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フォレストシンガーズ・短歌俳句超ショートストーリィ2019/11

2019/11

 

短歌俳句・超ショートストーリィ

 

 

 泥棒猫って季語なのか? 季語のない俳句もあるにはあるらしいし、川柳ってやつもあるが、これはどう判断すればいいのか。

 

「恥入ってひらたくなるやどろぼ猫」

 

 本物の猫ならこうだから、これは人間の泥棒猫だな。

 

 お魚くわえたドラ猫追っかけて
 裸足で駆けてく……

 

 であって、猫は泥棒しても恥じ入ったりしないのだ。
 さしずめ、よその男の彼女に手を出した男とか、よその女の彼氏に手を出した男とか。

 

「はっきりカタをつけてよ
 どっちかしっかり選べよ

 

「バイバイバイバイ、やってられないわ
 あのひとの涙の深さに負けたわ」

 

「あんな女に未練はないが
 なぜか涙があふれてならぬ」

 

 とかね。
 ややこしいのはやっぱり人間だな。

 

 嗚呼、猫になりたい、と溜息が白く煙る、霜月の帰り道。
 三沢幸生、歳があければ三十路だ。嗚呼。

 

END

 

 

 

 

 

 

ガラスの靴61「婚活」

「ガラスの靴」

     61・婚活

 勤労経験のほとんどない僕とはちがって、ミチはアルバイトをたくさんしてきた。
 通称は吉丸美知敏、二十一歳。高卒だとか高校中退だとか、その時によって言うことがちがっているのだが、まともに高校には通っていなかったのは事実なのだろう。

 田舎から出てきて東京の高校に入学し、アニソン同好会に所属していたというのも、どこまでが本当なのか。なににしてもミチは現在ではアンヌのバンドのドラマーと事実婚をして、僕と同じ専業主夫として暮らしている。僕と同じとはいっても、ミチの夫は男、僕の妻は女、というかなり大きな差はあるが。

「笙くん、紹介するよ」
「あ、ああ、こんにちは。お客さん? 僕は出直してこようか」
「いいんだ。入って」

 暇なので息子の胡弓を連れて、ミチと吉丸さんの住まいに遊びにいった。ミチが継母のようになっている、吉丸さんの息子の来闇は二歳。胡弓とは遊び友達だ。
 が、先客がいた。三十代の夫婦らしく、ふたりは弘雄と秀子と名乗った。

「僕は独身のころに、婚活パーティのサクラのバイトをしたことがあるんだよ」
「へぇ、そんなバイトがあるんだ」
「僕ら、そこで知り合って結婚したんだ」

 中肉中背の平凡なルックスだが、髪の毛がかなり薄い弘雄くんと、背丈は弘雄くんとほぼ同じ、ただし体重は彼女のほうが多いであろう秀子さん、ふたりは教師カップルなのだそうだ。
 アルバイト経験が豊富なミチが、婚活パーティサクラという珍しいバイトをしていたときの話を、三人が交互に語ってくれた。

 婚活パーティの会場には、男と女が半数ずつほどいる。中心は女が三十代前半、男は三十代後半といったところで、中にはちらほら、二十代もいる。そんな中にひときわ若くてルックスのいい男がいて、彼は滅茶苦茶にもてていた。

 小柄だがほっそりしたその男が、男性の中では人気ナンバーワン。小柄で可愛らしくて若い女がいて、女性の中では彼女がダントツ人気だった。

「……あなたは彼のそばに行かないんですか」
「……あなたも、彼女のそばに行かないんですか?」

 けっ、あんなの、と同時に言ったのが、弘雄くんと秀子さんだった。
 パーティ会場の隅には料理を盛ったテーブルがあって、婚活はすでに諦めたらしき男女が食欲を満たすほうに専念している。弘雄、秀子はそっちの組だったのだが、どちらからともなく話をした。

「あんな男、若くて顔がいいだけで小さいし。私よりも背が低いじゃありませんか」
「あんな女をちやほやする男たちの気がしれませんよね。あんな金のかかりそうな若い女には、僕は興味がないんですよ」

 そこから話の糸口がほぐれて、弘雄、秀子は親しくなった。同業で年齢も同じ。住まいも近い。弘雄くんが趣味の釣りの話をすると、私もやってみたいな、と秀子さんが応じ、釣りデートをするようになったのだそうだ。

「その、女性人気ナンバーワンの若い男ってのが僕だったんだ。ってことは、僕は弘雄くんと秀子さんを結びつけた愛のキューピットってわけ。ふたりが結婚したころには、僕は別のバイトに替わってたんだよね。笙くんと一緒に行ったこともある飲み屋で働いてたら、そこにこのひとたちが入ってきて……」
「あーっ、あのときのっ!! ってなって、真相を知ったんですよ」
「婚活パーティなんて、そんなもんなんでしょうね」

 噂には聞いていた婚活というもの。僕の周りにはあまり婚活をしているひとがいないのは、既婚者と、そんなことをしなくてももてる男女が多いからか。それでも興味深く聞いていると、ところで、と秀子さんが身を乗り出した。

「私たちもサイドビジネスとして、ネット婚活のサイトを立ち上げようとしてるんです」
「有料のまともなところですよ」
「だいたいの準備はできたんで、笙さんにひとつ……」

 夫婦そろってじっと僕を見る。ミチも言った。

「僕もやるつもりなんだよ」
「……なにを?」
「これ見て」

 準備段階なのでスマホでは見られないという、そのサイトの骨子のようなものをパソコンで見せられた。

「山下美知敏、三十一歳、歯科医。
 175センチ、62キロ、細マッチョです。

 親の代からの医師で、僕は歯科の道を選びました。とはいえ、まだ新米ですので、年収は一千万程度です。両親が営む総合病院で歯科を担当しています。
 両親はまだ若く、収入もよく、資産も持っていますので、引退したあとは海外にある別荘に引っ越して悠々自適の暮らしをしたいと楽しみにしています。ですから、同居の必要はまったくありません。

 理想の女性は内面が可愛いひと。「可愛い」にもさまざまありますよね。背が高くても低くても、太っていても痩せていても、キャリアウーマンでも家事手伝いでもフリーターでも、二十代でも三十代でも、僕と波長が合ってお話していて楽しくて、可愛いな、と思えるひとを探しています」

 これはどこの美知敏だ? ミチの姓は山下ではないのだから別人か? 記事に添えられた、にっこり笑った真っ白な歯の写真は、二十一歳の美知敏に似てはいたが、三十一歳というだけにだいぶ大人らしくてかっこいい男だった。

「……」
「ほとんど嘘だけど、僕は秀子さんたちのサイトの看板みたいなもので、実際に女と会うわけじゃないんだからいいんだよ」
「山下美知敏さんと会ってみたいと連絡があったら、巧みに誘導して別の男性を紹介するんですよ」
「どこのサイトでもやってますよ」
「この記事の山下さんだと言って、ミチさんを会わせたら詐欺でしょうけど、これくらいはね」
「で……?」

 つまり、僕にもミチと同様の仕事をしろと?

「ターゲットのメインは女性ですから、女性会員には看板はいらないんです」
「秀子の写真とスペックを載せて、彼女も結婚が決まりました、って打ち出すのもいいかもな」
「それは一度しか使えないから、冴えない女を逆サクラにしてみるのもいいかもね」

 たった今、思いついたのか、夫婦はそんな話題を繰り広げていて、ミチが言った。

「ここに写真と名前を貸すだけでお金になるんだから、子持ちの主夫にはいいバイトでしょ」
「ほんとにそれだけでいいの?」
「いいんだよ。笙くんもやらない?」
「だけど、僕はアンヌの……」

 実際には結婚していないのだし、吉丸さんは桃源郷の脇役的立場だから世間にはさして顔を知られていない。なのだから、ミチがこのバイトをしても支障はないだろう。けれど、僕は桃源郷の顔、新垣アンヌの正式な夫だ。こんなバイトをして明るみに出たらまずいのではないだろうか。

「顔は修正するから大丈夫だよ。二十三歳だと婚活するには若すぎて信用してもらえないから、三十代前半にするんだ」
「それにしたって、イケメン歯科医三十一歳がなんで婚活しなくちゃいけないの? って疑問は持たれないのかな」
「疑問に思って質問してくる女には、秀子さんたちがうまくやるんだよ」
「そっかぁ」

 激しく心が動く。ミチは秀子さんや弘雄さんと、笙くんだったらどんなスペックにしようか、なんて相談を始めた。婚活市場に出ていく際の僕がどんな三十代男性に変身させられるのかは興味があるが、そうなった僕は僕じゃないのでは? だったらいいのかなぁ。
 迷いもまた激しいものだった。

