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192「番狂わせ」

しりとり小説

192「番狂わせ」

 部下が開拓してきた新規ユーザー、上司としては当然、部下が改めて訪問するのだから同行しなければならない。薩摩は部下の田中とともに、NB精機を訪ねた。

 彼我の規模を比較すれば、アメリカとバチカン市国くらいの差がありそうだ。薩摩の勤務先は日本がコンピュータ社会となっていくに伴って同時に発展してきた、コンピュータソフト会社。NB精機は家内工業のような零細企業で、今までは給与計算も人間の手で行っていた。

 田中が売り込んだ給与計算ソフトを検討して、NB精機の社長がその気になった。契約の最終段階の話をしたいと言われて、薩摩もはじめてNB精機にやってきた。

「いらっしゃいませ、担当の会津です……えと、薩摩マネージャー? マネージャーというのは部長くらいですか」
「まあ、そのくらいのポジションですが……会津さん……会津さん?」
「薩摩さん……」

 珍しい姓なのだから、田中が事前に会津の名前を出していたらひっかかったかもしれない。が、最初のうちは田中は社長と交渉していて、担当者は表に出てきていなかった。今日、はじめて会津と会ったのは田中も薩摩も同じだった。

 先方にしてみても田中なら知っていても、彼女の上司の名前は知らなかっただろう。もしかして……ああ、やっぱり、ほぼ同時に相手が誰なのかに気づいたふたりは、戸惑って目をそらした。田中もわけがわからないなりに戸惑って、薩摩と会津の顔を見比べていた。

 二十年前に、薩摩は恩のある人に頼まれて見合いをした。二十代だった薩摩としてはまだ結婚するつもりもなく、義理を果たしたにすぎなかったのだが、相手の女性に気に入られ、見合いをした以上はよほどでもなければ結婚するものだ、と恩人にも言われ、そんなものかなぁ、と首をかしげつつも、別に嫌いな相手じゃないんだからいっか、と達観して結婚した。

 結婚してみれば相手の橘子は可もなく不可もなく、結婚なんてこんなものかな、誰と結婚しても同じようなものだろうな、程度には薩摩を満足させてくれた。

 ふたりの息子を産んで、橘子はかなり太った。薩摩に対しては冷淡なほうだったが、フルタイムで働きながらも家事や育児はきちんとやっていた。良妻とは呼べなかったかもしれないが、賢母ではあり、息子たちは母親を深く慕っていた。

 父親としての生活には薩摩はなんの不満もなかったし、橘子には恋愛感情は一度も抱いたことがないにせよ、夫婦としての情だったら湧いてきていた。家族愛ともいうべき愛情だったら持つようになっていて、橘子にしても同様だろうと信じていた。夫婦は四十代になり、橘子も薩摩もそこそこは出世し、息子たちもすくすくと育って高校生と中学生になっていた。

 中年男の日常としては、俺はかなりいいほうだよな、と自己満足していた薩摩の暮らしに大打撃を与えた事実は、妻の友人から知らされた。

「言いにくいんだけど、薩摩さんはなにも知らないみたいだから……橘子さん、いい気になってるみたいだから」
「なんのことですか?」

 ママ友とかいうらしい、息子たちが幼稚園のころから親しくしている女性だ。彼女、佐藤さんとは息子たちが小さいころに、二家族で遊園地に行ったこともあった。その佐藤さんに近所で会ったときに、公園のベンチで打ち明けられた。

「橘子さん、好きな男性がいるらしいんですよ」
「は? 橘子に? そんなことって……いや、いたとしても片想いでしょ。俳優とか歌手とかですか?」
「冗談ではないんです。橘子さんの会社の取引先の男性で、つきあってると聞きました」
「橘子が浮気してるってことですか? そんな馬鹿な……」

 四十代半ばを過ぎた太ったおばさん。仕事はそこそこ、家事もそこそこ、息子たちの母親としては夫の薩摩も尊敬しているが、女としては終わっているのではないか? 佐藤さん、なにか誤解してるんじゃないのか? それとも、ママ友ってのは案外、嫉妬なんかもあるらしいから。

 うちの長男が佐藤さんの息子よりもいい高校に合格したから、嫉妬して橘子を中傷しようとしてるんじゃないのか? このおばさん、メンタルを病んでいるのかも。

 最初は薩摩にはそうとしか思えなかったが、橘子は佐藤にかなり具体的に話をしたらしい。世の主婦は自分が夫以外の男とつきあっているのでもない限りは、不倫は許せない派がほとんどだ。特に夫が浮気した実績があったりすると、不倫を非常に憎む。フィクション作品や歌などでさえも、不倫を扱っていると大嫌いだと言う主婦もいる。

