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ガラスの靴9「刺激」

「ガラスの靴」

     9・刺激


 寄り添っているとぬくもりが伝わってくる。こんな安らかなひとときもいいもんだなぁ、なんて考えつつぼーっとしていると、ケータイが鳴った。

「はい……あら、ええ? 今? 友達と一緒。そうよ、友達。なによなによ、なにを心配してるの? そんなんじゃないわよ。やあね、あなたってそんなに私を……いやだ、ちがうったら、友達だって言ってるじゃない。シャワーの音が聞こえる? そんなはずないじゃん。彼は隣にいるもの。彼って……そうよ、男友達だから彼だけど、それがどうしたの? 馬鹿ね、怒るよ」

 含み笑いの女が続けた。

「どこにいるのかって? 彼とふたりきりかって? そうだけど、気にしなくていいってば。どこって……いいじゃない、どこでも。ホテルじゃないわよ」
「……ねぇ」
「うんうん、わかったからあなたはおとなしくしてなさいね。え? こっちの話よ」

 携帯電話を手でふさいで、女はじゃれつこうとする男を適当にかわしている。電話のむこうからは低い男の声が、ホテルにいるんだろ、どこの? 相手は誰だ? と怒った様子で流れてきていた。

 テレビ画面は笙のお気に入りらしいドラマを放映している。あたしは家でテレビなんか見ないからどんなストーリィかも知らないのだが、このシーンは女の浮気現場だろう。既婚なのか未婚なのかも知らない、顔は見たことのある女優が、軽い女を演じていた。

「うん、この女、会ったことあるよ」
「この女って女優さんに? あとからその話、聞かせて。今はドラマに……あん、アンヌ、なんで消すんだよぉ」
「録画しておけばいいだろ」
「ベッドに行きたくなった?」
「そうじゃねえよ」

 十八と二十五で出会ってから二年ほど後に、笙とあたしは結婚した。それから三年数か月。息子の胡弓は笙が思ったよりもうまく育てていて、来春には幼稚園に入る予定だ。
 けっこう可愛い顔をしている笙だが、典型的草食少年だったのか、女とつきあったのはあたしが初だったらしい。もてるだろうと思っていたが、よく見ないと美少年だとも気づかない空気をまとっているので、注目されなかったのかもしれない。

 そんな笙を幸せな専業主夫にしてやったのはあたしだ。旦那と子どもを養ってる? よくやるね、と他人には呆れ半分で言われるが、あたしだって満足してるんだからいいじゃないか。

 下らないドラマを消して、あたしは笙を見つめる。ほっそり小さな顔。胡弓にもいくらか手がかからなくなった上に、笙の母は孫が可愛くてたまらないらしくて、強制的に預かってくれたりするようで、笙には自由時間もたっぷりある。どっちかってえとぐうたら主夫の部類だが、太らないし、料理は上手なほうだし、外見も綺麗なので許してやっていた。

「笙、おまえってあたしがはじめての女だよな」
「そうだよ」

 息子は寝てしまった夜、今夜は珍しく早く帰れたし客も来ていなくて、笙とふたりっきりだ。ドラマを見ていて思いついたことを口にしてみた。

「それって男としてはまちがってないか?」
「まちがってんの? そう言われても、僕はアンヌと結婚しちゃったんだから、今さらどうにもならないでしょ」
「浮気ってしたくない?」
「したくないよ」

 これでも男なのだから、こう言えば揺らぐかと思って押してみた。

「あたしが許すって言ったらするか」
「なんで? あ、わかった、交換条件だろ。アンヌも浮気してるから、僕にもしてもいいよって言うんだろ。アンヌ、浮気してんの? どこの誰と?」
「ちげぇよ。早まるな」
「だって、吉丸さんだって……」

 バンド仲間の吉丸は、結婚したと思ったら男と不倫して離婚した。そしたらおまえはゲイだったんだな、と思っていたら、今度は女と浮気してその女に子どもができた、というわけのわからない奴である。
 現在は男同士で同棲していて、相手の美知敏は事実上は妻のようなもの。笙とは仲良しで専業主夫パパ友なのだそうだ。ミチのために、あたしは吉丸をぶん殴っておいてやった。

「アンヌ、吉丸さんと浮気してるんじゃないだろうね」
「してねぇって。浮気なんかしてないんだよ。先走るな」

 そりゃあ、あたしは笙とはちがって、ほんとにもてたんだから男とつきあった数は夜空の星と同数くらいある。高校を卒業して田舎から出てきて、東京の大学生になってバンドを組んだころから、男をとっかえひっかえ、二度の妊娠中絶の相手も、あいつのはずだけど確実ではない、といったていたらくだった。

 が、あたしにはポリシーがある。バンドのメンバーとは寝ない。あたしをベッドに誘ったりしたらクビだ、と言い渡してあるので、仲間たちも守っている。吉丸とは断じてそんな関係ではない。

「過去はいいんだよ。僕は今のアンヌを愛してるんだから、過去になにをしてたっていいんだ。許すよ」
「ん? おまえ、えらく上から目線じゃねえかよ。誰のおかげでのうのうと主夫をやってられるわけ? 誰の稼ぎで食ってるわけ? あたしはおまえに過去を許してもらう必要はねえんだよ」
「……ごめん、言いすぎた」
「わかればいいんだ。おまえはあたしに許してもらう必要があるんだから、許してやるよ」
「アンヌ、ありがとう」
「そうやってしおらしくしてればいいんだよ、おまえは」
「ごめんなさい」