つづく

 

 

203「血も涙も」

しりとり小説

203「血も涙も」

「博也くん、久しぶり。あなたの子、保育園に入ったのよ」

 知らない女、というのは波津美から見た場合であって、博也にとってはモトカノなのか。博也も青ざめたが、波津美だってショックを受けた。

「僕の……子? そんなはずは……だって、あのとき、避妊したはずじゃないか」
「避妊なんて万全じゃないって知らないの? そういうことだから……」

 そういうことだから……の後をなんと続けたいのかは知らないが、女は首を振り振り立ち去ろうとした。
 ふたりで映画を観ようと、繁華街にやってきた休日。映画館の前で博也のモトカノに出会ったまではしようがないのかもしれないが、彼女の台詞は衝撃的すぎる。羽津美は彼女を呼び止めて質問した。

「子どもさん、いくつですか?」
「二歳になったの。やっと保育園に入れて、私もきちんと働けるわ。あなたには……」

 ご愁傷さま、と小声で言い、流し目と微笑を波津美に向けて、彼女は映画館に入っていった。

「二歳ってことは妊娠したのは三年前くらいね」
「え、えーと……僕はそんなことは……」
「したって認めたじゃない? 私たちは正式な夫婦じゃないけど、三年前だったらもう同棲してたよね? 裏切りだよね」
「波津美ちゃーん」
「ちょっと、しばらく考えさせて」

 結局、波津美は博也と別れたので、その後の展開は知らない。博也とは結婚するつもりで同棲をはじめたのがずるずる行っていて、このままではいけないな、と思っていたのだが、結果的にはバツがつかなくてよかったのだった。

 当時、波津美は二十九歳。二十代のうちはまだのんびりしていられたのだが、三十歳を目前にすると少々焦ってくる。結婚はしたい、出産もしたい、と考えると、女にはタイムリミットがあるのだから、そこからは積極的に結婚相手を探すことにした。ただの彼氏ではなく結婚できる相手だ。

 条件的にも心情的にも、この男ならいいか、と思えたのが俊二。波津美だって女としての容姿も条件も悪くはない。細身中背、そこそこの美人で、しっかりした会社で働く正社員だ。俊二も波津美との結婚に乗り気になった。

「ひとつだけ、心配があるんだよね」
「なんだろ」

 どちらからプロポーズしたというのでもなく、三十歳同士のカップルならば結婚に進むのが自然だよね、といった感じで結婚が決まると、俊二が言い出した。

「心配だったんで、ネットの匿名相談を見てみたんだ」
「だから、なんの心配?」
「見て」

 自ら相談してみようかとも思ったのだそうだが、類似の相談はいくつもあった。俊二はスマホでその匿名掲示板を見せてくれた。

「彼に同棲しようって誘われています。私も彼が好きだから同棲したいんだけど、みなさんはどう思われますか?」

 同棲なんて女にとっては不利になるばかりだよ。
 結婚が決まったあとだったらまだいいけど、婚約もしていないのに同棲? だらしない、ふしだらな。

 私があなたのお母さんだったら大反対するわ。ちゃんとした家庭のお嬢さんは同棲だなんて、軽いことはしないものです。好き合ってるんだったら結婚しなさい。

 もしも別れてしまったらどうするの? 同棲すると結婚しないことも多いらしいよ。別れてしまったときに傷がつくのは女性なんだからね。軽々しく同棲なんかするものじゃないの。

「彼女と同棲したいんだけど、彼女はためらっています。僕としては大好きな彼女と一緒に生活できるなんて最高だと思うんだ。僕は二十一、彼女は二十三、結婚なんて考えられる年齢じゃないんだから、楽しく同棲できたら幸せなのに、どうして彼女はうんと言ってくれないんだろ」

 なんて無責任な男。そんなに好きなら結婚しなさい。
 私が彼女の友達だったら忠告してあげたいな。そんな男からは早く逃げろって。

 あなたはまだ若くて結婚なんて考えられないだろうけど、彼女のほうは結婚するには決して早くない。同棲じゃなくて結婚したいって言ってるんでしょ? 結婚したくないなら別れなさい。

 いいんじゃない? キミは男なんだから、同棲していた過去は武勇伝みたいなものだよね。けど、彼女はどうかなぁ。同棲経験のある女なんて汚れものだよ。キミと別れたら彼女は傷物ってことで、まともな男とは結婚できなくなるよ。日本人ってそういうところ、堅いってかなんてか。

 彼女がいやがるってことは、一緒に暮らすとあなたに欠点を見られるからじゃないかな。実は彼女、他にも男がいるとか? 結婚なんて男にとってはなんのメリットもないんだから、同棲で十分だよ。愛してる、愛してるんだからっ、っと説得して、それでもいやがったら、なにか僕に隠してることでも? って追及してみたら?

 いいなぁ、俺も無料の夜のお相手、ほしいなぁ。
 がんばって彼女を説得しなよ。ただし、妊娠だけはさせないようにね。
 なんでって? 責任取って結婚なんてことになったら地獄だからだよ。

「……私の同棲経験?」

 そのあたりまで読むと辟易してきたので、波津美はスマホから顔を上げて俊二を見た。

「心配ごとってそれ?」
「そうなんだ。俺はそんなに重くは考えてなかったんだけど、職場の先輩に相談してみたら、世間では女が同棲してたってのはいやがられるよ、ご両親には内緒にしておいたほうがいいよ、って言われたんで……」
「私は悪いことはしていないから」
「そうなんだけどね……」

 歯切れ悪く、俊二はむにゃむにゃ呟いていた。

「要するに日本では、同棲していた相手と結婚できなかった女を、ふしだらだの軽いだの傷ものだのと見なし、次につきあった男性の両親が知ると眉をひそめるという風潮があるわけですね。そのために反対する人が多い。ってことはつまり、偏見があるってことです。今どき、モトカレやモトカノがいたりするくらいは当然でしょう? それもいたらいけない、女は過去が真っ白じゃなかったらいけない、なんて言う人もいるかもしれないけど、そこまで言うのはお笑い沙汰じゃないですか。三十過ぎてモトカレやモトカノもいないほうが異常です」

 だからさ、内緒にしておこうよ、俺はそれほど深く考えてないけど、親は六十代なんだから……と俊二は言ったが、波津美はすべてを正直に話すほうを選んだ。

「俊二さんのお父さまやお母さまは、そんな偏頗な思想の持ち主ではないと信じています。私はかつて同棲していたことがありますが、過去とはすっぱり決別しているのです。そんなの、気になさいませんよね?」

 横で冷や冷やしているらしき俊二、苦虫をかみつぶしたような顔でいる父親、波津美が鮮やかに言ってのけると、ややあって俊二の母親が発言した。

「その件については我が家でも話し合ってみますので」
「……そうですか。偏見なんてあるわけないわ、って言っていただけると思っていましたが……いえ、はい、よろしくお願いします」

 俊二の両親に挨拶に行き、辞去した波津美を駅まで送ってくれる道で、俊二は深々と吐息をついた。

「堂々としてて、波津美ちゃん、かっこよかったけどね」
「ご両親は気に食わなかったみたい?」
「そうだねぇ。親父はこそっと言ってたよ。そんなこと、話してくれなくていいのに、って」
「私は隠し事は嫌いなんだよ」
「うん、波津美ちゃんらしい……俺はそんな波津美ちゃんが好きだけどね」

 でもさ、と俊二はいたずらっぽく言った。

「いいなぁ、ずるいなぁ、波津美ちゃんにばっかりそんな華々しい過去があって。うらやましいな。俺とも同棲しない? 俺はまだ急いで結婚なんかしなくてもいいんだから、波津美ちゃんと同棲して別れてからだっていいわけだよ。そしたら俺にも華やかな過去ができる」
「……ちょっと、俊二くん」
「だって、波津美ちゃんばっかり、ずるいんだもん。俺も同棲したいよ」

 同棲は初体験の女ならば、世間体がどうのこうのと逃げられるかもしれない。けれど、波津美の場合はなんの口実もつけられない。俊二は冗談を言っているのか、にしても、真実味もある。こんなことを言い出して波津美との結婚から逃れようとしているのならば、高等戦術? 

