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2018年10月

ガラスの靴28「同棲」

「ガラスの靴」

     28・同棲


 ほんのちょっとは傷心もあるのかもしれないが、表面上は平静をよそおっている沖永さんにパーティで会った。今夜はゑ美子さんの姿が見えないのは、結婚準備に忙しいのだろうか。

 アンヌのロックバンド「桃源郷」が所属するCDレーベル会社の事務職員たち、沖永さんとゑ美子さんはそういう立場で、同僚というか関係者というかだ。ふたりの話が限りなく食い違うのでどっちが正しいのかは判然としないが、沖永さんとゑ美子さんは複雑な仲良しだったらしい。

 ゑ美子さんが語った理想の結婚相手とは、こんな男性だった。

「まず年下。これは譲れないわ。かといって笙くんみたいな頼りない年下の男の子はごめんよ。三十代のエリートがいいな。四十代だっていやよ。二十代は子どもすぎるから駄目。三十代がいいの。背が高くて爽やかな感じのエリートがいいな。私は面食いではないんだけど、細身でイケメンってのが理想なのよ」

 五十歳前後であろうゑ美子さんが理想を追い求めるのは自由だ。周囲の人間も笑って聞き流していたらしいが、それがなんと、その夢がおよそはかなってしまったのだった。

 長く芸能界にいて、若くて綺麗な女の裏側を知ってしまったという大城直也くんがゑ美子さんにプロポーズした。彼はゑ美子さんに言わせると芸能プロダクションの社長というヤクザな商売だからエリートではないが、妥協してあげる、なのだそうだ。その他はほぼゑ美子さんの理想通りだ。

 もしかしたら沖永さんは、悪口を言っていたのとは裏腹にゑ美子さんを好きだったのかもしれない。だから僕は彼には傷心もあるのかと推測したのだが、今夜のパーティでは彼は、男性と女性ひとりずつと元気に会話をしていた。

「……だけどね、メイクさん、リュートくんは……」
「ええ、まあ、そう言われるのも覚悟の上ですけど……」

 上半身は貧弱、貧乳、下半身のどっしりした体格の三十代女性と、すんなり背の高い二十代男性だ。リュート? リュートとは楽器の名前ではなかったか? フリュート? ちがうか。僕は笙、息子は胡弓、楽器の名前をつけられているから、そのたぐいには耳が引きつけられた。

「ああ、笙くん、きみはどう思う?」
「こんばんはー、ねぇ、リュートとフルートって別もの?」

 見つめている僕に気がついた沖永さんが呼んでくれたので、寄っていって質問すると、女性が応えてくれた。

「笙さんってアンヌさんの旦那さまですよね。はじめまして。先に質問に答えますと、リュートっていうのは楽器ですけど、フリュートではありません。リュートは弦楽器なんですよ。正しくは有棹撥弦楽器。ギターの仲間ですね」
「お姉さん、楽器の専門家?」
「楽器メーカーの営業をやっています。その関係でアンヌさんとも顔見知りではあるんですよ。こういう者です」

 彼女がくれた名刺には、「ルネサンス楽器・営業第二部第三課・次長・井岡芽愛紅」とある。こう書いてメイクと読むとは、なかなかすごい名前だ。

「彼は私の恋人で、流れる斗と書いてリュートです。笙さんや胡弓くんに通じる名前ですね」
「恋人なんだ」
「ええ。そうですよ」

 微笑みにも見える表情をして、リュートくんがかすかに首をかしげた。会釈したらしいので、僕も真似をして首をかしげた。

「リュートくんは役者の卵なんだってよ。中学校を卒業しただけで東京に出てきて、アルバイトをしていたときに劇団にスカウトされた。それから十年近くがすぎても、アルバイトしながら劇団員をやってるんだそうだ」
「俳優志望なんだね。リュートくんってルックスいいから、そのうち夢がかなうんじゃないの」
「顔だけで夢をかなえられる世界じゃないよ」
「……ゑ美子さんだって夢をかなえたじゃない」

 意地悪を言ってみると、沖永さんはむっとしたような苦笑のような表情になった。

「僕は門外漢だから役者の仕事についてはとやかく言う資格もないんだけど、笙くんはどう思う?」
「なんのこと?」
「メイクさんとリュートくんは同棲するって言うんだよ」
「いいんじゃない?」
「まあね、結婚なんかすると戸籍が汚れるから、同棲のほうがましなのかな。だけど、女性にとっては同棲ってのも穢れになると思うんだよな。僕は以前……」

 バツイチだかバツニだかで、元妻が子どもを引き取って育てていて養育料を払っている。音楽業界とその周辺にはそんな男はごまんといて、沖永さんもそのひとりだ。「桃源郷」にもバツイチ子持ち男がふたりいる。
 養育費を払っているのはまだいいほうで、それというのも身元が知られてしまって逃げられないから、だとも言われている。ばれないんだったら逃げ出して養育費なんかはしらばっくれていたいと言っている男もいーっぱいいるのだそうだ。

 ことほどさように、我が子に関心のない男も多い。専業主夫として育児を一手に引き受けている僕を馬鹿にするんじゃなくて、ママよりパパが好きだと息子に言われている僕を見習え、世のいい加減男どもは。

 それはいいのだった。沖永さんの話だ。
 彼は離婚してから、二、三度、女性からアプローチを受けてつきあったことがあるという。こんなおっさんにアプローチする女性ってどんなだ? とは思うのだが、信じておいてあげよう。

「そのうちのひとりが、つきあいが深くなってきたら打ち明けてくれたんだよ。昔、同棲していたって。もちろんその彼とは綺麗に別れたんだそうだけど、僕はそれを聞いて彼女との交際はやめた。遊びでつきあうんだったらかまわないけど、僕は女性とは真面目につきあって、彼女が望むなら結婚してもいいつもりだったからね。そんな女性が過去に男と同棲していたって聞くとやはり……笙くん、なにかおかしい?」
「別にぃ」

 とはいうものの、バツつき人間が言っても説得力がないのではないだろうか。

「僕は若くはないから古い考えだと思われるかもしれないけど、男は保守的なものでね。若い男だって、結婚を考える相手が同棲経験ありって聞いたら引くんじゃないかな」
「リュートくんとメイクさんって、結婚前提の同棲じゃないの?」
「今はそのつもりでも、同棲したがる男は結婚はしたがらないものじゃないのかな。まして……」

 この、顔だけいい男では、と沖永さんは言いたそうだ。メイクさんは困ったような顔をしていて、リュートくんは涼しい顔でカクテルを飲んでいる。リュートくんはまだひとことも口をきいていなかった。

「しかも、同棲にかかる費用はすべて、メイクさんが負担するって言うんだよ」
「僕らも生活の費用は全部、アンヌが負担してるよ」
「あ、ああ、そうだった。だから笙くんはヒモだと……いや、それでもまだきみたちの場合は、結婚してるじゃないか、子どもだっているんだし、笙くんはまがりなりにも家事をやってるんだし」
「まがってないよ」

 あたふたしはじめたらしいのを持ちこたえて、沖永さんは言った。

「中卒で役者志望の、志望だけして実際はフリーターみたいな男。ルックスがいいのがとりえの年下の男。僕はメイクさんを仕事人として買ってるから忠告するんだよ。本人を目の前にして言いにくいことを言うのも、メイクさんのためだ。メイクさんは有能な女性だから、僕は……言いにくいけど、こんな男に食い物にされるのは見てられないんだよ」
「沖永さん、メイクさんに恋してるの?」
「いや、僕もルックスにはこだわるほうだからそれはない。あ、メイクさん……失礼。笙くん、横槍を入れるのはやめなさい」