 もしかしたら佐藤の夫も不倫をしたことがあるのかもしれない。佐藤は橘子の不倫を聴いて義憤に駆られたという。夫になんかばれるわけないでしょ、あのひと、鈍感だし、私にはその意味での関心は持たないから、と橘子が笑っているのを見て、告げ口したくなったらしい。

 ひょっとしたらそれも嫉妬の裏返し。私はもう恋なんかできそうにもないのに、私と同じような年の太った主婦が不倫? うらやましすぎて憎らしい!! となったのかもしれない。

 佐藤の告げ口のせいで気になるようになり、橘子の携帯電話を盗み見たところ、まぎれもない不倫の証拠が次から次へと出てきた。しかし、橘子は素知らぬ顔をしている。息子たちもなにひとつ気づいていないらしい。薩摩のほうが悩みすぎて食欲をなくし、たまりかねて妻の母に相談を持ち掛けた。

「そういうのはきっちりと話し合うべきね。あなたは橘子と離婚したいんですか」
「離婚はしたくありません」
「……橘子も遊びのつもりだと思うわよ。ちゃんと話し合ってやめるように言いなさい。橘子にしたってあなたに知られたら、それ以上は遊んだりしないと思うの」
「わかりました」

 妻の母のアドバイスに従って橘子と話し合いをした。

「あなたが気づくなんてびっくりよ。意外に鋭いんだね。あ、もしかしたら、誰かがあなたに密告したの?」
「密告なんかされてないよ。きみのそぶりや言動でなんとなく気づいたんだ。橘子、遊びなんだったらもうやめないか?」
「そんな女とは離婚だって言わないの?」
「息子たちのためには、僕は離婚したくないんだよ。僕の妻はきみしかいないんだし……」
「ふーん」

 夫に露見したというのに、橘子は冷静だった。

「わかった。あなたがそのつもりだったら清算するわ」
「そうしてくれ」

 終わったよ、と妙にけろりとした橘子の報告を受けたあとで、彼女の母にくぎを刺された。

「子どもたちには絶対に話したらいけませんよ。子どもってものは父親の浮気以上に、母親の浮気には嫌悪感を抱くのよ。あなたも橘子を許した以上は、ぐちぐちと蒸し返したりしちゃ駄目。そんなことはなかった顔をして今まで通りにふるまうの。あなたは橘子に捨てられたくないんでしょ。妻の浮気っていうのは夫にはなんの落ち度もないってことは絶対にないんだから、あなたも反省していい夫になるように努力しなくちゃね」

 うちの母さんが生きていたら、こんなふうには言わなかっただろうな、とは思ったのだが、妻の母の忠告を心に刻んで、言いつけも忠実に守った。

 それから二年が経ち、橘子は真面目な母であり妻であり、働く女であったかつてに戻っているはずだ。少なくとも薩摩はそう信じている。密告者の佐藤は橘子とは疎遠になっているようだが、薩摩の長男が相当な名門大学に入学したせいなのか、橘子が彼女を詰問でもしたせいなのかは薩摩は知らない。

 たった一度の妻の過ちは、夫が寛大に許したのだから、それでもう終わったはずだった。

 なのに、なんでこんなところで会う? 橘子の遊びの相手は会津という名の年下の男で、彼は未婚だと聞き、すると、わりあいに金を持っている橘子のふところ目当てか? それだったらわかるかな、と薩摩は思ったのだが、伝え聞いたところによると、僕は橘子さんと結婚したいんです、別れたくないんです、と泣いたとか。

 涙ながらに恋人と別れた会津は、会社に居づらくなって転職したとも聞いた。橘子のほうは仕事とプライベートは関係ないのだそうで、短大卒業以来働いている会社で、勤続三十年が近づいてきている。

 なんだってこんなところにいるんだよ。しかも、俺のほうが立場が下なんじゃないか。会津はお得意様の社員にあたるのだから、下手に出る必要がある。俺のほうが上だったらそれとなくいびってやるのに……薩摩は会津をそんな目で見ていたのか、会津は挑戦的に薩摩を見返し、事情をまったく知らない部下の田中はひどく不思議そうに目を丸くしていた。

次は「せ」です。

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