 どちらなのかを見定めるために、波津美はもう一度同棲するべきなのだろうか。

次は「も」です。


 

 

 

ガラスの靴60「本気」

「ガラスの靴」

     60・本気

「仕事の帰りにほのかと飲みに行く約束したから、おまえも来られたら来てもいいよ」
「行っていいの? やったっ!!」

 出がけのアンヌからお許しをもらったので、胡弓は両親の家でお泊りさせてもらうことにして、ひとりでその店に出かけていった。「インディゴ」という名のしゃれた洋風居酒屋だ。ミュージシャン好みの店らしく、そこここにそれっぽい人の姿がある。

 わりあいに広い店で、アンヌとほのかさんがいるのを発見するには時間がかかった。きょろきょろ見回してようやく見つけたほのかさんを、熱っぽく見つめる男がいるのにも同時に気づいた。
 四十歳くらいか。髪の長い渋いルックスをした、長身で痩せた男だ。彼はじっとじーっとほのかさんを見つめている。妙に気になったので、僕は先に彼に近づいていった。

「あなたってミュージシャン?」
「あ? そうだけど……きみは?」
「どこかで会ったこと、あるかな。僕は新垣笙っていうんだ。僕は専業主夫なんだけど、奥さんがミュージシャンなんだよ」
「専業主夫……笙……聞いたことはあるような……奥さんって?」
「新垣アンヌ」
「……ああ」

 いくぶん離れた席にはほのかさんがいて、その隣にはアンヌもいる。ああ、とうなずいた彼の態度は、アンヌを知っているという意味だろう。伊庭と名乗った彼は小声で言った。

「俺が彼女に見とれてたから、ストーカーだとでも思って警戒して、それできみが寄ってきたのか」
「ストーカーだとまでは思わないけど、どうして見てるのかなとは思ったよ」
「……出ようか」
「出るの?」
「よかったら聞いてほしいんだ」

 同じ店内にほのかさんがいるからなのか、よそに行きたいらしい。好奇心全開になったので、僕は彼についていった。アンヌには何時に来ると約束はしていないから、遅れても怒られないはずだ。

「バンドやってるひと?」
「いや、俺はスタジオミュージシャンだ。ベーシストなんだよ」

 低くて渋くていい声だ。ルックスもいいからもてるだろう。ミュージシャンってやたらもてるんだよね、と憎々しげに言う、ミュージシャンの彼氏や夫を持つ女はよくいる。女のミュージシャンももてるが、変人が多いので男のミュージシャンほどではないかもしれない。

 女のほうが許容範囲が広いのかな。僕はやっぱ女っぽいのかな。別にそれでもいいけど、なんて首をすくめて、伊庭さんに連れられてきた店でカンパリソーダを飲んでいた。

「主夫で奥さんがいるって言うんだから、そっちの趣味じゃないだろ。バイだったりするのか?」
「僕はバイでもゲイでもないよ」
「だよな、安心したよ」

 ちょっとだけ心配していたのか。そんなに簡単に信じていいのぉ? などと言うとややこしくなるので、話ってなに? と見つめ返した。

「あの女、ほのか、知ってるんだろ」
「知ってるよ。ほのかさんの三番目の子の父親は、アンヌのバンドのドラマーだからね」
「ってことは、ほのかの三番目の旦那?」
「んん? あなたこそ、知らないの?」

 年上の男は「くん」付けにするのが正しいはずだが、ここまで年上だと「さん」付けのほうがいい。某ジャニーズ事務所でも、「木村くん」「中居くん」「東山さん」「マッチさん」と呼んでいるようだから、大先輩はさん付けにするべきなのだろう。
 
 それはともかく、意外に伊庭さんはほのかさんの境遇を知らないのか。言ってはいけない……のかな? とも思ったが、こうなったら全部言ってしまうことにした。

「ほのかさんは独身だよ」
「バツイチじゃないのか?」
「結婚はしてないんだ。未婚の母ってやつ。伊庭さんはほのかさんをどこまで知ってるの?」

 シンガーのバックバンドでベースを弾いたり、ギタリストのソロアルバムに協力したり、レコーディングに呼ばれてスタジオミュージシャンを務めたり、伊庭さんの仕事はそういうものらしい。アンヌのバンド「桃源郷」のレコーディングにも参加したことがあるそうだ。

 海外ミュージシャンの日本公演のときにも、伊庭さんは彼のライヴのバックバンドに加わっていた。そのミュージシャン、イギリスのジャズシンガーの通訳として働いていたほのかさんと、伊庭さんが知り合った。

「いい女なんだよな。ハートにずきゅーんっ!! っと来た。俺は当時は結婚してて、女房と娘がいたんだ。女房はどうでもいいけど娘が可愛いから、浮気はばれないようにやってた。女房も薄々は感づいてたんだろうけど、そうするさくは言わなかったよ。だからさ、いい女がいたら寝たいと思うんだ。そのへんはきみだってわかるだろ」
「まあね」

 面倒だからそう答えておいたが、僕はアンヌ一筋だから浮気なんかしたくない。しかし、男の生理は同性として理解はできる。特におっさんはこうなのだと知っていた。

「なのにさ、ほのかとは寝たいとは思わなかった。恋をしちまったんだよ。ガキのころの片想い……いや、中学生のときの片想いだって、その女の子とやりたかったよ。生々しかったよ。俺も四十に近くなって枯れちまったのか……いや、そうでもないんだ。ただ、ほのかって女を知りたくて……そばにいたくて……ガラでもなく、片想いの歌なんか書いたりして……」

 どこかで聞いた話のような気もするが、どこにでもころがっているエピソードなのかもしれない。

「ほのかとは仕事のつきあいはあったけど、自分の身の上を詳しくは話さない女なんだよな。子どもがいる、結婚はしてない、程度しか聞かなかった。惚れた女に子どもがいるなんて聞くとちっとはショックなものなんだけど、ほのかに限っては、この女だったらなんだっていい。なにがどうあれほのかなんだから、この女だったらすべてをそっくりそのまま受け入れようって気になったんだ」
「だけど、伊庭さんって結婚してたんでしょ」

 そうなんだよ、と切なげに、伊庭さんはストレートのウィスキーを飲んだ。

「だからさ、フェアじゃないから、離婚したよ。俺はほのかと不倫してるわけじゃないんだけど、頭もハートもほのかでいっぱいになっちまって、女房はもちろん、娘のことだってどうでもよくなっちまった。ほのかほのかほのか、ほのかだけでいい。ほのかはそれほどの女なんだ」
 
 ふーん、そうかなぁ、なんだってそう、ほのかさんに幻想を抱く男がいるんだろ。僕は女っぽいせいか、そこまで彼女が魅力的だとは思わないが。

「だから、慰謝料も養育費もたんまりせしめられて、マンションも取られて、それでも別れて身軽になったんだよ。ほのかのためだったら金なんかいらないんだ」
「で、求愛したの?」
「いいや、それがさ……」

 気持ち悪いほど純情そうに、伊庭さんは笑った。

「言えないんだな。たまにはほのかに会うんだけど、つきあってくれだとか、寝たいだとか、おまえがほしいだとか言えない。世間話くらいしかできない。さっきもインディゴに入ったらほのかがいた。近寄ってもいけずに見とれてるだけだ。ほのかって女神みたいだよな」
「……そぉ?」

 本当のほのかさんがどんな女性なのか知っても? 意地の悪い気持ちもあって、僕は話した。

「ほのかさんには三人の子どもがいるんだよ。上は白人とのハーフ、真ん中は黒人とのハーフ、三番目は日本人。一度も結婚はせずに、三人の子どもをひとりで育ててるんだ」
「……ほぉぉ」

 しばし絶句してから、伊庭さんは呟いた。

「すげぇ。かっこいいってのか……うまい言葉が見つからないけど、そんな女、いるんだな」
「……あなたも年の割に、言うことが幼稚だね」

 その反応は、ほのかさんがそういう母だと知ったときの、ミチや僕にそっくりではないか。

「がっかりはしないの?」
「なんでがっかりなんかするんだよ。さすがは俺の惚れた女だって……ますます惚れたよ。そんな女……そんなのだったらよけいに、俺は……無理だな。俺のものになんかできないな」
「だろうけどね」

 ウイスキーグラスをもてあそびながら、伊庭さんは吐息をついた。

「ノアもそんな女になったら、かっこいいよな」
「ノア?」
「俺の娘だよ」
「……ひょっとしてあなたの元妻って、静枝さんって名前?」
「へ? なんで知ってるんだ?」