 さっきから次から次へと失礼なことばかり言っているのに、沖永さんは自覚していないのだろうか。リュートくんはただ微笑んでいて、メイクさんは彼氏の顔色を気にしていた。

「同棲なんかはしないほうがいいよ。老婆心だけど、心から忠告してるんだ」
「ありがとうございます」
「同棲するくらいだったら結婚しなさいとも、この彼では言えないんだけどね……せめてどうしても同棲するんだったら、費用は折半するとか、笙くんみたいに主夫業をやってもらうとか」
「そうですね。だけど、彼は役者修行が忙しいですし、私は彼を支えてあげたいんです」
「あなただって忙しいでしょうに。そういうことを言って甘やかすと、男は図に乗るんだよ」

 なんと言われても、リュートくんはしらっとしている。メイクさんの困惑顔は深まるばかり。僕としては、沖永さんはメイクさんを狙っていて別れさせたいのかとしか思えなかったが、そこへ正義の味方が登場した。

「沖永、おまえは嫉妬してんのか」
「アンヌさん……な、なんで僕が、誰に嫉妬するんですか」
「てめえはあくせく働いて女房子供を養って、あげくは捨てられたんだよな。おまえたちの世代の男は自分が働くのは当然だと思っていたから、そんなてめえに自己満もあり、男はつらいよみたいな悲哀も感じてたんだろ。なのにあとの世代の男たち、笙だの、この役者志望の美青年だのは女に頼って楽してる。それに嫉妬してるって言うんだよ」
「してませんよ。馬鹿らしい」

 最初は沖永さんは、アンヌさん、僕はあなたよりもずっと年上なんだから、丁寧語で喋ってもらえませんか? と慇懃にお願いしたのだそうだ。アホらし、立場はあたしのほうが上だよ、とアンヌは一蹴し、沖永さんも諦めたらしい。

 総理大臣だとか天皇陛下だとかにでも、アンヌはこんな喋り方をするのだろうか。レコード会社の社長だとかスポンサーだとかも当然、てめえ、おまえ、と呼ぶのだろう。かっこいい。北朝鮮のあいつにこんな喋り方で食ってかかるアンヌを見てみたい。朝鮮語を勉強して僕が通訳できたらいいんだけどな。

 気持ちをよそにそらしている僕をほったらかして、アンヌはぐんぐんと沖永さんに迫る。たじたじになった沖永さんは文字通り、あとずさりしていた。

「メイクがそれでいいって言ってんだから、てめえがお節介焼く筋じゃねえんだよ。金なんかあるほうが出せばいい。見返りなんかは求めずに支えるってのも愛の形だろ。くそ馬鹿野郎の小心者。失せろ、沖永」
「……なんだって僕がそこまで罵られなくちゃいけないんですか。アンヌさん、なんの八つ当たりですか」
「うるせえんだよ。笙、バケツに水をくんで持ってこい」
「バケツに水を汲むと重いじゃん。やだよ。リュートくん、持ってきて」
「重いのは僕もやだな」

 ようやく口を聞いたリュートくんの声は、細くて低くてやわらかくて優しい、それでいて体温を感じないようなクールなものだった。

「わかりましたよ、失せますよ。まったく、最近の若いもんは……世も末だ。メイクさん、あなたの人生はこれで終わったようなものかも……」
「うるせえっつってんだろ。失せろ、ハゲオヤジ」
「……アンヌさん、あなたももうちょっと品よく……わかりました、わかりましたよ」

 抵抗虚しくアンヌに論破されたというのか、品の悪さに音をあげたのか、沖永さんは逃げていき、僕は拍手した。メイクさんは言った。

「アンヌさん、あなただったらわかってくれるんですね」
「ってかさ、男女逆だったらそこまでは言われないだろ。笙のこともがたがたぬかす奴が多いから、あたしもうんざりしてたんだよ。リュートってのか? おまえの……ま、いいや。メイクがそうしたいんだったらそうすればいいもんな」
「どうも」

 あくまでも涼しく言ったリュートくんが立っていき、僕は彼のあとを追った。

「なんかすごく温度差がない?」
「ん?」
「きみってメイクさんを愛してる?」
「んん?」
「はっきり言ってルックスには差がありすぎるし、その他は逆に差がありすぎる。あんな年上の冴えないおばさん、仕事ができてお金を持ってて、ってところだけが利用価値があるのかなって、僕なんかは思うけど?」
「そう思いたいんだったら思っていればいいよ。誰かがなにかを言ったって、僕には関係ないから」

 こんなカップルもありっちゃありなのかもしれない。人はお金がなければ生きてはいけないが、愛はなくても食べて住んで着て寝て、が満たされれば充足できるのかもしれない。僕はアンヌと胡弓に愛をもらえて、こちらからも与えて幸せだけど、それだけがすべてだと言うつもりもなかった。

つづく


 

ガラスの靴27「条件」

「ガラスの靴」


     27・条件


 主人というのは一般的には夫のことだろうが、一家のあるじという意味では、うちでは妻のアンヌが主人だ。戸籍筆頭者もアンヌ、稼いでくるのもアンヌ。アンヌが主で僕が従なのだから、我が家は婦唱夫随でうまく回っている。

 深夜にご帰還あそばした我が家の主人、アンヌは今夜も客を伴っていた。
 若干弱々し気に見えなくもないが、背が高くて細くてなかなかのいい男だ。僕は初対面の彼は、丁寧に挨拶してくれた。

「夜分恐れ入ります。アンヌさんが所属するレコード会社の専属会計士をつとめております、屋頭昌夫と申します」
「マサオっていうの? こんばんは、僕、笙」
「マサオって知り合い、いたっけ?」
「吉丸さんの次男」
「ああ、そうだったな。そっちのマサオの話をすると長くなるから、すんなよ」
「はーい」

 アンヌがヴォーカルをやっているロックバンド「桃源郷」のドラマー、吉丸さんはビョーキだ。なんの病気かといえば浮気症候群。そのせいで母親のちがう息子がふたりいて、その次男が雅夫という。アンヌの言う通り、雅夫について語ると夜が明けそうなので、僕はおつまみを作ることにした。

 しきりに恐縮しているこっちのマサオくんは、アンヌと同じ三十歳くらいだろうか。僕は女性の年齢を当てるのは得意だが、男はわかりづらい。

「息子さん、いらっしゃるんでしょ?」
「いるけど、とっくに寝てるよ」
「立派なマンションですものね。ここで喋っていても大丈夫ですか」
「胡弓は笙に似て呑気な性格だから、赤ん坊のときから一度寝たらなかなか起きない、熟睡型なんだよ」
「それはいいですね」
「昌夫、子どもいたっけ?」
「いません」

 なんだか切なそうに答える昌夫くんは結婚しているらしい。餃子の皮でチーズやニラを包んでさっと揚げたものなどを出すと、昌夫くんは大喜びしてくれた。

「うまいな。こんなにうまい家庭のおつまみは食べたことがありませんよ。笙さんは料理が上手なんですね」
「こんなもん、料理ってほどでもないだろ。主夫がこれしき作れなくてどうする」
「昌夫くんの奥さんは作ってくれないの?」
「気が向いたら作ってはくれてたんですけど、最近、別居してまして……」
「なんで? おまえ、浮気したのか?」
「とんでもないっ!!」