 しゅんとしてしまった笙を抱き寄せて囁いた。

「おまえが話をねじまげるから、脱線したじゃねえかよ。あのな、男ってのは女を何人か遍歴してから結婚するのが正しい姿勢なんだ」
「女は?」
「女もそのほうがいいな。あたしはもう十分経験したけど、おまえは経験が足りなさすぎだろ」
「それって、僕がベッドであまりにも……」

 それもあるのだが、あたしはもはやそういうことは飽き飽きしているので、どっちでもいい。笙のためを思って言っているのだった。

「それはいいから。だからさ、おまえだけが浮気しろって言っても気を使ってできないだろうから、あたしもこれから浮気をするよ」
「……アンヌはその気になったら浮気なんか簡単だろうけど、僕には……」
「馬鹿、いじけるな」

 こんなに可愛い顔をしていて、年齢だってまだ二十三歳。一般の男ならやっと大学を卒業して就職し、仕事にも慣れてきて遊びにも目を向けられるようになっている時期だ。

 大学を出ていたり中退していたり、中学にもろくに行かずにワルをやっていたりしたあげく、音楽業界で稼げるようになった男も大勢いる。二十代で顔のいい男だったら遊び放題だ。そんな奴らと較べて、若い身空で、しかも男で子育て主夫のみだなんて、笙が不憫になってきたのもあった。

「胡弓はどうするの?」
「あたしの仕事の手伝いをすることになったって言って、母さんに預けりゃいいだろ」
「お母さんは喜んで預かってくれるだろうけど、僕には浮気相手の心当たりなんかないよ」
「あたしが探してやるよ」
「アンヌにはあるの?」
「いくらでもいるよ、あたしの相手もおまえの相手も。おまえは女がいいんだろ」
「当たり前じゃん」

 知り合ってから五年以上もたつと、やや倦怠期なのかもしれないと思う。平和すぎるのもある。そろそろふたり目を、と考えなくもないが、あたしが稼ぎ手なのだから、妊娠すると仕事になにかと支障をきたす。ならば別の手段で夫婦の間に新風を吹き込むと考えるのもいいではないか。

 そうと決意して、あたしは浮気相手を探した。業界のベテランおじさんに聞いたところによると、その昔、夫婦の刺激を求めてスワッピングってのをやったのだそうだ。すなわち、夫婦交換、あたしが考えているのもそれに近い。交換だったらいいかもしれない。

「……笙、大丈夫かなぁ」
「笙ってアンヌの旦那か。あっちはあっちでうまくやるさ」
「笙はガキっぽいからさ。おい、こら、なにすんだよ」
「なにって……こうするんだよ」

 遊び人夫婦で有名なふたりの夫のほうに打診してみたら、ふたつ返事で乗ってきた。奥さんも承諾してくれたというので話がまとまり、あたしは夫のほうとホテルの一室にいる。順次という名のにやけた男は、ベッドにすわって笙を案じているあたしを抱き上げようとした。

「やめろ。あたしには足があるんだ。あたしは胡弓じゃねえんだよ」
「胡弓って息子だっけ? こんなときに旦那や息子の名前を出すなよ。無粋な女だな」
「えーい、自分で脱ぐんだ。さわるな」
「……可愛くねえな」

 独身時代にはこういう男っぽい男とも寝たことはある。だが、笙と知り合ってからはあたしはあいつ一筋だった。誰に話しても嘘だと言われるのだが、あたしは一途なのだ。まして結婚した以上は仁義をつくすから、この五年、笙以外の男とは寝てはいなかった。

 なのだから、こういったタイプへの免疫がなくなってしまっているらしい。笙とだってベッドでは男と女であるのだが、肝心のその部分以外は完全に逆転しているカップルなので、順次に女として扱われると鳥肌が立って、突き飛ばしたくなってしまう。

「意外に慣れてないんだろ。おとなしくしてろよ。俺がリードしてやるから」
「あたしは男にリードされるのは大嫌いだ。さわるな」
「どうしろって言うんだ。どうしてほしいんだよ?」
「さわるなっての」

 日ごろ、バンドでもあたしは威張っている。家に帰ると笙と胡弓に君臨している。へりくだったり控えめにしたりする必要はまったくないのだから、男にリードされるなんて絶対にいやっ!! 体質になってしまっていたらしい。しまいには順次と罵り合いに近くなっていると、ケータイが鳴った。

「……電話なんかほっとけよ」
「うるせえ。笙からだよ」

 出てみると、泣き声が聞こえてきた。

「アンヌ、僕、いやだよ。帰りたいよ」
「いやなことでもされたのか?」
「あのひとが僕に求めることって……僕はやっぱりアンヌがいいんだ。アンヌだけでいいんだ。帰ろうよぉ」
「うんうん、わかった。逃げてこい」
「アンヌは?」
「あたしも出るから」

 実はあたしたちは同じホテルの、別々の部屋にいたのだ。ふてくされ顔の順次に、帰る、と言い捨て、一万円札を二枚、ベッドに置いて身支度を整え、部屋を飛び出した。
 ラヴホではない普通のホテルだから、ひとりで廊下を歩いていてもどうってこともない。エレベータに乗ってロビーに降りていくと、泣きべそ顔の笙と出くわした。

「笙……」
「アンヌ……」
「ごめんな、笙」
「ううん、僕はやっぱり……」
「うん、あたしもだよ」

 人目もはばからず抱き合うあたしたちに、あら、ドラマのロケかしら、なんて声が聞こえてくる。じきに外野の声はなにひとつ聞こえなくなって、あたしたちは強く抱きしめ合った。交換は失敗に終わったけれど、これはこれで刺激になってよかったのだった。

つづく

 

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