 ぽかんと見つめ合う伊庭さんと僕。どこにでもありそうな話だからではなくて、聞いたことがあるのも道理。そうすると静枝さんの元夫ではないのか。

 公園でたまに会う、胡弓の遊び友達、乃蒼ちゃん。乃蒼ちゃんの母である静枝さんは、僕のママ友とも呼べる。僕はパパだが、やっていることは世間一般のママに近いのだから。
 静枝さんはバツイチで、夫が浮気をして離婚したとは聞いていた。夫がよその女に純愛をささげていたらしく、けっ、馬鹿馬鹿しい、みたいに、静枝さんは吐き捨てた。その元夫の名前は聞いていなかったが、ここにいる伊庭さんだったのか。

「そうかぁ、ほんとだったんだ」
「ほんとだったとは?」

 不倫ではなく、本気の恋。それが本当だったとしたら、いっそう許せないと静枝さんは言っていた。その気持ちもわかる気がする。
 奥さんにならばごまかすために、肉体関係はないと嘘をつくかもしれない。けれど、僕にはそんな嘘をついても無意味なのだから、そういう意味で、ほんとだったんだ、と僕は呟いたのだ。

 深いところはわかっていない伊庭さんを連れて、インディゴに戻るべきか。アンヌだったらなんて言うんだろ。伊庭さんの純情に水をぶっかけて踏みにじってぐちゃぐちゃにしたがる、かもしれない。ほのかさんも嘲笑いそうだから、連れていかないほうがいいのか。

 馬鹿らしいとか勝手にしたら? とか笑うのは簡単だけど、ほんのちょっぴりだけ、伊庭さんの気持ちを尊重してあげたい。そう思うのは、女っぽくても僕も男だからなのだろうか。

END

フォレストシンガーズ・短歌俳句超ショートストーリィ2019/10

フォレストシンガーズ

2019/10

 タイの気候に近づいてきていると言われる日本の夏。
 今年も猛暑、酷暑が続いていた。

 子どものころをすごした金沢の街に、猛暑日なんてあったただろうか。
 北陸も夏は暑いが、隆也の子ども時代には喘ぐほどの暑さは経験していないような。

 夏休みの楽しさのほうが勝っていて、子どもには暑さなんて感じにくかっただけなのかもしれない。
 故郷は甘いノスタルジーに彩られているものなのだから、子どもなりにたくさんあった不快感なんて、忘れてしまったのかもしれない。

「おや、こんなところに……コスモスって晩夏の花だよな。ちょっとだけ季節はずれ? でもない?」

 大人は快感よりも不快感のほうばっかり感じて生きてるものなんだなぁ、などと感じつつ、仕事で訪れた故郷の街を歩いていた隆也は、たおやかな花を見つけて足を止めた。

「秋風にこすもすの立つ悲しけれ危き中のよろこびに似て」与謝野晶子

 コスモスの花みたいな女性と出会わないかな、なんて、そんな雑念も起きる、今年も独身のまま迎えた秋。

END


 


ガラスの靴59・「不満」

「ガラスの靴」

     59・不満


 婚活をして必死になって相手を探す男女もいるが、なんの苦労もなく結婚した男女だっている。僕もそのひとりで、ここにいる科夢もそういう男の子のひとりだ。
 もうひとり、ここにいる巻田誠一くんはどうなのだろう? 婚活はしていないものの、必死で若い女の子にアタックして結婚してもらったのだそうだから、苦労はしたのだと思う。

 かたや、カムはアイドルのオーディションを受けにいき、テレビ局の女性に目をつけられて襲われて、その後に言葉たくみに取り入って彼女との結婚に持ち込んだ。
 昔だったら男女がさかさまだろ、と言われそうな結婚だが、僕だって昔ながらの風習からすれば男女さかさまの専業主夫なのだから、カムとトーコさんが幸せだったらそれでいいのだ。

「で、カムくんはドレスを着たの?」
「トーコちゃんがドレスは許してくれなかったから、フリルのついたシャツにしたんだ。ほんとは全身に花でもつけたかったんだけど、それだったら花嫁が目立たないからって却下されたんだよ」
「やっぱり」

 以前に会ったときには、カムはトーコさんとの結婚式で主役になりたいと言っていた。僕のほうがトーコさんよりも若くて綺麗なのに、花嫁さんばかりずるいと怒っていた。
 おしゃれは好きだけど、そこまでの目立ちたい願望はない僕にはカムは不思議だったのだが、そんな男もいてもいい。

 スマホに入っているカム&トーコの結婚式の写真を見せてもらっていると、のこのことやってきたのが巻田くん。僕はよほどでないと人を嫌いにならない性質だから、アンヌさんを僕にくれ、とほざいた巻田くんも嫌いにはなっていない。アンヌが断ってくれて安心しただけだ。

「よぉ、美少年がおそろいで」
「よぉ、太目のおじさん」

 むこうがイヤミっぽく言うので、僕も意地悪く応じてやった。
 
 音楽事務所の社員である巻田くんも、奥さんがテレビ局の社員であるカムも、奥さんがロックバンドのヴォーカリストである僕も、テレビ局とは無関係ではない。関係者しか入れないテレビ局の中のカフェにいると、パルフェに会えると聞いてカムと一緒にやってきた。

 パルフェとはフランスの女の子たちのアイドルグループで、来日している彼女たちがこのテレビ局に来るとは、アンヌが教えてくれた。
 
「わぁ、パルフェ。僕、けっこうファンなんだ。サインもらえないかな」
「あたしは行かないけど、そだ、トーコの働いてる局だな。カムもパルフェのファンだとか言ってたよ」
「だったら……」
「いいんじゃないか?」

 そこで久しぶりにカムに連絡すると、僕も会いたい、行こうよ、と言ってくれたのだった。巻田くんはパルフェに会いたかったわけでもなく、単に通りがかっただけらしい。
 
「ふーん、パルフェねぇ。あの子たちはうちの水那と変わらない年なんだよな」
「水那って巻田さんの妹?」
「いや、女房だ」
「巻田さんって結婚してるんだ。僕も結婚してるんだよ」
「ああ、そうなのか。笙くんもカムくんも結婚早いね。カムくんの奥さんも年上?」
「うん、十一年上」

 そのカムの奥さんのおかげで、関係者以外立ち入り禁止のカフェに入れたのだと話してから、カムが巻田くんに質問した。

「巻田さんの奥さんは若いんだね。どんなひと?」
「どんなひとって……僕は若い女が好きだったんだよ。きみらなんか自分が若いから、相手は年上でもいいんだろ。僕は若いころから年上になんか興味なかったけど、年上のいい女に憧れる坊やってありがちだよな。昔の僕だったら……」

 コーヒーに角砂糖を三つも入れて、巻田くんはまずそうに飲んだ。

「そんな年上の女と血迷って結婚したら後悔するぞって言っただろうけど、女は若さだけじゃないってつくづく思うよ。アンヌさんくらいがいいよなぁ。彼女は僕よりは若いし、背が高くて美人だし、収入もいいし。笙くんがうらやましいよ」
「だから、巻田さんの奥さんってどんなひとなの?」

 いやそうな顔をして、巻田くんは一気に言った。

「ブスだよ。ブスで寸胴で、アルバイトしかしたことがないから稼げない。家事だってやってはいるけどうまくない。メシもまずいし、掃除も行き届かない。結婚前にはすこし太ってても可愛いと思ったんだよ。若かったらそれだけですごく価値があると思ったんだ。僕の目は雲ってたんだね」
「すると、奥さんって巻田さんより下だと思える?」
「当たり前だろ。アンヌさんには、割れ鍋に綴じ蓋だとか言われたけど、僕のほうがよっぽど上だよ。少なくとも僕は稼げる。働いて収入を得ている」

 ふーん、と考え込んでいるカムに、今度は巻田くんが質問した。

「きみも主夫なのか?」
「主夫でもよかったんだけど、トーコちゃんは子どもを産みたくないらしいんだよね。そうしたら主夫はいらない。バイトくらいしろって言われたんで、ダンススタジオの仕事を紹介してもらったんだ。トーコちゃんの紹介だから、芸能人もレッスンに来るスタジオだよ」

 アイドルのオーディションを受けにいったときは、トーコさんが審査員側だった。トーコちゃんは僕を自分のものにしようと、オーディションを不合格にしたんだとカムは言う。
 しかし、もうカムはトーコさんの夫だ。自分のものになってからだったら、アイドルっぽい仕事をするのもいいのではないかと、トーコさんは考え直した。