 たいていの相手は呼び捨てにし、おまえと呼ぶアンヌだ。昌夫くんも慣れているのか、特に気にもしていない様子で言った。

「妻は結婚して以来ずっと、学校に通っているんです」
「学生なんだ。若いんだな」
「はい。僕よりは十五歳年下で、知り合ったときには高校を卒業してフリーターの十九歳だったんです」
「昌夫くん、今いくつ?」
「四十歳です」
「へーっ」

 これは意外。地味なわりにはずいぶん若く見えるタイプなようだ。

「二十歳と三十五で結婚して五年になります。僕はそのころには会計士として独り立ちしてましたから、妻が改めて学校に行きたいと言ったのも賛成したんですよ」
「五年も学校に行ってんのかよ。なんの学校?」
「薬剤師になりたいそうです。薬学部は六年ですから」

 うまいなぁ、としみじみ言って僕の作ったおつまみを食べ、昌夫くんは続けた。

「それでね、いよいよ卒業が近づいてきた。あと一年足らずで薬剤師試験を受けなくてはならない。そのためには集中しなくてはいけないから、ひとり暮らしがしたいって言うんです。妻の勉強のためなんですから、アパートを借りてあげましたよ。気が散るから来ないでねとも言われてますんで、会えなくて寂しいんです」
「その金、全部おまえが出してんの?」
「もちろんです」
「女房ってなにやってんの?」
「だから、薬剤師になるための勉強ですよ」
「ふーーーん」

 いい身分だね、とアンヌは呟いているが、そうだろうか。僕だったら勉強なんかしているより、主夫のほうがいい。我が家の場合は主人は留守がちだし、おいしいものを食べさせていれば、掃除なんかは手抜きしていても文句はいわない。幸い、僕は料理は好きだ。

 育児に関しても、胡弓は手がかからないほうだし、僕の母が大歓迎で預かってくれるので、ひとりで遊びにいったりもできる。アンヌの稼ぎは三十歳男性の平均収入よりもはるかに上だから、僕はお小遣いだってけっこうもらっている。太っ腹なアンヌは多少の散財は大目に見てくれる。

 たとえば僕や胡弓の服。デパ地下の高価なお総菜。僕の両親に、胡弓を預かってもらうお礼のプレゼント。外食や飲み会や、帰りのタクシー代。ケチな夫だったら無駄遣いだと言いそうなそんな出費も、怒られたりはしない。家計簿なんかつけなくても許してくれる。

 そんな楽な主夫業だからかもしれないが、僕は昌夫くんの奥さん、アズミさんという名の彼女とかわってあげようと言われてもお断りだ。勉強なんか大嫌い。

「杏美は努力家なんですよ。大学受験に失敗して、親が浪人を許してくれなかったからフリーターをしてたんですけど、僕と結婚して受験勉強をして、見事、志望校に合格したんです」
「おまえと結婚してから、受験勉強してたんだ。家事は?」
「子どももいないから、家事なんてそれほどないんですよ。気が向けば料理もしてくれましたし、全自動洗濯機や食器洗浄機や掃除機やって、文明の利器もありますからね。月に一度ほどはハウスクリーニングも頼んで、スーパーのお総菜も活用して」
「おまえは稼ぎはいいもんな」
「いえ、アンヌさんほどでは……」

 なんとなく気に食わないらしく、アンヌは不機嫌な顔をして昌夫くんの話を聞いていた。

「ああ、そうだ。笙さん、僕が行くと叱られますから、これ、杏美に届けてもらえませんかね」
「いいよ」

 預かったものは小さな包み。セキュリティに必要なものなのだそうだ。女性のひとり暮らしを心配しているからこその夫の思いやりだろう。僕が妻のひとり暮らしの部屋を訪ねるのを危険視していないようなのは、僕って人畜無害だと思われているから?

 おまえは暇だろ、なるべく早く行ってやれ、と言うアンヌも、僕がアズミさんとどうこうとは思っていない様子だ。信頼されているらしいのだから、よし、笙はがんばろう。

「昌夫くんからメールで聞いてます。どうぞ」
「はいはい、お邪魔します」

 ワンルームマンションに暮らす杏美さんは、長身の薄い顔立ちの女性だった。僕はタイの血が入っているアンヌみたいな濃い目の美人が好きだが、昌夫くんは杏美さんがタイプなのだろう。このタイプを美人だと思う人間もけっこういそうではあった。

 体温の低そうな、感情的ではなさそうな、そんな杏美さんに招き入れられて、僕は部屋に入った。四十歳の男性を昌夫くんと呼ぶのも変だが、最初からそう呼んでしまったのだし、アンヌは呼び捨てにしているし、奥さんも昌夫くんと呼んでいるのだから、僕もそれで通すことにした。

「ありがとう、わざわざすみません。コーヒーでも飲みます?」
「おかまいなく」
「あ、そ」

 おかまいなくと答えたらほんとにおかまいはしてくれないようで、僕らはワンルームの椅子にすわって向き合った。杏美さんは参考書のようなものを読みはじめたので、僕は言った。

「じゃあ、僕は帰ったほうがいいのかな」
「私の話も聞いてくれます?」
「いいけどね」

 参考書から顔を上げた杏美さんは、淡々とした調子で喋った。

「学校に行かせてもらって、薬剤師試験を受けて合格して卒業するまでは、奥さんらしいことはしないから、って条件で結婚してあげたんです。私なんかのどこがよかったのか、昌夫くんは私がべたべたに好きだったみたいで、条件は飲むよって」
「へぇ」

 勉強したいなんて、杏美さんはえらいなぁ。僕とは住む世界も頭の構造もちがうんだよね、との思いを込めて、僕は相槌を打っていた。

「あっという間に五年がすぎました。昌夫くんは私の言いなりになっていたから、結婚したことを後悔はしていないんですよ。うちの親は浪人してまで女の子が大学に行かなくていいって主義だけど、旦那が学費を出してくれるんだったらそれもいいだろ、とも言って、干渉はしてこないんです」
「へぇぇ」
「ついうっかり、一生懸命勉強して単位も取れたし、試験に合格する目途も立ったって、昌夫くんに言ってしまったのが悪かったんだわ」
「はい?」

 憂いいっぱいのため息をついて、杏美さんは言った。

「だったらもういいだろ、奥さんなんだから……とか言ってね、身の危険を感じたからひとり暮らしさせてもらうことにしたの。あと一年ほどはそれでしのげるけど、どうしたらいいんだろ」
「あのぉ、どういう意味?」
「だからね、私は奥さんとしての義務を果たしたくないんです」

 家事? 料理や掃除や洗濯? あ!! そうじゃなくて?! ひらめいたことがあったが、女性には言い出しにくくて、僕は杏美さんの顔を見つめた。

「笙さんが想像していることですよ」
「あのぉ、つまり、あなたは……」
「ええ、処女です」

 断言されて、ほんとに僕の想像が当たっていたのだと知った。

「私は絶対に男性とはそういうことはしたくないんです。結婚したらそういうことをするのは当たり前って前提でしょう? だから結婚はしたくなかったんだけど、昌夫くんは待ってくれるって言うから……」
「杏美さん、したことないんでしょ。してみたら楽しいかもよ」
「いやです。悪寒がします」
「昌夫くんがいやなの?」
「男性とそういうことをするのが嫌なんです。絶対にいや」

