したとかじゃなくて、あたしはあんたを好きになったから寝たの。だけど、子どもはあたしが妊娠してあたしが堕ろした。あんたには関係ないってそういう意味だよ」
「軽い女だな」
「軽い男とは似合いだけどね」

 そのやりとりでシローとは別れ、バンドも脱退した。

「そっかぁ、そんなことがね……」
「あのころは、誰の子だって産むつもりなんかなかったよ。若いって傲慢なんだよね」
「胡弓は僕との子だから産んだの?」
「それもあるかな」

 それほど笙を愛していたから、というのではなく、笙だったら家事と育児に専念してあたしの子をそれなりには育ててくれそうだったからだ。結婚してから三年余り。笙にも胡弓にも家族としての愛はある。仁義もあるので笙に無断で他の男とは寝ないと決めていた。

「気をつけてね」
「ママ、どこに行くの?」
「ちょっとお仕事」

 あらかじめ予約してあったホテルに笙が胡弓を連れていき、昼寝をさせる。あたしはその時間にシローと会う。テーマパークの野外レストランでシローと約束しているのだから、話をするにも安全の面でも好都合だ。

「派手なおばさんが自分のガキと、弟と三人で遊びにきてるみたいだな」
「笙は見た目が幼いからね。それで、なんの用だよ」

 腹が減ったと言ってハンバーガーを食べながら、シローは言った。

「プロのヴォーカリストになるつもりだったのに、うまく行かないもんだよな」
「そういう奴のほうが多いだろ」
「アンヌはプロになったんだよな。ロッカーだとスキャンダルはどうってこともないのか」
「あたしの過去? んなもん、普通だよ」
「男はそうだろうけど、女だとタブーじゃないのか? そういうのをあまり聞かないのは、事務所がもみ消してんのか?」
「あるかもね。あたしの事務所もあんたが変なことを言ったら抹殺にかかるんじゃないかな」
「脅かすなよ」

 ちくちくと脅してるのはおまえだろ、と言ってやりたいのだが、真意がわからないので我慢していた。

「音楽なんてな……ロックなんて……あれほど好きだったのに、プロになりたかったのに……」
「ロックは続けてないのか」
「そんなもん、メシの種にはなんねえだろ。ロックなんてガキのお遊びだよ」
「そんなもん、なんだね」

 もしかしたら、シローはロックバンドをやっていて、あたしのコネで口をきいてほしい、仕事がほしい、プロになりたい、と言うのかと思っていた。あたしにはそんな力はないし、シローとは関わりたくないから断るつもりだったのだが、シローにはそんな気もなさそうだった。

「アンヌの旦那はおまえの過去を聞いてもへっちゃらなんだって? そうなんだろうな。でないとこんな女と結婚しないよな。俺だったら絶対にお断りだもんな」

 こっちもお断りだよ、とは言うのも馬鹿馬鹿しい。

「昔はそういう女、公衆便所って言ったんだって? あのころ、アンヌのことを男どもがなんて言ってたか知ってるか? 誰にでも簡単に身体を許すゆるい女。ちょっといい顔してやったらいつでも裸になっておっぴろげる女。そんな女とつきあってて、たくさんの男と共有してるって、シローも阿呆だって言われて、いい加減いやになってたから別れられてよかったんだよ」
「だったらそれでいいじゃん。なにが言いたいんだよ」

 卑屈な目をして、シローは本題を口にした。

「旦那はへっちゃらでも、週刊誌あたりだったら喜ぶかもな。桃源郷ってそこそこ人気あるだろ。男と遊びまくってたってだけじゃなくて、ヤバイ薬だって使ってただろうが。そういうのもばらしたら売り物になりそうだろ」
「そんな昔の話は時効だよ。口止めしたけりゃ金を出せって?」
「わかってるじゃないか」

 思いっ切り軽蔑した目でシローを見、あたしは立ち上がった。

「落ちたもんだな」
「……てめぇ、俺にそんな口をきいていいのかよ。俺はおまえの裸の写真だって……」
「好きにしろ」

 本当に写真だの手記だのが流出するかもしれない。将来、胡弓が見る恐れだってあるかもしれない。けれど、あたしがそんな過去を持っているのは事実だ。脅迫に屈したらキリがないのだから、あたしはロッカーなのだから、過去も含めてあたしなのだから、胡弓にもそんな母を……誇りに思えってのは酷かもしれないが、母の過去など笑い飛ばせるほどに強くなってほしい。

 おい、待てよ、とか言っているが、追いかけてくる気はなさそうなシローの顔を最後に一瞥する。彼の顔は夕陽に照らされて、ゾンビみたいに見えた。
 過去を後悔するとしたら、こんな男を好きになったこと。それだけだ。 


つづく

 

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