「それでね、半分はバイトで、半分はレッスンもつけてもらってるんだ。僕はダンスはわりとうまいんだけど、歌が下手なんだよね。アイドルなんて歌が下手でもいいから、人数の多いグループのひとりぐらいだったらできなくもないかなって。もとアルバイト主夫のアイドルってユニークでしょ」
「ふーん」

 不満そうな巻田くんをちろっと見て、カムが言った。

「だけど、なんだかね……巻田さんがうらやましいよ」
「僕のなにがうらやましいんだ?」
「だって、僕はいつだって……」

 アイスティをひと口飲み、カムはもの憂い口調で続けた。

「トーコちゃんって三十代だけど、ほんとのほんとに二十五くらいにしか見えないんだよ。おしゃれで美人ですらーっとしてて、カムくんの奥さんってモデル? ほんのすこし年上なだけでしょ、ってみんなに言われるんだ。仕事もできて、子どもはいらないって言ったら、上司に安心されたって。トーコに休まれたらうちの職場は回っていかないんだから、産休なんか取られると困るってさ」
「自慢かよ」

 ひたすらに巻田くんは不満そうで、僕としても、なんでそれで巻田くんがうらやましいんだろ、と頭をかしげていた。

「僕ってアイドルになれるって言われるほどなんだから、イケメンっていうか……僕も年よりももっと若く見えるほうで、十代に見られたりもするんだから、美少年だよね」
「……」

 小声でぼそっと巻田くんが言ったのは、頭が悪いからだ、と聞こえたが、ひがみであろう。

「そんな僕は今までは、いつだってどこでだってみんなにもてはやされたんだよ。なのに、トーコちゃんと結婚したら、僕はトーコちゃんの添え物みたいだ。結婚式だって、トーコちゃんのペットみたいってか引き立て役ってか。つまんなかったよ」
「ふーん、そういう考え方もあるんだな」
「やっぱ僕、アイドルになりたいな」

 それで、なんで僕がうらやましい? と、巻田くんも僕と同じ疑問を口にしたが、カムは答えない。答えると失礼だからか。
 若いだけがとりえで、不細工で収入もなくて特になにもできない奥さんだったら、夫が優位に立てるからって? そんな考え方をする男もいるだろうが、僕にはそんな思想はない。

 うちの奥さんも年上だけど、巻田くんの言う通り、美人で稼ぎもいい我が家の大黒柱なのだから、息子の胡弓も僕も、アンヌのおかげでぬくぬく暮らせている。僕は妻を愛し、尊敬し、感謝している。
 うんうん、僕にはアンヌが一番だよ、と思っていると、カフェの入り口あたりがざわめいた。パルフェの女の子たちが入ってきたらしく、金髪が見えていた。

「トーコちゃんには内緒だけど、しばらくは我慢して将来は……」
「パルフェの女の子みたいな若い子と浮気して離婚するって?」
「それだったら同じじゃないか。いや、そうでもないのかな。アイドルなんて一過性なんだから、あの子たちも年を取ったらぶくぶく太ったおばさんになるのか。若さってはかないよな」

 おのれにも言い聞かせているような巻田くんの声は、もはやカムには聴こえていない。中腰になってパルフェの女の子たちに見とれている。僕もカムと同じ姿勢になり、意識がパルフェに集中してしまったから、巻田くんの繰り言なんか聞いてはいなかった。

つづく

 
 

202「仕打ち」

しりとり小説

202「仕打ち」

 クールなつもりでいたけれど、生まれてはじめての恋に、兼子は我を忘れた。
 三十一歳にして初恋だなんて、そんなはずはないでしょう? と周囲の皆は笑う。子どものころには好きな男の子がいた記憶もあるし、大学生まではちょっとしたつきあいだったらしたが、あんなものは恋ではなかった。

 なのだから、初恋なのだ。初恋を成就させて結ばれたなんて、私はなんて幸せ者なのだろう。こっちから好きになって、追いかけて告白してプロポーズして、私のものにする、兼子にはそんな恋が性に合っていたらしい。

「会社、やめてきたよ」
「え? そうなの?」
「そう。俺はもう働くのに疲れたんだよ」
「そ、そうなんだね。まあ、しばらく休めばいいよね。次のあてはあるんでしょ」
「ないよ。働くのに疲れたって言っただろ」
「そしたら……どうするの?」

 寝耳に水とはこのことだ。兼子は外食産業で働いていて、一店舗をまかされている。正社員なので年収も悪いほうではないから、夫の収入がなくても暮らしてはいけるだろうが、ひとこと、相談くらいするものではないのだろうか。

 バツイチだけど子どもはいない、前の妻とは性格の不一致で離婚した、兼子は三次からそう聞いていた。三次は兼子よりもふたつ年下の二十九歳。若すぎた結婚だったんだろうな、と解釈して、兼子は三次にプロポーズした。今度こそ、私が幸せにしてあげるから、と。

「主夫になるよ」
「はぁ……」
「男女同権だろ。男にだってその権利はあるはずだよ」
「私は女性の主婦ってのも嫌いだけど、私がそんなものになるつもりはないけど、妊娠出産、子育て時期だけだったら主婦はかまわないと思うのよ。女性の主婦ね。だけど、男性は出産はしないんだから……」
「兼子、子どもがほしくなった? 産んでもいいよ。俺が育てるから。それだったらいいんだろ」

 今はそんな話はしていないんだけど……と言いかけた兼子に背を向けて、三次はソファに伸びてしまった。

 会社員としての日々に疲れてしまったのだろう。三次は薬品会社の営業マンで、医者やナースを相手にする営業活動の苦労についても、兼子にこぼしていた。そんな会社はやめてもかまわない。転職するのだったら兼子は反対などしない。けれど、子どももいないのに主夫って……三次が出産するわけでもないのに。

「しばらく休んでゆっくり考えて」

 そうとしか言えなくて、兼子は静観することにした。

「掃除、洗濯、料理が主婦の三大家事だよな。俺は掃除も洗濯も前からけっこうやってるけど、料理はあまりやったことがない。買い物に行かなくちゃなんないだろ。食費、ちょうだい」
「早速主夫をやるつもりなのね。がんばって」

 仕事をやめたからといってだらだらするのではなく、主夫業をこなすのだったらいいではないか。一週間分の食費のつもりで、兼子は夫になにがしかの紙幣を手渡した。

 共働きなのだから、三次は以前から多少の家事はやっていた。料理だけは苦手だと言うので、宅配サービスやスーパーの惣菜なども駆使して、主に兼子が食事担当だった。たいしておいしくもないものを食べていたのだが、三次も兼子も食にはさして関心がない。三次の料理も上手ではなかったが、食べられればそれでいいのだった。

「今日のシチュー、うまくできてるね」
「だろ? ネットで研究したんだよ。うんうん、おいしいよね」
「家に主夫がいてくれるって、悪くないかも」
「そうなの……?」
「あなたがそれでいいんだったら、再就職なんかしなくてもいいよ」
「あっ、ああ」

 意外そうな顔をする三次に、兼子はにっこりしてみせた。

「へぇぇ、あなたがね……」
「なにかご用でしょうか」
「そんな警戒しなくてもいいのよ。どうぞすわって」

 平和にすぎていく日々に身をゆだねていたら、さざ波が立った。美樹と名乗る女性からの突然のメール。彼女は三次の前妻で、三次つながりで仲良くしましょうよ。一度会わない? とのメールだったのだ。

 気の強い女でね、それ以外にもなんだかんだで合わなかったんだ。子どもはいなかったんだから、二度と顔を合わせることもないよ。だけど、俺、女にはこりごりした部分もあるから、結婚はしたくないかなぁ。
 そう言っていた三次を強引にその気にさせたのだから、勝者は私だ。美樹の顔を見てみたかったのもあって、兼子は彼女の誘いを了承した。

 会社帰りの喫茶店。三次が言っていた通り、すらっと背が高くてセンスのいい、メイクも上手なきつい顔立ちの女だ。見ようによっては美人かもしれない。年齢は三次からは聞いていなかったが、二十五、六といったところに見えた。

「三次って稼ぎのいい女が好きなんだよね」
「そうなんですか」
「私も三次と結婚する前は、モデルクラブでアルバイトしてたの。収入はよかったんだよ」

 売れないモデル、言われてみればいかにも、だ。

「三次は働く女が好きでしょ。彼の母親は専業主婦で、のんびりしすぎてて太ってる。そういう女に嫌悪感があるんだよね。そのくせ、私を見て言うのよ。そんなに痩せてて子どもが産めるの? モデルだなんていかがわしい仕事よね。ふしだらな生活をしていそう、だとかって」