 幼少時の性的なトラウマでもあるのだろうか。質問もできなくて、僕はただ杏美さんの顔を見ていた。

「猶予はあと一年しかないんです。幸い、私は薬剤師になれそうだから、自立できるはずなんですよね」
「そしたらどうしたいの?」
「離婚したいに決まってるじゃないですか」

 唖然、とはこれだった。

「だけど、正直にそうと言うと私の有責になるでしょ。慰謝料を払うのはこっちになってしまいそう。昌夫くんはわりと法律にも詳しいんだけど、男が慰謝料をもらうなんてみっともない、と言う可能性もあるんですよね。笙さん、どちらだと思います?」
「……さあ、ねぇ」

 さすがの僕も、杏美さん、それはあまりにあなたに都合がよすぎるでしょ、と言いたくなった。

「僕は昌夫くんの性格なんか知らないから、彼がどう出るかはわかんないよね。でも、なんか気の毒だな」
「彼が今後も絶対に、私に手を出さないんだったら継続できますよ。できればここは借りたままで、別居結婚だったらいいかもしれない。そう提案してみたらどうかしら?」
「やってみたら?」

 それってそんなにいやなこと? たまぁに女性にはそんな感覚のひとがいて、もっと稀ながら、男性にもいなくもないらしい。僕だってそれほど好きなほうでもないけど、なんだったら僕が、そんなにいやじゃないんだって教えてあげようか……と言いたくなくもない。

 ここで僕に言えることは、世の中、いろんな考えの人がいるなぁ、でしかなかった。

つづく

 

191「にんじゃりばんばん」

しりとり小説

191「にんじゃりばんばん」

「こう書いて「やや」と読むんですよね?」
「そうなんです。ちょっと恥ずかしいんですけど……」
「恥ずかしくなんかないですよ。いいお名前です。素敵です」
「ありがとうございます」

 今どきのオンリーワンネームじゃあるまいし、稍々だなんて、なにを思ってこんな名前をつけたのか。普通に読めない名前は迷惑だと稍々は思っていたのだが、達川に褒められて、生まれてはじめて親に感謝した。

 名前のせいではないが、三十六歳まで独身ですごしてきた。二十代のころには結婚願望はなかったので、恋人ができても気軽につきあっていただけだ。二十九歳で当時の彼氏と別れ、三十代に突入すると、恋愛とはとんと縁がなくなった。そうなると追い立てられるような気分になって、婚活をはじめた。

「贅沢言ってないで、このへんで手を打てば?」
「いやだよ、こんな男」

 三十五歳までは、時々つきあってみたり、断ってみたり断られたりで、恋愛とは無縁になってもお見合いの縁はとぎれなかったので焦らずにいられた。
 ところが、三十六歳になるとぱたっと紹介もなくなってしまった。私、結婚できないんだろうか、と暗くなっていたところに、達川洋二からお見合い申し込みがあった。

 ふたつ年上。中肉中背で、年齢相応におじさんになりつつある外見だが、感じはいい。名前の通りに次男で、兄は結婚していて彼の親と近居、兄には子どももふたりいて、兄嫁と両親はほどほどにうまくやっている。
 テレビでCMを見たことがある程度のメーカーのサラリーマン。三十八歳課長代理、年収も悪くない。

 デートを重ねるうちには互いのプライベートも見えてくる。洋二はひとり暮らしだから、彼のマンションに招かれた際にプロポーズもされた。

「……嬉しいです」
「そしたら結婚してくれるんですね。僕も嬉しいです」

 初夜と呼んでもいい一夜をすごして、可もなく不可もなくだとも知れた。もとより、稍々にはそれほどの経験もないのだから、こんなものだったらいいんじゃない? としか感じなかった。

 が、疑問が起きる。

 なんの不備もない、どちらかといえば条件はいいほうの男性がどうして三十八歳まで未婚でいたのだろう。それを言うならあんたもでしょ、と稍々も言われそうであるが、稍々の場合はのんびりしすぎていたからだ。洋二もそうなのだろうか。気にする必要はないのかもしれないが、ひっかかるのであった。

「実は母親に問題ありとか?」
「プロポーズを受けてから会ったよ。兄さん一家にも会った。子どもたちにはまだ会ってないけど、写真は見せてもらった。両親も兄も兄嫁も、小学校一年と三年の男の子たちも、ごくごく普通のひとだったよ」
「だったらなんだろね」

 やっと姉ちゃんも結婚するんだ、俺も肩の荷が降りたよ、と八つ年下の弟が言うので、相談してみた。

「姉ちゃんは洋二さんでいいんだろ。深く考えることもないじゃん」
「そうだねぇ。なにもなかったらいいんだけど」
「大丈夫だよ。そしたら俺も彼女にプロポーズしようかな」
「彼女、いるの?」
「姉ちゃんに遠慮してたから、先に結婚しちゃ悪いかなって思ってたんだよ」
「そんなのいいのに……」

 弟は後日、彼女にプロポーズして受けてもらったらしい。両親は娘と息子の結婚話で大騒動になり、稍々のささやかな悩みや疑心などは遠くに吹っ飛ばされてしまった。

 結婚式は来春、と決めて、十一月になるとふたりで暮らしはじめた。弟と彼女も結婚式は来秋にして、年が明けたら同居すると言う。入籍を先にして同居だけする。新婚旅行はふたりの休みが取れたら、という形は、昨今のカップルとしては一般的だ。稍々も仕事は続けていたので、忙しく慌ただしく日々がすぎていく。

 やっぱり洋二さんって、別になにも変なところはないよね。
 同居して暮らしをともにしないと、わからないこともある。稍々は疑り深いほうらしくて、まだ疑惑のまなこをやめていなかったのだが、特になにもない。

 ごく当たり前のサラリーマンで、借金があるわけでもない。ひとり暮らしをしていたので家事もできなくはなく、掃除や皿洗いなどは進んでやる。手伝ってるんじゃなくて協力してるんだ、と言って恩に着せようともしない。当たり夫だったと稍々も満足していた。

 当たり夫にハズレ妻だなどと言われたくないので、稍々も得意ではない家事に励んだ。中小企業の事務職なので仕事も多忙でもなく、主婦業との両立はむずかしくはなかった。

「……でもなぁ、それってさ……おーい、稍々」
「はあい?」

 仕事が終わって帰宅して稍々が作った夕食をとり、洋二が片づけてくつろいでいると電話が鳴った。洋二に、彼の兄からだった。洋二に呼ばれて稍々が立っていってみると、洋二は受話器を手でふさいで言った。

「今度の土曜日、僕は仕事なんだけど、稍々は休みだっけ?」
「休みだよ」
「兄貴と義姉さんが、友達が骨折して入院したからお見舞いに行きたいって言うんだけど……」

 言いにくそうにしている洋二への、彼の兄の頼みごとは察しがついた。

「子どもたちを預かってほしいって? そんなに長時間でないんだったらいいよ」
「いいの? ありがとう」

 当日、息子たちを洋二と稍々のマンションに連れてきて、洋二の兄夫婦は友人のお見舞いに出かけていった。結婚式のときなど、二三度は彼らと稍々も会ってはいるが、たいした話もしたことはない。上が大哉、ダイヤ、下が比呂斗、ヒロト。今どきらしい名前の子どもたちだ。