 ひとしきり三次の母親の悪口を言ってから、美樹は話題をずらした。

「モデルとしては売れなくなってたから、転職したんだ。だけど、私には地味な仕事なんて合わないの。三次が働けって言うから働いてたよ。無職の女となんか結婚しない、とも言われたんだもんね。でも、とうとうある日、仕事をやめてきて言ったの。専業主婦になりたい、子ども作ろうよ、そしたら私、主婦になれるもの、って」

 どこかで兼子も似た台詞を聞いた。

「結果的にはそれが離婚の原因になったんだよね。美樹は美人でスタイルもよくて、独身のときにはモデルだった、俺はそこに惚れたんだ。モデルは若いときにしかできないんだから仕方ないのかもしれないけど、そしたら別の仕事を見つけてしっかり働けばいい。もとモデルなんだったらその人脈とかもあるだろ、ってがみがみ怒るの。おまえの専業主婦宣言はショックだったよ、って」

 そうは言っても、惚れた弱みで許してくれるだろうと美樹は思っていた。そのうちに妊娠してしまえば、大きな顔で専業主婦ができる。ところが、三次に離婚届を突き付けられた。

「契約違反だ。俺はおまえが好きだけど、理想からかけ離れた専業主婦は許せない。絶対にいやだ、って言うんだよ。そしたら子どもができるまではパートで……って妥協したんだけど、それもいやだって。バリバリキャリアウーマンか、派手な仕事をしてる女がいいらしいんだね」

 そこで、美樹はうふっと笑った。

「めんどくさくなって離婚したよ。でも、三次は私に惚れっぱなしだから、いろいろ報告してくるんだよ。ファミレスの店長だからキャリアなんかじゃないけど、けっこう稼ぐ女に結婚を迫られてるんだ。結婚なんかしたくない、あんな地味な女はごめんだ、って思ってたんだけど、いいこと思いついた、ってメールをよこしたの。それからその女と結婚して、いいことってなんだろ、って思ってたら、幼稚な復讐だなぁ。あのときのショックを逆の立場で女房に味わわせてやりたいって」

 声を立てて笑っている美樹の台詞の、意味がわからない。前半はわかるが、後半はどういう意味だ? 幼稚な復讐?

「なのに、奥さんは意外にもけろっとしてる。家に主夫がいるっていいもんだよね、まで言う。俺はいったいなんのために……って、三次、暗いらしいね。バッカじゃん?」
「あの……それ……」
「安心していいよ。私は三次と浮気もするつもりはないから。今はただの友達。兼子さんとの変わった夫婦の様子とか聞いて、私も再婚したときの参考にしようと思ってるだけ。勉強になるわぁ」
「……あの、復讐って?」
「わかんない? 鈍いんだ」

 あ、私、デートの約束があるんだ、と言って美樹が席を立ってから、兼子はつらつら考えた。
 ファミレスの店長、すなわち兼子と結婚したのは、美樹から与えられたショックを別の立場で今度の妻に与えて復讐するため? そんな動機で結婚する男がいるのか? どうして前妻への復讐を私に?

 復讐、復讐、ショック、逆の立場。

 何度も考えてやっと思い当った。専業主婦になりたい? 結婚した相手にそう言われて離婚したくなるほどのショックを受けたとは、それもかなり兼子には意外だったが、復讐のターゲットを自分が向けられていたとは、人の考えってのは多様すぎて気が遠くなりそうだ。

 じゃあ、三次はこれからどうするつもり?
 気が済んだんだったら離婚する? それとも、専業主夫って居心地がいいな、なんて思って、その座にすわり続ける? 兼子としては、主夫と暮らすのは悪くないと思う。本音でそう思えるようになったのは、案外三次が主夫として有能だからだ。

 彼の本音を知っても、彼への恋心は幻滅などは感じていない。惚れた男のためならば、多少の理不尽にも耐えてみせる。それが恋かしら? 女友達がいたってどうってこともないけどね……自分の発想外の事実を知らされて、兼子の思考能力がうまく働かなくなっているようだった。

次は「ち」です。

ガラスの靴58「衣装」

「ガラスの靴」

     58・衣装


 総合ウェディングプロデュース集団、「イシュタル」が出しているパンフレットを、近くの席で取り出した女がいた。

 通りすがりの喫茶店。ビジネス街の店は昼どきは混んでいるが、ここはメインストリートからははずれているからか、空いている。それでもオフィスビルはぽつぽつあるから、そのあたりで働いているサラリーマンなのだろう。あたしの近くの席にはどこかの会社の制服を着た女たちが三人、すわっていた。

「婚活、うまく行ったの?」
「結婚、決まったの?」

 ふたりの女が身を乗り出し、パンフレットをテーブルに載せた女がかぶりを振った。

「ちがうのよ。私に釣り合う上等な男なんていないの。こうなりゃじっくり腰を据えて、いい男を探すつもり。ここまで待ったんだから妥協なんかしたくないもんね」
「じゃあ、このパンフレットは?」
「ここ、見て」

 開いたページは、「おひとり様ウェディングプラン」。あたしたちのバンド「桃源郷」はイシュタルのCMソングを担当しているので、そのプランについても知っている。ひとりでウェディングってどうやるんだよ? だったのだが。

「へぇぇ、ウェディングドレスをきちんと着て写真を撮るんだね」
「わぁ、素敵!! 私もこんなの、着てみたいっ!!」
「でしょ?」

 満足げにうなずく女は、田丸さんと呼ばれている。あとのふたりはミナちゃんとアキちゃん。田丸がいちばん年上なのだろう。四十代に見えた。

「結婚はいくつになってもできるよね。子どもは無理って年齢に近づいてはいってるけど、私ほど若く見えて美人で魅力的な女だったら、いくつになっても男が放っておかないはず。だけど、ウェディングドレスってやっぱり若いほうが似合うじゃない? 私も今のうちに着ておかないと、似合わなくなるような気がするの」
「そしたら、田丸さん、本番のときにはなにを着るの?」
「本番は和装にする。大人の花嫁らしく決めるのよ」

 それ、いいよねぇ、田丸さんだったらこのドレスがいいんじゃない? こっちのほうがいいよ、と盛り上がっているミナとアキの口調には、そこかはとない揶揄が感じられる。田丸はこのプランにはまっているらしく、いいでしょいいでしょ、などと嬉しそうだった。

「あ、もうこんな時間だ。私はお先に」
「お疲れさまでーす」
「成功を祈ってます」
「どっちのよ?」
「両方」

 仕事で出かけるのか、田丸が先に席を立ち、残されたミナとアキは予想通りの会話をはじめた。

「あの境地にだけは到達したくないね」
「田丸さんって何歳だっけ?」
「三十五歳だって言ってるよ。会社でサバを読んでもばれるのに、三十五だけど二十五歳に見えるでしょ、って自分で言ってるの」
「見えないよ。ほんとは?」
「四十一かな」
「……だよねぇ、やっぱ」

 うんうんとうなずき合い、ミナとアキは声を低めた。

「ほんと、三十五までには決めたいね」
「ミナも婚活やってんの?」
「合コンだとかパーティとかには行ってるのよ。田丸さんみたいにはなりたくないから、今年中には決めて、来年には結婚式に持ち込みたくて……だけどねぇ……」
「私も、田丸さんみたいになったらおしまいだから、早く決めたいんだけどね……」
「だよねぇ」
「あんなこと言ってたけど、田丸さんじゃもう……」
「ウェディングドレスを着ると痛いんじゃない?」

 ねぇぇ、と言い合って、ふたりはくすくす笑った。

 何度も何度も結婚しては離婚し、またもや結婚する奴もいれば、こうして一度も結婚できない女もいる。このふたりは三十代前半か。田丸さんみたいになりたくない、だけど、いい男がいない、と嘆きっぱなしだった。

 ランチどきに聞いた若くはないOLたちの会話が耳に残っていたし、田丸という名の女も記憶に残ったから、彼女と会ったときには即座にわかった。痩せて背が高くて、デキル女ふうのスーツをまとった女が、「イシュタル」の本社にあらわれたのだ。

「田丸さんじゃん?」
「は? えーと、どちらさまでしたっけ」
「あたし、アンヌ」
「えっとえーっと……」

 あの日はあたしはひとりだけで、シャツにジーンズの平凡な服装でカレーを食べていた。田丸たち三人組は店内で目立っていたが、あたしはひっそりしていたので彼女の目にも留まらなかったのだろう。

「あんな話を聞かれてたんですか」
「それで、実行しにきたの?」
「詳しく聞きたくて……アンヌさんはどういうお仕事を?」
「ロックバンドをやってるから、音楽担当」
「ああ、そうなんですね」

 言葉は丁寧だが、田丸の目つきには侮蔑を感じる。まっとうなOLから見れば、あたしなんかはヤクザのようなものだろう。慣れているのでどうってこともないが。

「ここで会ったのもなにかの縁だね。飲みにいかない?」
「あの……」
「おごるからさ。あたしはずっと音楽業界で生きてるから、田丸さんみたいなカタギの友達は少ないんだよ。OLの話なんかも聞きたいな」
「OLって古いですよ」
「キャリアウーマン?」
「それも古いかな。ワーキングウーマンかビジネスウーマンでいいかもしれない」
 
 ワーキングだかビジネスだかの女に興味があったのも事実だが、ちょっと意地悪をしてやりたかったのも事実だ。ためらいながらもついてきた田丸とタクシーに乗った。

「別に急がないから、ウェディングの話は後日でもいいんですけどね」
「そうだよね。あとでも同じだよ」

 日が経つにつれてどんどん外見が劣化するお年頃ではあるが、一ヶ月単位くらいでは変化もないだろう。「おひとりさま」は省いて、タクシーの中ではウェディングプランの話をしていた。

「あらぁ、アンヌ、ここにおいでよ」
「お、ハンナ、来てたのか」

 タイ人の血が入っているのもあって、アンヌという名前をつけられたあたし。ハンナのほうは北欧の血が入っているらしく、かなりゴージャスな長身の美女だ。ハンナが呼んでくれたので、あたしは田丸を促して彼女のいたテーブルについた。

「ハンナ、ひとり?」
「ひとりだよ。今日はひとりで来たんだけど、ひとりだったらやっぱつまんないなって思ってたとこ」
「田丸さん、ちょうどいいよ。ハンナは経験者だからさ」
「経験者って、あのプランの?」
「そうそう」

 なんだ、こいつは? という目でお互いを見ているように思える、ハンナと田丸。田丸は一般人だし、ハンナは有名ではないので当然だろう。敢えて紹介はしなかった。

「別の会社なんだけど、ハンナ、ウェディングドレスを着たんだよね」
「ああ、何度か着たよ」
「ハンナは日本人離れしたプロポーションだから、ウェディングドレスは似合うだろな」
「あたしは細いから水着姿だともひとつサマにならないんだけど、ドレスを着ると優雅で品があるって言われるね」
「品があるねぇ」
「中身は品がないよ、悪かったね」

 わかってるじゃんと、とあたしが笑い、ハンナは鼻に皺を寄せて舌を出す。田丸は緊張しているのか、酒ではなくてミネラルウォーターを飲みつつ、困惑顔でいた。

「アンヌはウエディングドレスって着た?」
「あたしは結婚式、してないから」
「そうだっけ。仕事で着たりしないの?」
「あたしの衣装はそういう感じじゃないよ」
「そうだね」

 二十代のハンナ、三十のあたし。田丸はいちばん年上だとの自覚はあるのだろうが、若く見えるんだから、と思っているのだろうか。アンヌって独身じゃなかったの? との視線は感じた。

「ハンナはどうだったんだ?」
「ウェディングドレス? 我ながら綺麗だなぁ、って感じだったよ。コスプレみたいなもんかな」

 自信過剰だとは、ハンナが綺麗なのは本当なので言いにくい。

「ま、仕事だからね。あたしは何べんもウェディングドレスを着て飽きちゃったよ」
「本物の結婚式、したい?」
「アホらしいからしたくない」

 仕事? と呟いた田丸の眉が、ぎゅっと寄せられていく。こんなに美人のモデルだかタレントだかは、仕事でウェディングドレスを着飽きたと言っている。なのに私は……とでも考えているのか。
 意地悪がすぎたかな。ちょっとかわいそうかな。だから、これくらいにしておいてやるよ。

つづく


フォレストシンガーズ・短歌俳句超ショートストーリィ2019/9

フォレストシンガーズ

2019/9

 あれマツムシが鳴いている
 チンチロチンチロチンチロリン

 こんなシーンを描いていると、耳元にこの歌が聴こえてくる気がする。夏の終わり、秋のはじめ、人は虫の音で季節を知ったりもする。

 百年以上も昔だったら、自然は豊富だっただろう。
 京都伏見といえば田舎ではなかったはずだが、今ごろの季節には虫たちが大合唱をしていたはず。静かな夜に坂本龍馬が伏見の船宿で、恋仲のおりょうさんの膝枕で虫の音を聴き、おりょうさんがそっと口ずさむなんてどうかな?

「あれ、この歌、幕末にあった?」
「ないだろ。小学唱歌って明治時代に作られたんじゃないのか」
「そうだよね、残念」

 今夜はヒデさんが泊まりにきている。彼は歌には詳しいので、質問してみた。

「幕末のころ、こんなシチュエーションで口にする歌かぁ。都都逸とか?」
「都都逸ってどんなの?」
「三千世界の烏を殺し……は高杉晋作だよな。三津葉だったらどんな都都逸を知ってる?」
「んんと……知らない」

 いまだガラケーを使っているヒデさんは、誰かにメールを打っていた。ややあって、届いたのは乾さんからの返信。この季節の歌といえば……だそうだ。
 
「夜をかさねはたおる虫の急ぐかな草のたもとの露や冴ゆらむ」定家
 
 乾さんらしい返事だけど、坂本龍馬に定家の歌は似合わない。もっと俗っぽいのないかしら? あれは、これは? とヒデさんと言い合っているのは楽しいから、答えなんかなくてもいいんだけどね。

END

 

ガラスの靴57「嫉妬」

57「ガラスの靴」


     57・嫉妬

 宝塚歌劇の男役と女役スターが本格的に衣装を着け、新郎新婦のなれそめをドラマ仕立てにした寸劇をやる。僕は新郎の田村から真相を聞いているので、笑うのを我慢するのが大変だった。

 プロのジャズバンドがラヴソングを演奏する。政治家からの祝電がいーっぱい読み上げられる。経済界の大物だというが、僕は知らないおじいさんがスピーチをする。これまた大物らしいが、過去のひとらしいので僕は知らない演歌歌手や映画俳優もスピーチをする。

 録画による海外の俳優やミュージシャン、政治家や小説家や科学者からもお祝いメッセージが届いているらしく、そんな時間もけっこう長い。退屈もあったのだが、音楽も寸劇もマジックもプロがやっていたから、ショーでも見ているようで楽しくもあった。

「潔、ついに結婚が決まったらしいよ」
「誰と? 多恵ちゃんとじゃなくて?」

 電話をしてきたのは専門学校時代の同級生だった多恵ちゃんだ。多恵ちゃんとは卒業してからはまったく会うこともなかったのだが、彼女がつきあっている田村潔がアンヌの楽屋を訪ねてきてから、たまにお酒を飲んだりもしていた。

「ちがう。佐倉先生」
「医者の?」
「そうだよ」
「……多恵ちゃんは平気なの?」

 田村もまた僕とも多恵ちゃんとも専門学校は同じだ。アート系専門学校でアニメのほうを学んでいた僕は結婚して専業主夫になり、田村はフリーター、多恵ちゃんはアニメプロのアルバイト。二十三歳の専門学校卒人間としては、田村と多恵ちゃんはありふれた仕事についているのかもしれない。

 うちの奥さんも専門学校は同じ、ただし、アンヌはイラストのほうだが、田村も多恵ちゃんもアンヌとも一応は知り合いだ。そのせいで図々しくも田村がアンヌに会いにきた。アンヌは面倒くさがって僕に押しつけた。その流れで多恵ちゃんとも会ったので、多恵、田村、医者の佐倉先生との変な三角関係については知っていた。

 アルバイトとはいえ、多恵ちゃんは大きな仕事をまかされたりもして忙しい。アニメ映画に関わりたいとの野望も持っている。
 フリーターの田村はアニメとは無関係の仕事で、あれをやったりこれをやったりで腰が落ち着かない。多恵ちゃんと田村は、どっちも相手を都合のいい男、都合のいい女扱いでつきあっていた。

 そんな田村を口説いたのが、二十歳年上の女医さん、佐倉先生だった。その後のいきさつは知らないが、田村と佐倉先生が結婚するという。そこまでにはならないかと漠然と思っていたので、僕もびっくりで、多恵ちゃんはショックではないのかと尋ねたのだった。