「えとえと……お姉ちゃん……」
「ママはおばちゃんって呼んだらいけないって言ってたけど、おばちゃんだよね?」
「おばちゃんでもいいけど、稍々ちゃんって呼んで」

 最初は遠慮がちだった子どもたちも、稍々が張り切って作ったプリンを出してやるころにはなじんできて、稍々ちゃんと呼ぶようになった。

「これもね、ママは言ったらいけないって言ってたんだけどね……」
「ヒロ、言ったら駄目だよ」
「なになに? 稍々ちゃん、聞きたいな。ママにはヒロくんが言ったとは絶対に言わないからさ」
「ほんとう?」

 指切りしてみせると、大哉も話してくれた。

「おじちゃん、言ってたんだよ。稍々ちゃんって名前が気に入ったって」
「それは私も聞いたけどね」
「なんでだか知ってる?」
「可愛いからって。ダイくんやヒロくんも稍々ちゃんって可愛いと思う?」
「シューティングスクールの夜耶ちゃんだったら可愛いけどね」
「シューティングスクールのヤヤちゃん?」
「稍々ちゃん、知らないの?」

 最近大人気のキュートな女の子グループ、アイドルのシューティングスクールだったら知っているが、個人名までは稍々は知らなかった。

「おじちゃんはすっげぇアイドルおたくなんだよ」
「あれだから結婚できないんだって、パパもママもいつも言ってた」
「僕らをシューティングスクールのイベントに連れてってくれるんだけど、おじちゃんが行きたくて行ってるんだよね」
「僕らもシューティングスクールは好きだけど、他のアイドルはどうでもいいんだよね」
「おじちゃんは他にも好きなアイドルがいるんだよね」
「ヤヤちゃんがいちばん好きらしいよ。アイドルのヤヤちゃんを見てると目が飢えた獣みたいになってるもん」

 飢えた獣って……小学生の台詞か、と稍々は引き気味になった。

「あんなときのおじちゃん、キモいよね」
「うんうん、キモイんだ。だから僕はもう、おじちゃんとイベントに行きたくないんだよね」
「ひとりで行ったらいいんだよね。えーと、あのへんに……」

 結婚式をすませて落ち着いてから新居を探そうということで、もとから洋二が住んでいたマンションを仮住まいにしている。大哉が押し入れの天袋を見上げた。

「前に見せてもらったことあるよ」
「アイドルグッズがいーっぱい詰まってるんだよね」

 小学生たちは顔を見合わせ、くっくと笑った。
 そうだったのか、やはり秘密があった。とはいえ、アイドルおたくぐらいはどうってこともない。もっともっと後ろ暗い秘密だったら耐えられないが、ヤヤというアイドルと同じ名前の稍々を洋二が気に入ってくれたからこそ、稍々も結婚できたのだから。

「ありがとう。助かったよ」
「いいのよ。私も楽しかったから」

 夕方には義兄夫婦がお土産持参でやってきて、子どもたちを引き取っていった。夜には洋二が帰宅して、ふたりで食卓を囲む。稍々は天袋を指さした。

「ねぇ、あそこにはなにが入ってるの?」
「え? いや、別に、子どものころのガラクタとかだよ。きみに見せるほどでもなくて……あれれ? もしかしたらあいつら……なにか聞いた?」
「アイドルのファンだなんて、別に秘密にしなくてもいいのに」

 ぎくっとしたり、赤くなったりしたあげく、洋二は鼻の横を指でかきながら言った。

「言いにくいし、稍々に嫌われたら大変だから言わなかったんだけど、知られたんだったらしようがないよね。じゃあさ、クリスマスのイベントに行っていい?」
「クリスマスイヴ?」
「イヴはふたりでごちそう食べようよ。イベントはクリスマスの日だよ」
「シューティングスクールの?」

 嬉しそうにうなずく洋二に、いいよ、とうなずき返しつつ、尋ねた。

「どこでやるの?」
「ハワイ」
「ハワイ? はわい温泉?」

 鳥取県のはわい温泉というのは稍々も聞いたことがある。遠いなぁ、と思いつつも、いいけどね、と首肯した。

「温泉なんてあったかな? ま、いいや。正月休みは元日には僕の実家に行くとして、二日から関西に行ってくるよ。きみはきみの実家に行けばいいから」
「二日からっていうのもイベント?」
「そうなんだ。貴重な正月休みなんだから、きみも自由にすればいいよ」

 田舎にある夫の実家に年末から帰省し、おせち作りや大掃除を手伝わされる。正月には親戚の接待係にされる。長男の嫁はいまだにそんな目に遭うことだってあると聞く。それと較べればお互い自由にしようと言ってくれる夫はありがたいのかもしれないが。

「理解のある奥さんで嬉しいよ」
「そうね……」
「ボーナス、使っちゃうけどね。きみもきみのボーナスは好きにしていいよ」
「……ええ」

 もしかしてこのひと、ただのアイドル好きじゃなくて追っかけ? アイドルのファンというだけでは結婚できなくはないだろうが、あの天袋に握手券つきのCDが、同じものが数百枚入っているとか? 写真集も、観賞用、保存用、なんとか用、と何冊もあったりして?

 うわぁ、見たくない。見たくないっ。
 その夜、洋二が寝言を言っていた。

「ヤヤ……」

 このヤヤは妻の稍々なのか、アイドルの夜耶なのか、本人に問い質してもわからないかもしれない。わからないんだったらまだしも、明確に夜耶だったりしたら……?

次は「ばん」です。


 

終盤を迎えています

×

阪神以外のセ・リーグ全チーム。
犬のおとーさんチーム。

だから、
レオくんがんばれ。

ヤクルトにはあっけなく勝ち、
広島にはあっけなく負けた、
巨人ファンもむかつくでしょうけど、
なんであんな巨人に負けた? とばかりに、
ヤファンもむかついているのでは?

いや、ヤのファンは穏やかだから、
むかつくなんて感情は出さないのでしょうか。

パ・リーグはどうなるかなぁ。

1トラッキー
2ドアラ
3ツバクロー
4レオ

マスコットの好き嫌いでいえば、好きなのはこの四人(四体)ですし、
×チームの問題もありますし、
レオくんに勝ち上がってほしいです。

十年ぶりに優勝したのに日本シリーズには行けないなんて、
身につまされますもの。

阪神の監督につきましては、
私としては阪神愛にあふれる方がよくて、
岡田さんがいいなあと思っていたのですが。

決まった以上は矢野さん、
応援しますよ。
がんばってね。


ガラスの靴26「内助」

「ガラスの靴」

     26・内助


 咄嗟に押しやった胡弓は尻餅をつき、泣くのも忘れたように僕を見つめている。僕は知らない奴にいきなり胸倉をつかまれて吊り下げられ、じたばたしているしかなかった。

「……新垣アンヌの……」
「そ、そうだけど……そうだけど……あれ? あ」

 大柄な人物だ。がっちりした体形で、華奢で小柄な僕が抵抗してもかなうわけもない。ぐいっと持ち上げられてパニックを起こしかけ、殴られたりはしなかったのでちょっとだけ落ち着いて相手を見てみたら、あれっ!?
 作業服のようなグレイのシャツとパンツを身に着けたそいつは、女の声で喋る。押し殺した作り声ではあるが、女だ。女みたいな声の男? 顔を見ても……男、女?