「うーん、そうね、複雑な気分だけど、潔がいいんだったらいいじゃん」
「僕は多恵ちゃんがいいんだったらいいよ」
「それでね」

 なんというのか、大層な家柄出身の佐倉摂子さんは、両親や親せき筋に相当な人脈がある。対して潔は若くて顔がいいのがとりえのフリーターで、親も庶民だ。
 逆玉と呼ばれる結婚なので、結婚式も佐倉家側が凄まじい来客になる。潔だってちょっとは友達を呼びたかったのか、婚約者に命令されたのかは知らないが、専門学校時代の友達を招きたいと言うのだった。

「笙くん、アンヌさんと一緒に出席できない?」
「田村サイドの唯一の有名人だから?」
「そうなのかもしれない。潔は忙しいから、あたしから頼んでほしいって言われたんだ」
「あのさ……多恵ちゃんはこれから、田村とはどうするの?」
「友達づきあいは続けるよ」
「セフレのほうも?」
「ばーか」

 と言われはしたが、それもアリかもしれない。二十歳も年上の美人でもないおばさんと結婚した二十三歳男子は、セフレくらいは許してもらえるのかもしれないから、僕がとやかく言うのはやめよう。

「ってわけでね、アンヌ、出席してくれる?」
「いやだ」

 ひとことで断られたので、だったら僕も欠席しようかと思ったのだが、ものすごくゴージャスな結婚式だというし、アンヌも行ってもいいと言ってくれたので、出席することにした。

 聞きしにまさる豪華な式だった。僕たちは結婚式を挙げていないのもあり、僕が若いので友達もまだ未婚がほとんどなのもあり、第一、僕には友達も親戚も少ないのもあり、アンヌの関係の結婚式にはアンヌが行きたがらないのもあり、などなどで、僕は結婚式参列回数がほとんどない。

 なのだから、きっと一生に一度だろう。こんな凄まじく豪華な結婚式は。新郎の友人たちが集まったテーブルには若い男が十人、僕と多恵ちゃんを含めて十二人。若いのだけがとりえで他にはなんの特色もない。新郎そっくりの集団になっていた。

 あまり田村は好かれていなかったから、僕と同様、友達も少ない。幼なじみが別の席にいるらしいが、この十二人は、高校、専門学校時代の友人ばかりだ。僕が知っている男がふたり、大哉、春真がいたので、式のあとで多恵ちゃんと四人、同窓会兼二次会をすることにした。

 二次会といえば新郎新婦も加わるものだろうが、結婚式の続きの二次会は有名人だらけで派手に行われるらしい。会費も不要のそっちにはぞろぞろと人々が流れていったが、僕らはもうそんな人々に疲れてしまったので、新郎もヌキの気軽な飲み会だ。

「いやぁ、すごかったな」
「あの奥さんだもんな」
「お疲れ、乾杯しよ」
「田村潔の前途を祝して……」

 居酒屋のテーブルを四人で囲み、ジョッキを合わせる。ダイヤは車のディーラーで営業マンを、ハルマは英会話教室の営業マンをしているそうで、ふたりともにアニメとは無関係の仕事だ。

「多恵ちゃんはいいよな。俺もそんな仕事、したかったよ」
「笙もいいよなぁ。だけど、子どもがいるんだろ? 早く帰らなくていいのか?」
「うん。お母さんに預けてきたから」

 ひとしきり自分たちの仕事の愚痴をこぼしてから、ダイヤが言った。

「多恵ちゃんはどうなの? 映画の話、どうなった?」
「……進行中ではあるんだけど、出資しろって話になってるから……どうなんだろ」
「それって途中で立ち消えになったりしないのか?」
「なくもないかもね。そのくらいのお金だったらなんとかなりそうなんだけど……」
「やめたほうがいいよ」
「うん。ガセのような気がする」

 男ふたりはうなずき合い、交互に言った。

「どんな映画だか知らないけど、実績もなんにもない小娘に関わらせるなんて、あり得なくない?」
「いくら出せって言われてるのかも知らないけど、よくあるじゃん。歌手にしてやるからレッスン料いくら出せとかさ」
「小説の賞を取らせてやるから金を出せとか」
「そういうたぐいの話なんじゃないの?」
「多恵ちゃんってまだたいした仕事はしたことないんだろ」

 悔しいけど……と多恵ちゃんはうなずき、男ふたりはなおも言った。

「俺らもアニメの専門学校にいたんだから、ちょっとはそういう業界を知ってるよ」
「生き馬の目を抜くとか言うんだよな。多恵ちゃんみたいな小娘、だまくらかすのは簡単だろ」
「金だけじゃなくて、多恵ちゃんは女の子だからさ……」
「セクハラされてないか?」
「ダイヤ、失礼だろ」

 いやいや、失礼、とか言って、ダイヤもハルマもげらげら笑う。だいぶ酔ってきたようだ。

「そんでも多恵ちゃんは田村が好きだったんだろ。ふられたからって自棄を起こして、変なおっさんのおもちゃにされるなよ」
「よっぽどでもなかったら、アニメの世界で成功するなんて無理だもんな」
「多恵ちゃんは可愛いから、食い物にしようって牙をむいてる男もいそうだな」
「今までにどんな経験、してきたの?」

 すこしだけひきつった顔になって、多恵ちゃんは応じた。

「酔っぱらいのおかしな質問にはお答えできません」
「いやぁ、しかし、多恵ちゃんって遊んでそうだね」
「俺ともどう?」
「俺もフリーだよ」

 そこでまたげらげら笑う。僕が横目で見ると、多恵ちゃんの目は怒っているようだった。

「うちの同窓生って変わった奴が多かったのな」
「その代表は笙かと思ってたけど、田村は上手を行ったね」
「笙、なんでずっと黙ってるんだよ?」

 きみたちを観察しているほうが面白いから、とは言えなくて、僕はにっこりしてみせた。

「僕は世間知らずの主夫だから、きみたちの会話に入っていけないんだよ」
「そりゃまあ、特殊な女と結婚して主夫になったんだから、笙は特別だよな」
「ロックヴォーカリストなんだろ。新垣アンヌって見たことあるよ」
「正直、ふしだらそうな……いや、失礼」

 女の子を怒らせすぎるのもまずいと思ったのか、矛先が僕に向いた。

「主夫なんていうお気楽そうな立場はうらやましいけど、普通の男にはできないよな」
「ま、俺にもプライドはあるからね」
「俺にだってあるさ。アンヌさんって年上だよな。年上の女と結婚する男ってやっぱ……」
「そうそう。それ、あるよな」

 やっぱ、なんと言いたいのか。多恵ちゃんも黙ってしまって、サラダをつついていた。

「田村はもてるのかと思ってたけど、あんなのと結婚したってことは……」
「意外と同じ年頃の女にはもてなかったのかもな。多恵ちゃんしかいなかったのかな」
「逆玉ねぇ……」
「美人女優だとかいうんだったらまだしも、あのおばさんじゃあな……」
「田村の前途を祝して、なんて言ってたけど、将来真っ暗じゃね?」
「あんな家に取り込まれて、婿に行くわけだろ? いやだね、俺は絶対にいやだ」
「俺だっていやだよ」

 田村や笙の境遇と較べたら、俺たちはまっとうに働いてプライドを満足させているのだから、男としては俺たちのほうが上だ、と彼らは結論付けたようで、ふたりで乾杯していた。

「あれって……」
「ダイヤとハルマ?」
「うん」

 ダイヤとハルマと別れ、多恵ちゃんとふたりだけになった帰り道、多恵ちゃんが言った。

「本音もあるんだろうけど……あーあ、あたし、男に幻想を抱いてたかな」
「幻想?」
「男ってもっとさっぱりしてると思ってた。自分ができないからって、それをやってる相手に嫉妬してねちねちねちねち。ああいうのは女のやることだと思ってたの。まちがってたね」
「うん、そういうところは男も女も同じだよ」
「だよね」

 なにかを吹っ切ったように、多恵ちゃんは僕をまっすぐに見た。

「潔が結婚したってへっちゃらのつもりだったけど、ちょっとだけね……笙くんになぐさめてほしいな、なんて言おうかと思ってたんだけど……」
「え? あの……」
「言わないよ。アンヌさんと胡弓くんによろしく」
「あ、うん」

 おやすみ、と手を振って、多恵ちゃんは地下鉄の駅のほうへと歩いていく。なぐさめてほしいと言われていたら、僕はどうすればよかったんだろう。それを知りたい気持ちもすこしはあったから、すこしだけ残念でなくもなかった。

つづく


 

 

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