「あんた、女?」
「それがどうしたんだよ。女だっておまえになんか負けないよっ」
「う、うん、そうだね。わかったから離して。息子にだけは危害を加えないで。胡弓、大丈夫だからね」
「……パパぁ」

 声をかけたせいか、胡弓が泣き出した。女だと自分で言っている人物はうろたえたようで、僕の胸倉をつかんでいた手を離した。

「あんたは誰? 泥棒?」
「そんなんじゃないよ。アンヌの……アンヌの……」
「アンヌのなに? ファン?」
「ファンじゃないよ」
「友達?」

 人通りはないのだが、立ち上がって駆け寄ってきた胡弓が僕にしがみついて泣き、女もしゃくり上げはじめたので僕も焦った。泣いている女は大きいけれどまだ若くて、たくましい体型はしているけれどあどけなさもある顔をしていて、思わず言ってしまった。

「ここであんたと胡弓が泣いてると、女子どもを泣かせてる悪い奴に見えるのかもしれない。僕があんたを泣かせるのは無理があるけど、それでも男の僕が悪者にされるのかな。なんて名前?」
「あ、あたし? カンナ」
「カンナさんか。うちに入れば?」
「いいの?」
「いいよ。事情を聞きたいな」

 身長はアンヌくらいか。僕が百六十センチ強で、アンヌは百六十五センチくらいだから、カンナも女性としても特別な長身ってわけでもない。ただ、カンナはごついので大きく見える。
 作り声を出さなかったら意外に可愛い声で、泣いていると大きな大きな子どもみたいだ。なんたって僕は育児にいそしむ専業主夫。よその子どもにも母性本能を発揮してしまう。

 父性本能ってやつは別ものらしいから、僕にあるのは母性本能。甘いのかもしれないが、泣きじゃくっている男の子をだっこし、女の子を連れて部屋に入った。

「それ、アンヌの子?」
「そうだよ」
「嘘だ。あんたがよその女に産ましたんだろ」
「アンヌが産んだのはまちがいないよ」
「なんでアンヌが……そんなはずないのに」
「そんなはずって……」

 部屋に入ると、先に胡弓をなだめてジュースを飲ませ、トイレに連れていってからベッドに入れた。胡弓は三歳。半分は僕、半分は僕の母がトレーニングをして、おむつがはずれて間もない。
 公園に遊びにいって帰ってきた途端に、パパが暴漢に襲われた。暴漢ってのは男のことだが、一見はごつい男みたいな女だったのだからそれでもいい。そんな突発事故にびっくりして、どうにかおさまって安心して泣いて、疲れたのだろう。胡弓は素直にお昼寝をした。

 そうしている間、こっちにもジュースを出してやったカンナはぼけっとしている。放心状態みたいな顔をして、ダイニングルームを見回したりしていた。

「あんたはアンヌのなんだよ?」
「僕はアンヌの夫だけど?」
「嘘だよぉ」
「ほんとだよ。婚姻届けだって出してるし、新垣アンヌと笙と胡弓の三人家族の戸籍もあるよ。戸主はアンヌ。僕はアンヌの姓に変えて専業主夫。なんか変?」
「変だ」
「一般的には専業主夫って変かもしれないけどさ」
「主夫なんかどうでもいいけど……いいけど……」
「そういうカンナさんはアンヌのなに?」

 ファンでもなく友達でもないんだったらなんだろう。カンナはジュースを飲み、長く考え込んでから口を開いた。

「五年ぐらい前だったかな。あたしは高校生で、アンヌはアマチュアバンドをやってたの」
「僕とアンヌが知り合ったころだね」

 アート系の専門学校で、僕は他にやることもないからCGを学び、ロックバンド活動のかたわら、アンヌはイラストを学んでいた。
 高校を卒業して入学したばかりの僕は十八歳。寄り道もして専門学校に入ってきたアンヌは二十五歳。七つ年上のユニークな美女にひと目惚れして、交際がはじまったのが五年ほど前だ。

「曼荼羅蠍って名前の、ものすごくかっこいいバンドだった」
「マンダラサソリか。すげぇ名前」

 実は僕はロックには興味はない。音楽ってものには疎くてアンヌには馬鹿にされる。ま、おまえは家事と育児をやってりゃいいんだから、あたしの仕事に理解がなくてもいいんだけどさ、と言われてもいた。
 だから、アンヌのロックバンド遍歴もほとんど知らない。アンヌは東北の高校を卒業して東京に出てきて以来、ロックバンドを渡り歩いているから、マンダラサソリって名も記憶にはなかった。

「ギターとヴォーカルが女だった。ベースとドラムの男はたいしたことないんだけど、アンヌとギターのお姉さんは美人でさ、あたし、憧れたの。学校さぼってなんとなく入ったライヴハウスではじめて見て、それほどロック好きでもなかったのにはまっちゃったんだ」

 そのころから、カンナはごつかったらしい。ぽっちゃり高校生だったらまだしも、ごつい女の子は格闘技でもやっているのではなかったらコンプレックスだろう。カンナも自分に自信はなかったのだが、ある日、意を決してマンダラサソリの楽屋を訪ねていった。

「お嬢ちゃん、誰のファン?」
「俺か?」
「俺だなんて言わないでくれよ」
「俺だとも言わないよな。ユズル、おまえに譲るよ」
「いらねえよ。おまえにやる」
「いらねえっての」

 どっちのファンだとも言っていないのに、ユズルとトオルという名の男ふたりはカンナを譲り合ってげらげら笑う。そこにギターのメグが入ってきた。

「あんた、女? うへぇ、すげ」
「だろ? 高校生でこんなだったらお先真っ暗だな」
「カンナっていうんだそうだけど、こいつのそばにいるとメグの美人度が千パーセントアップして見えるな」
「この子のそばにいなかったら美人じゃないわけ?」
「そんなはずないけどさ、メグ、今夜どう?」
「いや、俺とだよな、メグ?」
「じゃんけんする? 負けたほうがカンナにすれば?」
「それだけは勘弁してくれーっ!!」

 からかわれていたのだろうが、高校生の女の子としてはいたたまれなくて、帰ろうと楽屋を出ていこうとしていたら、入ってきたアンヌと鉢合わせした。アンヌは楽屋の三人に、聴こえてたよ、と声をかけてじろじろっと睨み回し、カンナを連れてライヴハウスの外に出ていった。

「カンナっていうの? あたしはアンヌだから、似た名前だね」
「……似てるの、名前だけかな」
「カンナ、何歳?」
「十六」
「あたしはカンナよりも十ほど年上だけど、十六のときだったらあんたに似た体形だったよ」
「ほんと?」
「ほんとほんと。女は二十代になると綺麗になるのが当たり前なんだよ。今度、あたしの若いときの写真を見せてやろうか。カンナは身長もあたしぐらいあるから、二十歳すぎたらかっこいい女になるさ」

 信じ込んだわけでもなかったが、カンナの心は晴れた。
 こういう嘘は許されるだろう。僕はアンヌの故郷で彼女の高校生以前の写真を見せてもらったが、太っていたりたくましすぎたりする時期は一度もなかった。アンヌは赤ちゃんのとき以外は、ずーっとスレンダーな美人だったのだから。

 また遊びにきていいよ、と言ってもらったから、カンナは時々、そのライヴハウスに出向くようになった。ライヴが終わると、ちょっとぐらいいいだろ、と言うアンヌに誘われて、お酒を飲みにいったりもした。

「カンナには好きな子っているのか」
「いない。男なんか嫌い」
「そう? そっか。そこもあたしと同じだ」
「……アンヌも男が嫌い?」
「男なんてのはいないほうが平和だよ。仕事だから仕方なくつきあってるけど、あたしは男とはプライベートでつきあう気はないんだ。結婚もしない」
「うん、あたしも」
 
 おそらく、カンナは男に傷つけられてばかりいるから嫌いになったのだろう。アンヌのほうはカンナを慰めるためにそう言ったのだろうが、罪つくりな真似をした。

「五年ほどあとが楽しみだな。かっこいい大人の女になったカンナと、そのころにだったら恋ができるかもしれないもんな」
「恋?」
「そうだよ。女同士の恋って麗しいだろ」
「……そ、そうだね」
「じゃ、約束」

 なんと、アンヌはカンナにキスをして、言ったのだそうだ。

「マンダラサソリは解散するんだよ。あの店でカンナと会うことはもうないかもしれないけど、五年後にはあたしはまちがいなくロックスターになってるから、遊びにおいで。カンナを忘れないから。あんたもあたしを忘れんなよ」
「は、はい」

 それから五年、カンナは高校生のときよりもさらにごつくなった。アンヌとの約束の半分は果たせなかったが、アンヌのほうはロックスターになっている。会いたくて、けれど、こんなあたしじゃ会えないと思い詰め、なんとかしてアンヌの住まいを突きとめようと努力した。
 
 スーパースターというほどでもないのもあり、アンヌが秘密主義でもないのもあって、ネットには僕らのマンションの住所が流出しているらしい。カンナはそこでアンヌの住まいを探し当てて、たびたび偵察にきていたのだそうだ。そして今日、噂には聞いた夫と息子に遭遇した。

「アンヌは男なんか嫌いだって言ってた。結婚もしないって言ってた。高校生のあたしと恋はできないけど、大人になったら恋人になろうって言ってくれた。なのに、あんたなんか……」
「いや、あのね」

 それはカンナを励ますため、慰めるためだろうけど、やりすぎだよな、と僕は思う。オレンジジュースのグラスを握り締めるカンナの大きな手が、グラスを割ってしまいそうに見えた。

「きっと僕が男らしくないからだよ。僕は見た目も男っぽくないでしょ。アンヌと結婚して、養子ってわけでもないんだけど苗字も変えて、主夫をやってる。アンヌは本当に男は嫌いなんだけど、男には見えにくい僕だから結婚したんじゃないかな」

 だったらどうして、あたしを待ってくれなかったの? と突っ込まれたらどうしようかと悩んだのだが、カンナは肩を落とした。

「あたしとは会わなかったから……あたし、アンヌの言うようなかっこいい大人になれなかったもんね。笙くんだったら……そうなのかもしれない。笙くん、幸せ?」
「うん、とっても」
「……ごめんね」
「ううん」

 こっちこそごめんね、気分もあったのだが、そう言うのはおかしいだろうから口を閉じた。
 今はなんの仕事をしているの? そんな質問もしないでおこう。僕の訥々した弁解を信じたのか、信じたほうが身のためだからなのか、カンナは最後に子ども部屋で眠っている胡弓に、ごめんね、と呟いてから帰っていった。

 この話はアンヌには言わないほうがいいのだろうか。アンヌがカンナを忘れ果てていたり、ああ、あのブス女か、と笑い飛ばしたりしたら僕が哀しいから。
 カンナがこれ以上、僕らの家庭に介入してくるのを未然に防げたのだとしたら、これはこれで内助の功。内助の功ってのはひそかに行うものなのだろうから。

つづく


 

靴猫

小梅ちゃん
 梅は梅でも
   猫ですにゃ

本家取りのようなもの。
本家は、

梅の花
 一輪咲いても
  梅は梅

by 豊玉
です。

犬は血統書つきと雑種ではだいぶちがうが、猫はなんでも同じ。
猫は猫、となにかで読んだことがあります。

でも、やっぱり猫は猫でもみんなちがいますよ。
私は十匹ほどと一緒に暮らしたことがある程度で、七年ばかり家に二匹いただけ。
あとは一匹ずつでした。

仔猫をもらうのは最後かな、と覚悟を決めた年頃になってうちに来てくれた、小梅。
ちっちゃいちっちゃいだったのが一歳半ほどになりました。

小梅は猫らしい猫だな、と思っていたのですが、
かつての猫はやらなかったことをしでかしてくれました。

ある日ふと、スニーカーの中を掘っていたら、中敷きが取れたのです。
わっ、獲物だっ!! とばかりに、それからは靴の中を掘るようになりました。
中敷きが取れたらくわえて持ってきて、時にはかじってぼろにしたり。
その上、軽い靴だったら靴ごとくわえて持ってきたり。

キミは犬か?
猫は普通はそんなことはしないよ。

というわけで、近頃は玄関に靴を出しておけなくなりました。
まあ、なにをしても猫は可愛いし、言うことなんか聞かないから、駄目っ!! と言っても通用しないし。

犬だったらやめさせることも可能かもしれませんが、
猫には無理だと経験上知ってますから(猫の場合、この人間は怒るから嫌い、としか思わないみたいです) 
甘やかしてしまうのもあるんですよね。

一年前のことがしきりに思い出されます。
起きているときには、遊ぼうよ、遊んでよ、もっと遊ぶぅ、とねだりにきていたちび小梅。
こんなちっちゃくて無邪気な子猫を、
もう避妊手術しなくてはいけないのかと、不憫で切なかったのです。

そんなことを想い出すせいか、
猫ってのはかわいすぎて切ないな、なんて感じてしまうのでした。

Kone


ガラスの靴25「俗人」

「ガラスの靴」

     25・俗人

 行きつけのバーで、西本ほのかと話していた。
 三十歳になったあたしよりは、ほのかは年上だろう。女の子がふたり、男の子がひとりいる母親だが、主婦ではない。兼業主婦ってやつでもない。シングルマザーだって家に帰れば主婦をやっているのだろうが、彼女は家事も育児もしない。アウトソーシングってやつをやっている。

 職業は通訳。ロックバンドをやっているあたしたちと同業の、海外ミュージシャンの通訳をやることが多いほのかとは、仕事の関わりで知り合った。

「アンヌもぶっ飛んでるけど、ほのかはもっとだな」
「ぶっ飛んでるってどんなふうに?」

 うちのバンドのドラマー、吉丸が言うことには。

「ミチと笙には話したんだよ。笙は関係ないのにつべこべ言ってて、ミチも怒ってたけど結局は受け入れた。ま、笙やミチは旦那のやることに文句を言えた立場でもないもんな」
「笙には旦那はいないよ。妻のあたしがいるんだよ」
「おまえが旦那みたいなもんじゃないか」

 言えてるのだが、それで、吉丸はなにを?

「笙からは聞いてないか。アンヌには俺から話すって言ったのを守ってるのか。笙は女みたいな奴だけど……いや、それはいいんだけど、それでだな。俺はほのかとつきあってたんだよ」
「ああ、またかよ」

 バツイチ吉丸の以前の離婚理由は、ミチとの浮気だった。男の子と浮気された元妻は怒り、息子の来闇を吉丸のもとに残して家を出ていった。吉丸の元妻、真澄とあたしはけっこう親しくしている。
 吉丸が浮気男なのは立証済みだから驚きもしないが、彼は驚くべきことを口にした。

「ほのかが妊娠して出産した。子が産まれてから、あんたの子だって言うんだよ」
「あんたって、おまえか?」
「そうだ、俺だよ」
「……」

 上の女の子たちは、長女が白人と、次女が黒人とのハーフだ。男の子もほしいと思っていたほのかは、吉丸を利用して望みをかなえたのだと言う。

「ほのかはひとりで育てていくって言うんだ。ふたりの女の子だってひとりで育ててるんだから大丈夫だって言うんだけど、信じられなくて。俺の子だってのがまちがいないんだったら、養育費よこせくらいは言うだろ。それもいらないって言うからDNA鑑定したよ。まちがいなかった……てっ!! アンヌ、なにすんだよっ!!」
「アホ」

 外野がとやかく言っても仕方ないので、あたしは吉丸を一発殴っただけだった。
 しかし、女が妊娠したくなって、精子をくれる男が身近にいたらだますのなんてわけはない。吉丸は被害者なのかもしれないが、安易に誰とでも寝るからいけないのだ。

 最初はすねたりもしていて、今でもすっきり気が晴れたわけでもないのだろうが、ミチはほのかをかっこいいと言う。笙は無関係だから、さらにほのかをかっこよく思っている。あたしとしてもほのかは嫌いではないので、たまにこうしてふたりで飲んでいた。

「アンヌもふたり目、産めば?」
「笙じゃない男の子どもをか」
「どっちでもいいけど、ふたり目は女の子で、日本人じゃないアジア系とか、中南米とかの血を入れてみるのも楽しいかもね」
「エイリアンとのハーフってんだったらいいかもな」
「あ、それだったら私も、四人目、産んでもいいかも」

 この店は行きつけだし、マスターや従業員や常連客などもほのかやあたしの境遇を知っている。なのでおおっぴらに話していた。今夜は店はすいていて、何人かの客はほぼ常連。その中にひとり、常連の男が連れてきている女がいた。

「よっ」
「あら、こんばんは」
「やあやあ、ほのかさん、アンヌさん、ちょっと久しぶり」

 男のほうは広告代理店勤務で、バブルをひきずっているという評判もある中年。豊満で長身の綺麗な女のほうには見覚えがなくて、杉内と姓だけ知っている男が三人を紹介した。

「通訳のほのかさん、子どもが三人いて、全部父親がちがうって豪傑だよ。それから、ロックヴォーカリストのアンヌさん。彼女も既婚なんだけど、専業主夫の夫に子どもをまかせて自由にやってる。で、こちらはインテリアデザイナーの深雪さん。彼女のご主人はフランス人で、夫婦は夫婦として別の恋人を持つって主義なんだそうだ」
「杉内さんは深雪さんの恋人なの?」
「いやいや、僕なんか相手にしてもらえませんよ。しかし、感動的だな。今を生きるトンデル女三人、なかなか三人もそろいませんよ。トンデルってのは、飛翔の翔のほうね」

 ださっ、とあたしは呟き、杉内は頭をかく。そんな言葉がバブルをひきずっているという所以だろう。中年以上にはバブルオヤジやバブルおばばが時々いて、あたしの知らないそんな時代を楽し気に話す奴もよくいるのだ。

「そんなの珍しくもないだろ。あたしの友達夫婦だって、浮気公認だって言ってたよ。信じていれば浮気なんてのは許せるもんだ、結婚しても恋が永続してるし、愛情もあるから嫉妬はしないんだってさ」

 浮気は夫婦関係に刺激をもたらす、という感覚があたしにはある。笙がいやがるので両方ともに別の相手と寝るという手段を実行はしていないが、あたしは精神的な浮気だったらしている。だが、あたしの友人の涼夏の言うような夫婦は、芯からは理解できずにいた。

「深雪さんたちもそんなふうなの?」
「でもなくて……そうね。嫉妬はするのよ。嫉妬するがゆえの夫婦の……いいのよ、他人にはわかってもらえなくてもいいの」
「フランス的な感覚?」
「夫にはあるんだろうけど、私は俗な日本の女だもの。人それぞれってことかもしれないわ」

 深みのあるアルトで言って、深雪が微笑む。その台詞って、私はあんたらみたいな俗な女じゃないのよ、って言いたいのか? たいていの人間はほのかやあたしの境遇を聞くと驚くってのに、深雪は顔色ひとつ変えない。私はあんたたちの一枚も二枚も上よ、ってか?

 うふふっ、とばかりにほのかも微笑み、挑戦的というのでもない表情で深雪を見返す。あたしも超然としていたいのだが、胸がざわめいて深雪を睨み加減になってしまった。

「ほのかさんに較べたらアンヌは普通だよね」
「そうだろうな。あそこまで飛んでたくないよ」
「アンヌだって普通まっただ中でもないからいいじゃん?」
「あのな、笙、あたしはガキじゃないんだから、あたしって変わってるのぉ、なんて言いたくねえんだよ」
「そぉ?」

 笙とはそんな会話をしたこともあるのだが、あたしはロックミュージシャンだ。女には少ないほうの、ハードロックヴォーカリストだ。そんな人間が笙の言うような「普通まっただ中」の平凡な女ではいたくない。
 とはいえ、深雪やほのかみたいな域までは飛んでいけない。

 口に出しては特になにも言えず、見つめ合う女ふたりを見返す。心の中に渦巻く思いは、くそっ、むかつく!!

つづく

フォレストシンガーズ・短歌俳句超ショートストーリィ2018/10

フォレストシンガーズ

超ショートストーリィ

 
 誰よりも長い時間をともにすごす相手とは、仕事仲間の場合が多いのではないか。その意味では別段変わったことでもないのだが、十八歳以降はこいつと一緒にいることが多かったよなぁ、と真次郎は、かたわらに立っている隆也を見やって感慨にふけった。

 妻はいないが、両親や兄たちといった家族よりも彼とすごした時間が長い。深く考えるといささか気持ちが悪いので、うん、そんなこともあるだろ、と自分を納得させた。

「絵のような俳句だの短歌だのってあるだろ。わかるか」
「わかるような気がする」

 彼、乾隆也は日本の古典文学に造詣が深い。俳句や短歌とは古典と呼ぶのかは知らないが、理系人間でそういったものはさっぱり不調法な真次郎は、学生時代から文学的な方面では隆也に頼りっぱなしだった。

「たとえば?」
「たとえば」

 目を閉じて、隆也が口にした。

「秋空を 二つに断てり 椎大樹」高浜虚子

 ほんとだ。まさしく絵のようだ。
 真っ青な空に向かって伸びていく、まっすぐな椎の大樹。俺たちも椎の樹のようにまっすぐに伸びていきたいな、とはクサイ台詞に思えて言えないが、隆也もきっと同じ気持ちだろう。それもまたキモチワルイ……いや、気持ち悪くなんかないだろ。俺たちはいつだって志を同じくする者、なのだから。


SHIN/30/END


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